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第3章 過去編 side 拓巳
20、手紙
しおりを挟む小夏、俺のたった10行の手紙を読んで、お前はきっと、泣いて泣いて泣きまくって、そしてたくさん怒って、俺を恨んだんだろうな。
書きたいことはいっぱいあったけれど、言葉では伝えきれなくて、書ききれなくて……だから、お前に会いに行ったら、最後に思いっきり抱きしめよう、痛いくらいに抱きしめようって、そう思ったんだ。
それが俺の気持ちの全てで、それがラブレターの代わりだからって……。
引きちぎったノートに書きつけたそんな手紙をさ、お前は今も後生大事に持ってるんだな。
ホントお前ってバカだよな。
バカで一途で頑固で ……俺はそんなお前が、可愛くて可愛くて、愛しくて堪らないんだ……。
*
早苗さんはしばらくすると、母さんにアパートの大家さんに退去の電話を掛けるように言い、次に電気会社だとか水道会社なんかにも次々と電話を掛けさせていった。
それから2人でテーブルの上の書類を開いて、『委任状』だとか『暗証番号』だとか『契約書』だとか難しい話をしていたけれど、途中で俺に向かって、
「納戸に入っている段ボールを出してきて、テープで留めて、向こうに持って行きなさい。リュックに入りきらなかった荷物をそこに入れておいたら、後で送ってあげるから」
と言った。
俺は言われた通り、段ボール箱を組み立てて自分のアパートに運び、荷物の整理を始めたので、その後2人がどんな話し合いをしたのかは知らない。
俺はまず、『雪の女王』の絵本をリュックに入れた。これは絶対に忘れてはならない。
次に小夏との写真が入った写真立てをタオルで包んだけれど、名残惜しくてもう一度開いてじっくり眺めていたら、収まったはずの涙がまた溢れてきて、写真立てのガラスの上にポトリと落ちた。
包もうとしていたタオルで慌てて拭いたけど、またポトリ、またポトリと次々落ちてきてキリがないから、急いで包んでリュックにそっと入れた。
あとは歯ブラシとコップ、3日分くらいの着替えを入れて、学用品はランドセルの方に押し込んだ。
母さんと早苗さんは、2時間以上たって漸く戻ってきて、捨てていいものと送って欲しいものの確認をしてから、一緒に荷物の整理をしていた。
「それじゃあ、最後にうちで一緒におでんを食べましょうか」
『最後に』と言われて胸が痛くなった。
こんなに長く同じ場所に住んでいたのは初めてだった。
そして、こんなに思い入れを持った場所も初めてだった。
忘れてしまいたいような辛い思い出も沢山ある。
だけど今はそれ以上に、小夏と過ごした楽しい思い出ばかりが次々と浮かんできて……。
「行きたくないな…… 」
思わずポツリと言葉にしたら、早苗さんが後ろから肩を抱いて、
「そうね……この部屋をよく覚えておくのよ。私も、拓巳くんや穂華さんとここで過ごした事を、絶対に忘れないわ」
と言った。
ドアをガチャンと閉めて、母さんがアパートの鍵を掛けた時、俺の思い出も全て部屋の中に閉じ込めてきたような気がした。
朝からずっと煮込んであったという早苗さんのおでんは、味が染み込んでいてとても美味しかった。
この味もしっかり覚えておこうと思っていたけれど、なんだか胸がいっぱいで、あまり沢山は食べれなかった。
「母さん、早苗さん……俺、小夏にお別れを言いたいんだけど」
先に食事を終わった俺がそう言うと、早苗さんは少し困った表情になって箸を置き、姿勢を正した。
「そうね……最後に小夏に顔を見せてあげてちょうだい。だけど……拓巳くん、ごめんなさいね。お願いだから、小夏には拓巳くんがいなくなるって事を言わないで欲しいの」
「えっ…… 」
「拓巳くんがいなくなるなんて言ったら、あの子は雪の中でも飛び出して追い掛けようとするわ……分かるでしょ? 」
俺もそれは考えた。今まで何度言い聞かせても無茶をしでかした小夏のことだ。
いなくなるなんて言ったら、 裸足で病院を飛び出して追いかけて来るだろう。
声を震わせながら涙ぐんでいる、目の前の優しい人を、これ以上苦しませてはいけないと思った。
ただの隣人の俺たち母子に、早苗さんは勿体ないほどの優しさと愛情を与えてくれた。
こんないい人に、『ごめんなさい』なんて言わせちゃいけないんだ。
この人に俺が出来る恩返しなんて、これくらいしか無いじゃないか……。
「うん……分かった」
「拓巳くん…… 」
「早苗さん、分かったよ。ただ、手紙だけは書いてもいいかな」
俺はその場でランドセルからノートを取り出して破ると、そこに手紙をしたためた。
『小夏へ』
名前を書いたはいいけど、書きたいことが沢山あり過ぎて、何をどう書けばいいのか分からなくなった。
だけどもう時間が無い。急がなきゃ……。
グルグルと考えたあげく、何を書いても全部の気持ちは伝えきれないと気付いて、結局は10行ほどのそっけない文章になってしまった。
だけど、これでいい。
あとは会って抱きしめて、『サヨウナラ』の代わりに『好きだ』って言おう。
小夏が好きだと言ってくれた、ひまわりみたいなとびっきりの笑顔を見せて……。
それだけでいい。
表でタクシーのクラクションが鳴って、胸がギュッとなった。
早苗さんが母さんに封筒を渡して、
「御実家は頼れないって言ってたけど、出来るのなら頭を下げてでも助けてもらいなさい。駄目ならこれでしばらくホテルか旅館にでも泊まって。落ち着き先が決まったら絶対に知らせてね」
と言った。
封筒の中身はお金なのかな……と思った。
母さんがスーツケースを運び出している間に、早苗さんが俺を部屋の隅に呼んだ。
「拓巳くん、どうしても耐えられなくなった時、逃げ出したくなった時には、このお金を使ってここに戻っていらっしゃい。このお金の事は穂華さんにも他の誰にも絶対に教えちゃダメよ。本当に困った時のために隠しておくの。いいわね」
そう言いながら、封筒を俺のリュックに突っ込んでファスナーを閉めた。
俺はそれと入れ替わりに、さっき書いた小夏への手紙を早苗さんに預けた。
プップーッ!
タクシーのクラクションが鳴った。
もう行かなくちゃ。
俺が玄関に向かうと、早苗さんが「あっ、そうだった! 」と言って、靴箱から真新しいサンダルを出して目の前に置いた。
それはワニのマークがついた紺色のボア付きサンダルで、包帯が巻かれていても履けるように大き目のサイズだった。
2人で一緒に外に出て、タクシーのドアの前で向かい合う。
「早苗さん、ありがとう。本当にお世話になりました」
そう言ってペコリと頭を下げたら、もう一度ギュッとキツく抱きしめられた。
「拓巳くん、元気でね。どこに行っても自分を見失わずに頑張るのよ。本当に……本当にごめんね」
早苗さんは、俺たちが乗ったタクシーをいつまでもずっと見送っていた。
俺もずっと後ろを向いて手を振っていたけれど、角を曲がって見えなくなってから、シートに深く腰掛けて息を吐いた。
俺はこれから、小夏に会いに行く。
心の中で、お別れを言うために……。
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