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第三部 カツランダルク戦記 『プレリュード』
18 暗殺計画
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ツックイーのエルフ、イナンナ=イセルローン。
彼女は古代ムサシノ帝国時代に、『森の蝮』として恐れられた暗殺者であった。
殺した相手は数百とも、数千とも言われている。古代ムサシノ帝国時代の暗殺者で双璧を為したもう一人の『やまねこ』とは、殺害数で競い合っていた。
イズヴァルトの時代の今でもカントニアで恐怖されている『やまねこ』とは違い、その商売においては彼女は引退した身であった。しかし腕は鈍っていない。暗殺においての人気者であるゴブリンや、ゾウズジャヤのエルフなど鼻で笑える程度の技術を持っている。
「オラがサキュバスさんたちと組めば、この2か月でほぼ全員の大貴族の首をあげられるズラ」
そうなるとその貴族の遺臣どもと追いかけっこをするハメになるだろうが、こちらは1万年を生きるエルフである。相手が先にへばる。どう逃げ切るのかに問題があったが。
「イナンナさん。そんなこと申し出ちまっていいのかよ?」
「かまわねえズラ。それで、イズヴァルトさんとトーリさん。どうするズラ? オラのことが信用ならねえってのなら、いっぺん実演してみせよっか?」
これは本心ではなかった。イズヴァルトを試していたのだ。先ほどまで怒り狂っていたイズヴァルトは急に青ざめていた。
(……根性なしのたわけが。)
でもそれでいい、とイナンナは安堵した。マルカスがイズヴァルトをなだめ、思い直すよう務めてくれるのにも助かった。
(おまんはそれでええズラよ。オラがやっていたような薄暗えことはしちゃなんねえ。)
けれどもイナンナはこの後、自分の心を試したことを後悔した。ペニスから口を開放されたトーリがかぼそい声で独り言を。
「できれば、ヨーシハルトスあたりを……」
(おまん、何を言っているズラか?)
トーリが振り向く。一瞬だけ彼女の瞳が紅くなり、3本足の鳥のようなものが映っていた。何かの魔法だろうか。イナンナは疑うのをやめた。
トーリはマルカスとイズヴァルトにも目を向けた。それからイナンナにこう言った。
「イナンナさん。その考え、ありだと思うわ。でも、最後の手段にするべきだと思う」
「ほうズラな。オラの提案は卑怯極まりないズラ」
イナンナはトーリの尻穴から指を抜いた。ほんのりと茶色く染まり、甘いにおいが漂っていた。ニンゲンよりも遥かに鼻がきくエルフでも、うっとりしてしまうようなにおいだった。
「イズヴァルトさん。そういう乱暴なことは考えちゃいけません。もっと平和的なやりかたで行きましょうよ」
「そ、そうでござるな……」
イズヴァルトもうなずいた。すっかり表情が落ち着いていた。マルカスはほっとため息をつくと、トーリに近づき勃起を彼女の口に近づけた。
黒々とした亀頭をトーリがついばむ。美味しそうに舐り、咥えていった。フェラチオを施しながら彼女は考えた。
(でも、その最後の手段は近いうちにやることになるわ。)
ヨーシデンに南天騎士団のうち約2万が集結。南天騎士団を探らせている、キャンディスというサキュバスから知らされていた。ルッソの子供を産んだ後、軍属の娼婦として潜入していた。
集めたのはヨーシハルトスと南天騎士団四大大公。イズヴァルトへの弾劾裁判目的だという。この2万の軍に関してはイズヴァルト達も知っていたが、軍事演習を兼ねた巻狩り程度だと考えていた。ド田舎のヨーシデンはよく、そうした訓練場になったからである。
□ □ □ □ □
翌朝。昨晩遅くまでの兵士達に忠誠への『ごほうび』でついた汚れを沐浴場で清めたばかりのトーリのもとに、マルカスがやって来た。リリカとともにだ
。
2人はめいいっぱいセックスをして仲良さそうに連れ添っていた。マルカスの恋人のクリスタだが、ここ最近ずっと、王宮にいると気分が悪くなると理由をつけてトーリのもとに訪れなかった。街中見物をやっているという。
「おはようございます。マルカスさん」
「おはよう。トーリさま。で、昨日の話だけどよ?」
昨日、トーリに何度も濃厚な精を与えてくれたカントニア人に濡れた瞳を向けながら聞く。
「手を貸すぜ。もちろん、イナンナさんが承知してくれたらだがな」
「マルカスさん……」
「サキュバスの転移魔法は魔力消費が激しいってリリカに聞いたからさ、そん時は俺が一緒について行ったほうがいいと思ったのさ」
リリカがはにかんだ。マルカスのちんぽから出る精液にどれだけ身体が喜んだのかを思い出して濡れてしまう。それとマルカスの精力絶倫ぶり。貪婪だが子宮がろくに仕事をしないエルフが、子を孕むのも確かだろうと思った。
「俺も剣と魔法はそれなりに使える。イズヴァルトはホーデンエーネンを正すまでここにいるだろうから、俺もそれまで付き合いたい。登用してくれ。警備兵団でもなんでもいい」
マルカスは聖騎士団に入団できる実力の持ち主だと、イズヴァルトからは聞いていた。イズヴァルトには近々騎士団に戻ってもらうようにトーリは王に働きかけていた。
セインから提示されたのは団長補佐だ。ゆくゆくは今の団長のエルヴィンの跡を継いでもらう。このことはエルヴィンにも伝えていた。
