136 / 237
第3章 過去編 side 拓巳
41、失踪
しおりを挟むその兆候は少し前から現れていたんだと思う。
結婚してしばらくは贅沢な暮らしを享受していた母さんも、4ヶ月、5ヶ月と経つと飽きが来たのか、徐々に不機嫌そうな顔を見せるようになっていた。
最初の頃は嬉々として出掛けていた、十蔵さんの海外出張や国内旅行、地元セレブのパーティーなんかにも付いて行かなくなったし、買い物も一緒に行くより1人で出掛けたがるようになった。
家では日がなボ~ッとテラスの籐椅子に腰掛けて考えごとをしているか、1階奥の主寝室に籠って出て来ないことが増え、俺が朝から晩まで顔を見ないという日もあった。
そんな空気を感じてか、十蔵さんも腫物に触るみたいに母に気を遣っていて、指輪やらネックレスやらを買ってきては必死で機嫌取りしている。
いい歳をした中年男性が、10歳も歳下の女にヘラヘラしながら媚びている姿が、前に読んだ谷崎某の『痴人の愛』を彷彿とさせ、見てて滑稽で哀れだった。
それはもうすぐ秋も終わりに差し掛かった11月の初めで、十蔵さんが仕事の関係で大阪に行っていた時のことだ。
朝、朝美と向かい合ってトーストとコーヒーだけの簡単な朝食を食べていたら、珍しく母さんが出てきて俺の隣に座った。
「母さんも食べる?」
そう聞いたら黙って頷いたから、トーストにバターを塗って渡してやったら、「ありがとう」とパクついた。
俺が歯磨きを終えて鞄を持って玄関に向かったら、黙ってす~っと付いてきて、家の前まで出て来る。
「どうしたの?珍しいね」
「ふふっ、母親っぽいでしょ?」
「そうだね。行ってきます」
「行ってらっしゃい」
暫くしてから何の気なく振り返ったら、白いネグリジェに光沢のあるグレーのガウンを羽織った母さんが、まだヒラヒラと手を振っていた。
俺はちょっと嬉しくなって、年甲斐もなく胸の前で小さく手を振り返した。
あの時の薄っすら目を細めた柔らかい微笑みが、俺が覚えてる最後の母さんの顔だ。
-------------------------
十蔵さん
お世話になりました。
もう飽きたので出て行きます。
事故でも事件でも無いので探さないでください。
拓巳をよろしくお願いします。
---------------------------
拓巳へ
お母さんは出て行きます。
あなたの通帳と印鑑を置いて行きます。
幸せにね。
------------------------------
手紙を発見したのは俺だった。
学校から帰ってきたら、ダイニングテーブル の上にコピー用紙に書かれた手紙が2枚、封筒にも入れずに開いた状態で置かれていた。
手紙というよりも、『ちょっと買い物に行って来ます』みたいな簡潔な伝言レベルのあっけない文章。
心臓がドクンとなって、俺は手紙をグシャッと握り締めたまま、腰を抜かして床に尻餅をついた。
ーーなんだ……コレ!
一体どうなってるんだ?
出て行くって……幸せにって……。
どれくらい経ったのかは分からない。
俺が呆けたまま動けずにいたら、高校から帰って来た朝美が十蔵さんへの手紙に気付いて、慌てて俺の前にしゃがみ込んできた。
「拓巳、穂華さんは?どこに行ったの?!」
俺が黙って自分宛の手紙を差し出したら、朝美はクシャクシャのそれをバッと俺から奪い取って読んで、すぐに十蔵さんに電話を掛けた。
「拓巳、お父さんがすぐに帰って来るって言ってるから、とりあえずそれまで待ちましょう……拓巳、聞いてる?」
朝美の声は聞こえてたけど、内容は全く耳に入ってこなかった。
その時俺の頭にあったのは、いつもと違った今朝の母さんと笑顔、そしてゆっくり振られていた白くて細い手。
まるでモンシロチョウみたいに、ヒラヒラと揺れていて……。
ーーああ、やっぱり母さんはモンシロチョウだ。
ヒラヒラ、フラフラと、自由気ままに飛んでいくんだ。
そしてとうとう、俺を置いて羽ばたいて行った……。
そのとき朝美が俺を力強く抱きしめた。
「拓巳、可哀想に。とうとうあの女に捨てられちゃったのね。だけど大丈夫、私がいるわ。私は絶対にあなたを捨てたりしない。拓巳、愛してる……」
その言葉で漸く気付いた。
ーーそうか、俺は捨てられたんだ……。
その途端、感情が決壊したように全てが溢れ出し、俺は喉が潰れたような低い声で咆哮しながら、必死で朝美にしがみついていた。
0
お気に入りに追加
262
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
『 ゆりかご 』 ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。
設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。
最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで
くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。
古い作品ですが、有難いことです。😇
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
・・・・・・・・・・
💛イラストはAI生成画像自作
【完結】私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね
江崎美彩
恋愛
王太子殿下の婚約者候補を探すために開かれていると噂されるお茶会に招待された、伯爵令嬢のミンディ・ハーミング。
幼馴染のブライアンが好きなのに、当のブライアンは「ミンディみたいなじゃじゃ馬がお茶会に出ても恥をかくだけだ」なんて揶揄うばかり。
「私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね! 王太子殿下に見染められても知らないんだから!」
ミンディはブライアンに告げ、お茶会に向かう……
〜登場人物〜
ミンディ・ハーミング
元気が取り柄の伯爵令嬢。
幼馴染のブライアンに揶揄われてばかりだが、ブライアンが自分にだけ向けるクシャクシャな笑顔が大好き。
ブライアン・ケイリー
ミンディの幼馴染の伯爵家嫡男。
天邪鬼な性格で、ミンディの事を揶揄ってばかりいる。
ベリンダ・ケイリー
ブライアンの年子の妹。
ミンディとブライアンの良き理解者。
王太子殿下
婚約者が決まらない事に対して色々な噂を立てられている。
『小説家になろう』にも投稿しています
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる