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第二部 『呪いの序曲。イーガの魔王』 (少年編から青年編の間のエピソード。)
56 イーガの魔王⑨
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その斬撃と開かれた傷にうめき、叫ぶ暇など無かった。
アナキンは「ちぇいっ!」と叫んだ後に力を籠め、素早くイズヴァルトに斬りかかる。段違いに脚が早い。革の胸甲と手甲という軽装だという理由もあるのだが、それ以上に動きが機敏だった。
「身体強化魔法ズラな……」
見守るイナンナにオクタヴィアがうなずいた。幼い頃に目にしたことがある、とカイロネイアのエルフは思った。
(相当に優れた身体強化術式ずら。こいつ、おらたちエルフ専門の殺し屋ずらか?)
となればイズヴァルトが危うい。最初の一撃で深手を負ってしまった。出血しながらの戦いは、はんぶんエルフの身体でも難しいことだ。
「仕方ねえずら。おらが助太刀するざあ!」
オクタヴィアが腰のロングソードを引き抜く。飛び出してアナキンに打ちかかった。2対1。普通ならここで必ず相手は詰む。
オクタヴィアは本気を出すのが遅いが、身体が温まると力を発揮する。カイロネイア=エルフの中ではクリスタの次ぐらいに強い。彼女は相手の癖を見出してから攻めるタイプでもある。
(しかしこいつ……)
剣のさばき方が読みとれない。不規則な剣さばきだ。大抵は型通りにやってしまうのが多い。真剣での殺し合いは技量と膂力とですぐに決まるからだ。
はっきり言ってやる。こいつは天才に値するずら。しかも振れば振るほど、踏み込めば踏み込むほど早くなっている。イズヴァルト以外にもエルフに肉薄しうる天才が、このキンキ大陸にまだいるのか。
(いや。思い出したずら。この剣法は……。)
彼女の長い人生の記憶の中で思い当たる剣さばき。確か、ナントブルグにあったサキュバスの王国の剣術だ。とにかく相手を翻弄する為に、太刀筋が読み取らせない流派だったはず。
それを編み出したのが女王の忠実な部下、エルフの武将だったと記憶している。そしてその者こそが、イーガの初代国王だった。
(おらたちの剣法も取り入れている、ってことざあな。)
オクタヴィアはアナキンの横薙ぎを宙返りでかわす。背後に立った。音を殺して相手の背を狙う。しかしアナキンは身体を回転させて彼女の剣を打ち払った。
手ごわい。オクタヴィアはよろめいていたイズヴァルトが、相手の一撃を受けきれずに右肩に喰らったのを見て戸惑った。今の彼の身体能力なら、自分の様に飛んでかわせるはずなのに。
しかしもっと確実な受け払いが出来なくなっていた。最初の一撃を深く受け過ぎて、弱ってしまっているようだ。アナキンが剣の切っ先で素早く印を切った。一瞬にして彼の姿が消えた。
(目くらましの術式ずらな!)
オクタヴィアは感覚を鋭くさせる。右上から自分の首筋を狙う気配。身体を低くして避けた。しかし地面を強く踏む音と、それから繰り出される刃の風音に彼女はたじろいだ。
とんでもなく速い猛攻だ。手を叩いて褒めてやりたくなるぐらいの。しかし一撃でも喰らいたくない類の剣だ。きっとエルフの自己治癒力を鈍らせる魔法がかかっているだろう。嫌な魔道の気配が、さっきから刃から漂っていた。
(スーワシューロのエルフ殺し、それによう似ているずら!)
オクタヴィアの身体はまだ温まっていなかった。反攻をかけるにはまだ時間が必要だ。彼女の服がいくつも切れた。しかしよろめきながらも戦うイズヴァルトの身体は、いくつも傷を負っていた。
片手剣を持ったアナキンが姿を現した。めくらましの魔法の効果が切れたのだ。彼は息を乱していなかった。
どうにもおかしい。この辺でニンゲンの戦士は深呼吸の1つや2つを為すはずなのだが。彼は疲れを見せず、落ち着いて息を吸って吐いていた。
静止してくれた事でオクタヴィアは、アナキンの猛攻の理由がわかった。最初から最大級の身体強化魔法を己にかけていたのだ。
ふと、彼女の背に悪寒がはしった。感じたことがある禍々しい術式の気配が、アナキンの全身に漂っていた。
(やはり……スーワシューロのエルフ殺し剣、ずらか?)
