79 / 288
第二部 『呪いの序曲。イーガの魔王』 (少年編から青年編の間のエピソード。)
50 イーガの魔王③
しおりを挟む
聡明なマルティン王子にとって誤算だったのは、思いのほかホーデンエーネン軍が果断であった事である。一大決戦の果たし状を手渡したのは相手を熟慮させ、行動を鈍らせる為の罠だった。
セイン王はライナーや他の勇猛な武将の献策を取った。勇猛な部隊をハットーリ大河の上流からいかだなどで渡らせ、二方面からの侵攻を考えていたのだ。
実のところ、ホーデンエーネン王国軍はセイン王の時代が一番冴えていたと言われている。優れた参謀や名指揮官を輩出した時代だったのだ。その上にセイン王は若く、勇猛果敢な武者でもあった。
「上流のやつらが渡り切ったらこっちも取り掛かれ。決戦なんぞ悠長に待っている暇なんてねーや。飢えた狼のごとくコーヅケーニッヒを目指せ、武者ども!」
彼の叱咤のもと、ホーデンエーネン軍はハットーリ河を渡り、付近にあった城市を襲撃した。軍を集結させつつあるが、なるべく穏便にと国王から命じられた守備隊は呆気なかった。
餓狼の軍勢は先へと進んだ。その情報を仕入れたアドルフは苛立って仕方がなかった。なにゆえ大河を渡らせた。父王はなにをのんびりと構えている?
(ハットーリ大河を越えられたら、まともな城塞はコーヅケーニッヒ周辺まで無いのだぞ? 俺なら水際で殲滅してくれてやったのだが、父上め。そんなにまでしてホーデンエーネンと事を荒立てたくないのか?)
魔法騎士団第一軍の敗北も、士気の喪失に影響を与えている。けれども挽回は可能だ。何せ魔道騎士団は第二軍以降が健在だからだ。
本当の主力は第三軍だ。コーヅケーニッヒ近辺を守る王都防衛の軍。アドルフが信頼している武将達もここに籍を置いていた。部下達を介して問い詰める。何をやっているのだお前達は?
彼等の回答はこうだった。ホーデンエーネン軍は予想以上だ。ホーデンエーネンの騎士はイーガに留学しても、魔法の達人ではなく女の尻ばかり追いかける、と、古老たちが語っていたが、まるで話が違っていた。驚くばかりだと。
(呑気になり過ぎたな。平和とはそういうものか。)
しかしここで負けを認めておしまい、という訳にはいかない。そんな事をすれば、イーガ王家が国民の信用を失ってしまう。易々と領土に深く入り込まれたがゆえに、既に世論は騒ぎ始めていた。
そのこともあってアドルフは苛立っていた。その上更に、彼にとって恐ろしい話が舞い込んで来た。息子のマルティンがオットーとマイヤを連れ、和平の使者として出発しつつあるというのだ。
(早まったか、マルティン!)
彼は今、コーヅケーニッヒ郊外にいる。秘密の上洛であるがゆえに父と息子に会う事は難しかった。ならば先に手を打つしかない。魔道騎士団を率いていた将軍達にこう呼びかけた。
「敵の侵攻を防ぐ為に『えくすぷれす』の道をふさいで守るように徹しろ。国王から問われたら王太子による指示だと答えろ。俺が許可したと言い張れ」
息子に王位継承権を譲ったが、アドルフの権力は絶大だった。マルティンは『えくすぷれす』で来るはずだ。まずはそれで時間稼ぎを。
その上でホーデンエーネン軍が進撃しているルートを確認して策を授ける。決戦は南北に長いモモチ高地。コーヅケーニッヒから西に50キロ先の地点にある。
ここはいにしえの時代のコーヅケーニッヒの防衛ラインでもあった。切り立った崖が多く、なかなかに登りづらい。『えくすぷれす』が通る為のトンネルが掘られていた。
軍勢を2つに分け、丘の上に囮の部隊を置き守らせる。ホーデンエーネン軍が勢いづいて攻め上れば、裏側にいた軍が魔法や投石砲による遠距離射撃をしかける。
魔道騎士団の長所は遠距離攻撃にこそあった。敵が白兵戦の範囲に入る前に撃退する。それに剣や槍で戦う連中も決して弱くはなかった。魔法ありの近接戦闘なら、ホーデンエーネン軍に負ける事はまずないはずだ。
(敵が丘から退こうとする時にだ。トンネルの伏兵や背後からの奇襲部隊が囲い込めばやれるはずだ。)
