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42、譲れないもの side透

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 赤城に連れられて洒落た美容院で髪を整えられ、そのまま行きつけのテイラーでスーツを合わせた。
 急だったからオーダーメイドでは無いけれど、オーナーが透のサイズや体型を知り尽くしているので、身体にカチッとフィットしたものを選んでくれた。

 地味で主張の無いダークグレーの2つボタンスーツに、無地の濃紺ネクタイ。
 アースカラーは鎮静作用があると言う。
 こんな事で先方の怒りが無くなるとは思えないが、派手な装いで火に油を注ぐよりはマシだろう。
 靴は勿論、光沢の無い黒のストレートチップだ。


 身支度が整ったところで、赤城の車が店の前に止まった。後部座席には祖父の定治が乗っている。
 両親は別の車で向かっているらしい。
 いよいよ家族総出での謝罪タイムだ。

 祖父の隣に座りながら、これほど自分が注目されるのも、家族にここまで迷惑を掛けるのも、29年の人生で初めての事だな……なんて考えた。



 本城家は目黒区の青葉台にある瀟洒な2階建てで、古めかしい我が家とは何もかもが対称的だった。

 黒い鉄製の門を開けて出迎えてくれたのは、茜の母。
 お見合いの時に一度会ったきりだ。
 いきなり頭を下げようとした黒瀬一同を制して、「まずは中にお入り下さい」と招き入れられた。

 居間に通されると、ソファーに座っていた茜の父、龍一郎が立ち上がる。
 母親の方が、「どうぞお座り下さい」と声を掛けてくれたが、もちろんソファーには腰を下ろさない。横に真っ直ぐ両手を下ろし、直立不動の姿勢だ。

 奥にいた茜がレースのカーテンをシャッと閉めてスライドドアからの強い陽射しを遮ると、こちらを振り返って、ニコリと微笑んだ。

「透さん、お帰りなさいませ。皆様、本日はわざわざお越しいただき……」
「茜、そんな挨拶は必要ない」

 茜の言葉を遮って、龍一郎がこちらに険しい視線を向けた。

「黒瀬さん、お話が違うんじゃありませんか? 透くんがニューヨークから帰国されてから仕切り直し……という話になっていたはずだ。それをこんな風に突然、無かったことにしたいとは……」

「仰る通りで御座います」

 黒瀬家代表で口を開いたのは時宗。

「この度はこちらの都合で不愉快な想いをさせる事となり、誠に申し訳なく思っております。そのためこうして家族総出で押し掛けました事も、重ねてお詫びさせていただきたく存じます」

「そんな硬い挨拶は必要無い。 まずは、こんな事になった理由を説明してもらおうじゃないか」

「それは全て私の責任で……」

 時宗がそう言いかけたところで透が遮った。

「いえ、俺から説明させて下さい」
「透!」

「黒瀬さん、この度は本城家の皆様にご迷惑をお掛けしたこと、心よりお詫び申し上げます。全ては私の優柔不断な態度が招いた事。どのような叱責も受ける覚悟で参りました。ただ……」

 そこまで言って言葉を切った透に、龍一郎が訝しげな目を向ける。

「ただ……何だね? その先を言ってみなさい」
「はい……」

 透は大きく息を吸うと、吐く息と共に一息で告げた。

「私には結婚したいと思っている女性がいます。ですので、申し訳ありませんがこの先どなたともお見合いする気はありませんし、こちらにも駐在期間終了まで待っていただく訳には行きません。今日はそのことをお伝えに参りました」

「なんと……」

 龍一郎が顔色を無くし、窓際で立って見ていた茜の方をチラリと振り返る。

「だが、赴任前には恋人はいないと、仕事だけだと言っていたじゃないか。だから私達だって……大体、ニューヨークに行ってまだ1ヶ月そこそこだぞ! まさか隠れて誰かと付き合って……」

「誓ってそれはありません!」

 お見合いした時点では誰とも付き合っていなかった。 だけどニューヨークに赴任後、一生を共にしたいと思える女性が出来てしまった。

 自分には仕事しか無いと思っていた。
 でも今は、それ以上にどうしても譲れないものが出来てしまったから……。

 そう透が正直に語っていると、それまで黙っていた茜が口を開いた。

「お父様、もういいじゃない」
「茜?!」

 皆の視線が彼女に集中する。
 茜は龍一郎の隣まで歩いてくると、父親の手をそっと握り、その顔を覗き込む。

「お父様、私のために怒ってくれてありがとう。 でも、黒瀬家の皆様には非は無いわ。 その事はお父様だって分かっているのでしょう?」

「茜……」

 茜は一歩前に出ると、黒瀬家の面々に向かって頭を下げた。

「ごめんなさい。 私が父に我が儘を言ったせいで、皆様を困らせてしまいました。元々は一度お断りされたお話。そこで引き下がらずにご無理を言ったのはこちらの方です」

「茜さん……」

 茜は透を見ると、苦笑してみせる。

「透さんは最初から、片想いの相手がいるって言ってらしたものね。婚約していた訳でも無いのに文句を言う資格なんて無いって事、父だって本当は分かっているんです。父は私のために怒ってくれているだけで……」

 今度は父親の龍一郎を見やり、

「お父様、今回の件は、こちらが無理に引き留めていたものを、引き留め切れなかっただけの事。
いつまでもグチグチとしがみついているなんて、本城家の名が廃りますわよ」

 そして庭の方に歩いて行き、レースのカーテンをシャッと勢いよく開いて振り返った。

「透さんは、その恋人のことがよっぽど大切なのですね。 心から愛していますか?」
「……はい。一生添い遂げるつもりでいます」

 茜はフッと微笑んで、

「仕事に熱心なだけならまだしも、他の女性に夢中になっている男性にしがみつくほど私は愚かでは無いわ。 もう気持ちも御座いません。 愛しい恋人を連れて、どうぞお帰り下さいませ」

「えっ……連れて?」

 スライドドアをスッと開くと、壁の方に向かって声を掛ける。

「ヨーコさん、お待たせしたわね、彼をお返しするわ」

 えっ、ヨーコ?……と、その場にいた、茜以外の全員が顔を見合わせた。


「………グスッ…トオル…」
「ヨーコ?!」

 横からおずおずと姿を現したのは、涙で顔をグチャグチャにしたヨーコだった。
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