マジメ御曹司を腐の沼に引き摺り込んだつもりが恋に堕ちていました

田沢みん

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35、会長と一騎討ちなのデス! (1)

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 久しぶりの日本は、もう9月も終わりだというのに蒸し蒸ししていて暑かった。
 ほんの数週間離れていただけで、既に向こうのカラッとした気候に慣れてしまっているのだろう。

 全身に纏わり付くような湿気。
 日本人の肌がきめ細かくて美しいのは、この湿度が関係しているのかな……なんて、どうでもいい事を考えた。


ーーバカチン! こんな事をボンヤリ考えている場合では無いのデス!

 首をブンブンと振って、バッグからスマホを取り出すと、透の番号を押す。

 応答ナシ。

 もう一度掛け直す。 今度は2回目のコールで声がした。

『はい……ヨーコ・ホワイト様ですね?』

ーーエッ、トオルじゃナイ!

 低くて落ち着きのある渋い声。電話越しだから定かでは無いけれど、聞いた事があるような気がする。
 この声は……。

『会長秘書の赤城あかぎです。 朝哉様と雛子様から伺っております。 日本に到着されたのですね。今は何処ですか?』

『羽田空港の……』
『すぐ近くに車を待機させてあります。今からロータリーに回しますから、それに乗ってお越しください』

 お越しとは、何処に? と聞く間もなく電話が切れ、2分程ですぐに黒塗りのハイヤーが目の前に止まった。

 中にいるのは運転手のみ。
 彼に慇懃いんぎんにドアを開けてもらい後部座席に乗り込むと、沈黙のまま、車は首都高速に入って行った。




 松濤にある静閑な高級住宅街。 その中でも一際目立つ、重厚で立派な門構えの屋敷。
 白い土壁でぐるりと周囲を囲まれた、テレビの武家屋敷みたいなそれが、黒瀬透の実家だった。


「遠路はるばる御苦労様です。お待ちしておりました。こちらへ」

 出迎えてくれたのは、スーツ姿でビシッとキメた赤城。
 彼はニューヨークから透を拉致して日本に帰って来たばかりでは無いのか。
 一体いつ休んでいるんだろう。24時間年中無休で大丈夫なのか? サイボーグか?

 彼について、飛び石の敷かれた和風庭園を旅館みたいな広い玄関まで進む。
 だがそこに入っていくのは赤城だけだった。

「私はこちらで用がありますので……後は家政婦のサキが案内致します。……サキさん、よろしくお願いします」
「はい、畏まりました」

 ここで赤城とは別れ、屋敷の裏手の方へと案内される。

 サキという家政婦は60歳前後の年配の女性で、少しぽっちゃりした体型の、穏やかな空気を纏った人だった。

 時々振り返りながら、「まあまあ、あなた様が透坊ちゃんの……お会い出来て光栄です」と柔らかい笑顔を浮かべる。

ーー私のことを知っているのデスカ?

 この人は良い人っぽい気がする。 それにどうやら味方らしいな……と、少しだけホッとして、大人しく後ろをついて行った。


 見事な日本庭園を眺めながらついて行くと、屋敷の裏側には離れらしい平屋の建物があった。
 どうやら母屋とは渡り廊下で繋がっているらしい。

 さっきの母屋よりは小さめだけど、それでもしっかりした造りの玄関に入り、飴色のひのき廊下を進んでいくと、障子戸を開けたその座敷の部屋に、この離れの主がいた。

 黒瀬定治さだはる。 クインパスグループの会長にして黒瀬透の祖父。

 黒くて立派な座卓の向こう側で、彼がこちらをジッと見据えている。

「いらっしゃい……まあ、座りなさい」

 その声に従って、向かいの座布団付き座椅子に正座した。

ーーコレは……会長との一騎打ちなのデスネ!


 座卓を挟んで向かい合って座る。
 座れと言ったきり、定治は無言のままだ。

ーーううっ……沈黙が辛い!

 しばらくすると、サキが花の形をしたピンクの練り切りと玉露を運んで来た。

「わぁ、美しいデスネ」

 思わず声を出して見上げると、サキがニコニコしながら「ふふっ、お気に召すと良いのですが……ごゆっくり」と、微笑みながら去って行った。


「……和菓子は食べられるかね?」

 急に話し掛けられ緊張が走る。

「大好物デス。祖母の家ではお抹茶のお茶請けとして良く出されていましたカラ」

「お母上の実家が町田市だったね」
「……はい」

 さすが会長。 既にヨーコの素性は調査済みなのだろう。
 透と付き合うと決めた時からこの程度のことは覚悟していた。
 朝哉と雛子を見てきたのだ。 ある程度の反対や妨害は想定済み。

ーーまさか、まさかトオルを拉致するとまでは思っていませんでしたケドネ!

 定治は玉露を一口啜って湯呑みをコトリと茶托に置く。

「さて……と」

 座椅子に深くもたれ、お腹の前で手を組んで、いきなり姿勢を崩した。


「いやぁ~、参った。 朝哉から電話が掛かって来て、ギャンギャンわめかれた」
「朝哉が……デスカ」

「ああ、『ヨーコが迎えに行ったから兄さんを返せ、ヨーコを丁重に扱え!』って電話口で喚きおって……難聴が酷くなるわ」
「……はぁ」

 いきなり砕けた口調になり、拍子抜けする。
 だけど……そうか、朝哉が口添えしてくれていたのだ。
 だからこうして客間に迎え入れたというわけか。

「まあ、朝哉がやかましいのは昔からだ。だがな……」

 ここで定治が座卓に腕をつき、前のめりになってヨーコを見た。

「……雛子さんにまで叱られてしまってね」
「ヒナコが?」

ーーううっ、ヒナコまで勇気を出して、カイチョーに歯向かってくれたのデスネ!


「朝哉が今更何を言おうが、あんなものは蚊の囁きみたいなもので、気にもならん。だが、雛子さんに嫌われるのは、ちと辛い。雛子ファンクラブ会員1号なのに、悲しくて堪らんよ」

ーーんっ?!

「カイチョー、ソレは聞き捨てならないのデス」
「んっ?……聞き捨てならない……とは?」

 ここまで引き離し工作をされていて、今更カッコ付けも大人しいフリをする必要も無い。

「既にファンクラブは存在シテいますから、勝手に新設しないでクダサイ。会員1号は私デスヨ。2号はトモヤなので、会長は3号なのデス。タケはそこまでの熱が無いので、準会員扱いデス」

「なんとっ?!」
「デスから、新設した方は即刻解散シテ下さい」

「ほほぅ……このワシが1号では無い……と言うか。彼女が高校生の頃から知っている、この私が」

 強い眼力に怯みそうになったが、ここで負けるわけには行かない。
 思い切り目を見開いてグッと睨み返すと、2人の間に激しい火花が散った……のが見えたような気がした。

 このいくさ、負けるわけにはいかない。
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