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第3章 過去編 side 拓巳
27、遺産放棄
しおりを挟むお祖母ちゃんが住んでいる離れも俺にとっては十分広くて綺麗だったけれど、母屋の方はそれ以上にデカくて立派だった。
旅館みたいな土間のある広々とした玄関には大きな木の切り株がドンと置かれていて、俺が目を丸くしていると、母さんが「座ってごらん」と微笑んだ。
「それは庭にあった樹齢100年の黒松でね、母さんが子供の頃に雷が落ちて割れたのを、母さんのお父さん……あんたのお祖父ちゃんが記念に沓脱ぎ用の椅子にしたのよ」
まるで自分の手柄のように自慢げに語る姿を見て、母さんはこの家が好きだったんだな……と思った。
見渡すと、この家はどこもかしこも凝った造りになっている。
横にある下駄箱は、母さんによると『杉の組子細工』という装飾が施されているらしいし、その上の壁にある丸い飾り窓には障子が貼られていた。
玄関の先にある廊下は艶のある渋柿色で、突き当たりの20畳のLDKへと続いている。
そのLDKには、欅の一枚板で出来ている立派な8人掛けのダイニングテーブルが鎮座していて、その上に、大きな桶に入った寿司がドンと置かれていた。
「うわぁ~、凄い! 」
今までにもお寿司は食べたことがあるけれど、こんな大きな桶にギッシリ詰まったのを見たのは初めてだった。
思わず大声をあげたら、
「お前、寿司を食べたことないの? 」
急に子供の声が聞こえてきてビクッとした。
見ると、奥のソファーから身を乗り出してこっちを見ている、似たような2つの顔。
「幸夫、光夫、あんたたちもこっちにいらっしゃい」
キッチンから顔を出して洋子さんが呼ぶと、2人は物珍しいものでも見るように瞳をキラキラさせて、俺の前で立ち止まる。
「は……ハロー! マイネーム、イズ、ユキオ。お前、外人なのに日本語を喋れるの? 」
2人のうち、ちょっとだけ背が高い方が話し掛けてきた。
大丈夫、こんな反応には慣れている。
「俺、日本人だから日本語で大丈夫。名前は拓巳。あと、寿司も食べたことはある。こんな大きな桶に入ったのを見たのが初めてなだけ」
愛想よくニコッとしてやったら、幸夫はホッとしたように表情を崩して、隣の少年を指差した。
「そっか、俺は月島幸夫で、コイツが弟の光夫。拓巳くんはお父さんのお客様? 一緒にごはん食べてくの? 」
「幸夫! 光夫! 早く手を洗ってらっしゃい! 」
俺が答える前に洋子さんの檄が飛んで、2人は慌てて洗面所へと駆けて行った。
「2人には敏夫さんに妹がいたって事、教えてないのよ…… 」
エプロンで手を拭きながら洋子さんが出てくると、母さんは大きな溜息をつきながら顔を険しくした。
「不肖の妹の存在は無かったことにしたのね……で、私はどう自己紹介すればいいのかしら? 遠縁の叔母とでも言っておく? 」
「もう仕方ないから、 『お父さんの妹』だって正直に言うわよ。ずっと遠くに住んでたって言っておけばいいでしょ」
「仕方ない……ね。それで、お兄ちゃんはまだなの? 」
「もうそろそろ帰ってくるわ……あっ、来た! 」
玄関の方で音がして、ドスドスという乱暴な足音と共に、敏夫さんが入って来た。
「ああ……来てたか」
「自分が呼び出しておいて、『来てたか』は無いでしょ」
「まあ……とりあえず座って食事にしよう。俺は着替えて来るから」
今度はいきなりビンタをすることもなく、ぶっきらぼうにそう告げると、敏夫さんは一旦出て行った。
料理は豪勢なものだった。
寿司の他にもお刺身や煮物、唐揚げなんかが広いテーブルに隙間なく並んでいる。
テーブルの向こう側には伯父さん一家、手前側にお祖母ちゃんと母さんと俺の3人が座り、その場は当たり障りのない会社の話だったり親戚の話なんかをボソボソと喋っていた。
敏夫さんも洋子さんも、最初に会った時とは打って変わって、『さあ、拓巳くんも沢山食べてね』なんて愛想良くしてくれて、やっぱりなんだかんだ言っても兄妹なんだな……って思った。
洋子さんの作った料理は味が濃くて、俺には少し塩ぱく感じたけれど、大好物のイクラのお寿司が食べられたし、幸夫と光夫は賑やかで面白い奴等だったし、俺は大満足だった。
「さあ、これからお母さん達は大人の大事な話があるから、幸夫たちは拓巳くんを連れて自分の部屋へ行ってらっしゃい」
食事が終わった途端、洋子さんにそう言われ、俺たちは2階へと追いやられた。
ーーあっ、これは……。
何となく予感があった。
経験上、俺には分かっている。
『大人の大事な話』にロクな話が無いということを。
そしてこんな風に子供を追い出した後には、必ずと言っていいほど大人が揉め出すという事を……。
案の定、俺たちが2階に上がって数分もしないうちに、下から大声が聞こえて来た。
「冗談じゃないわよ! 」
ーー母さんだ!
俺は従兄弟たちが止めるのも聞かずに、ゆっくり階段を下りて廊下に立った。
しばらくすると、恐る恐る下りてきた従兄弟たちも俺の後ろに立った。
3人で耳をそばだてて話を盗み聞きする。
バンッ! とテーブルを叩く音、そしてガタン!と椅子が倒れるような音。
「なんで遺産放棄なんてしなきゃいけないのよ! そんなの、誰がサインなんてするもんですか! 」
「そんな事を言ったってな! 家を捨てて出てったお前に文句を言う権利なんて無いんだよ! 」
「あるわよ! お父さんが死んだことも知らせずに、勝手に話を進めるなんて卑怯だわ! 」
「何年も居場所を知らせなかったお前が悪い! 」
「そんなもの、調べる気も無かったくせに」
「なんだって!」
「私が何処に住んでたかなんて、役場に行けば調べられるわよね ……財産分与の話し合いに私を加わらせたくなかったんでしょ」
「……そんなことは… 」
「要は、お兄ちゃんは私を本気で探す気が無かった……って事なのよ」
「……。」
「とにかく、私は頂けるものはいただくわよ! 」
俺たちが廊下でジッと耳を澄ませていると、玄関でチャイムが鳴って、俺たち3人は揃ってビクッとなった。
リビングから出てきた洋子さんが俺たちを見てギョッとしたけれど、それどころでは無いと言うように横を通り過ぎ、玄関へと足早に向かって行く。
入ってきたのはスーツ姿にアタッシュケースを提げた中年のおじさん2人で、洋子さんについてリビングへと入って行った。
『弁護士』とか『税理士』とか自己紹介する声がして、そこからは穏やかな話し合いになったのか、ボソボソ声が漏れるだけでハッキリ聞こえない。
「なあ、もう上に行こうぜ」
幸夫に洋服の袖を引っ張られたけれど、 「お前らだけで戻れよ」と答えたら、2人は自分たちだけで階段を上って行った。
ーー臆病者め。お前らは親の言うことを黙って聞いてろよ!
どうせ母さんはちゃんと話してくれないに決まっている。
俺は大人たちの話が知りたいし、知る権利だってあるはずだ。
だから俺は、その場に踏みとどまって、冷えた廊下でジッと耳を澄まし続けた。
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