エルフ殺しの剣。それを扱う者はエルフよりも素早く動く事が出来る。ただ、その適性者はなかなかにいない。
相当な魔力の持ち主であることと、エルフの血が殆ど混じっていないことが重要だ。もしエルフの血が混じっているものがこれを用いれば、必ずその者の寿命を削り取るだろう。
ゆえにエルフの血が混じることの多いカントニアの西部では、この秘剣を扱える者はいなかった。せいぜいがエルフ達から敬遠されているマリーヤ国ぐらいだろう。でも悲しいかな。あの国の戦士は剣技よりも、だまし討ちで相手を殺す事に長けていた。
(つまり、このぼうずはエルフの血は入っていない。そういうことずらか。)
それにしてもである。アナキンの剣をかわしながらこう思った。魔力が膨大にある様に見受けられる。となればサキュバスら魔族の子孫か。淫魔達の子孫にありがちな、紫色の瞳がどうにも不安を掻き立てて来る。
(ならば、やるしかねえざあ!)
オクタヴィアは本気を出した。彼女の動きが俄然早くなる。アナキンはこの猛攻を何度も剣で弾いたが、手首が段々としびれて痛くなった。
これが本場のエルフの力か。アナキンの頬がオクタヴィアの剣により深々とえぐられた。初めて受ける負傷にアナキンはうろたえてしまった。
それからすぐだ。もういい、という声が彼の脳裏に響いた。
「アナキン! そいつには敵わぬ!」
でも。アナキンは踏みとどまりたかった。目をかけてくれたアドルフ様を守らなければ。そう思いつつオクタヴィアの剣を凌いでいた時、館の門がゆっくりと開いた。
20名近くのアドルフの私兵が、イズヴァルトとオクタヴィアに襲い掛かった。それを見はからっていたかの様に、イナンナ達は印を切っていた。
「みんな! イズヴァルトさんとオクタヴィアさんを助けるズラ!」
しかしあまりにも突然の出来事だったから加減を間違えた。館の武者達の足元に紅い術式陣がいくつも光った。
火球などという生易しいものではなかった。何もかもを焦がす炎柱の魔法だった。エルフ達の本気の魔法を防げる者など、誰一人いなかった。
「こ、こんな魔法の使い手がまだいたのか!」
悲鳴を上げるアナキンに、尚もアドルフが呼びかけた。もういい。館に戻らずどこかへ逃げ込め。口調には苛立ちが籠っていた。
「逃げるかこの場で死ぬか、どちらがいいか言ってみろ!」
普段の穏やかな声とは違った。刺々しい命令口調。だがしかし、あまりにも情が籠り過ぎてもいた。
「スカルファッカーの小僧! 俺を安心させたければ答えがわかっているはずだ! 構うな! 退け!」
アナキンの頭の中で響くその声には、本気で心配していることがはっきりとしていた。しかし叱り飛ばされた思い、アナキンは怯えた子供のごとく駆け去って行った。
危機は去った。恐ろしい相手に出くわしたとオクタヴィアは思った。まさかエルフ狩りの王の剣を使える奴がまだいたとは。しかも、彼女が体験していたそれにくらべて更に練れていた。あんな使い手を葬るのは困難だ。
「イズヴァルトのぼうず……」
オクタヴィアは地面に突っ伏していたイズヴァルトの容態を確かめた。かなり出血して息が荒かった。イナンナとともに治癒魔法を施したが気を失ったまま。
「どうにもならねえずらな?」
「ここは王宮に戻って養生させるズラ。アドルフに会うのはそれからでも遅くはねえ」
彼女達はイズヴァルトを担いで引き上げた。そしてその時、この館でも異変が起こっていたのだ。
□ □ □ □ □
「よく入れたな、お前たち?」
寝台の上でアドルフが目柄を向けていたのは、イーガの正式な武装に身を包んだ魔道騎士の一団だった。
ここを守らせていた護衛は皆、廊下の床に血まみれになって事切れていた。どこから潜り込んできたのやら、だ。
その屍の中には、ヒッポタルトを含む彼が可愛がっていた魔道士達もいた。アドルフは、自分達が張った結界を潜り抜けた事に褒めてやりたいと思うばかりだった。
「大人しく息をひそめていれば、やり過ごせたと思っていたがな」
「……ふん。こんなところにのんびりいれば、儂の『触覚ども』にも嗅ぎつけられるだろうに?」
具足達の後ろから老人の声が。アドルフは目を見開いた。そこには彼の父であるイーガ国王がいた。
