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第3章 過去編 side 拓巳
14、火花
しおりを挟む新幹線の窓枠に肘をついて外の景色を眺めながら、不思議と心は落ち着いていた。
怖くないと言ったら嘘になるけれど、逃げ出したいとは思わなかった。
『諦めの境地』っていうのに達していたのかもしれない。
『思いがけず小夏に会えて、想像以上に素晴らしい時間を過ごすことが出来たんだ、もう思い残すことはないな』
なんて本気で思っていたし、
『タコ殴りにされて俺が死ねば、アイツは刑務所行きだ。そしたら母さんは自由になるし、小夏や早苗さんたちにもこれ以上迷惑をかけなくて済む』
とも考えていた。
そこまで開き直ってしまえば怖いものなしで、不思議と気持ちは凪いできて、名古屋での楽しい思い出ばかりが頭に浮かんで来る。
「ふふ~ん、ふふふふん」
小夏と一緒になって歌っていた、朝の子供番組のオープニング曲を、目を細めながら鼻歌で歌っていたら、母さんがギョッとして、薄気味悪いものでも見るような視線を送ってきた。
ーーいいんだよ、母さんには分からなくたって。
小夏だけが覚えていてくれれば、それでいい……。
「ふふん、ふふふふん…… 」
何度も同じ曲をリピートしながら、俺はどんどん小夏のいる場所から遠ざかっていった。
*
予想はしてたけど、アイツは分かりやすくブチ切れていて、俺が帰るといきなり早足で近づいて来て、バシッと思いっきり頭を叩かれた。
「ふざけんじゃねえぞ! 許可なく勝手なことをしやがって! よくもぬけぬけと帰って来れたな! このクソガキがっ! 」
言いながら興奮してきたのか、胸ぐらを掴んでから俺を勢いよく突き飛ばし、尻餅をついたところに横から1発蹴りを入れてきた。
ーーバカじゃないの、コイツ。
自分が母さんを迎えに寄越しておいて、何が『ぬけぬけと帰って来れたな』……だ。
アルコールの摂り過ぎで、自分が何を言ってるか分かってないんじゃないの?
そもそも俺が何をしようが、他人のお前の許可なんて必要ないんだよ!
そう考えてたら馬鹿らしくなって鼻で笑ってやったら、アイツはそれでヒートアップして、更にガシガシと横腹を蹴り上げてきた。
「てめえっ、なんだよその目は! 人のことを馬鹿にしてんじゃねえぞ! 」
目を血走らせ、口から唾を飛ばしながら叫んでいるその姿は、まるで悪魔が人間の皮を脱ぎ捨てて、 その本性を現したかのようだった。
ーー殺せよ! そこまでの度胸もないチンピラがっ!
絶対に泣くものかと唇を噛んでグッと堪えていたら、唇が切れたのか、口の中に血の味がしてきた。
体を丸めてお腹をガードしていたら、右の手のひらに丸い火傷の痕が見えた。
閉じた瞼の裏側で、パチパチと飛び散る線香花火の火花が映って、その向こう側に、ニコニコ笑っている小夏の顔が見えた。
夏祭りじゃないのに、なぜか浴衣を着ている。
ピンクの鞠と花を散らした生成り地の浴衣が、とても似合っていて……。
「ハハッ……可愛いな…… 」
「てめえっ! 笑ってんじゃねえ! 」
ガシッ!
また蹴りが入った。
「うっ…… 」
背中にもう1発。
「あんた、いい加減にしなよ! 」
「うるせぇっ! 」
アイツが離れたと思ったら、すぐにガチャンと何かが割れる音がした。
大方、テーブルの上にあったガラスのコップでも壁に投げつけたんだろう。
そのコップだってお前んじゃ無いんだよ、勝手に割ってんなよ、バカヤロー。
ーーここから動かなきゃ。アイツがすぐに戻って来る……。
だけど疲れきった身体は思うように動かなくて……。
「ああ…… 痛って…… 」
身体をゆっくり引き摺りながら、霞んだ視線の先にある、青いリュックを見つめる。
ーー小夏……会いたいよ……。
動くことを諦め、再びゆっくりと瞼を閉じると、そこにはやっぱり、金色の火花と小夏の顔が浮かんでいた。
あの事件が起こる運命の日まで、あと5ヶ月。
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