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第2章 再会編
31、同情してるのは気分が良かったか?
しおりを挟む翌朝学校の最寄り駅に着くと、いないだろうと思っていたたっくんが、柱にもたれて立っていた。
彼は私の姿を見つけると柱からゆっくり背を起こして、いつものように私の隣に並んで歩き出す。
ただ違うのは、彼がニコリともせずずっと無表情で、ただ黙々と隣にいるだけ……ということだ。
「たっくん……おはよう」
「ああ、おはよう」
「あの、昨日は…… 」
「いいよ」
「えっ? 」
「もういいから」
「でも…… 」
「もういい、俺が悪かった。忘れて」
そう強制的に会話を打ち切られ、それ以上何も言えなくなった。
『もういい』わけがない。
昨日はあんなに酷い言葉をぶつけ合って、お互いの考えが平行線のまま、何一つ解決せずに別れたのだ。
以前の私たちは、多少の言い合いになったとしても、最後には笑顔で仲直りできていた。
だけど、今回は昔みたいなじゃれ合いの延長みたいな喧嘩とは全く違う。
たっくんとあんな風に罵り合うなんて初めてのことだし、 納得できていないのに、このままうやむやにしていいはずが無い。
誰かに自分の考えを分かってもらおうとすると、時には物凄い労力と忍耐を必要とする。
だけどそれを面倒がって避けていちゃダメなんだ。
特にそれが心から大切だと思う相手であれば、尚更……だ。
「今日はたっくんは待っていないと思ってた」
会話の糸口を見つけるように小さな声で呟くと、たっくんが前を向いたまま、チラリとこちらに視線だけ寄越した。
「なんで? ……俺が怒って今日は来ないと思った? 」
私がコクリと頷くのを見て、たっくんは一つ溜息をつく。
「俺はどんな事があっても毎朝駅でお前を待つし、俺が小夏を嫌いになることは絶対にないよ……絶対に」
それだけ言うと、黙り込んでしまった。
私も会話のきっかけを失って、そのまま肩だけ並べて気詰まりな10分間を過ごした。
「俺、今日もバイトだから」
「あっ、私も部活」
「そう……じゃあな」
自分の教室に入っていくたっくんの背中を見つめながら、今日もたっくんのバイト先には女の子たちが来るんだろうか……と考えた。
彼女になったのに、私はたっくんのバイト先も付き合いのある仲間についても知らない。
詮索する権利も拘束力もない。
いや、たぶん彼女としていろいろ聞く権利はあるんだろう。
ただ私に聞く勇気がないだけのことだ。
*
「司波先輩は、好きでもない相手と寝ることは出来ますか? 」
「はあ?! 」
私の突然の質問に、私以外の文芸部員3人全員が本をバシンと一斉に閉じた。
「なっ……何を言ってるんだ、折原さん! 今日は安部公房の『砂の女』の読書会をする予定だろう?! 」
「えっ、小夏!まさか和倉くんが浮気した?! 」
「小夏、どうしたの? 和倉に何かされた?! 」
本来なら部活中にこんな質問をするのはありえない思う。だけど、自分だけでは答えが出ないのだから仕方がない。
たっくんの中学時代を知っていて、なおかつ上辺を取り繕うことなくズケズケ言ってくれる司波先輩と、私とたっくんの事情を分かっている親友2人に頼りたくなったのだ。
「たっくんは浮気してないし、私に酷いこともしていない。私に何かしたのはたっくんを好きな、この学校の誰かで、その写真のせいで昨日、喧嘩した」
私がことの経緯をかいつまんで話すと、千代美と清香はたっくんの過去に唖然としたけれど、司波先輩だけは、さもありなんという顔で、腕を組んで頷いている。
「和倉くんなら納得というか、『ああ、 やっぱりか』って感じだね」
「たっくんは、そんなに有名だったんですか? 」
「そりゃあ、あの外見で来るもの拒まずだからね、他の学校の女生徒はもちろん、年上の先輩なんかも毎日のように出待ちしてたよ。だから、港中出身者でアイツが未経験なんて思ってるヤツは1人もいないんじゃないかな」
「そうなんですか…… 」
分かりきっていたことだけど、実際に見てきた人の言葉には現実味があって、余計に落ち込む。
「それで、さっきの質問のことだけどね」
「えっ? 」
「自分で聞いておいて忘れないでくれるかな。『好きでもない相手と寝られるか』。僕はNOだね。非効率かつ時間の無駄だ」
「それって効率の問題ですかね? 」
千代美の問いに、先輩は当然と言うように深く頷く。
「誰かと……その、『行為』をするということはだな、言うなれば、相互コミュニケーションだ。お互いに快感を与えあい、『気持ちいい』という気持ちが芽生えてこそ成立するものだ」
「……はあ」
「『快感ホルモン』、または『幸せホルモン』と呼ばれるものは、さまざまな科学的作用によって分泌されるものだ。オキシトシンやドーパミン、βエンドルフィンは、手を握ったりハグをしたりキスしたり、そういう肉体的接触以外にも、言葉によってももたらされる」
なんか講義みたいになって来たけれど、それはそれで興味があることだったので、黙って聞き続ける。
