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第3章 過去編 side 拓巳
23、そして横須賀へ
しおりを挟む「拓巳、何が食べたい? 」
「ん……鮭おにぎり」
「分かった。買ってくるから絶対外に出ないでね」
「分かってる」
窓枠にもたれてカーテンの隙間から下をぼ~っと眺めていると、しばらくして、母さんがホテルのエントランスから出て来るのが見えた。
母さんはそのまま、すぐ隣のコンビニに入って行く。
ーー鮭じゃなくてイクラの方が良かったかな……。
「まっ、いいか…… 」
そう、そんなのどっちでも、何でもいい。
食べて、出して、寝て、起きる……ただそれだけなんだから。
駅からほど近いこのホテルに宿泊して2日目。
小夏とお別れしてからは、3日目の朝になる。
母さんが『東京駅まで』と告げた時は、東京から電車にでも乗って、どこか遠い場所に行くんだろうと思っていた。
だけど東京駅でタクシーを降りてから向かった先は、駅の構内ではなくて、そこから徒歩8分くらい歩いた先にある、12階建の古臭いビジネスホテルだった。
そこに2泊だけしてチェックアウトしたと思ったら、近くのファミレスで時間を潰して、今度は駅の反対側にある、8階建てのホテルにチェックインした。
母さんが『逃げる』なんて言うから、ドラマで犯人が逃亡するみたいにトンネルを抜けて雪国にでも行くのかと思ってたら、車のクラクションがうるさいホテルでひたすら缶詰になってるだけ。
何てことはない、要は、今もこの先もノープランだってことだ。
児童相談所や警察からの電話にビビって慌てて逃げてきたはいいけれど、遠くに行く度胸は無かったんだろう。
生まれて初めて神奈川県から離れた俺が見れたのは、ホテルの窓から眺める、灰色で何の面白みもない、四角く切り取られた景色だけだった。
「拓巳、お待たせ。鮭のオニギリが売り切れてたから『しぐれ煮』のオニギリにしたけど、良かった? 」
ーー俺は貝を使った料理があまり好きじゃないんだけどな……。
小夏の家でよくお世話になっていた頃、朝食に『アサリの味噌汁』が出てきたことがあった。
貝を食べたことが無かった俺が、アサリの身を箸で摘んで珍しそうに見ていたら、小夏が、『これはこの貝の中に入ってたんだよ。海で生きてたんだよ。ココが目なんだよ! 』と指差して教えてくれた。
その時に貝と目が合ったような気がして気味悪くなって、汁は飲めたのに、身を食べることが出来なかった。
「あら、貝が苦手なら、しぐれ煮もダメなのかしら? 今度から気を付けるわね」
そう早苗さんが言っていたのを思い出した。
小夏と離れてストレスが溜まっていたのか、なんだか無性に腹立たしかった。
ーー母親のくせに、そんな事も知らないのかよ!
小夏や早苗さんだったら知ってるぞ!
そう言ってやりたかったけど、喉まで出かかった言葉をグッと呑み込んだ。
ここで怒鳴ったって仕方がないんだ。
怒りを吐き出したところで、事態が好転するわけでも小夏に会えるわけでもない。
そう、だからこんなの、どうって事ないんだ。
オニギリの具なんて、何でもどうでもいい……。
「……うん、大丈夫。ありがとう」
こんな所にまで諦めグセが染みついているのかと自分に苦笑しながら、無言で甘辛いオニギリにかぶりついた。
「ねえ拓巳、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんに会いたいと思わない? 」
ペットボトルのお茶を飲んでいる最中にそう言われ、思わずむせ返りそうになった。
「えっ? 」
「拓巳が会ってみたいのなら、お母さんが生まれた家に帰ってもいいかな……って思ってるんだけど」
ーーお母さんが生まれた家……。
それは、母さんに聞かされてた話が本当なら、俺が生まれた家で、生後半年くらいまで住んでいた所でもあるはずだ。
「お祖父ちゃんと……お祖母ちゃん? 」
聞いても2人の顔はのっぺらぼうみたいで何もイメージ出来なかったけれど、名古屋で会った、小夏のお祖母さんの優しい顔が浮かんだ。
こんなのは母さんの言い訳で、要は行き場所が無い自分が実家に帰るための理由が欲しいのだということは、子供心に分かっていた。
おおかた、早苗さんに別れ際に言われた言葉でも思い出したんだろう。
それでも……。
自分にも母親以外の身内と呼べる人がいるのなら……会ってみてもいいかな……って思った。
だから俺は、母親が望んでいる通りの言葉を口にした。
「うん、会いたい! 行こうよ、お母さんが生まれた家に! 」
母さんは嬉しそうにニッコリして、俺たちはそれからすぐに荷物をまとめてホテルを出た。
タクシーに乗って、再び神奈川へと向かったけれど、行き先は小夏のいる横浜ではなくて、横須賀。
それでも、またちょっとだけ小夏に近付けた気 がして、なんだか嬉しかった。
そして、まだ見ぬ祖父母の顔を想像して、緊張しながらも、ワクワクもしていたんだ……。
だけど、俺と母さんを待っていたのは、怒りと軽蔑と溜息と……そして、まるで化け物にでも遭遇したかのような、俺に向けられる冷たい視線だった。
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