北方にいるエルヴィンだが、通信魔道士から受け取った報告でこんなことを考えていた。イズヴァルトのことだから本陣にどっしりと構えず命令が出せないだろう。
軍略に長けた団員を副団長にして指揮の代行をさせたほうがいい。その為にはライナーが目をかけた人物を抜擢しよう。数名ほど。その中にはライナーの部下としてナガオカッツェにいる、ベートーベンが入っていた。
マルカスはカントニアで、傭兵部隊の隊長として活躍していたともトーリは耳にしていた。イズヴァルトの副官にぴったりだろう。しかし彼女の考えは別のところにあった。
「トーリさま。ホーデンエーネンで俺を雇ってくれ。話をつけてくれないか?」
「わかりました。近々、マルカスさんの仕官についてお返事いたしますね」
トーリはこの2日後の夜、マルカスだけを呼んでこう伝えた。アスカウ=タカイチゲンシュタットの家臣とする。ただし待遇は良い。トーリの直属の与力だ。事態によってはトーリの代わりに手勢を指揮する事もある。
「俺を、親衛隊にですか?」
「聖騎士団に加入いただくのも考えたけれど、マルカスさんにはイズヴァルトさんと私の兵団との連携役を務めて欲しいの。もしよろしければ、カントニアからマルカスさんのお友達を呼んでいただけないでしょうか。アスカウ領はいつも兵士を募集しているから歓迎よ?」
マルカスははしゃいだ。カントニアにいる傭兵仲間はいくらでもいる。ホーデンエーネンに来たい奴を呼び寄せるとトーリに誓った。
カントニアの武者は魔法が使える者が多くいた。火の玉を出すぐらいであるが、魔法がろくに使えないホーデンエーネンの武者よりも優れているとは言えた。
例え未熟でも魔法戦士なら心強い。トーリは王家との直接対決の為に手駒を揃えたかった。イーガ王子の妾となったマイヤが動いてくれるのも期待していたが、あちらは不確定過ぎた。
今夜もセインは他の妾のところだった。一向に孕まないトーリにばかりとするのはよくないとたしなめられたから、廷臣たちから意見申し立てがあり御成りはもう1週間伸びる事になった。
来て。ベッドに引き入れたマルカスは荒々しかった。トーリは散々に啼かされて絶頂に浸り続けた。夜明け前にマルカスが出ていくと、トーリは報告にやって来たカミラに早速尋ねた。
「南天騎士団は今どのあたりかしら?」
「ナガオカッツェ領に入り、ヨーシハルトス様の隊と合流しました。総勢2万1千といったところです」
「2万。何か起こっても王都を落とせない。でもアスカウは通るつもりかしら。そうはさせないわ……」
主街道でナントブルグに向かうと、進行ルート上に必ずアスカウ=タカイチゲンシュタットがある。そこを素通りさせるつもりはトーリには無かった。別のルートで行って貰う。
「ナガオカッツェ山地の裏手にヤマート大河の分流がある盆地があったでしょう。そこに枝街道があったはず」
「ヤマザキッヒ盆地ですね。確かに近道ですが、あの辺りは土地の起伏と森が多く、盗賊や山賊が良く出るという話でナガオカッツェ公は用いぬと思いますが……」
ナガオカッツェの西、ヤマザキッヒ盆地とそのさらに西にあるタンバレーネ高地はホーデンエーネン王家の統治外だ。険しい。土地質や天然資源は多いのだが、もとから住んでいた山の民の激しい抵抗のせいで、直轄地にも封地にもせず、王国は自治領として認めてしまった。
山の民はナガオカッツェの住民とは親しかったが、ヨーシハルトスを激しく嫌っていた。しかしこの山の民と山賊たち、もとはといえば戦国時代にホーデンエーネンの支配から逃れてきた他国の落ち武者らが先祖だった。
カミラ達カツランダルク本家に忠誠を誓うサキュバスらは、このタンバレーネの土着民らと通じていた。ホーデンエーネンへの反抗心で繋がりあっていたのだ。
「『山の民』らに話をつけてきて、カミラ。ヨーシハルトスの近辺に潜ませている女達にも、ヤマザキッヒ盆地を通る様に工作しておいて」
「承知いたしました。アスカウにいる武者達には、他領の武者を通さぬように伝えておきましょう」
「私からも他の領主らに働きかけておくわ……南天騎士団とナガオカッツェの兵は乱暴者ばかりですもの。平気で村を襲ったり旅人をカツアゲしたり。あんなのが通ったら経済が冷え込んでしまうわ。いまいましい……」
□ □ □ □ □
南天騎士団と合流後、ナガオカッツェ公ヨーシハルトスは突然の進路変更を告げた。
アスカウ=タカイチゲンシュタット領及び周辺領主、王家の直轄地の代官より通行阻止の通達を受けたからだ。
「トーリ殿が手を回したに違いない。あの小娘、こちらの動きを察知していたか……」
無理やりにでも押し通るべきだと南天騎士団の四大大公が提案した。けれどもそうなると小競り合いが起こる。セイン王が怒って直訴状を受け取らないだろう。最悪、ナガオカッツェへの譴責の軍が派遣されるかもしれない。
「イズヴァルトへの弾劾程度でつまらん犠牲は払いたくない。あくまで軍は威圧として起こして兵士達には重い武装も持たせておらぬし……」
ヨーシハルトスは会議を開いた。家臣の中からヤマザキッヒ盆地を通るルートを提案する者が出てきた。トーリが送ったサキュバスに心を操られた者達だ。ヤマザキッヒ盆地ならわからなくもない。
「だが、山賊たちが襲い掛かってくるかもしれんぞ?」
「そこはムカリ達に護衛を頼めばよいのではないのでしょうか。来年にはムーツに戻るという事ですが、ここでもう一仕事をさせてはいかがかと」
