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第3章 過去編 side 拓巳
19、諦め
しおりを挟む早苗さんは、母さんと俺を交互に見ながら、ゆっくり語り出した。
「私もね、自分なりにいろいろ調べてみたの。穂華さんは実の母親だし、虐待に加担したかもハッキリ確認されていない。……多分だけど、管轄外になれば、児童相談所の職員だって追いかけてこないわ」
「……それじゃあ、この街を出てしまえば私と拓巳は捕まらないってこと? 」
「確証は無いけれど、警察じゃないんだし、人手不足なのに、そこまで必死にはならないと思う」
「警察は? 」
「こっちはあくまで被害者なんだから、怖がる必要はないわ。私が心配なのは、アイツが留置所から出てきて、逆恨みで報復してくること」
報復……その言葉を聞いて、俺は全身が総毛立った。
アイツは普通の人間じゃない。
嗜虐的欲求の強いサイコパスなんだ。
留置所から出てきたら、何をしでかすか分からない。
「アイツはね、先にビール瓶で襲ってきたのは母親の方だ。酔って口論してたところに子供が勝手に突っ込んできただけだ。怪我をさせるつもりなんて無かった……って言ってるらしいから、被害届を出したって短期間で釈放されてしまう。だったら、示談にする代わりに『接近禁止令』の誓約書を書かせて二度と関わらないって約束させた方がいいんじゃないかと思ってるの」
俺は早苗さんが、そこまで調べてくれていたという事に驚いた。
ただの隣人というだけの赤の他人のために、忙しいなか時間を割いて、どうすればいいのかを考えてくれていたんだ……。
早苗さんはもう一度真っ正面から母さんを見て、ハッキリと言った。
「穂華さん、あの男が留置場から出てくる前に逃げなさい。そして今度こそ拓巳くんを大切にしてあげなさい」
母さんはコクコクと頷いてから、早苗さんに抱きついた。
「早苗さん……私、何て言ったらいいのか……ごめんなさい……本当に、ごめんなさい…… 」
早苗さんは母さんの背中に手を回してポンポンとあやしてから、グイッと引き離して、
「謝るのは拓巳くんによ。あなたは母親なんだから、しっかりなさい。さあ、荷造りを急ぎましょう。私も手伝うわ」
そう言ってから俺の方に歩いてくると、目の前でしゃがみ込んで、俺の両腕を掴みながら見上げてきた。
「拓巳くん……辛いのは分かるわ。私だって拓巳くんがいなくなったらとても寂しいだけどね、私は拓巳くんと穂華さんが離ればなれになるところなんて見たくないし、2人がこれ以上あの男に苦しめられるのは嫌なの。……分かる? 」
俺は黙ってコクリと頷いた。
納得は出来てないけれど、本当は嫌だけど、頷くより他になかった。
だってそれ以外どうしようもないって事は、嫌というほど分かってるから……。
大丈夫、諦めるのには慣れている。
また一つ、諦めることが増えただけだ。
これだけは絶対に諦めたくは無かったけれど……一番諦めたくない事だけど……だけど、仕方ないだろう?
俺はまだ無力な小学生で、1人では生きていけない子供なんだ……。
流れる涙を袖でグイッと拭ったら、早苗さんの頬も、同じように涙で濡れていた。
「早苗さん……『雪の女王』の絵本を貰っていってもいい? 」
俺がそう言うと、早苗さんはますます顔をグシャッと歪ませて、俺をガバッと抱きしめた。
「当たり前でしょ! あの本は拓巳くんのものなんだから! 」
絶叫するようにそう言われて、俺の感情が決壊した。
「わぁ~~っ! 」
早苗さんに抱きついて号泣しながら、この暖かい腕の温もりも、俺の肩を濡らす涙も、たくさん注いでくれた優しさも、一生忘れないでいようと心に誓った。
そして、小夏のうさぎみたいなクリクリした瞳から流れるであろう涙を思い浮かべて、また泣いた。
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