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第3章 過去編 side 拓巳
16、赤い華
しおりを挟むなあ小夏、あの事件は、どうして起こっちゃったんだろうな。
俺がいつものように我慢してれば良かったのかな?
俺が自分のことばかり考えず、真っ直ぐ自分ちに帰ってれば良かったのかな?
いや、元はといえば、母さんがアイツと出会わなければ……。
だけど、どんなに運命に逆らってみたところで、最終的に向かう先は決まっていたような気がするんだ。
俺とお前が同じ傷を持つことになったのも……
やっぱり運命だったのかもな。
*
そこから起こったことは記憶が曖昧で、どこからどこまでが現実だったのかも順序もハッキリしない。
ただ、降り積もる白い雪と、真っ赤な血の鮮やかなコントラストだけは、やけに鮮明に記憶に焼き付いている。
俺がアイツに髪を掴まれて、雪に膝をついてダランとしていたところに、小夏が現れた。
チラチラと視界を遮る雪の中で、寒そうな格好をした小夏が泣きながら立っていて、
『風邪を引いてるくせに……バカヤロー』
って思ったのを覚えている。
俺が小夏に「帰れ!」と叫ぶのとほぼ同時に母さんの声がして、アイツが俺から手を離した。
頭の上から、「クソがっ!」と吐き捨てるように言う、低い声が聞こえてきた。
「お前が家に来いって俺を引っ張り込んだんだろうがっ! 今さらいい母親ぶってんじゃねえよ! 」
ーーヤバい! 行かせちゃダメだ!
咄嗟にアイツの左足にしがみついたけれど、弱り切っていた俺の力なんて、アイツにしてみたら蚊が止まったようなもので、あっさりと足蹴にされて、その手をダンッ! と踏みつけられただけだった。
ーー痛って……。
そこから先は、何が何だか分からなかった。
俺は疲労困憊と手の痛みで、呻き声を出しながら雪の上に横たわっていて、周りを見渡す気力もなかったから。
真っ暗な空から降ってくる雪を顔に受けて、ただひたすら周りの音に耳を澄ませる。
「ア゛ーーーーーーッ! 」と言う母さんの絶叫。
誰かが掛けてくる足音。
ガチャン! という、何かが割れる音。
色んな音が俺の頭の上で響いていて、その次の瞬間には、額に熱い痛みが走っていた。
ーーえっ?
目に汗が入った……と思ったら、視界が赤くなった。
顔を微かに動かして見たら、目の前の雪がジワジワと赤く染まっていって、それが自分の血なのだと分かった。
ーーああ、俺、ケガをしてるのか……。
ぼんやりそう考えてたら、
「あ゛ーーーーーーっ! 」という子供の叫び声に続いて、「うわっ! なんだよ、コイツ! 」というアイツの声。
ーーヤバい! 来るな、小夏!
どうにか頭だけを浮かせて声にならない声を発したけれど、それは誰の耳にも届かなかった。
アイツがビール瓶を振り回し、その切っ先が小夏のこめかみを掠めていく。
そして次の瞬間、俺の視界に移ったのは、 鮮やかな赤。
小夏のこめかみにスッとラインが入って、そこからじんわりと赤いものが滲み出てきたと思ったら、あっという間に線になり、小夏の白い頬を伝い、ポタポタと落ちていった。
小夏の血が、雪の上にポツポツと赤い水玉模様を作っていく。
ーー小夏……小夏の傷を防がなきゃ……早く……。
どうにかして小夏の元まで行きたいのに、俺の体は言うことを聞いてくれなくて、意識も徐々に薄れてきて……。
「たっくん…… 」
どうにも出来ずに雪の上に横たわっていた俺の真上で、小夏の声がした。
重い瞼を無理やり開けたら、俺に覆い被さるようにして、心配そうに覗き込む、小さな顔があった。
ーーああ、俺、かっこ悪……。
ゆっくり手を伸ばしてみたら、冷たくてプニプニした頬に触れて、それが幻では無いのだと分かった。
そっと頬を撫でていたら、指にベットリと血がついて、その赤い線を辿った先に、2センチほどの傷がパックリ開いている。
途端に目蓋の裏が熱くなった。
「……小夏……ごめんな、また守れなかったな…… 」
「ううん、大丈夫だよ」
「お前……なんで約束守んないの? 」
「……ごめんなさい」
「お前……本当に俺のこと好きなのな? 」
小夏がコクコクと頷くのを見ていたら、嬉しくて、情けなくて、苦しくて……。
ーーごめんな、ありがとう。
俺もお前のこと、大好きだ……。
そう言おうと思ったのに、それを口にする前に俺の視界は暗くなり、そのまま意識を手放した。
意識が薄れゆくその瞬間、俺の頭に浮かんだのは、真っ白い雪に咲いた、真っ赤な華だった。
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