保護猫subは愛されたい

あうる

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自分でも理解しがたい衝動に突き動かされたまま、口をついて出た言葉はもう戻らない。

『kneel』お座り

不意打ちのそのコマンドに、晶の膝がガクリと折れた。
脱力したわけではない。
その場に頽れたまま、なぜ急にこんなことをしたのかと問うわけでもなく、じっとマスターを見上げる。
どうしてこんなことをしたのだろう。

病院で習った。
domがSubに対して同意なくコマンドを使う行為は一種の犯罪行為だ。
それなのに、どうして。

問うことも、その答えもなく。
晶の前に同じように膝をついたマスターの手が、晶の首にゆっくりと伸ばされる。

「君が、彼らに望まれる理由はだ。
あまりにも従順に喉元を見せ、たとえその結果喉を切り裂かれることとなっても、君はきっと―――」

物騒なその言葉に、一瞬首を絞められるかと思った。

けれど不思議と、瞳を閉じようという気にもなれず、伸ばされる手をじっと見つめ続ける。
今この瞬間に彼に首を絞められて命を終えるなら本望。
いっそ呼吸が止まるその瞬間まで、彼を見つめていられるなら。


「—――試すような真似をして、すなかったね」

随分と長いためらいの後、回された腕は晶の首にではなく肩へと向けられ、抱きしめられた。
そのことにほっとする。
互いの鼓動がはっきりと聞こえる距離に安心し、マスターの言っていた言葉の意味が、少しだけわかった気がした。
これが、満足ということなのかもしれない。

『Say』言ってほしい


その言葉と共に、背中に回されていた手が離れ、正面から互いに向き合う。

「今、君は私の腕の中に大人しく抱かれていた。それを、君の望みと思っていいのかな」
「はい」

それは、確かに晶の望みでもあった事。

「私はね、ずいぶんわがままな性格なんだ」
「はい」
「洋服はすべて捨てて、私が選んだものを着てほしい」
「はい」
「食事も、すべて私の見ているところで、私と共に食べてほしい」
「はい」
「私の監視なしには、外にも出られなくなる」
「はい」
「君に本来与えられていたはずの、人としての権利すべて、私が奪う」
「はい」
「生理現象や、排泄すらも私の支配下におかれるとして、同じことが言える?」
「はい」
「一緒に死んでほしいと言ったら?」
「どうか、あなたの手で終わらせてください」

「…怖いな」

ぽそりとつぶやかれた言葉に、半ば夢見心地に答えていた晶の瞳が、ぱちりと瞬く。
私の存在は、重すぎた?


「怖い、ですか」
「…あぁ、誤解だ!君の事じゃない。あまりに際限がなくなりそうな自分が怖くなったんだ」

一瞬、不安げに揺れた瞳を見逃すことなく、ぎゅっと背中から抱きしめられる。

「全てを受け入れられるということはこんなにも幸福で、――残酷なことだったのか」
「残酷」

意味が分からなかった。
全てを受け入れる、それだけではだめなのだろうか。
私は、彼のもとして失格?

そう考えただけで、胸が苦しくなる。
首を閉められたわけでもないのに、息ができない。
激しく震えながら胸元を抑える晶に、マスターはすぐ気づいた。

「晶!」

耳元でたたきつけるように名前を呼ばれ、抱かれたまま肩を揺すられる。

「目を覚ましなさい!晶、お願いだ。『Look』こっちを見て

まるで懇願するようなその声。
初めて名前を呼ばれた。
なのになぜ、こんなにも苦しくて仕方ないのか。


「―――私を置いていくつもりかっ!!」

地を這い、ぞっとするようなその声は、果たして本当にマスターのものだったのか。
憎しみすら感じられるようなその言葉はさらに続く。

「許さない」と。

「やっと見つけた。私のもの。私だけのもの。お前は、死すらも私のものだといったはず」

その誓いを破るのかと。

優しさなどかけらもない。
思いやりなど何の意味があるのかとでも言いたげな言葉。
けれど、その言葉は雷撃のように激しく、晶の魂に打ち込まれていく。
そうだ、確かに自分は誓った。
全て、この人に差し出すと。

