上 下
146 / 237
第3章 過去編 side 拓巳

51、交渉成立

しおりを挟む

 十蔵さんは額を畳につけたまま、くぐもった声で一気にまくし立てる。

「やっと出来た家族の形が壊れるのが怖かったんだ!穂華さんが帰ってくる場所を残しておきたかったんだ!謝って済むことでは無いけれど……この通りだ、どうか許して欲しい!」

ーーハア? コイツ……馬っ鹿じゃねえの?

 朝美が俺の部屋に夜這いかけてるのを知ってて放置してたのか?
 自分を捨てたあの尻軽女のために、俺と自分の娘を売ったっていうのか?

 気付いてたって……部屋に入るのを見てたって……。
 何なんだよ!血の繋がりが無いとは言え、 義理の姉弟なんじゃねえのかよ!
 同じ家にいながらどうして放っておけるんだよっ!


「っは…… 家族って……」

 この期に及んで、あの家にまだ家族の形が残ってるとでも思ってるのかよ?

 アイツは帰って来ねえよ!
 アンタも俺も捨てられたんだよ!
 俺たちはあの家ごととっくに捨てられてんだよ!分かれよ!

 俺の醒めた目を上目遣いにチラチラうかがいながら、十蔵さんが媚びるような作り笑いを浮かべてきた。

 反吐が出る。

 だけど、お陰でこっちもこの男を可哀想だとか申し訳ないと思う必要が無くなった。

ーー分かったよオッサン、好きなようにさせてもらうよ。

「それなら話は早い。俺は来年あの家を出ます。十蔵さんも母さんが置いてった離婚届をとっとと提出して、俺たち母子おやこと縁を切って下さい。それでいいですよね?」

「いや、拓巳くん、それは駄目だ!君も穂華さんの手紙を読んだだろう?」

「……は?」

 とんでもないというように顔を上げた十蔵さんを見て、俺は怒りと言うより呆れ返った。

ーーこの期に及んで何を……。

「僕は穂華さんから君のことを頼まれているんだ。中卒で働くなんて、とんでもないよ!拓巳くんがちゃんと大学を出るまで援助させてもらうつもりだから、あの家で一緒に穂華さんを待とうじゃないか」

ーーダメだ、コイツ……。

 俺と朝美の関係を知ってなお、俺をあの家に縛りつけようって言うのか?

 俺は母さんを待つための人身御供ひとみごくうかよ!
 あんな女に振り回されて、恥もプライドもねえのかよ!

 みんな……みんな狂ってるよ……。

 だけど…… あの家であんな事をヤってる俺も……とうに狂ってるんだ……。


 その瞬間に、背中の芯からキンと冷えて、全てがスッとめていくのを感じた。

「十蔵さん……」
「うん、なんだい?拓巳くん。何でも言ってごらん!」

 笑顔を浮かべた俺を見て、嬉々として身を乗り出してきた。

「それじゃあ、俺が『陽向高校』に通うためのアパートを借りて下さい。朝美には内緒で」

 途端に十蔵さんが顔を曇らせる。

「陽向高校に進学するのは賛成だけど、高校生で一人暮らしというのは……それに朝美だって何て言うか……」

ーーそう言うだろうと思った。

「俺の言うことを聞いてくれないのなら……朝美に襲われたって、アイツの通ってる大学に通報しますよ」

「拓巳くん!」

 サッと顔色を変えた十蔵さんに畳み掛ける。

「朝美はあの時もう18歳になってたから、淫交《いんこう》になるんじゃないですか?」

「それはっ!……君は……僕を脅すのか?」

「俺だってこんな事は言いたくありません。だけど俺は、姉だと思って慕っていた相手に中2で襲われたんですよ?俺の傷ついた気持ちを察して下さいよ」

「それは……すまないと思っているんだ……だけど……」

 母さんに未練タラタラで、娘にも頭が上がらない弱い男……。
 だから俺は、返事を決めかねているこの男に向かって、とっておきの殺し文句を放つ。

「十蔵さん、大丈夫。母さんから何か連絡があれば、真っ先に十蔵さんに知らせますよ。俺が家を出たって繋がりが無くなる訳じゃないでしょ? 朝美だって、俺と離れればきっと目が醒めます」

 十蔵さんは途端にぱあっと顔を明るくして、もう全てが解決したかのように、『うんうん』と頷き出した。

「そうか……そうだね、別々に暮らしたって、君は僕の息子なんだ。いくらでも連絡は取り合える」

「そうですよ。俺は十蔵さんに恥をかかせないように頑張って勉強して、陽向高校の特進クラスに合格します。母さんが帰って来た時に、高校に通えたのは十蔵さんのお陰だって言いたいから」

「うん、特進クラスか。それなら穂華さんも喜ぶだろう

「はい。……その代わり、約束して下さい。俺の行き先は朝美には絶対に内緒です。もしもバラしたら……俺はすぐに街を出ます」

 十蔵さんは黙って頷き、右手を差し出して来た。

ーーはっ、チョロいな……。

 俺がその手を握り返すと、彼はニカッと歯を見せて仲居さんを呼び、新たにA5ランクの高級和牛を追加注文した。

 交渉成立の瞬間だった。
しおりを挟む
感想 264

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

麗しのラシェール

真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」 わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。 ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる? これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。 ………………………………………………………………………………………… 短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

処理中です...