52 / 237
第2章 再会編
1、 お前、小夏だろ?
しおりを挟む「おばあちゃん、おはよう。私は今日から高校生です。天国から見守っていてね……行ってきます」
遺影に両手を合わせて話し掛けると、ゆらゆら揺れる線香の煙の向こう側で、祖母が優しく微笑みかけてきた。
朝起きてすぐ、仏壇に仏飯とお茶をお供えし、お線香をあげるのが、2年前から私の役目になっている。
4年前、母と私は名古屋の祖母の家に引っ越してきた。
きっかけは祖母の入院。
雪の降った翌日に家の前で雪どけをしていた祖母が、転倒して腰を打って動けなくなり、救急車で病院に運ばれたのだ。
小5の冬、もうすぐ私が11歳の誕生日を迎えるという頃だった。
幸いにも骨折には至らなくて1泊2日で退院できたのだけど、しばらくは腰の痛みで思うように動けない祖母のために、母は訪問ヘルパーを雇い、週末は私を連れて金曜日から実家に泊まり込むという生活を始めた。
「ねえ小夏、 名古屋に引っ越しておばあちゃんと一緒に住まない? 」
母がそう聞いてきたのが2月に入ってすぐ。
私たちが名古屋に通うようになって2週間近く経った頃だった。
「えっ、嫌だよ! アパートから離れたくない! 」
私が即答すると、母は私がそう答えることを予想していたのか、「そうよね、そう言うわよね……」と困ったような顔をしただけで、その時はそれで話が終わった。
だけど、それから度々同じような事を聞かれるようになって、私は危機感を覚え始めた。
ーーこのままだと、本当にここを離れるかも知れない……。
母の言い分は十分過ぎるくらい分かっている。
ヘルパーさんを雇うのにもお金がかかるし、毎週末の新幹線代だってバカにならない。
それに、保険の仕事は週末だって関係ない。
週末の顧客からの呼び出しに対応できないことが、地味に母の営業成績に響いていることは、顧客との電話の様子で察しがつく。
そして何より、年老いた祖母をいつまでも独り暮らしさせておく訳にいかないことも分かっているのだ。
なのにその頃の私は、もう殆ど諦めながらも、もしかしたらたっくんが戻ってくるかもしれないという希望を捨てきれずにいた。
たっくんが戻って来た時に私がいなかったらガッカリさせてしまう……すれ違いになりたくない。
だから、母親が何度同じ事を言ってこようが、首を縦に振る気は無かった。
「ねえ小夏、この前の話だけど…… 」
「うるさい! 嫌だって言ってるじゃない! 」
名古屋に通いだして4回目の週末。
お風呂上がりの私を待ち構えるように廊下に立っていた母にお馴染みの台詞を言われると、私は苛立ちを隠すことなくぶつけて、そのままキッチンへと向かった。
首にかけたタオルで半乾きの髪をガシガシ拭きながら冷蔵庫を開けていたら、すぐそばのダイニングテーブルでお茶を飲んでいた祖母に話し掛けられた。
「小夏、こっちでお茶を飲む? 」
「……うん」
ペットボトルの緑茶でも飲もうと思っていたけれど、急須にお茶が入っているのなら、そっちの方が手っ取り早い。
私は湯呑み茶碗を手にダイニングテーブルに向かい、祖母の向かい側に腰掛けた。
「小夏……おばあちゃんのせいで嫌な思いをさせてごめんね」
私の湯呑み茶碗にお気に入りの深蒸し煎茶を注ぎながら、祖母が急にそう切り出した。
「えっ、なに? おばあちゃん」
「おばあちゃんが転んで腰を打ったりしたから、早苗にも小夏にも心配かけてしまったわね。でもね、ほら、おばあちゃんはもう大丈夫だし、困った時にはヘルパーさんに来てもらえるから、もう心配しなくていいのよ」
「おばあちゃん…… 」
「おばあちゃんはね、小夏と早苗にケンカして欲しくないし、小夏にはいつも笑っていて欲しいの。だからね、小夏は小夏が好きなようにすればいいんだよ。そうしてくれるのが、おばあちゃんのシアワセ」
そう言ってニッコリ微笑んだ祖母を見た時に漸く気が付いた。
母は私を説得しようとはしても、無理強いすることは無かった。
今も私の気持ちが変わるのを根気よく待っていてくれる。
祖母は私のことを想って、私の好きなようにしていいと言ってくれている。
なのに私は自分のことばっかりだ。
もう叶わない希望にしがみついて、みんなを困らせている。
私がたっくんを想っているように、母だって自分の母親が大事だし、側で面倒を見たいに決まっている。
祖母だって他人じゃなくて実の娘に世話される方がいいに決まっている。
私だって、母や祖母が大好きだ……いつまでもワガママを言っていて良いわけがない。
滲んだ涙をタオルでグイッと拭ってから、私は笑顔を作って答えた。
「おばあちゃん、一緒に住もうよ! 私、この家に引っ越してくる」
そうして私たちは、私が小6になる前の春休みに、祖母と同居を始めた。
そして2年前に祖母が亡くなってからも、そのままその家に住んでいる。
*
「やった! 小夏、同じクラスだよ! 清香も! 」
「本当だわ、小夏、見て。同じB組よ! 」
親友の千代美と清香に言われて掲示板を見ると、確かに3人とも同じB組になっていた。
私たちが入学した『市立陽向高校』の特進クラスはAとBの2クラスだけ。
だからどちらかとは同じクラスになれる可能性が高いと思っていたけれど、まさか3人一緒になるとは思っていなかったから、嬉しい驚きだ。
3人で手を握り合って喜んでいたら、急に周囲がザワつきだして、騒々しい一団がやって来た。
「え~っ、嘘っ!タクミって特進なの?! 」
「マジっ?! クラスが離れちゃうじゃん! 」
「嫌だ~っ、タクミと離れたくな~い! 」
ーー 拓巳?!
『タクミ』という単語に反応して、思わずそっちを見たら、掲示板を眺めている派手な女子の集団。
そしてその中心に見知らぬ男子がいた。
身長が180センチ以上あるのは確実だろう。女子の集団に囲まれても頭1つ分以上飛び出ているから、その顔をハッキリ見ることが出来た。
肩まで無造作に伸びた漆黒の髪。
彫りの深い造形の顔に、髪と同じように真っ黒な瞳……。
ーーなんだ、違った。 ……けど、なんか雰囲気がある人だな……ちょっと怖いような……。
こんな所で会えるはずがないのに、今だに名前一つで反応してしまう自分に苦笑しながら視線を元に戻そうとしたら、その男子がフッとこちらを見て、目が合った。
ーーあっ、マズい。ジッと見てたのがバレる……
「小夏?! 」
「えっ? 」
「お前、小夏だろ? 」
輪の中心にいた『タクミ』という人が、周囲の女子を掻き分けて、こちらにズンズンと大股で進んで来る。
ーーええっ?! こっちに来る! 何? なんかヤバイ!
一歩後ずさって清香の後ろに隠れようとした私に一直線に向かってくると、彼は両肩をガッと掴んで言った。
「お前、小夏だろ? 」
「えっ? 」
「お前、俺のこと覚えてね~の? 」
ーーええっ?!
高校一年生の春、知らない人が、知らない顔、 知らない声で、私を呼んだ。
あなたは一体……誰ですか?
1
お気に入りに追加
262
あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる