たっくんは疑問形 〜あなたと私の長い長い恋のお話〜

田沢みん

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第3章 過去編 side 拓巳

51、交渉成立

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 十蔵さんは額を畳につけたまま、くぐもった声で一気にまくし立てる。

「やっと出来た家族の形が壊れるのが怖かったんだ!穂華さんが帰ってくる場所を残しておきたかったんだ!謝って済むことでは無いけれど……この通りだ、どうか許して欲しい!」

ーーハア? コイツ……馬っ鹿じゃねえの?

 朝美が俺の部屋に夜這いかけてるのを知ってて放置してたのか?
 自分を捨てたあの尻軽女のために、俺と自分の娘を売ったっていうのか?

 気付いてたって……部屋に入るのを見てたって……。
 何なんだよ!血の繋がりが無いとは言え、 義理の姉弟なんじゃねえのかよ!
 同じ家にいながらどうして放っておけるんだよっ!


「っは…… 家族って……」

 この期に及んで、あの家にまだ家族の形が残ってるとでも思ってるのかよ?

 アイツは帰って来ねえよ!
 アンタも俺も捨てられたんだよ!
 俺たちはあの家ごととっくに捨てられてんだよ!分かれよ!

 俺の醒めた目を上目遣いにチラチラうかがいながら、十蔵さんが媚びるような作り笑いを浮かべてきた。

 反吐が出る。

 だけど、お陰でこっちもこの男を可哀想だとか申し訳ないと思う必要が無くなった。

ーー分かったよオッサン、好きなようにさせてもらうよ。

「それなら話は早い。俺は来年あの家を出ます。十蔵さんも母さんが置いてった離婚届をとっとと提出して、俺たち母子おやこと縁を切って下さい。それでいいですよね?」

「いや、拓巳くん、それは駄目だ!君も穂華さんの手紙を読んだだろう?」

「……は?」

 とんでもないというように顔を上げた十蔵さんを見て、俺は怒りと言うより呆れ返った。

ーーこの期に及んで何を……。

「僕は穂華さんから君のことを頼まれているんだ。中卒で働くなんて、とんでもないよ!拓巳くんがちゃんと大学を出るまで援助させてもらうつもりだから、あの家で一緒に穂華さんを待とうじゃないか」

ーーダメだ、コイツ……。

 俺と朝美の関係を知ってなお、俺をあの家に縛りつけようって言うのか?

 俺は母さんを待つための人身御供ひとみごくうかよ!
 あんな女に振り回されて、恥もプライドもねえのかよ!

 みんな……みんな狂ってるよ……。

 だけど…… あの家であんな事をヤってる俺も……とうに狂ってるんだ……。


 その瞬間に、背中の芯からキンと冷えて、全てがスッとめていくのを感じた。

「十蔵さん……」
「うん、なんだい?拓巳くん。何でも言ってごらん!」

 笑顔を浮かべた俺を見て、嬉々として身を乗り出してきた。

「それじゃあ、俺が『陽向高校』に通うためのアパートを借りて下さい。朝美には内緒で」

 途端に十蔵さんが顔を曇らせる。

「陽向高校に進学するのは賛成だけど、高校生で一人暮らしというのは……それに朝美だって何て言うか……」

ーーそう言うだろうと思った。

「俺の言うことを聞いてくれないのなら……朝美に襲われたって、アイツの通ってる大学に通報しますよ」

「拓巳くん!」

 サッと顔色を変えた十蔵さんに畳み掛ける。

「朝美はあの時もう18歳になってたから、淫交《いんこう》になるんじゃないですか?」

「それはっ!……君は……僕を脅すのか?」

「俺だってこんな事は言いたくありません。だけど俺は、姉だと思って慕っていた相手に中2で襲われたんですよ?俺の傷ついた気持ちを察して下さいよ」

「それは……すまないと思っているんだ……だけど……」

 母さんに未練タラタラで、娘にも頭が上がらない弱い男……。
 だから俺は、返事を決めかねているこの男に向かって、とっておきの殺し文句を放つ。

「十蔵さん、大丈夫。母さんから何か連絡があれば、真っ先に十蔵さんに知らせますよ。俺が家を出たって繋がりが無くなる訳じゃないでしょ? 朝美だって、俺と離れればきっと目が醒めます」

 十蔵さんは途端にぱあっと顔を明るくして、もう全てが解決したかのように、『うんうん』と頷き出した。

「そうか……そうだね、別々に暮らしたって、君は僕の息子なんだ。いくらでも連絡は取り合える」

「そうですよ。俺は十蔵さんに恥をかかせないように頑張って勉強して、陽向高校の特進クラスに合格します。母さんが帰って来た時に、高校に通えたのは十蔵さんのお陰だって言いたいから」

「うん、特進クラスか。それなら穂華さんも喜ぶだろう

「はい。……その代わり、約束して下さい。俺の行き先は朝美には絶対に内緒です。もしもバラしたら……俺はすぐに街を出ます」

 十蔵さんは黙って頷き、右手を差し出して来た。

ーーはっ、チョロいな……。

 俺がその手を握り返すと、彼はニカッと歯を見せて仲居さんを呼び、新たにA5ランクの高級和牛を追加注文した。

 交渉成立の瞬間だった。
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