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第3章 過去編 side 拓巳
15、その日
しおりを挟むもうすぐ3年生も終わりに差しかかった、1月の月末。小夏が風邪を引き、2日間続けて学校を休んだ。
前日と同様、その日も俺は担任から茶封筒を預かって、小夏の家まで届けに行った。
朝から天気予報が、夕方から雪になることを何度も伝えていた、どんよりした曇り空の日だった。
ーー昨日は小夏が寝てたから早苗さんに預けたけれど、今日はどうだろう?
出来るなら、ほんの少しだけでも顔を見たい。
登下校でも学校でも全く会わないなんて稀だったから、俺は圧倒的な小夏不足だった。
だから、小夏に家に上がるよう誘われた時は、躊躇するフリをしてみせたものの、内心小躍して喜んでいた。
隣の自分の家のことが気になったけれど、理性よりも欲望の方が勝ったんだ。
小夏は水色のパジャマの上に白いカーディガンを羽織っていて、今まで絵本を読みながら、俺を待っていたのだと言う。
細かいギンガムチェックの入った上下のパジャマは、襟元や腰の切り返しの所に白いヒラヒラのレースがついていて、なんか異様に可愛かった。 パジャマじゃなくて、そのパジャマを着ていた小夏が……だ。
ニヤニヤしながら靴を脱いで上がったら、上り框に足を掛けてすぐ、自分の右足の靴下の親指のところに、大きな穴が空いているのに気付いた。
ーーあっ!
最近は下着も洋服も新しいのを買ってもらってなかったから、靴下も随分くたびれていた。
恥ずかしくて仕方なくて、慌てて両方の靴下を脱いで、ポケットに突っ込んだ。
小夏に見られなくて良かった……と思った。
靴下を脱ぐと、赤紫に腫れてあかぎれだらけの指が丸見えになるけれど、穴の空いた靴下より、幾分かはプライドが守られる。
久し振りにうさぎリンゴを食べて、2人で『雪の女王』の絵本を読んで、お粥を食べて……少し昔のあの頃に戻ったみたいで、心がホンワカと暖かくなった。
だけどそれが……俺たちが楽しく過ごせた、最後の時間になったんだ……。
しばらくすると、隣の部屋から急に、バタン! とかガチャン!という大きな物音と、言い争うような声が聞こえてきた。
「母さんがヤバイ、行かなきゃ! 」
「行っちゃダメだよ、ここにいようよ! 」
小夏が必死になって引き止めたけれど、俺はその手をそっと引きはがして、首を横に振った。
「小夏はここにいて。絶対に来るなよ」
「でも…… 」
「いい? 何があっても絶対に外に出ないって約束して。誓えるな? 」
そう言って小指を差し出したら、小夏は瞳を濡らしながら、ゆっくり小指を絡めてきた。
その手が震えていると思ったけれど、よく見たら、俺の手も一緒に震えていた。
「……うん、よし! それじゃ行ってくる。小夏は絶対に外に出るな。絶対だぞ! 」
何度も念を押してから、俺は勢いよく部屋を飛び出して行った。
俺が自分のアパートに戻ると、廊下の奥から母さんの大声が聞こえてきた。
「だから今すぐ出てけって言ってんの! このクズ! 」
「なんだとっ?! 」
俺は玄関で靴を脱ぎ捨てて、全力で廊下を走ると、ドアを開けると同時に、アイツの腰めがけてタックルして行った。
立ったまま母さんの胸倉を掴んでいたアイツは、俺の不意打ちに勢いよく倒れたけれど、すぐに起き上がって反撃してきた。
「なんだ、コノヤロウ! 」
今度は俺の胸倉を掴んで、思いっきり平手打ちを食らわせてくる。
容赦なく張り倒されて、俺の体はテレビの角にガツンとぶつかって、そのまま床に落ちた。
アイツが俺に馬乗りになると、後ろから母さんがアイツの肩を引っ張った。
「やめてよ! ……アンタなんか、出てけ! 」
「……お前らっ! 」
アイツは更に激昂して、俺の首に手をやった。
「ヤメロって言ってるでしょ! 新しい女のところでも何処にでも行っちゃいなよ! もうアンタなんかいらない! 」
母さんが必死でアイツを後ろへ引っ張る。
「…… っザケンナ! このクソがっ! 」
アイツが俺から離れて母さんの髪を鷲掴む。
「やめろよ! 母さんを離せ! 」
後ろから膝めがけて思いっきり蹴りを入れたら、アイツが鬼の形相になって、俺の腹を蹴り上げてきた。
グフッ……。
思いっきり胃液がせり上がってきて、口の中が苦くなる。
お腹を抱えて屈み込んだら、上からグイッと髪を掴まれて、そのまま玄関まで引っ張って行かれた。
ドアが開いた途端、身を切るような寒さが全身を襲った。
ズルズル引っ張られて行くと、足の裏がピリッとして、そこに雪があるのだと気付いた。
ゆっくり顔を上げて見たら、目に飛び込んできたのは一面の白。
天気予報の通り、いつのまにか雪が降り出していた。
真っ黒い空から白い牡丹雪が次々と落ちてきて、地面をすっかり覆い尽くしている。
ーーああ、俺、死ぬのかな……。
その時、朦朧としてきた意識の中で、急に聞き慣れた声に呼ばれた。
「たっくん! 」
俺もアイツもビクッとして、動きが止まった。
そんなの誰なのか、すぐに分かる。
ーーバカヤロー……。
来るなって言ったのに、指切りしたのに……。
お前はなんだって、いつも……。
涙で滲んだ視界には、顔を涙でグチャグチャにしながら、可愛い水色のパジャマ姿で、青い絵本をギュッと抱きしめて立っている小夏がいた。
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