いつの間に父はここに来たのだろうか。アドルフがじっと見つめているとイーガ王は懐にさげていたミスリルの剣を引き抜いた。
「愚かな息子、アドルフよ。お前がしでかした悪事、隅から隅まで調べさせてもろうた」
「さて、覚えがございませんな父上。私の悪行とは?」
「……言わんでもわかるだろう。とにかくだ、アドルフ。2つに1つ。選べ」
王は宣告した。情けなく命乞いをしながら父の手にかかるか。あるいはイーガ国王子として潔く自刃するかだ。馬鹿な。アドルフはせせら嗤った。
「何がおかしい。気が狂ったか?」
「いいえ、父上。で、あれば私はこのように望みます」
「何をだね?」
「……生まれ変わってもきっと、父上が大事になされたこのイーガを、守り抜く者となりましょう」
そう告げてアドルフは涼やかに笑った。自刃するつもりなど毛頭無かった。もう身の破滅だ。覚悟はしている。けれども、父が引導を渡してくれるならば本望だ。
「アドルフ。戯れはよせ」
「ははは。私は本気ですよ。このたくらみは全て、イーガの為に思ってやったことです」
これまでの戦いで我が国に負け続けていた『猪武者どもの蛮国』ことホーデンエーネンは、新たな時代を迎えようとしている、こたびのハットーリ河とモモチ高原の戦いでわかったはずだ。
いずれ強大な力を得る事は必定。その上にかの国を安泰にさせる英雄の雛が現れた。聖騎士イズヴァルトだ。
その彼と、我らイーガ王家が忌み嫌ったナントブルグの女王の末裔が出会ってしまった。マイヤ=カツランダルク。もし彼女の素性が王家にわかってしまえば、きっと政治を任される事だろう。
「と、なればホーデンエーネンはますます富栄えるはずです」
「隣国の繁栄は願ったりかなったりではないかね、アドルフ?」
「いえ。あの国は我らと争う宿命にあるのです。イズヴァルトとマイヤ。その両方の死後にもし、我が国を平らげんとする王が現れるとしましょう」
国力を大いに増したホーデンエーネンに、果たして小国のイーガは勝てるのか?
アドルフは100年や200年先を見据えて行動していたのだと言った。吹聴と言った方がいいかもしれない。何故ならマイヤを殺さず、その美貌に溺れてしまったからである。
「馬鹿なことを。考えすぎだ、アドルフ。お前がしでかした過ちのせいで多くの民が危難に遭った。これをどう弁明するつもりだ?」
「その余地はございませんよ、父上。しかしながら、息子の最後の頼み、聞いてくれませぬか?」
言って見ろ。国王は剣を強く握りしめた。老いたとはいえミスリルの剣で、銅の棒切れを叩き切るぐらいの技量を持ち合わせていた。
「アノーヅに、私とマイヤとの間に産まれたロゼという娘が暮らしております」
国王が息を止めた。驚いて何も言えないのと、意志をしっかりと固めたからだ。アドルフは目をほころばせ、最後まで父を信じ切るような瞳を向けた。
「私亡きあとはなにとぞ、父上とマルティンの庇護の元、末永く健やかになる様に育てていただきたい。それだけが……」
言い終わらない内に国王の剣がアドルフの首を刎ねていた。ミスリルの青い刀身に赤い血が伝う。
「せいッ!」
発声とともに身体の力を抜いた国王は、血に濡れた剣を騎士に手渡して拭わせた。清められてた剣を受け取り、鞘に納めた国王は、寝台に転がったアドルフの首を見て、涙した。
「娘を? 不義と凌辱によって産ませた我が子をか、アドルフ?」
国王はアドルフの首を慈しむように抱えた。それから血に濡れたそれを掲げると、力いっぱい床に叩きつけた。
「それだけの情を持ちながら、なにゆえこの様な事をしでかした? 儂は……私は。お前にその様なゆがんだ愛情を抱かせる様に育てた覚えなど、無い……!」
アナキンは「ちぇいっ!」と叫んだ後に力を籠め、素早くイズヴァルトに斬りかかる。段違いに脚が早い。革の胸甲と手甲という軽装だという理由もあるのだが、それ以上に動きが機敏だった。
「身体強化魔法ズラな……」
見守るイナンナにオクタヴィアがうなずいた。幼い頃に目にしたことがある、とカイロネイアのエルフは思った。
(相当に優れた身体強化術式ずら。こいつ、おらたちエルフ専門の殺し屋ずらか?)
となればイズヴァルトが危うい。最初の一撃で深手を負ってしまった。出血しながらの戦いは、はんぶんエルフの身体でも難しいことだ。
「仕方ねえずら。おらが助太刀するざあ!」
オクタヴィアが腰のロングソードを引き抜く。飛び出してアナキンに打ちかかった。2対1。普通ならここで必ず相手は詰む。
オクタヴィアは本気を出すのが遅いが、身体が温まると力を発揮する。カイロネイア=エルフの中ではクリスタの次ぐらいに強い。彼女は相手の癖を見出してから攻めるタイプでもある。
(しかしこいつ……)
剣のさばき方が読みとれない。不規則な剣さばきだ。大抵は型通りにやってしまうのが多い。真剣での殺し合いは技量と膂力とですぐに決まるからだ。
はっきり言ってやる。こいつは天才に値するずら。しかも振れば振るほど、踏み込めば踏み込むほど早くなっている。イズヴァルト以外にもエルフに肉薄しうる天才が、このキンキ大陸にまだいるのか。
(いや。思い出したずら。この剣法は……。)
彼女の長い人生の記憶の中で思い当たる剣さばき。確か、ナントブルグにあったサキュバスの王国の剣術だ。とにかく相手を翻弄する為に、太刀筋が読み取らせない流派だったはず。
それを編み出したのが女王の忠実な部下、エルフの武将だったと記憶している。そしてその者こそが、イーガの初代国王だった。
(おらたちの剣法も取り入れている、ってことざあな。)
オクタヴィアはアナキンの横薙ぎを宙返りでかわす。背後に立った。音を殺して相手の背を狙う。しかしアナキンは身体を回転させて彼女の剣を打ち払った。
手ごわい。オクタヴィアはよろめいていたイズヴァルトが、相手の一撃を受けきれずに右肩に喰らったのを見て戸惑った。今の彼の身体能力なら、自分の様に飛んでかわせるはずなのに。
しかしもっと確実な受け払いが出来なくなっていた。最初の一撃を深く受け過ぎて、弱ってしまっているようだ。アナキンが剣の切っ先で素早く印を切った。一瞬にして彼の姿が消えた。
(目くらましの術式ずらな!)
オクタヴィアは感覚を鋭くさせる。右上から自分の首筋を狙う気配。身体を低くして避けた。しかし地面を強く踏む音と、それから繰り出される刃の風音に彼女はたじろいだ。
とんでもなく速い猛攻だ。手を叩いて褒めてやりたくなるぐらいの。しかし一撃でも喰らいたくない類の剣だ。きっとエルフの自己治癒力を鈍らせる魔法がかかっているだろう。嫌な魔道の気配が、さっきから刃から漂っていた。
(スーワシューロのエルフ殺し、それによう似ているずら!)
オクタヴィアの身体はまだ温まっていなかった。反攻をかけるにはまだ時間が必要だ。彼女の服がいくつも切れた。しかしよろめきながらも戦うイズヴァルトの身体は、いくつも傷を負っていた。
片手剣を持ったアナキンが姿を現した。めくらましの魔法の効果が切れたのだ。彼は息を乱していなかった。
どうにもおかしい。この辺でニンゲンの戦士は深呼吸の1つや2つを為すはずなのだが。彼は疲れを見せず、落ち着いて息を吸って吐いていた。
静止してくれた事でオクタヴィアは、アナキンの猛攻の理由がわかった。最初から最大級の身体強化魔法を己にかけていたのだ。
ふと、彼女の背に悪寒がはしった。感じたことがある禍々しい術式の気配が、アナキンの全身に漂っていた。
(やはり……スーワシューロのエルフ殺し剣、ずらか?)
