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第1章 幼馴染編
43、運命の日 / 誓えるな?
しおりを挟むその日は朝からどんよりした曇り空で、天気予報では夕方から雪になることを何度も伝えていた。
私は前日から風邪を引いてしまい、2日続けて学校を休んでいた。
1日目は母が仕事を休んで看病してくれていたけれど、2日目になって熱が下がったことを確認すると、母は私に絶対外に出ないよう言い含めて、朝から仕事に出掛けて行った。
私はまだ体がだるくて咳が出ていたものの、ずいぶん調子が良くなっていたので、パジャマの上にカーディガンを羽織って起き出して、ダイニングルームに来ていた。
母が切っておいてくれたリンゴを齧りながら、片手で『人魚姫』の絵本を開いて読み、時折チラッと時計に目をやる。
ピンポーン
ーー 来た!
午後4時頃になって玄関でチャイムが鳴ると同時に、私は弾かれたように廊下へ駆け出して行った。
覗き穴で確認することもなくバタンとドアを開けると、そこにいたのは予想通りたっくんだった。
「たっくん、いらっしゃい! 」
私があまりにも早く、そして勢いよくドアを開けたので、たっくんは一瞬後ずさって目をパチクリさせていたけれど、「もうそろそろ学校から帰ってくると思ってた」と私が言うと、ニコッと笑顔になって、茶封筒を差し出した。
「これ、先生から預かってきた。中に連絡帳と来月の給食メニューと、今日の宿題が入ってる」
「うん、ありがとう」
昨日も同じようにたっくんが茶封筒を預かって来てくれて、それを母が玄関先で受け取っていた。
私は熱で動けなくてたっくんに会えなかったので、今日こそはと時計を見ては待ち構えていたのだ。
「たっくん、家に上がってってよ」
「ううん、小夏は風邪引いてるんだから寝てなよ」
「咳がちょっと出るだけで、もう元気なの。退屈してたから、たっくんがいてくれたら嬉しい。うさぎリンゴもあるよ」
たっくんはそれでもしばらく躊躇していたけれど、うさぎリンゴに惹かれたのか、自分の家のドアにチラッと目をやってから、「それじゃあ…… 」と靴を脱いで上がって来た。
上り框に足を掛けてすぐ、たっくんは右足の靴下の親指のところに大きな穴が空いているのに気付き、こちらをチラッと見てから素早く両方の靴下を脱ぎ、ポケットに突っ込んだ。
私はなんだか見てはいけないものを見てしまったような気がして、慌てて前を向くと、気が付いていない素振りで先に歩き出した。
「たっくん、こっちに座って」
私は自分の隣のイスを引いてたっくんに座るよう促し、リンゴの乗ったお皿を彼の目の前に移動させる。
「うさぎリンゴ……久し振りだな」
手に持ったフォークをクリクリ動かして、先に刺さっているリンゴをじっくり全方向から眺めて堪能してから、シャリっとお尻の方から噛み付いた。
「うんっ、甘くて美味しい」
目を細めて満足げに頷くと、あとは無言で一気に食べ尽くす。
2個目もあっという間に食べ終わると、今気付いたというように、『人魚姫』の絵本を手に取って開いた。
「これ…… なんだかもう、懐かしいな」
1年前のクリスマスに母から贈られた絵本。
たっくんの『雪の女王』と2冊、2人で何度も何度も飽きずに読んでいた。
「久し振りに読んでみる?『雪の女王』」
私は寝室から青いカバーがかかった絵本を取って来てテーブルで広げた。
包装紙のカバーは母が被せてくれたものだ。
以前穂華さんの目の前でビリビリに破いたけれど、後でもう一度作り直してくれた。
「小夏と俺で1ページずつ交代で読む? 」
「いいよ、たっくんから始めて」
「オッケー。『 雪の女王。お日さまが明るく輝き』………… 『本当かなあ、悪魔って本当にいるのかなあ』」
「次は私ね。 『さあねえ、おばあさんも本当に会ったことは無いがね、悪魔は子供たちが幸せなのを見るのが大嫌いなのだと。 それで、子供をさらって、冷たい暗いところへ連れて行ってしまうのだとさ』」
ここまで読むと、どちらからともなく絵本から顔を上げ、2人で見つめ合った。
「たっくん、悪魔って…… いるよね」
「……うん、いる」
お互い名前は口にしないものの、頭にはあの男の陰湿で陰険な顔が浮かんでいる。
チラリとたっくんの足元に目をやる。
指が紫色に腫れ上がって、血も滲んでいる。
ーー悪魔は子供たちが幸せなのを見るのが大嫌いなのだ。
母親が鍋いっぱいに作っておいてくれたお粥を2人で食べていたら、隣から急にバタン! とかガチャン!という大きな物音がして、それに続いて言い争うような声が聞こえてきた。
「母さんがヤバイ、行かなきゃ! 」
たっくんがテーブルに手をついてガタッと立ち上がる。
私が袖を掴んで、「行っちゃダメだよ、ここにいようよ! 」と引き止めたけれど、彼はその手をそっと引きはがして、首を横に振った。
「俺は母さんの息子だから、母さんを守らなきゃいけないんだ。小夏はここにいて。絶対に来るなよ」
「でも…… 」
「いい? 何があっても絶対に外に出ないって約束して。誓えるな? 」
差し出された小指をしばらく見つめてから、私はそこに、自分の小指を絡めた。
「……うん、よし!」
それから真剣な表情で何度も念を押してから、 たっくんは走り出して行った。
私はたっくんが出て行くと同時に、隣の部屋に接した壁にピタッとくっつき耳をすませた。
『…… だ、コノヤロウ! 』
ガタン! ガシャン!
『……めろよ! ……母さ……はなせ!』
『やめてよ! ……んか、出てけ!』
『お前らっ! 』
ガチャン!
あまりの勢いに、思わず壁から離れて尻もちをついた。
心臓がバクバクして、背筋がゾワゾワする。
ポツンと何かが落ちてきた気がして胸元を見たら、水滴で濡れていた。
それでようやく、自分が涙を流しているのだと気が付いた。
『ヤメロっ! 』
ひときわ大きな声にビクッとして壁を見た。
ーー たっくんの声!
今もまだ口論している。
大きな音も聞こえている。
バタンッ!
ドアの開く音を聞いた途端、勝手に足が動きだしていた。
腰を抜かしそうになりながらもヨタヨタと立ち上がり、タンスや壁につかまりながら、ひたすら玄関を目指す。
周囲の景色がグニャっと歪んで見えて、自分は吐くかもしれないと思った。
ようやくダイニングテーブルまで辿り着いた時、目についた青い本を何故だか手に取って胸に抱きしめていた。
裸足のまま外に飛び出した時、目に飛び込んできたのは一面の白。
天気予報の通り、いつのまにか雪が降り出していた。
真っ黒い空から白い牡丹雪が次々と落ちてきて、地面をすっかり覆い尽くしている。
そしてその真っ白の上に……あの男に髪を掴まれながら膝をついているたっくんの姿があった。
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