なるほどな。ムカリ、ジェベ、チラウンらゴブリンの手練れ達は心強かった。どうせ人里を通るのだからと今度の直訴には連れて行かないと話をしていたが考えが変わった。
翌々日。ナガオカッツェの公都の北西の街道から盆地へと向かう山道をのぼる最中、ゴブリンのムカリはぶうたれた顔で鼻をつまんでいる親友のジェベに呼びかけた。
「そんなにまでくさいか?」
「もちろんだとも。ゴブリンの嗅覚がエルフ以上だってのを大公さまはご存じ無いようだ」
ジェベはヨーシハルトスの本隊から100メートルほど離れたところに分散する、ゾウズジャヤの『きたなエルフ』の悪臭を嗅ぎ取って眉をしかめていたのだ。
「まったくもって嫌になる。俺達がいるのにどうしてあんな外道どもを?」
「あいつら、ハーフエルフだ。つまりは女の子のみということだ」
ゾウズジャヤのエルフもまたその常で、ニンゲンとのあいのこは女ばかりができる。大抵はシマナミスタン美人に成長し、みてくれだけは評判が良かった。
「垢まみれだがきれいな顔立ちの娘ばかりだぞ?」
「スケベなムカリは大歓迎だろうよ。俺は1人抱いたことがあるが、やせっぽちで気持ち良くなかった。あそこの締りもゆるゆるだ。それ以上にくさくてたまらなかった。最悪の女だったよ」
体臭はもとい口臭がとにかくきつい。キスなんか絶対に出来ないにおいが漂っていた。女性器は垢まみれ。なのにゾウズジャヤの女が産む子は元気で病気知らずだった。
「ゾウズジャヤ。敵に回れば厄介な毒遣いだが、味方ならそこそこに役に立ってくれる。俺はあいつらを信頼しているよ。ま、お前やボロクルらは嫌で嫌で仕方が無いだろうがな」
そのボロクルは他数名とオーガの用心棒とともに、四大大公の護衛についていた。そもそも休暇だったはずなのに、と皆が不満を言って大公らにご機嫌を取られている。すまないねえ。大公らは身近な者らには親切だった。
「ムカリ。俺も今日から休暇だったんだぞ。近くの村の子供達とその先生とで、ナガオカッツェ山地で珍しい薬草探しのキャンプをする予定があったんだ」
「あの女先生だな。未亡人でお前好みの尻がでかい……」
ジェベの愛人のその女教師は、今年25で1人の息子がいた。死んだ夫は魔竜戦役で謀反人らに討たれた騎士だった。ジェベとその息子はとても仲が良かった。
「どこまで行ったんだ?」
「外で吐いていたな。たぶん俺の子だ。子育てのためにしばらく俺はナガオカッツェにとどまる事に決めた。産まれた子が二十歳になればムーツに戻って来るさ」
ジェベとその女教師はその後、2人の子を為してしばらく暮すことになる。この30年ちかく後にヨーシデンに移り住む。上の子がヨーシデンにできた学問所に通う事になったからだ。ゴブリンとニンゲンのハーフは成長が遅く、30歳でも10代半ばの容貌だった。
「良いことじゃないか。山籠もりで生徒たちに性教育の実演を見せるつもりだったのかい?」
「ふん。子供達は慣れているさ。俺と彼女が真昼間の情事ものぞいている。しかしナガオカッツェは貧しいところだな。学校の女の子が村の男相手に食べ物目的で身体を差し出している。母親に死なれた子は親父の夜の相手もしたり。間引きや捨て子も多い。ムーツとは大違いだ」
ムーツは雪深く、人口こそ少なかったがクボーニコフ地方の寒村以外、そういったむごい風習はお目にかからなかった。
特にムカリとジェベとボロクルが住む、ナンブロシアとクボーニコフの国境地帯は割合豊かで人柄良い者も多かったから、そうした辛い出来事はそうそう起こらなかったのだ。
「ナガオカッツェは南部でも指折りだよ。他もここと同じと見てはいけない」
「ムカリ。ボロクルたちと一緒にさっさとムーツに戻りなよ? 給料が良くったってすさんだ土地に住んでたら心の病にかかっちまうよ」
「そうさせてもらうさ。後任はちゃんとヨーシハルトスさまに紹介してあるからな」
「初耳だな。誰だ?」
「ナンブロシア東部にいるキヤト部族の面々さ。あちらにゃホーデンエーネンに近づきたいやつらがうよいよいる」
キヤト部族はムーツのゴブリンの中でも最大の数を誇る。総勢8000人程度だが傭兵や薬師、工芸職人として海外で働く者がいた。
「イェスゲイさんのところか。あちらはやる気まんまんなのが多いからな」
「『オーガ退治の請負人』。毒遣いの暗殺屋ばかりがいるからな。ゾウズジャヤのヘタレどもじゃ到底勝てんよ。大公にはキヤトと手を組めと提案したがな」
オーガ戦士団を抱えるクノーへ公国が、ナンブロシア公国との戦いでいつも引き分けに終わらせる一番の原因。そう言ってムカリはアルタンとチムールという名前のゴブリンの名をあげた。
「……お前に比べて2段3段格落ちの戦士じゃないか? さてはキヤト族め。様子を見るつもりだな?」
「俺が助言したのさ。そのぐらいでいいとな。聖騎士イズヴァルトとガチでぶつかり合うならスブティやオゴディみたいな自慢のやつらを連れてこい……そんなことは無いと思うがね」
さっさと故郷に帰りたい。ムカリはそう思っていた。とはいえホーデンエーネンでは随分と美味しい思いをした。高い給料と大きな家を大公に建ててもらった。
あまり良いことではなかったが、大公の娘のうち、身分の低い妾が産んだ姫をあてがってもらった。まあまあ美人だ。まだ14歳だが。子供こそ出来なかったが新婚ごっこは楽しめた。
その家は彼女にくれてやる事に決めていた。後年その娘が賊の襲撃に遭って夫と子供ともども殺されるのだが、健やかに過ごしてくれるだろうとムカリは信じていた。