エルフ殺しの剣。それを扱う者はエルフよりも素早く動く事が出来る。ただ、その適性者はなかなかにいない。
相当な魔力の持ち主であることと、エルフの血が殆ど混じっていないことが重要だ。もしエルフの血が混じっているものがこれを用いれば、必ずその者の寿命を削り取るだろう。
ゆえにエルフの血が混じることの多いカントニアの西部では、この秘剣を扱える者はいなかった。せいぜいがエルフ達から敬遠されているマリーヤ国ぐらいだろう。でも悲しいかな。あの国の戦士は剣技よりも、だまし討ちで相手を殺す事に長けていた。
(つまり、このぼうずはエルフの血は入っていない。そういうことずらか。)
それにしてもである。アナキンの剣をかわしながらこう思った。魔力が膨大にある様に見受けられる。となればサキュバスら魔族の子孫か。淫魔達の子孫にありがちな、紫色の瞳がどうにも不安を掻き立てて来る。
(ならば、やるしかねえざあ!)
オクタヴィアは本気を出した。彼女の動きが俄然早くなる。アナキンはこの猛攻を何度も剣で弾いたが、手首が段々としびれて痛くなった。
これが本場のエルフの力か。アナキンの頬がオクタヴィアの剣により深々とえぐられた。初めて受ける負傷にアナキンはうろたえてしまった。
それからすぐだ。もういい、という声が彼の脳裏に響いた。
「アナキン! そいつには敵わぬ!」
でも。アナキンは踏みとどまりたかった。目をかけてくれたアドルフ様を守らなければ。そう思いつつオクタヴィアの剣を凌いでいた時、館の門がゆっくりと開いた。
20名近くのアドルフの私兵が、イズヴァルトとオクタヴィアに襲い掛かった。それを見はからっていたかの様に、イナンナ達は印を切っていた。
「みんな! イズヴァルトさんとオクタヴィアさんを助けるズラ!」
しかしあまりにも突然の出来事だったから加減を間違えた。館の武者達の足元に紅い術式陣がいくつも光った。
火球などという生易しいものではなかった。何もかもを焦がす炎柱の魔法だった。エルフ達の本気の魔法を防げる者など、誰一人いなかった。
「こ、こんな魔法の使い手がまだいたのか!」
悲鳴を上げるアナキンに、尚もアドルフが呼びかけた。もういい。館に戻らずどこかへ逃げ込め。口調には苛立ちが籠っていた。
「逃げるかこの場で死ぬか、どちらがいいか言ってみろ!」
普段の穏やかな声とは違った。刺々しい命令口調。だがしかし、あまりにも情が籠り過ぎてもいた。
「スカルファッカーの小僧! 俺を安心させたければ答えがわかっているはずだ! 構うな! 退け!」
アナキンの頭の中で響くその声には、本気で心配していることがはっきりとしていた。しかし叱り飛ばされた思い、アナキンは怯えた子供のごとく駆け去って行った。
危機は去った。恐ろしい相手に出くわしたとオクタヴィアは思った。まさかエルフ狩りの王の剣を使える奴がまだいたとは。しかも、彼女が体験していたそれにくらべて更に練れていた。あんな使い手を葬るのは困難だ。
「イズヴァルトのぼうず……」
オクタヴィアは地面に突っ伏していたイズヴァルトの容態を確かめた。かなり出血して息が荒かった。イナンナとともに治癒魔法を施したが気を失ったまま。
「どうにもならねえずらな?」
「ここは王宮に戻って養生させるズラ。アドルフに会うのはそれからでも遅くはねえ」
彼女達はイズヴァルトを担いで引き上げた。そしてその時、この館でも異変が起こっていたのだ。
□ □ □ □ □
「よく入れたな、お前たち?」
寝台の上でアドルフが目柄を向けていたのは、イーガの正式な武装に身を包んだ魔道騎士の一団だった。
ここを守らせていた護衛は皆、廊下の床に血まみれになって事切れていた。どこから潜り込んできたのやら、だ。
その屍の中には、ヒッポタルトを含む彼が可愛がっていた魔道士達もいた。アドルフは、自分達が張った結界を潜り抜けた事に褒めてやりたいと思うばかりだった。
「大人しく息をひそめていれば、やり過ごせたと思っていたがな」
