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第1章 幼馴染編
9、俺のもんになる?
しおりを挟む鶴ヶ丘保育園の年長組では、一時期なぜか異様に鬼ごっこが流行った時期があった。
朝、登園してきた園児が3人くらい集まった時点ですぐに鬼ごっこが始まり、そのあとも隙あらば、誰かれ構わず追いかけてタッチし合う。
外に出れば園庭中を逃げ回り、先生が中に入るようみんなを呼ぶまで、ずっとそれが続くのだ。
これはなんとなくクラス全体でノリでやっている感じだったので、たっくんにタッチされて、いつの間にやら私も一緒に、鬼ごっこに参加するようになっていた。
1人が平気な私でも、自然にクラスの輪に入れたことはやっぱり嬉しかったし、ひたすら逃げまくるだけの単純な遊びが気に入って、毎日キャーキャー言いながら、皆と一緒に走り回っていた。
この頃までは本当に楽しかったのだ。
そのうち、数名の男子が、鬼から逃げるために遊具に登るようになった。
滑り台やジャングルジムに登り、鬼が追いかけてよじ登ってきたところで反対側から飛び降りる。
この、非常に賢く、かつ狡くて汚い手段を、他の子たちも次々と真似するようになり、一度鬼になるとなかなか交代出来ないという事態に陥った時点で空気が変わった。
『一度鬼になったら終わりだ』ということに皆が気付きだし、ただの『追いかけっこ』が、『鬼にならないため』の恐怖の時間になった。
そしてこの頃から、鬼ごっこの鬼が、ほぼほぼ私で固定されることになった。
私は高いところが苦手だ。
ちゃんと床があって下が見えない所なら大丈夫だけど、背骨みたいになってるスケルトン階段や梯子、ジャングルジムなどの遊具、透明で足下が透けて見えるエレベーターはNG。
これは私が4歳の時にジャングルジムから落ちたのがきっかけだった。
幼稚園のジャングルジムで、他の子がやってたのを真似て、途中まで登って飛び降りるというのを繰り返していたときだ。
何度目かの時に、どういうはずみかつま先が引っ掛かって、思いっきり顔面から地面に落っこちた。
擦りむいた顔面と手足に、ジンジンとした痛み。
ダラダラと流れ続ける大量の鼻血を見たときは、このまま自分は死んでしまうんじゃないかと真剣に怖くて、病院で処置を受けている間もずっと泣き続けていた。
そのことがあって以来、高い所から足下を見るとあの光景を思い出して、胸のあたりがヒュッと冷たくなり、足が竦んでしまうのだ。
高い遊具に逃げられず、足もそんなに速くなかった私は、登園して誰かにタッチされると、そのまま降園するまで鬼のままということが続いた。
途中で見かねたたっくんがわざと私の前に出てきて鬼になってくれたりするのだけど、たっくんにタッチされた子がすぐに私を追いかけてくるので、結局すぐまた鬼に逆戻りの 繰り返し。
その頃にはもう、鬼ごっこというよりは、私から皆が逃げるゲームになっていた。
小さかろうが幼かろうが関係ない。
時に子供はひどく残酷で冷淡だ。
自分がターゲットにならない事に安心したみんなは、今度は私が遊具を見上げてオロオロする姿を楽しむようになった。
ジャングルジムや滑り台の上でクスクス笑っているみんなを見て、悔しくて悲しくて、 鉛を飲み込んだように胸が重くなっていく。
保育園に行きたくない、鬼ごっこなんかしたくない。
だけど登園してタッチされたら鬼なのだ。
鬼は追いかけなければいけない……。
そんなことが3日ほど続いたある日、保育園の玄関で母と別れたあと、たっくんが真剣な表情で私に言った。
「小夏、お前、俺のもんになる? 」
「………… えっ? 」
意味が分からずキョトンとしていたら、たっくんが私の両手を取ってもう一度聞いてきた。
「小夏、お前、俺の家来になるか? 」
「…… 家来? 私が? 」
「うん、そう。お前が俺の家来になるなら、お前は俺のもんだ。そしたら俺がお前を守ってやる。お前を鬼になんかしない」
「私、もう鬼にならなくていいの? 」
「うん。俺がお前を守ってやるから心配しなくていい。だから小夏、俺の家来になれ」
「………… うん、たっくんの家来になる」
私が頷くと、たっくんは私の手を掴む両手に力を込めて、「よし」とだけ言って微笑んだ。
よく考えたら、 家来は守られるんじゃなくて、御主人様を守る側だと思うのだけど……その時の私にとっては、そんなのどっちでも良かった。
とにかく鬼ごっこから逃れたい一心で、『鬼にならなくていい』という言葉に一も二もなく飛びついた。
そして、『守る』とハッキリ言い切ったたっくんの青い瞳の真剣さに、とにかく安心して、心がスッと軽くなったのだった。
たっくんは宣言通り、家来の私を全力で守ってくれた。
手を繋いで教室に入ったら、私にタッチしようとする男子の手を払いのけて庇ってくれる。
後ろから私の背中にタッチされたら、すぐさまたっくんがその相手にタッチし返す。
「小夏ちゃん、 ズルい! 」
誰かがそう言ったら、
「小夏は今日から俺の家来になったんだ。だから御主人様の俺が守るんだよ! 」
そう大声で言い返した。
そうなると誰も私に手を出さなくなり、『鬼』になるのを恐れたみんなは、その遊びを積極的にやらなくなる。
そして気付くともう、誰も鬼ごっこをしなくなっていた。
瞬間風速的に巻き起こった鬼ごっこブームは、 終わるのもまた、あっという間だった。
あの時たっくんは、私を『鬼』から救うために、『家来』だなんて言葉をわざわざ使ったんだろうな…… って、今になってみるとよく分かる。
たった6歳の男の子が、私を守るために必死で考えて、行動してくれた。
それを思うだけで、一気にあの頃の気持ちが蘇り、胸がギュッと締め付けられるのだ。
私はあの日からずっとたっくんの家来で、たっくんのものなのに、ただここに、彼だけがいない。
ねえ、たっくん、私はもうたっくんに守ってもらえないけど、どうにか元気でやってるよ。
たっくんの家来は、今も私だけですか?
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