「つまり、相手との信頼関係や行為に至る前の気持ちの昂りが大きければ大きいほど、その後の効果も大きいということだ……分かるか? 」
「……はい、なんとなく」
「同じ時間を割くのなら、より気持ちよくて幸せな方がいいに決まっている。……つまり、そういう事だ」
「要は、愛のないエッチは気持ち良くないから時間の無駄だって言いたいんですね」
清香がすんなりと要約してみせる。
先輩は長々と語っていたけれど、つまりはそういう事なんだろう。
「それじゃあ司波先輩は愛のあるエッチをしたことはあるんですか? 」
千代美がズバッと切り込むと、先輩は「ええっ?! 」と思いっきり椅子の背もたれに仰け反った。
「僕は結婚する相手としかそういう事をする気は無いからね。今はまだ、真実の愛を探求中だ」
「要はまだ童貞って事なんですね」
「そっ……それはご想像にお任せする」
千代美に突っ込まれて、メガネのブリッジを指でクイッと押し上げながら顔を赤くしている姿を見て、なんだかホッとする。
「そう、こういうのが普通なんだよね」
思わずそうこぼしてから、そうだ、自分が求めていたのはコレなんだと思った。
私は初恋の人と再会して、相手であるたっくんも私を好きだと言ってくれて、この小説みたいな奇跡のストーリーに酔いしれていたんだろう。
ところがその美しいはずのストーリーに、私の知らない裏話があった。
それは『雪の女王』の絵本に付けられた焦げ跡のように、私の思い描くストーリーに消えない染みを作ったのだ。
たっくんが、私が何度も思い出していた、あの頃のヒマワリみたいな少年では無くなっていて……ガッカリしたんだ。
たっくんが喉から振り絞るように吐き出した言葉を思い出す。
『お前は俺にどんな過去の俺を重ねてるの?』
『 上から目線で同情してるのは気分が良かったか?! 』
「ああ、そうか……勝手に夢見て勝手にガッカリしてたのか…… 」
私がポツリと呟くと、清香が「昔の彼と違っていて失望した? 」と聞いてきた。
「折原さんが知ってる昔の彼がどんなだったかは知らないけれど…… 」
清香の言葉を受けて、司波先輩が話し出す。
「彼がうちの中学校に転校してきた時は、もっと違う雰囲気だったよ」
「えっ? 」
「彼は中2の春の新年度に合わせて転校してきたんだけど、その頃は何て言うか、真面目な優等生って感じだった」
「嘘っ!あの和倉くんが、優等生?! 」
「ああ、無口で近寄りがたい雰囲気なのは同じだけど、今みたいな荒んだ感じではなくて、もっと上品な感じだった。だから王子様みたいな対象として憧れてる女子が多かったと思う」
「たっくんは急に変わったってことですか? 」
「う~ん、僕は学年も違うし、ハッキリとは分からないけれど……2年生の終わりころにはもう今みたいな感じで、付き合う人間も派手になっていた」
私の中のたっくんの印象がどんどん変わって行く。
朗らかでキラキラしていたたっくん、中2で転校してきた時の大人しい優等生のたっくん、女の子を侍らせて遊んでいるたっくん、私と再会してからの、一途だけど何かを隠したままのたっくん……。
「私……たっくんが分からないし、自分がどうしたいのかも分からない」
「そんなの、和倉くんの事を知りたいと思ってるに決まってるじゃないか」
「えっ? 」
司波先輩の言葉に目をパチクリさせていると、当然だろうという顔をされた。
「彼のことが知りたくてたまらないから、ここで僕に話を聞いてるんだろう? 」
「私は…… 」
「折原さんは、昔の和倉くんを美化し過ぎてるんだよ。僕は君のそういう潔癖なところは好ましいと思うけれど、美化した自分を押し付けられる和倉くんはたまったもんじゃないと思うけどね。だって、頭の中で理想化された自分になんて、どう足掻いたって叶わないからね」
「私は…… たっくんに同情してたんでしょうか? 昔のたっくんが好きなだけなんでしょうか? 」
「そんなの僕には分からないし、和倉くんだって教えて欲しいくらいだろうね。今の彼を好きになれないなら付き合う意味がないし、それこそ時間の無駄だ」
ハッキリ言われて心が決まった。
「先輩……ありがとうございました。私、彼と会ってちゃんと話をしてきます」
司波先輩はメガネのフレームを触りながら、「そうだね」と頷いた。
「 『人は実際の恋愛よりも、自分で心に描き出した相手の像の方を一層愛する。人がその愛する者を、正確にあるがままに見るならば、もはや地上に恋は無くなるだろう』……ジュネーブの哲学者、ルソーの言葉を君に贈ろう。おっと、話を聞くなら彼女の方が詳しいかもね」
司波先輩が窓から見下ろしている先に視線を移すと、そこには校門に向かって歩いて行く紗良さんの姿があった。
ーー紗良さん……。
「先輩、みんな、ごめん! 部活を早退します! 」
私は紗良さんを追いかけて、全力で走り出した。
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