「……ふん。こんなところにのんびりいれば、儂の『触覚ども』にも嗅ぎつけられるだろうに?」
具足達の後ろから老人の声が。アドルフは目を見開いた。そこには彼の父であるイーガ国王がいた。
いつの間に父はここに来たのだろうか。アドルフがじっと見つめているとイーガ王は懐にさげていたミスリルの剣を引き抜いた。
「愚かな息子、アドルフよ。お前がしでかした悪事、隅から隅まで調べさせてもろうた」
「さて、覚えがございませんな父上。私の悪行とは?」
「……言わんでもわかるだろう。とにかくだ、アドルフ。2つに1つ。選べ」
王は宣告した。情けなく命乞いをしながら父の手にかかるか。あるいはイーガ国王子として潔く自刃するかだ。馬鹿な。アドルフはせせら嗤った。
「何がおかしい。気が狂ったか?」
「いいえ、父上。で、あれば私はこのように望みます」
「何をだね?」
「……生まれ変わってもきっと、父上が大事になされたこのイーガを、守り抜く者となりましょう」
そう告げてアドルフは涼やかに笑った。自刃するつもりなど毛頭無かった。もう身の破滅だ。覚悟はしている。けれども、父が引導を渡してくれるならば本望だ。
「アドルフ。戯れはよせ」
「ははは。私は本気ですよ。このたくらみは全て、イーガの為に思ってやったことです」
これまでの戦いで我が国に負け続けていた『猪武者どもの蛮国』ことホーデンエーネンは、新たな時代を迎えようとしている、こたびのハットーリ河とモモチ高原の戦いでわかったはずだ。
いずれ強大な力を得る事は必定。その上にかの国を安泰にさせる英雄の雛が現れた。聖騎士イズヴァルトだ。
その彼と、我らイーガ王家が忌み嫌ったナントブルグの女王の末裔が出会ってしまった。マイヤ=カツランダルク。もし彼女の素性が王家にわかってしまえば、きっと政治を任される事だろう。
「と、なればホーデンエーネンはますます富栄えるはずです」
「隣国の繁栄は願ったりかなったりではないかね、アドルフ?」
「いえ。あの国は我らと争う宿命にあるのです。イズヴァルトとマイヤ。その両方の死後にもし、我が国を平らげんとする王が現れるとしましょう」
国力を大いに増したホーデンエーネンに、果たして小国のイーガは勝てるのか?
アドルフは100年や200年先を見据えて行動していたのだと言った。吹聴と言った方がいいかもしれない。何故ならマイヤを殺さず、その美貌に溺れてしまったからである。
「馬鹿なことを。考えすぎだ、アドルフ。お前がしでかした過ちのせいで多くの民が危難に遭った。これをどう弁明するつもりだ?」
「その余地はございませんよ、父上。しかしながら、息子の最後の頼み、聞いてくれませぬか?」
言って見ろ。国王は剣を強く握りしめた。老いたとはいえミスリルの剣で、銅の棒切れを叩き切るぐらいの技量を持ち合わせていた。
「アノーヅに、私とマイヤとの間に産まれたロゼという娘が暮らしております」
国王が息を止めた。驚いて何も言えないのと、意志をしっかりと固めたからだ。アドルフは目をほころばせ、最後まで父を信じ切るような瞳を向けた。
「私亡きあとはなにとぞ、父上とマルティンの庇護の元、末永く健やかになる様に育てていただきたい。それだけが……」
言い終わらない内に国王の剣がアドルフの首を刎ねていた。ミスリルの青い刀身に赤い血が伝う。
「せいッ!」
発声とともに身体の力を抜いた国王は、血に濡れた剣を騎士に手渡して拭わせた。清められてた剣を受け取り、鞘に納めた国王は、寝台に転がったアドルフの首を見て、涙した。
「娘を? 不義と凌辱によって産ませた我が子をか、アドルフ?」
国王はアドルフの首を慈しむように抱えた。それから血に濡れたそれを掲げると、力いっぱい床に叩きつけた。
「それだけの情を持ちながら、なにゆえこの様な事をしでかした? 儂は……私は。お前にその様なゆがんだ愛情を抱かせる様に育てた覚えなど、無い……!」
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