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第3章 過去編 side 拓巳
8、絶望へのカウントダウン
しおりを挟む今だから言うけれど、あの頃の俺は、小夏と早苗さんの優しさが嬉しかったけど、その反面辛くもあった。
母さんと2人だけの頃は、1人でご飯を食べたり時間を潰すのが普通のことで、それが変だとも淋しいとも思ってはいなかった。
比較する対象もいなかったからな。
それがお前たち母娘に出会って、思いがけず家族の団欒を知ってしまった。
頼まなくても、時間になったら母親の温かい手料理が出てきて、今日1日の出来事を笑いながら語り合って……。
それが『普通の家庭』なんだって知ってしまうとさ、途端に自分が惨めになるんだよ。
お前んちで宿題をして、美味しいご飯を食べて、 一緒に本を読んだり遊んだりして過ごすだろ?
凄く楽しいのにさ、その一方で、この時間の終わりを考えて、気分がどんどん落ち込んでいくんだ。
自分ちに戻るのがさ、本当に憂鬱になるんだよ。
玄関で靴を履いて、ドアを開けるだろ?
途端に、埃っぽいアスファルトの臭いと、冷たい空気が全身を覆うんだ。
それからひんやりしたドアノブを回して自分の家に帰ると、ひたすら真っ暗で冷え切った空間が俺を待っている。
だけど今思えば、それでもまだマシだったんだよな。
悪魔が家で待ち構えている、底なしの恐怖よりは……。
*
秋が終わって冬が来て……。
母さんとアイツが付き合いだして3ヶ月もすると、アイツが家にいる時間がどんどん増えてきた。
その頃の俺はとにかく家に帰りたくなくて、学校が終わる時間になると、どうやって外で時間を潰そうかと、そればかりをひたすら考えていた。
学校から帰ってきて、駐車場にアイツの赤いオンボロのセダンが停まっていると、心臓がズンと重くなり、深い溜息が漏れる。
時間を潰すと言ってもゲーセンをウロつけば補導されるし、映画館やカラオケに行くようなお金も持ってなかったから、結局は公園に行くしか無かった。
小夏は『寄り道しちゃいけないんだよ』って言いながらも、俺が公園に行くと大抵一緒について来て、俺が不機嫌そうにしていると、同じように暗い顔をして、黙って隣に座っていた。
一度、小夏が滑り台に登ろうって自分から言い出したことがある。
高い所が怖いくせに、どうしたんだろうって思ったけれど、小夏は足元を確かめながら、ゆっくりゆっくり階段に足をかけて、とうとう自力でてっぺんまで登りきった。
2人並んで手すりに掴まってゆっくり景色を見渡したら、遠くの方の西の空が、 薄っすらと暖かい色に染まり始めていて、そのグラデーションがとても綺麗だったのを覚えている。
「これで大丈夫、絶対にたっくんはいなくならないよ」
そう言われて、俺が小夏と離れていなくなるわけないじゃん……って思ったけど、今になって、あのとき小夏が考えてたことが分かる気がするよ。
小夏、お前はたぶん、願掛けしてたんだよな。
『苦手な高い所に登り切る事が出来たら、たっくんは絶対にいなくならない』って。
階段の隙間から下が見えて怖いくせに、1段ごとに願いを込めて、震えながらも必死になって……。
そこまでして、俺といたいって思ってくれてたんだよな。
そんな小夏の願いも虚しく、年明けからアイツが家に入り浸るようになって、そこから別れへのカウントダウンが始まった。
小2の終わり。もうすぐ3年生になろうという冬だった。
ここからの1年で、俺たちはこれでもかってくらい、『絶望』と『諦め』という言葉の意味を、身をもって知っていくんだ……。
まるで坂を転げ落ちるみたいに、 加速度的に俺たちの笑顔とシアワセが擦り減って行ったよな。
ごめんな、お前の願いを叶えてやれなくて。
ごめんな、一緒に闘ってくれてたのに、お前を置いて逃げ出して。
せっかく小夏が頑張ってくれたのに、俺が台無しにしちゃったな。
だけどさ、お前と離れてから、俺もしょっちゅう神様に祈ってたんだぜ。
『小夏にまた会えますように、小夏が俺を見つけてくれますように』
こうやってまた会えたってことは、それだけ俺の願いが強かった……って事なんだよ。
本当に、本当に…… ただただお前に会いたかったんだ……。
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