たっくんは疑問形 〜あなたと私の長い長い恋のお話〜

田沢みん

文字の大きさ
上 下
129 / 237
第3章 過去編 side 拓巳

34、透明人間

しおりを挟む

 その日、学校での俺は透明人間になった。

 廊下から戻って来た幸夫は俺と視線を合わせず席に着き、そのまま二度と振り返ることは無かった。

 副担任の太田先生は気まずそうに顔を引きつらせながら授業を進め、隣の席の女子は体を斜めに傾けて頬杖ほおづえをつき、必死に俺の方を見ないようにしていた。


 放課後、俺がガタンと立ち上がると、幸夫の背中がビクッとなって、教室の隅に固まっている友達の所に慌てて掛けていった。
 それを見て俺は、黙ってランドセルを背負い、1人で教室を後にした。

 まるで引き潮のように、周囲から人がいなくなった。
 あるのは遠くから注がれる好奇の視線、さげすみ、戸惑い、そしてあわれみ……。


 大丈夫、こんなことには慣れている。
 鶴ヶ丘にいた頃だって同じようなことがあったじゃないか。
 俺が家で虐待を受けてボロボロだった頃……。

 だけどあの時は、小夏がいてくれた。

 今ここには小夏がいない。俺は正真正銘の1人ぼっちだ。


 1人で背中を丸めてとぼとぼと歩いていたら、頬がピクピクと震え出して、みるみる視界がにじんできた。

「くそっ! 」

 腹立ち紛れに地面を蹴ったら、ザッという音と共にスニーカーのつま先が傷ついただけだった。

ーー皮肉なもんだよな……。

『俺のクラスでは絶対にイジメはさせない! 』

 そう言い切っていた先生のクラスで起こった初めてのイジメは、臼井先生、あんたの不倫相手の息子への冷たい視線だったよ。
 和気藹々あいあいとしていた俺たちのクラスを一瞬で凍らせたのは、ぶち壊したのは……他でもない、あんたなんだ!

 いや、違うか……俺の母さんだ……。


 その夜はもう修羅場だった。
 母屋からの電話を受けたのはお祖母ちゃんだったけれど、受話器の向こうから漏れてくる大声で、相手が伯父おじさんだというのがすぐに分かった。

 受話器を片手にオロオロしているお祖母ばあちゃんを尻目に、母さんが母屋からの呼び出しに応じないと言い張ると、向こうがこちらに乗り込んで来た。

 伯母さんを従えた伯父さんがドンドンと大きな足音をさせてリビングに入って来たかと思うと、ソファーに座っていた母さんの前に立って、頬を思いっきり平手打ちした。

 バシッ! という乾いた音が響くと、母さんはソファーに右腕をついて、伯父さんをキッと睨みつけた。

「何するのよ! 」
「この、馬鹿者! 」

 母さんの声は、伯父さんの怒鳴り声で掻き消された。

「息子の担任と不倫だなんて、恥を知れ! さっき洋子のところにクラスメイトの母親から電話があったぞ! お前、正月に臼井先生と遠出しただろう! ドライブインでお前達を見たって言う人がいて、もう学校中で噂になってるそうじゃないか! 」

 それを聞いて合点がてんがいった。
 やっぱりあの1泊旅行は臼井先生とだったんだ。

 馬鹿じゃないか……去年一度噂になっているのに、ちょっと街から離れたくらいで羽目を外して油断して……。

 俺たちはそんな脳みその軽い奴を『先生』と呼んで慕って、そんな奴に道徳を学んでたんだ。

ーー本当にアホらしい。


「穂華さんのせいで私も幸夫たちも恥ずかしい思いをさせられてるのよ! もうPTAの集まりにも行けやしないわよっ! 」

「そんなの知ったこっちゃないわよ! 臼井先生が離婚したら不倫じゃなくなるんだから構わないでしょ! 」

「そういう問題じゃないだろう! いい加減にしろ! 」

 ギャンギャン言い合いをしている3人と、それを泣きそうな顔で見つめているお祖母ちゃん。

ーーみんなクソだ!

 俺は黙って隣の和室に篭ると、パチッと電気をつけて、三段ボックスの上から写真立てを手に取った。
 部屋の壁にもたれて膝を立て、フレームの中の写真をジッと見つめる。

 花びらを手に微笑み合っている小夏と自分。
 あの頃に戻れたらどんなにいいだろう……。

 叶わないと知りながら、それでも願わずにはいられない。

ーー小夏、会いたいよ……今すぐ俺を、助けてよ……。俺はもう……消えて無くなってしまいたい。


 俺は翌日学校に行ったけれど、1時間目が終わった時点で気分が悪くなってトイレで吐いて、そのまま保健室に逃げ込んだ。

 保健室の先生が、「月島くんは何も悪くないんだから、堂々としていればいいんだよ」なんて笑顔で言ってきたけれど、そんなの何の慰めにもなりやしない。
 堂々としてようがしていまいが、あの教室が居心地よくなる事はもう無いんだから。

 俺は翌日から学校を休んで、離れの中だけで生活するようになった。
しおりを挟む
感想 264

あなたにおすすめの小説

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】双子の伯爵令嬢とその許婚たちの物語

ひかり芽衣
恋愛
伯爵令嬢のリリカとキャサリンは二卵性双生児。生まれつき病弱でどんどん母似の美女へ成長するキャサリンを母は溺愛し、そんな母に父は何も言えない……。そんな家庭で育った父似のリリカは、とにかく自分に自信がない。幼い頃からの許婚である伯爵家長男ウィリアムが心の支えだ。しかしある日、ウィリアムに許婚の話をなかったことにして欲しいと言われ…… リリカとキャサリン、ウィリアム、キャサリンの許婚である公爵家次男のスターリン……彼らの物語を一緒に見守って下さると嬉しいです。 ⭐︎2023.4.24完結⭐︎ ※2024.2.8~追加・修正作業のため、2話以降を一旦非公開にしていました。  →2024.3.4再投稿。大幅に追加&修正をしたので、もしよければ読んでみて下さい(^^)

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った

五色ひわ
恋愛
 辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。アメリアは真実を確かめるため、3年ぶりに王都へと旅立った。 ※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話

『 ゆりかご 』  ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。

設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。 最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。 古い作品ですが、有難いことです。😇       - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

処理中です...