たっくんは疑問形 〜あなたと私の長い長い恋のお話〜

田沢みん

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第3章 過去編 side 拓巳

34、透明人間

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 その日、学校での俺は透明人間になった。

 廊下から戻って来た幸夫は俺と視線を合わせず席に着き、そのまま二度と振り返ることは無かった。

 副担任の太田先生は気まずそうに顔を引きつらせながら授業を進め、隣の席の女子は体を斜めに傾けて頬杖ほおづえをつき、必死に俺の方を見ないようにしていた。


 放課後、俺がガタンと立ち上がると、幸夫の背中がビクッとなって、教室の隅に固まっている友達の所に慌てて掛けていった。
 それを見て俺は、黙ってランドセルを背負い、1人で教室を後にした。

 まるで引き潮のように、周囲から人がいなくなった。
 あるのは遠くから注がれる好奇の視線、さげすみ、戸惑い、そしてあわれみ……。


 大丈夫、こんなことには慣れている。
 鶴ヶ丘にいた頃だって同じようなことがあったじゃないか。
 俺が家で虐待を受けてボロボロだった頃……。

 だけどあの時は、小夏がいてくれた。

 今ここには小夏がいない。俺は正真正銘の1人ぼっちだ。


 1人で背中を丸めてとぼとぼと歩いていたら、頬がピクピクと震え出して、みるみる視界がにじんできた。

「くそっ! 」

 腹立ち紛れに地面を蹴ったら、ザッという音と共にスニーカーのつま先が傷ついただけだった。

ーー皮肉なもんだよな……。

『俺のクラスでは絶対にイジメはさせない! 』

 そう言い切っていた先生のクラスで起こった初めてのイジメは、臼井先生、あんたの不倫相手の息子への冷たい視線だったよ。
 和気藹々あいあいとしていた俺たちのクラスを一瞬で凍らせたのは、ぶち壊したのは……他でもない、あんたなんだ!

 いや、違うか……俺の母さんだ……。


 その夜はもう修羅場だった。
 母屋からの電話を受けたのはお祖母ちゃんだったけれど、受話器の向こうから漏れてくる大声で、相手が伯父おじさんだというのがすぐに分かった。

 受話器を片手にオロオロしているお祖母ばあちゃんを尻目に、母さんが母屋からの呼び出しに応じないと言い張ると、向こうがこちらに乗り込んで来た。

 伯母さんを従えた伯父さんがドンドンと大きな足音をさせてリビングに入って来たかと思うと、ソファーに座っていた母さんの前に立って、頬を思いっきり平手打ちした。

 バシッ! という乾いた音が響くと、母さんはソファーに右腕をついて、伯父さんをキッと睨みつけた。

「何するのよ! 」
「この、馬鹿者! 」

 母さんの声は、伯父さんの怒鳴り声で掻き消された。

「息子の担任と不倫だなんて、恥を知れ! さっき洋子のところにクラスメイトの母親から電話があったぞ! お前、正月に臼井先生と遠出しただろう! ドライブインでお前達を見たって言う人がいて、もう学校中で噂になってるそうじゃないか! 」

 それを聞いて合点がてんがいった。
 やっぱりあの1泊旅行は臼井先生とだったんだ。

 馬鹿じゃないか……去年一度噂になっているのに、ちょっと街から離れたくらいで羽目を外して油断して……。

 俺たちはそんな脳みその軽い奴を『先生』と呼んで慕って、そんな奴に道徳を学んでたんだ。

ーー本当にアホらしい。


「穂華さんのせいで私も幸夫たちも恥ずかしい思いをさせられてるのよ! もうPTAの集まりにも行けやしないわよっ! 」

「そんなの知ったこっちゃないわよ! 臼井先生が離婚したら不倫じゃなくなるんだから構わないでしょ! 」

「そういう問題じゃないだろう! いい加減にしろ! 」

 ギャンギャン言い合いをしている3人と、それを泣きそうな顔で見つめているお祖母ちゃん。

ーーみんなクソだ!

 俺は黙って隣の和室に篭ると、パチッと電気をつけて、三段ボックスの上から写真立てを手に取った。
 部屋の壁にもたれて膝を立て、フレームの中の写真をジッと見つめる。

 花びらを手に微笑み合っている小夏と自分。
 あの頃に戻れたらどんなにいいだろう……。

 叶わないと知りながら、それでも願わずにはいられない。

ーー小夏、会いたいよ……今すぐ俺を、助けてよ……。俺はもう……消えて無くなってしまいたい。


 俺は翌日学校に行ったけれど、1時間目が終わった時点で気分が悪くなってトイレで吐いて、そのまま保健室に逃げ込んだ。

 保健室の先生が、「月島くんは何も悪くないんだから、堂々としていればいいんだよ」なんて笑顔で言ってきたけれど、そんなの何の慰めにもなりやしない。
 堂々としてようがしていまいが、あの教室が居心地よくなる事はもう無いんだから。

 俺は翌日から学校を休んで、離れの中だけで生活するようになった。
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