「しかし。臭いな。暗殺屋がきつい体臭をそのままにする、なんてゾウズジャヤの連中は馬鹿なんだろうか?」
ムカリがぼそりという。ジェベもうなずいた。軍は5日のうちにヤマザキッヒ盆地に。北西に向かう細い街道に入った。ヤマート大河の支流に沿うように街道が敷設されていた。
西は河。東は森林だ。街が無ければ村も無い。ここは完全に王国の支配の外にあった。ゾウズジャヤのエルフ達から常に報告があがった。賊の姿はどこにも無し。森の奥に逃げ込んでいる様だ。
道を行く最中に賊の討伐もできなくは無かった。ここで支配地を広げればナガオカッツェは豊かになるはず。しかしヨーシハルトスらはやらなかった。時間と労力の無駄だ。
盆地に入り、恐ろしくのどかな旅が半月ほど続いた。河が大きく東に曲がる所に着いた。道は二手に分かれていた。タカイチゲンシュタットに向かう東の道と、西のナントブルグ方面の道だ。
西の道への手前には、ヤマート大河にかかる橋があった。そのはずだった。ヨーシハルトスらが見たのは崩れた木橋の跡だ。海外から招聘したドワーフの石工らが設けた石柱以外は崩れ落ちていた。
「聞いていなかったぞ! 斥候は何をしていたのだ!」
ヨーシハルトスが怒鳴る。斥候は告げた。一昨日にはちゃんとかかっていたのに。こんなはずはない。
「……何者かの妨害だな! この橋はあきらめよう。上流にあるはずだ」
「さようでございますが殿下、東街道はここから崖で狭くなっており、通過するのが困難です」
「橋があればそれでもよい!」
ヨーシハルトスは進んだ。今回の直訴は彼が主役なので先頭はナガオカッツェの部隊が務める。東の街道はとても狭くなっていた。ヤマザキッヒ盆地からアスカウ地方の境目。1列になってやっと進める幅だった。
□ □ □ □ □
ムカリらが異変に気付いたのはその狭い崖道を半ば通り過ぎ、ひと休憩をしていた頃だった。道の崖上で探っていたゾウズジャヤのエルフ達の気配が消えた。かすかに漂う血の匂い。
「ジェベ。敵襲だ! 殿下をお守りするぞ!」
果たして刺客が現れた。黒い装束と幾本の小剣を腰に差し、血刀を握った背の高い者。170センチはあるだろうか。たった1人だ。
「曲者だ!」
「出会え!」
「円陣を組め! 殿下をお守りしろ!」
しかし兵士や武者達は度肝を抜かされた。その刺客は高く跳躍し、崖を駆けてヨーシハルトスの元に飛び込んだのだ。袖から蝶の鱗粉の様な、きらきらしたものをまき散らして。
「さては亜人だな!」
ヨーシハルトスが剣を抜く。護衛が襲い掛かる。恐ろしく強い。討たれて次々と河に落ちていく。そこでムカリとジェベがナイフを持って飛び込んでいった。
ヨーシハルトスが恐れおののく様な戦いだった。ムカリとジェベは相当に手ごわいぞと相手の剣技に舌を巻いた。しかし彼等はゴブリン族でも屈指の戦士である。
それは相手も同じ思いだった。無言を貫いていたがこの2人のゴブリンに驚いていた。どうしてここに。そこに異変に気づいたボロクルらがヨーシハルトスを護衛しながら連れ去った。
襲撃は失敗。刺客は印を切りその場に閃光を起こした。目くらましの魔法だ。刺客は河に飛び込みそのまま沈んでいなくなった。
ムカリらも河に飛び込んで刺客の姿を探そうとした。しかしその姿も、死体も見えなかった。河からあがるとヨーシハルトスは彼等に抱き着いた。
「お前たちは私の命の恩人だ! またも助けられたわい!」
何が起きたか。崖の上を捜索するとゾウズジャヤのハーフエルフの死体がいくつもあった。連れて来た全員が討たれたらしい。相当に恐ろしい手練れだったということだ。
兵士や騎士も、斬られた者に息をしている者は誰一人いなかった。相当に凶悪な毒が剣に塗られていたのだろうとジェベは見立てた。崖道を通過し、橋を渡って開けたところで、数名の死体が何で息絶えたのか、魔法や薬を使って確かめた。
「鉱毒だ。しかも相当に強力な奴だな」
「どこのだ、ジェベ?」
「カントニアのカイロネイア山地だよ。あそこには様々な毒石が眠っている。その中の1か2つをかけ合わせたものだろう。多分あっちのエルフだ。精錬されたラジウムやヒ素なんぞ巻かれた時にゃ、あそこにいるニンゲンどもはいつか死ぬぞ?」
ジェベの見立てた通りだった。その刺客が通った辺りには精錬した鉱の毒が検出された。主要人物の暗殺に失敗しても生き残った者のうち数名は近い将来、毒が原因の病気で死ぬ。
「大公様はどうだろう?」
「あの辺で一番多く振りまかれていた……ムカリ。気にするな。大公様はニンゲンじゃご高齢だ。遅かれ早かれお迎えが来る。10年ぐらい先になるだろうがな」
大公には告げるな。ごまかせ。それまで薬師として自分が面倒をみてやるから。ジェベはそう言って「へーっくしょん!」とくしゃみをした。猛毒でも耐性が極めて強いゴブリンには、たとえ高濃度の放射性物質でも、花粉程度のダメージしか与えないのだ。
しかしである。ヨーシハルトスはこの辺りから体調を崩すようになった。彼はジェベによる手厚い治療を長いこと受ける事となったが、結局は勝てなかった。
直訴状はこの5日後にナントブルグの王宮に届いてしまった。自分が何者かに襲われたという追記を加えてである。
それともう1つ、ヨーシハルトスは捜索で見つけた、と称するものを直訴状に添えていた。これはカイロネイアの鉱毒だと見たムカリとジェベが提案したでっち上げだった。