「……そうだ。ゆっくり息をして。無理をしなくていい、ゆっくり」

はぁ、はぁと。
過呼吸になった時と同じように、少しずつ息を吐き、自らを落ち着かせていく。
激しい震えはやがて収まり、せっかく着替えたはずのシャツ背が、冷や汗でびっしょり濡れている。

「そうだ、イイ子だ…『GoodBoy』いい子そのまま――――」

何度か同じように呼吸を繰り返し、少しずつ落ち着いてきた晶。

「すまない、さっきのは完全に私の失言だった」
「いえ…」
「戻ってきてくれてうれしい。本当にありがとう…」

すっかり焦燥しきったマスターの様子に、いったい今の状態は何だったのかと問えば、「subドロップだ」と深くため息をつきながら告げられた。

「domの言いつけを守れなかったと感じたSubがその罪悪感からパニックに陥り錯乱し、やがては死に至ることもある危険な症状だ」
「あれが…」

言葉としては知っていたが、図らずも実体験してしまった。

「本来、domとしては、自分のSubをsubドロップさせてしまうことは何よりの恥なんだ」
「え?」
「己のSubのコントロールができていない事の何よりの証明だからね」
「あ……でも、今のは私が勝手に」
「いや、違う。君の考えることを予測できなかった私の失態だ」

またもやsubドロップに落ちかねない晶の言葉を、マスターは強い口調で遮る。

「これから先、君には何一つとして責任を負う権利はない」
「………?」

責任を負う、権利。
一見して、相反するような言葉。

「君のすることに対して責任を負うのは私の権利であり、君はもう既にその自由はない、ということだ。
つまり、君がsubドロップをしてしまうような発言をしたのは勿論、君を不安にさせたことも私の責任」

「それは…」
「忘れたのかい?君は既に答えた『Say,yes』 はい 『何を奪われても構わない』と」

『発言の撤回は許さない』そう耳元で囁かれ、ゾクリとまた体が震えた。

「私で、いいんでしょうか」
「実は、ほとんど一目惚れなんだ」
「――私もです」
「気づいていた」
「!」

よほどバレバレの態度だったのだろうか。
今更とはいえ、少し気恥しい。

「男女間における一目惚れの理由について、面白い論文がある。
男女間での一目惚れには遺伝子が関わっていて、一目惚れ同士の夫婦に生まれた子供は、総じて優れた才能を持つ傾向が高いとされているんだ」 

つまりは。

「愛や恋といった感情は、遺伝子の利己的な戦略からくる副産物?」
「あるいはそうかもしれないが、少なくとも愛は、利己的選択だけでは生まれないものだと私は思うよ」
「より良い進化をもたらすために、互いを呼び合ったとしても、それが長続きするとは限らないということですか……」

面白い論文だが、果たしてそれが真実なのかどうかは眉唾で。

「一目惚れで結婚した相手とは長続きしない、というのが世の習いだからね。
互いの嫌なところが目に付いてすぐに別れてしまうそうだ。
ただの動物同士ならそれでもいいのだろうが、私たちは責任も理性ある生き物だからそうはいかない」

「結婚……」
「私達の場合は養子縁組かな。
パートナーシップ制度には、現状まだまだ不備も多いからね」

マスターもいずれは結婚したいと思うのだろうかと、そんな未来をちらりと考えてしまった事を見透かすように、クスリと笑われ、「何なら明日、役場で書類を貰ってくるかい?」とあっさり告げられ赤面する。

「私が言いたいのはね、子供を作れない同性同士の場合、一目惚れとは、一体何が惹かれあっているんだろうね、という話」
「それは」
「ただの脳のエラー?バグ?私はそうは思わない。
―――惹かれあっているのは、互いの魂ではないか。
遺伝子が、より優秀な存在を生み出す為、自ら必要な相手を探し、求めるように。
それぞれに何かしらの欠陥を持って生まれた魂が、そこにぴったりとはまりあう相手を求めるのではないか」

バラバラになったパズルのピース同士が、己と組み合う相手を無意識に探すように。

「君と私は、とても相性がいい。
そしてそんな私達が、互いにパートナーと呼べる相手を探しているのならーーー」

そこまでいうと、マスターは晶に手を差し伸べ、立ち上がるように促す。


「まずは、シャワーを浴びよう。身体を洗ってあげるから、私の家においで」
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