この作戦でホーデンエーネン軍を大敗させる。マルティンが和平に応じるのはその後で良い。大敗北を喫した敵軍が、和平の使者を捕らえて殺すおそれもあったが、そうなればイーガ魔法王国は総力を挙げてホーデンエーネンに攻撃を仕掛けるだろう。
この魔法王国がどれだけの潜在能力を持っているか、アドルフは知っていた。本気を出したら、ホーデンエーネンは大敗を重ね、3年で領土の過半を喪失するに違いない。迷いを捨てた魔道騎士団が、どれほど残虐になれるかに寄るのだが。
□ □ □ □ □
「……いささか、敵側は手薄だと見受けられますが?」
3月25日。軍議の席でライナー=イナトミッテンフェルトは異議を唱えた。物見の報告を聞いてだ。軍議ではとある人物による決戦案の討議が行われていた。
発案者は、急ぎ3000の手勢を引き連れて救援にやって来たナガオカッツェ公当人だ。彼の義理の父であり先代の国王の弟でもあるこの男が、麗しい具足をまとってやって来たのは昨日のことだった。
ナガオカッツェの手勢は、各村で略奪と強姦を繰り返して意気軒昂だった。この大公も村娘に美しいのを探して毎晩寝床に呼んだ。
荒淫でたるんだ顔を輝かせて、大公は「出すぎだ、婿殿」とあざ笑う。セイン王が叔父をしかり飛ばしたが彼はせせら笑った。陛下は年上に対する配慮が乏しいですな。それではいつの日か、王冠を外す羽目に陥りますぞ?
「……言わせておけば! この場で手打ちにしてやる!」
セインは剣を抜いた。彼もこの叔父を酷く嫌っていた。父親が常々悪く言っていたのもあったが、どこをどう見ても『有能な親族衆』とは思えなかったのだ。それに傲岸不遜な人格が気に入らない。
猛る国王は近習や聖騎士らに取り押さえられた。ここで大封の領主を殺してしまえば、他の大貴族達の離反を招くかもしれないからだ。彼が即位してからまだ日が浅い。大領主らの支持を得ての地固めの時だ。
その様な気遣いにセインは無力感を感じた。そうなると頭の回転が鈍くなってしまう。どうすりゃいいのだ俺は。そう思った後に彼は大声を発した。
「俺はライナーの意見がもっともだと思っているぞ! 罠だ罠だ! 一歩引いて返事を待つぞ! こいつは侵略戦争じゃねえんだからな! あくまでイーガへ『詰める』為の進軍だ!」
彼は大領主達に呼びかける。国王の言う事を聞け。しかし彼等は耳を貸さなかった。経験が浅いセインよりも、無能でも長く『領主筆頭』として崇拝された、ナガオカッツェ公の意見に傾いていた。
「ここは、手勢を率いてやって来られたナガオカッツェ様の提案に従うほうが……」
「そうだ。このいくさは確かにイーガへの懲罰だが、相手が命乞いをして来ない限りは続けるべきだ」
「その為にもモモチの丘を取る必要がある。あそこを取られたらコーヅケーニッヒは丸裸同然だからな」
大領主達は連勝に酔っていた。それと、略奪したイーガの町や村の豊かさに戸惑い、略奪した女の肌に溺れていた。イーガはまるで金持ちサキュバスみたいじゃないかね。突けば突くほど分け与えてくれる。
大領主や老いた騎士らがナガオカッツェ公の意見に賛同し始めた。それを若手の武将達が抗議する。軍議は紛糾し始めた。
その発端となったナガオカッツェ公はしたり顔でうなずいていた。軍議よ乱れろ。ライナーをちらと見て自慢気に笑って見せた。この男は王国の歴史始まって以来の名将を、飼い殺しだけでなくその軍才をも封じ込めようと画策していたのだ。
(……なんと愚かな。)
ライナーにはその目論見が手に取る様にわかっていた。いくさではこの傲慢な男の首をあげることができるだろう。戦術は猪突猛進の一点張りのナガオカッツェ公に、駆け引きというものは望めない。
だが政治力ではかなわなかった。為政者としては無能でも権力者だ。腐りかけている貴族社会のトップである。先代の王の弟というネームバリューは絶大だった。
「ご注進!」
軍議の席に斥候からの連絡。丘の近くに陣取っていた先手組が、イーガ側からの嫌がらせ射撃に堪忍袋の緒が切れ、攻撃を開始したという報告があがった。
「ならねえ! 引けと命じろ!」
セイン王が激怒したが先王の弟がさえぎった。今こそ総がかりだ。モモチの丘を取ってコーヅケーニッヒに進撃せよ。
