オストメニア大戦

居眠り

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第34話 スカリー帝国総統ミドルク・フォン・サン=シッキラー

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 〈帝国総統府〉
 初夏というのに日差しがきつい5月7日。
 帝国総統府にスラリとした印象を与える長身の男が現れた。
 その男は左手に1通の茶封筒を大事そうに持ち、最上階の総統室へと足を運ぶ。
 途中、何名かの職員と顔を合わせるが彼らは最短で敬礼をして足早に去っていく。
 それを見飽きた男はフンと鼻を鳴らし、目的の総統室のドアの前に立った。
 そこで男は独特なリズムを刻んでノックした。来訪者が誰であるかを部屋の主に伝える為だ。

「入れ」

 短く端的に言われた男は左右を確認して素早く部屋へ入室した。
 豪華絢爛……とまではいかないがそれなりに整った調度品が置かれている総統室には長身男と威圧感を放つ口髭男しかいなかった。

「どうしたクルト。やけに慌てている様だが」

 総統席の後ろに立ち、外を眺めながら言葉を発した男こそ、スカリー帝国の実質的トップであるミドルク・フォン・サン=シッキラーその人だった。
 特徴的な口髭が印象的だ。

「申し訳ありません閣下。慌てている様に見えましたか?」

「わしにはそう見えた。だがそんなことは些細なことだ。…で、何の用だ?」

 総統府からの壮麗な首都の街並みを堪能するのを止めて高級そうな革張りの総統席に座ったシッキラーを見つつ、クルトと呼ばれた男ークルト・ランブレヒトは手にしている茶封筒を上司に手渡した。

「タラザ侵攻作戦の結果とレーヴェン島暫定損害をまとめた書類です、閣下」

「ほぅ……」

 レーヴェン島の”損害”という単語に眉をひそめたシッキラーは茶封筒を開き目を通したが、僅か5分後には帝国総統の顔は憤怒の表情で一杯になった。

「なんだこの報告書は!?我が軍の敗北、いや、大敗ではないか!!」

 立ち上がり、白い報告書を机の上に叩きつけながら激昂するシッキラーをクルトは彼の首席秘書官兼腹心ということもあり、ただ黙って見つめるわけにもいかなかった。

「閣下、現在この情報は最前線を除けば我々とごく少数の者しか知りません。士気を下げさせない為にも、これは隠蔽すべきではないでしょうか?」

 クルトの上申に対してシッキラーは独り言をブツブツと言いながら考え込んだ。

「サーバ港に立て籠もっている帝国軍はどうする?無論助けねばならん。平和大橋が落ちた今、海路からしか撤退出来ん。海軍の協力を要請すれば隠し通せるものではなくなる……」

「…?しかし海路は敵潜水艦部隊が展開しております。如何なさるので?」

 立て続けの問題提起にシッキラーは荒々しくドカッと音を鳴らし、座り直して言った。

「潜水艦には駆逐艦と対潜哨戒機だ。……すぐに海軍省へ連絡しろ。だが海軍大臣は通すな。ゲールッツのみに伝えよ。中央オストメニア海から敵を一掃しろとな!」

「ハッ!」

 クルトが血色の悪い顔を紅潮させながら総統室を後にしようとするのを、シッキラーは突然呼び止めた。

「クルト。例の新型兵器は実戦に出せるか?」

「…はい。バッチリです」

「なら直ちに準備させろ。目的地は追って沙汰する」

 シッキラーに忠実で、かつ傾倒している秘書官が退室した後、帝国総統は戦況の資料等と一緒に同封されていた顔写真付きの紙を手に取った。
 細々と書き込まれたその資料の顔写真には顔に傷を負った若い男が写っていた。

「アドガ・ライナー………貴様のおかげでわしの仕事が増えおったわ…!」

 シッキラーは歯軋りをしながら”極秘書類”と”VSP(国民保安警察)”の名の付いた印鑑が押されているその資料を握り潰した。


〈帝国海軍省〉

「なんということだ…」

 電話を受け取った物静かな雰囲気を漂わせる老紳士はため息を吐きながら目を閉じた。
 その様子を常に困り顔の女性がより一層困った表情で問いかけた。

「あの…上級大将閣下、どうなさいましたので…?」

「レーヴェン島の基地機能が陥ちた。平和大橋もだ」

「レーヴェン島に、平和大橋までですか?!」

 困り顔の女性ことゲールッツの副官キュリスタ・シュトライトは口元に両手を当てながら驚いた。
 これは彼女が狼狽した時などによく見られる仕草で、この独特な反応をするキュリスタの階級は海軍中佐で年齢は24歳である。
 この若さで中佐という地位にある彼女は優れた記憶力を持つ。
 これは後方勤務時代に大いに発揮され、士官学校を出たばかりの小娘とは思えぬスピードで出世を重ねた。
 さらに美人であった為、各部署のお偉方に花丸付きの推薦状の山を貰いまくった結果、現在の役職に就いた。
 しかし彼女はかなりの泣き虫で些細なことでも目に涙を浮かべてしまう。
 座っていれば効率良く仕事が出来る軍人なのだが、いざ会話するとなるとただの気弱な女性なのだ。
 それはそれで老年層のお偉方には高評価だったのだが。
 キュリスタ自身も近い年齢の人より老人と話すことを好み、ゲールッツもその対象の1人である。
 彼女はゲールッツを亡祖父に重ねて尊敬しており、かなり懐いているようだ。
 さて、そんなキュリスタの混乱を余所にゲールッツは既に作戦行動の準備に取り掛かっていた。

「シュトライト中佐、平和大橋付近に展開している駆逐戦隊と他に動ける海軍はどれくらいいるのだ?」

 この問いかけにキュリスタは今の態度には見合わない速度と正確さを以て対応した。

「平和大橋駐留中の第1艦隊所属第2駆逐戦隊4隻及び帝都停泊中の同艦隊所属第1、3駆逐戦隊です。さらに申し上げるなら対潜哨戒機も出してもらえる海軍基地がいくつかあります」

「助かる」

 親子以上、祖父と孫ほどの年齢差コンビはどんな時でも互いの思考を合致させることが出来る。
 アンカーやその他大勢の指揮官や副官がこれを見るとほぼ全員が「お見事」と言うであろう。
 キュリスタの上官であるヴィルヘルム・フォン・ゲールッツ上級大将は63歳の提督で、第1次オストメニア大戦ではルンテシュタットのドクトラ、スカリーのゲールッツと言わしめるほどに有名な将官だった。
 現在は第1艦隊の司令を務めるとともに、お飾りの海軍大臣に代わってスカリー帝国海軍を支えている。

「取り残された味方を救出する。抜からずに準備せなければな」

 アンカーのライバルとなりうる男が動き出したのである。
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