彼女は古代ムサシノ帝国時代に、『森の蝮』として恐れられた暗殺者であった。
殺した相手は数百とも、数千とも言われている。古代ムサシノ帝国時代の暗殺者で双璧を為したもう一人の『やまねこ』とは、殺害数で競い合っていた。
イズヴァルトの時代の今でもカントニアで恐怖されている『やまねこ』とは違い、その商売においては彼女は引退した身であった。しかし腕は鈍っていない。暗殺においての人気者であるゴブリンや、ゾウズジャヤのエルフなど鼻で笑える程度の技術を持っている。
「オラがサキュバスさんたちと組めば、この2か月でほぼ全員の大貴族の首をあげられるズラ」
そうなるとその貴族の遺臣どもと追いかけっこをするハメになるだろうが、こちらは1万年を生きるエルフである。相手が先にへばる。どう逃げ切るのかに問題があったが。
「イナンナさん。そんなこと申し出ちまっていいのかよ?」
「かまわねえズラ。それで、イズヴァルトさんとトーリさん。どうするズラ? オラのことが信用ならねえってのなら、いっぺん実演してみせよっか?」
これは本心ではなかった。イズヴァルトを試していたのだ。先ほどまで怒り狂っていたイズヴァルトは急に青ざめていた。
(……根性なしのたわけが。)
でもそれでいい、とイナンナは安堵した。マルカスがイズヴァルトをなだめ、思い直すよう務めてくれるのにも助かった。
(おまんはそれでええズラよ。オラがやっていたような薄暗えことはしちゃなんねえ。)
けれどもイナンナはこの後、自分の心を試したことを後悔した。ペニスから口を開放されたトーリがかぼそい声で独り言を。
「できれば、ヨーシハルトスあたりを……」
(おまん、何を言っているズラか?)
トーリが振り向く。一瞬だけ彼女の瞳が紅くなり、3本足の鳥のようなものが映っていた。何かの魔法だろうか。イナンナは疑うのをやめた。
トーリはマルカスとイズヴァルトにも目を向けた。それからイナンナにこう言った。
「イナンナさん。その考え、ありだと思うわ。でも、最後の手段にするべきだと思う」
「ほうズラな。オラの提案は卑怯極まりないズラ」
イナンナはトーリの尻穴から指を抜いた。ほんのりと茶色く染まり、甘いにおいが漂っていた。ニンゲンよりも遥かに鼻がきくエルフでも、うっとりしてしまうようなにおいだった。
「イズヴァルトさん。そういう乱暴なことは考えちゃいけません。もっと平和的なやりかたで行きましょうよ」
「そ、そうでござるな……」
イズヴァルトもうなずいた。すっかり表情が落ち着いていた。マルカスはほっとため息をつくと、トーリに近づき勃起を彼女の口に近づけた。
黒々とした亀頭をトーリがついばむ。美味しそうに舐り、咥えていった。フェラチオを施しながら彼女は考えた。
(でも、その最後の手段は近いうちにやることになるわ。)
ヨーシデンに南天騎士団のうち約2万が集結。南天騎士団を探らせている、キャンディスというサキュバスから知らされていた。ルッソの子供を産んだ後、軍属の娼婦として潜入していた。
集めたのはヨーシハルトスと南天騎士団四大大公。イズヴァルトへの弾劾裁判目的だという。この2万の軍に関してはイズヴァルト達も知っていたが、軍事演習を兼ねた巻狩り程度だと考えていた。ド田舎のヨーシデンはよく、そうした訓練場になったからである。
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翌朝。昨晩遅くまでの兵士達に忠誠への『ごほうび』でついた汚れを沐浴場で清めたばかりのトーリのもとに、マルカスがやって来た。リリカとともにだ
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2人はめいいっぱいセックスをして仲良さそうに連れ添っていた。マルカスの恋人のクリスタだが、ここ最近ずっと、王宮にいると気分が悪くなると理由をつけてトーリのもとに訪れなかった。街中見物をやっているという。
「おはようございます。マルカスさん」
「おはよう。トーリさま。で、昨日の話だけどよ?」
昨日、トーリに何度も濃厚な精を与えてくれたカントニア人に濡れた瞳を向けながら聞く。
「手を貸すぜ。もちろん、イナンナさんが承知してくれたらだがな」
「マルカスさん……」
「サキュバスの転移魔法は魔力消費が激しいってリリカに聞いたからさ、そん時は俺が一緒について行ったほうがいいと思ったのさ」
リリカがはにかんだ。マルカスのちんぽから出る精液にどれだけ身体が喜んだのかを思い出して濡れてしまう。それとマルカスの精力絶倫ぶり。貪婪だが子宮がろくに仕事をしないエルフが、子を孕むのも確かだろうと思った。
「俺も剣と魔法はそれなりに使える。イズヴァルトはホーデンエーネンを正すまでここにいるだろうから、俺もそれまで付き合いたい。登用してくれ。警備兵団でもなんでもいい」
マルカスは聖騎士団に入団できる実力の持ち主だと、イズヴァルトからは聞いていた。イズヴァルトには近々騎士団に戻ってもらうようにトーリは王に働きかけていた。
セインから提示されたのは団長補佐だ。ゆくゆくは今の団長のエルヴィンの跡を継いでもらう。このことはエルヴィンにも伝えていた。
北方にいるエルヴィンだが、通信魔道士から受け取った報告でこんなことを考えていた。イズヴァルトのことだから本陣にどっしりと構えず命令が出せないだろう。