「コーヅケーニッヒにはあまたの財宝や美女が多くいるそうだ! 都を蹂躙して未だ回答を出さぬイーガ王を絶望させてやれ! 皆の衆!」
ナガオカッツェ公のシンパになった者達が鬨の声をあげた。セイン王が顔を真っ赤にして狂った様に吠えるが、彼等はこの若い王に聞く耳をもたなかった。
「では、セイン王陛下。この本陣に留まり、我らの勝利の知らせをお待ちなされよ!」
ナガオカッツェ公が多数の武将達と共に天幕から出ようとする。その出口に1人の男が塞がった。イズヴァルトの父のシギサンシュタウフェン卿であった。
「ナガオカッツェ公ヨーシハルトス様! 今上の国王陛下の制止も聞かず、出撃されるとは何事か!」
シギサンシュタウフェン卿は剣を抜いていた。この男は息子に負けずの猛者である。これはどうしたことだろうか。ヨーシハルトスは余裕の笑みを浮かべながら問いかけた。
「ほう。貴公はなにゆえ、我らの邪魔だてをなさるのかね?」
「セイン王陛下とライナー殿がおっしゃられたことが道理に思えたであるがゆえに! 殿下、これはきっとイーガの罠! 丘を落としてもその先で待ち伏せているはずでございます!」
「ほう? 例えば?」
シギサンシュタウフェン伯は考えを述べた。遠距離から攻撃する魔法や兵器で丘の上に猛攻を加えるつもりだろう。そうなれば多数の死傷者が出る。
「そこへ更に背後から回ってきた奇襲部隊がいたら一大事! しかも敵は魔法王国。もっと狡猾な策を仕掛けるに違いございませぬ!」
「ほう。だからこそ、そうなる前に蹴散らすのだ。魔道騎士団がこの近辺に来ているという話は聞いておらぬ。第一軍を壊滅させられたゆえ、イーガは怯えておる。今を逃さずしてどうすれば良いのか?」
ヨーシアキレウスの前に腕の立つ騎士が剣を抜いて立った。シギサンシュタウフェン伯は身構える。この領主はべらぼうに強い。先祖がホーデンエーネンの覇業に関わったオーガ族で、恐ろしい程腕の立つ剣豪でもあったと有名だ。
シギサンシュタウフェンは動いた。しかし一歩踏み出したところで背中に激痛を覚えた。身体がしびれてそのまま昏倒してしまう。彼の背後には黒装束の小さな男達がいた。
身長は140に満たぬ細身。鼻が大きく目立っていた。耳の先も尖っている。
「ははは。持つものは亜人の護衛だな! ムカリ! ジェベ! チラウン!」
黒装束の男のうち、先頭にいた3人が舌打ちした。俺達の名前を呼ぶんじゃねえよ。3人と引きつれた数名はムーツから来たゴブリン達。ヨーシアキレウスの秘密の護衛だった。
「お前達にも武功をあげさせてやる! 俺についてこい!」
「せいぜい、あんたのお守りに徹しますよ、俺達は」
「ふん。随分と無欲だな! 女の股を舐める事にかけては欲深いくせして、戦いになると臆病者になるのかね!」
ヨーシハルトスと騎士達が大笑いした。彼等はしびれて動けなくなったシギサンシュタウフェンを踏みつけて前線へと向かった。
ゴブリン達もヨーシハルトスに付き従う。ムカリとジェベはライナーの意見に近かった。きっと罠を張っているに違いない。チラウンは「本当に助太刀するのか?」と2人に尋ねた。ジェベが不愉快そうに答えた。
「契約だ。俺達はあくまでヨーシハルトスのだんなを守るだけだ」
「日に10枚の銀貨と気に入った美女の股ぐらをもらえるからか?」
チラウンは去年、ムカリの紹介でヨーシハルトスの護衛となった男だ。暗器の使い手だからとムカリが目に着けた。故郷では香草の栽培などをして暮らしていた。
「このキンキ大陸じゃ高いぐらいの報酬だ。ただの警護であればな」
ジェベもため息をついた。楽して稼げる商売だと聞いてムカリに誘われたが、この戦争は予想外の事だった。
「賊はニンゲンばかりで楽な仕事だと聞いちゃいたが、まさか戦争が起こるとは思ってもみなかったよ」
「ジェベ、この大陸のニンゲンとムーツのオーガ、どっちが強い?」
「断然オーガだ。しかしイズヴァルトとかいう騎士は、クノーへのオーガの戦士と同格らしい。魔竜さまが一目置いているという噂もある」
「でもオーガもニンゲンも、俺らの毒剣であっさりじゃないか?」