軍略に長けた団員を副団長にして指揮の代行をさせたほうがいい。その為にはライナーが目をかけた人物を抜擢しよう。数名ほど。その中にはライナーの部下としてナガオカッツェにいる、ベートーベンが入っていた。
マルカスはカントニアで、傭兵部隊の隊長として活躍していたともトーリは耳にしていた。イズヴァルトの副官にぴったりだろう。しかし彼女の考えは別のところにあった。
「トーリさま。ホーデンエーネンで俺を雇ってくれ。話をつけてくれないか?」
「わかりました。近々、マルカスさんの仕官についてお返事いたしますね」
トーリはこの2日後の夜、マルカスだけを呼んでこう伝えた。アスカウ=タカイチゲンシュタットの家臣とする。ただし待遇は良い。トーリの直属の与力だ。事態によってはトーリの代わりに手勢を指揮する事もある。
「俺を、親衛隊にですか?」
「聖騎士団に加入いただくのも考えたけれど、マルカスさんにはイズヴァルトさんと私の兵団との連携役を務めて欲しいの。もしよろしければ、カントニアからマルカスさんのお友達を呼んでいただけないでしょうか。アスカウ領はいつも兵士を募集しているから歓迎よ?」
マルカスははしゃいだ。カントニアにいる傭兵仲間はいくらでもいる。ホーデンエーネンに来たい奴を呼び寄せるとトーリに誓った。
カントニアの武者は魔法が使える者が多くいた。火の玉を出すぐらいであるが、魔法がろくに使えないホーデンエーネンの武者よりも優れているとは言えた。
例え未熟でも魔法戦士なら心強い。トーリは王家との直接対決の為に手駒を揃えたかった。イーガ王子の妾となったマイヤが動いてくれるのも期待していたが、あちらは不確定過ぎた。
今夜もセインは他の妾のところだった。一向に孕まないトーリにばかりとするのはよくないとたしなめられたから、廷臣たちから意見申し立てがあり御成りはもう1週間伸びる事になった。
来て。ベッドに引き入れたマルカスは荒々しかった。トーリは散々に啼かされて絶頂に浸り続けた。夜明け前にマルカスが出ていくと、トーリは報告にやって来たカミラに早速尋ねた。
「南天騎士団は今どのあたりかしら?」
「ナガオカッツェ領に入り、ヨーシハルトス様の隊と合流しました。総勢2万1千といったところです」
「2万。何か起こっても王都を落とせない。でもアスカウは通るつもりかしら。そうはさせないわ……」
主街道でナントブルグに向かうと、進行ルート上に必ずアスカウ=タカイチゲンシュタットがある。そこを素通りさせるつもりはトーリには無かった。別のルートで行って貰う。
「ナガオカッツェ山地の裏手にヤマート大河の分流がある盆地があったでしょう。そこに枝街道があったはず」
「ヤマザキッヒ盆地ですね。確かに近道ですが、あの辺りは土地の起伏と森が多く、盗賊や山賊が良く出るという話でナガオカッツェ公は用いぬと思いますが……」
ナガオカッツェの西、ヤマザキッヒ盆地とそのさらに西にあるタンバレーネ高地はホーデンエーネン王家の統治外だ。険しい。土地質や天然資源は多いのだが、もとから住んでいた山の民の激しい抵抗のせいで、直轄地にも封地にもせず、王国は自治領として認めてしまった。
山の民はナガオカッツェの住民とは親しかったが、ヨーシハルトスを激しく嫌っていた。しかしこの山の民と山賊たち、もとはといえば戦国時代にホーデンエーネンの支配から逃れてきた他国の落ち武者らが先祖だった。
カミラ達カツランダルク本家に忠誠を誓うサキュバスらは、このタンバレーネの土着民らと通じていた。ホーデンエーネンへの反抗心で繋がりあっていたのだ。
「『山の民』らに話をつけてきて、カミラ。ヨーシハルトスの近辺に潜ませている女達にも、ヤマザキッヒ盆地を通る様に工作しておいて」
「承知いたしました。アスカウにいる武者達には、他領の武者を通さぬように伝えておきましょう」
「私からも他の領主らに働きかけておくわ……南天騎士団とナガオカッツェの兵は乱暴者ばかりですもの。平気で村を襲ったり旅人をカツアゲしたり。あんなのが通ったら経済が冷え込んでしまうわ。いまいましい……」
□ □ □ □ □
南天騎士団と合流後、ナガオカッツェ公ヨーシハルトスは突然の進路変更を告げた。
アスカウ=タカイチゲンシュタット領及び周辺領主、王家の直轄地の代官より通行阻止の通達を受けたからだ。
「トーリ殿が手を回したに違いない。あの小娘、こちらの動きを察知していたか……」
無理やりにでも押し通るべきだと南天騎士団の四大大公が提案した。けれどもそうなると小競り合いが起こる。セイン王が怒って直訴状を受け取らないだろう。最悪、ナガオカッツェへの譴責の軍が派遣されるかもしれない。
「イズヴァルトへの弾劾程度でつまらん犠牲は払いたくない。あくまで軍は威圧として起こして兵士達には重い武装も持たせておらぬし……」
ヨーシハルトスは会議を開いた。家臣の中からヤマザキッヒ盆地を通るルートを提案する者が出てきた。トーリが送ったサキュバスに心を操られた者達だ。ヤマザキッヒ盆地ならわからなくもない。
「だが、山賊たちが襲い掛かってくるかもしれんぞ?」
「そこはムカリ達に護衛を頼めばよいのではないのでしょうか。来年にはムーツに戻るという事ですが、ここでもう一仕事をさせてはいかがかと」
なるほどな。ムカリ、ジェベ、チラウンらゴブリンの手練れ達は心強かった。どうせ人里を通るのだからと今度の直訴には連れて行かないと話をしていたが考えが変わった。
翌々日。ナガオカッツェの公都の北西の街道から盆地へと向かう山道をのぼる最中、ゴブリンのムカリはぶうたれた顔で鼻をつまんでいる親友のジェベに呼びかけた。
「そんなにまでくさいか?」
「もちろんだとも。ゴブリンの嗅覚がエルフ以上だってのを大公さまはご存じ無いようだ」
ジェベはヨーシハルトスの本隊から100メートルほど離れたところに分散する、ゾウズジャヤの『きたなエルフ』の悪臭を嗅ぎ取って眉をしかめていたのだ。
「まったくもって嫌になる。俺達がいるのにどうしてあんな外道どもを?」
「あいつら、ハーフエルフだ。つまりは女の子のみということだ」
ゾウズジャヤのエルフもまたその常で、ニンゲンとのあいのこは女ばかりができる。大抵はシマナミスタン美人に成長し、みてくれだけは評判が良かった。
「垢まみれだがきれいな顔立ちの娘ばかりだぞ?」
「スケベなムカリは大歓迎だろうよ。俺は1人抱いたことがあるが、やせっぽちで気持ち良くなかった。あそこの締りもゆるゆるだ。それ以上にくさくてたまらなかった。最悪の女だったよ」
体臭はもとい口臭がとにかくきつい。キスなんか絶対に出来ないにおいが漂っていた。女性器は垢まみれ。なのにゾウズジャヤの女が産む子は元気で病気知らずだった。
「ゾウズジャヤ。敵に回れば厄介な毒遣いだが、味方ならそこそこに役に立ってくれる。俺はあいつらを信頼しているよ。ま、お前やボロクルらは嫌で嫌で仕方が無いだろうがな」
そのボロクルは他数名とオーガの用心棒とともに、四大大公の護衛についていた。そもそも休暇だったはずなのに、と皆が不満を言って大公らにご機嫌を取られている。すまないねえ。大公らは身近な者らには親切だった。
「ムカリ。俺も今日から休暇だったんだぞ。近くの村の子供達とその先生とで、ナガオカッツェ山地で珍しい薬草探しのキャンプをする予定があったんだ」
「あの女先生だな。未亡人でお前好みの尻がでかい……」
ジェベの愛人のその女教師は、今年25で1人の息子がいた。死んだ夫は魔竜戦役で謀反人らに討たれた騎士だった。ジェベとその息子はとても仲が良かった。
「どこまで行ったんだ?」
「外で吐いていたな。たぶん俺の子だ。子育てのためにしばらく俺はナガオカッツェにとどまる事に決めた。産まれた子が二十歳になればムーツに戻って来るさ」
ジェベとその女教師はその後、2人の子を為してしばらく暮すことになる。この30年ちかく後にヨーシデンに移り住む。上の子がヨーシデンにできた学問所に通う事になったからだ。ゴブリンとニンゲンのハーフは成長が遅く、30歳でも10代半ばの容貌だった。
「良いことじゃないか。山籠もりで生徒たちに性教育の実演を見せるつもりだったのかい?」
「ふん。子供達は慣れているさ。俺と彼女が真昼間の情事ものぞいている。しかしナガオカッツェは貧しいところだな。学校の女の子が村の男相手に食べ物目的で身体を差し出している。母親に死なれた子は親父の夜の相手もしたり。間引きや捨て子も多い。ムーツとは大違いだ」
ムーツは雪深く、人口こそ少なかったがクボーニコフ地方の寒村以外、そういったむごい風習はお目にかからなかった。
特にムカリとジェベとボロクルが住む、ナンブロシアとクボーニコフの国境地帯は割合豊かで人柄良い者も多かったから、そうした辛い出来事はそうそう起こらなかったのだ。
「ナガオカッツェは南部でも指折りだよ。他もここと同じと見てはいけない」
「ムカリ。ボロクルたちと一緒にさっさとムーツに戻りなよ? 給料が良くったってすさんだ土地に住んでたら心の病にかかっちまうよ」
「そうさせてもらうさ。後任はちゃんとヨーシハルトスさまに紹介してあるからな」
「初耳だな。誰だ?」
「ナンブロシア東部にいるキヤト部族の面々さ。あちらにゃホーデンエーネンに近づきたいやつらがうよいよいる」
キヤト部族はムーツのゴブリンの中でも最大の数を誇る。総勢8000人程度だが傭兵や薬師、工芸職人として海外で働く者がいた。
「イェスゲイさんのところか。あちらはやる気まんまんなのが多いからな」
「『オーガ退治の請負人』。毒遣いの暗殺屋ばかりがいるからな。ゾウズジャヤのヘタレどもじゃ到底勝てんよ。大公にはキヤトと手を組めと提案したがな」
オーガ戦士団を抱えるクノーへ公国が、ナンブロシア公国との戦いでいつも引き分けに終わらせる一番の原因。そう言ってムカリはアルタンとチムールという名前のゴブリンの名をあげた。
「……お前に比べて2段3段格落ちの戦士じゃないか? さてはキヤト族め。様子を見るつもりだな?」
「俺が助言したのさ。そのぐらいでいいとな。聖騎士イズヴァルトとガチでぶつかり合うならスブティやオゴディみたいな自慢のやつらを連れてこい……そんなことは無いと思うがね」
さっさと故郷に帰りたい。ムカリはそう思っていた。とはいえホーデンエーネンでは随分と美味しい思いをした。高い給料と大きな家を大公に建ててもらった。
あまり良いことではなかったが、大公の娘のうち、身分の低い妾が産んだ姫をあてがってもらった。まあまあ美人だ。まだ14歳だが。子供こそ出来なかったが新婚ごっこは楽しめた。
その家は彼女にくれてやる事に決めていた。後年その娘が賊の襲撃に遭って夫と子供ともども殺されるのだが、健やかに過ごしてくれるだろうとムカリは信じていた。
「しかし。臭いな。暗殺屋がきつい体臭をそのままにする、なんてゾウズジャヤの連中は馬鹿なんだろうか?」
ムカリがぼそりという。ジェベもうなずいた。軍は5日のうちにヤマザキッヒ盆地に。北西に向かう細い街道に入った。ヤマート大河の支流に沿うように街道が敷設されていた。
西は河。東は森林だ。街が無ければ村も無い。ここは完全に王国の支配の外にあった。ゾウズジャヤのエルフ達から常に報告があがった。賊の姿はどこにも無し。森の奥に逃げ込んでいる様だ。
道を行く最中に賊の討伐もできなくは無かった。ここで支配地を広げればナガオカッツェは豊かになるはず。しかしヨーシハルトスらはやらなかった。時間と労力の無駄だ。
盆地に入り、恐ろしくのどかな旅が半月ほど続いた。河が大きく東に曲がる所に着いた。道は二手に分かれていた。タカイチゲンシュタットに向かう東の道と、西のナントブルグ方面の道だ。
西の道への手前には、ヤマート大河にかかる橋があった。そのはずだった。ヨーシハルトスらが見たのは崩れた木橋の跡だ。海外から招聘したドワーフの石工らが設けた石柱以外は崩れ落ちていた。
「聞いていなかったぞ! 斥候は何をしていたのだ!」
ヨーシハルトスが怒鳴る。斥候は告げた。一昨日にはちゃんとかかっていたのに。こんなはずはない。
「……何者かの妨害だな! この橋はあきらめよう。上流にあるはずだ」
「さようでございますが殿下、東街道はここから崖で狭くなっており、通過するのが困難です」
「橋があればそれでもよい!」
ヨーシハルトスは進んだ。今回の直訴は彼が主役なので先頭はナガオカッツェの部隊が務める。東の街道はとても狭くなっていた。ヤマザキッヒ盆地からアスカウ地方の境目。1列になってやっと進める幅だった。
□ □ □ □ □
ムカリらが異変に気付いたのはその狭い崖道を半ば通り過ぎ、ひと休憩をしていた頃だった。道の崖上で探っていたゾウズジャヤのエルフ達の気配が消えた。かすかに漂う血の匂い。
「ジェベ。敵襲だ! 殿下をお守りするぞ!」
果たして刺客が現れた。黒い装束と幾本の小剣を腰に差し、血刀を握った背の高い者。170センチはあるだろうか。たった1人だ。
「曲者だ!」
「出会え!」
「円陣を組め! 殿下をお守りしろ!」
しかし兵士や武者達は度肝を抜かされた。その刺客は高く跳躍し、崖を駆けてヨーシハルトスの元に飛び込んだのだ。袖から蝶の鱗粉の様な、きらきらしたものをまき散らして。
「さては亜人だな!」
ヨーシハルトスが剣を抜く。護衛が襲い掛かる。恐ろしく強い。討たれて次々と河に落ちていく。そこでムカリとジェベがナイフを持って飛び込んでいった。
ヨーシハルトスが恐れおののく様な戦いだった。ムカリとジェベは相当に手ごわいぞと相手の剣技に舌を巻いた。しかし彼等はゴブリン族でも屈指の戦士である。
それは相手も同じ思いだった。無言を貫いていたがこの2人のゴブリンに驚いていた。どうしてここに。そこに異変に気づいたボロクルらがヨーシハルトスを護衛しながら連れ去った。
襲撃は失敗。刺客は印を切りその場に閃光を起こした。目くらましの魔法だ。刺客は河に飛び込みそのまま沈んでいなくなった。
ムカリらも河に飛び込んで刺客の姿を探そうとした。しかしその姿も、死体も見えなかった。河からあがるとヨーシハルトスは彼等に抱き着いた。
「お前たちは私の命の恩人だ! またも助けられたわい!」
何が起きたか。崖の上を捜索するとゾウズジャヤのハーフエルフの死体がいくつもあった。連れて来た全員が討たれたらしい。相当に恐ろしい手練れだったということだ。
兵士や騎士も、斬られた者に息をしている者は誰一人いなかった。相当に凶悪な毒が剣に塗られていたのだろうとジェベは見立てた。崖道を通過し、橋を渡って開けたところで、数名の死体が何で息絶えたのか、魔法や薬を使って確かめた。
「鉱毒だ。しかも相当に強力な奴だな」
「どこのだ、ジェベ?」
「カントニアのカイロネイア山地だよ。あそこには様々な毒石が眠っている。その中の1か2つをかけ合わせたものだろう。多分あっちのエルフだ。精錬されたラジウムやヒ素なんぞ巻かれた時にゃ、あそこにいるニンゲンどもはいつか死ぬぞ?」
ジェベの見立てた通りだった。その刺客が通った辺りには精錬した鉱の毒が検出された。主要人物の暗殺に失敗しても生き残った者のうち数名は近い将来、毒が原因の病気で死ぬ。
「大公様はどうだろう?」
「あの辺で一番多く振りまかれていた……ムカリ。気にするな。大公様はニンゲンじゃご高齢だ。遅かれ早かれお迎えが来る。10年ぐらい先になるだろうがな」
大公には告げるな。ごまかせ。それまで薬師として自分が面倒をみてやるから。ジェベはそう言って「へーっくしょん!」とくしゃみをした。猛毒でも耐性が極めて強いゴブリンには、たとえ高濃度の放射性物質でも、花粉程度のダメージしか与えないのだ。
しかしである。ヨーシハルトスはこの辺りから体調を崩すようになった。彼はジェベによる手厚い治療を長いこと受ける事となったが、結局は勝てなかった。
直訴状はこの5日後にナントブルグの王宮に届いてしまった。自分が何者かに襲われたという追記を加えてである。
それともう1つ、ヨーシハルトスは捜索で見つけた、と称するものを直訴状に添えていた。これはカイロネイアの鉱毒だと見たムカリとジェベが提案したでっち上げだった。
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