それもある。ジェべはうなずいた。ゴブリン族が身体能力で勝るオーガ族に一度も負け知らずだ。オーガもニンゲンも、大抵は彼等が仕込んだ毒武器で命を落とす。
しかしエルフとドワーフには絶対に勝てない。彼等は毒がまるで効かないからだ。強い放射能を放つ鉱石での矢じりで肉をうがっても、大抵は3日程びぢぐそになるだけであとは何もない。ちなみにゴブリンもまた、あらゆる毒が効かない種族である。
ヨーシハルトスが先手衆の陣に入った。かかれ、の号令とともにモモチ高地の攻略が始まる。
その激戦の中で、彼の護衛のゴブリン衆の働きぶりはすさまじかった。数時間後の高地の制圧は、彼等の手で成った様なものだ。
セイン王はライナーや他の勇猛な武将の献策を取った。勇猛な部隊をハットーリ大河の上流からいかだなどで渡らせ、二方面からの侵攻を考えていたのだ。
実のところ、ホーデンエーネン王国軍はセイン王の時代が一番冴えていたと言われている。優れた参謀や名指揮官を輩出した時代だったのだ。その上にセイン王は若く、勇猛果敢な武者でもあった。
「上流のやつらが渡り切ったらこっちも取り掛かれ。決戦なんぞ悠長に待っている暇なんてねーや。飢えた狼のごとくコーヅケーニッヒを目指せ、武者ども!」
彼の叱咤のもと、ホーデンエーネン軍はハットーリ河を渡り、付近にあった城市を襲撃した。軍を集結させつつあるが、なるべく穏便にと国王から命じられた守備隊は呆気なかった。
餓狼の軍勢は先へと進んだ。その情報を仕入れたアドルフは苛立って仕方がなかった。なにゆえ大河を渡らせた。父王はなにをのんびりと構えている?
(ハットーリ大河を越えられたら、まともな城塞はコーヅケーニッヒ周辺まで無いのだぞ? 俺なら水際で殲滅してくれてやったのだが、父上め。そんなにまでしてホーデンエーネンと事を荒立てたくないのか?)
魔法騎士団第一軍の敗北も、士気の喪失に影響を与えている。けれども挽回は可能だ。何せ魔道騎士団は第二軍以降が健在だからだ。
本当の主力は第三軍だ。コーヅケーニッヒ近辺を守る王都防衛の軍。アドルフが信頼している武将達もここに籍を置いていた。部下達を介して問い詰める。何をやっているのだお前達は?
彼等の回答はこうだった。ホーデンエーネン軍は予想以上だ。ホーデンエーネンの騎士はイーガに留学しても、魔法の達人ではなく女の尻ばかり追いかける、と、古老たちが語っていたが、まるで話が違っていた。驚くばかりだと。
(呑気になり過ぎたな。平和とはそういうものか。)
しかしここで負けを認めておしまい、という訳にはいかない。そんな事をすれば、イーガ王家が国民の信用を失ってしまう。易々と領土に深く入り込まれたがゆえに、既に世論は騒ぎ始めていた。
そのこともあってアドルフは苛立っていた。その上更に、彼にとって恐ろしい話が舞い込んで来た。息子のマルティンがオットーとマイヤを連れ、和平の使者として出発しつつあるというのだ。
(早まったか、マルティン!)
彼は今、コーヅケーニッヒ郊外にいる。秘密の上洛であるがゆえに父と息子に会う事は難しかった。ならば先に手を打つしかない。魔道騎士団を率いていた将軍達にこう呼びかけた。
「敵の侵攻を防ぐ為に『えくすぷれす』の道をふさいで守るように徹しろ。国王から問われたら王太子による指示だと答えろ。俺が許可したと言い張れ」
息子に王位継承権を譲ったが、アドルフの権力は絶大だった。マルティンは『えくすぷれす』で来るはずだ。まずはそれで時間稼ぎを。
その上でホーデンエーネン軍が進撃しているルートを確認して策を授ける。決戦は南北に長いモモチ高地。コーヅケーニッヒから西に50キロ先の地点にある。
ここはいにしえの時代のコーヅケーニッヒの防衛ラインでもあった。切り立った崖が多く、なかなかに登りづらい。『えくすぷれす』が通る為のトンネルが掘られていた。
軍勢を2つに分け、丘の上に囮の部隊を置き守らせる。ホーデンエーネン軍が勢いづいて攻め上れば、裏側にいた軍が魔法や投石砲による遠距離射撃をしかける。
魔道騎士団の長所は遠距離攻撃にこそあった。敵が白兵戦の範囲に入る前に撃退する。それに剣や槍で戦う連中も決して弱くはなかった。魔法ありの近接戦闘なら、ホーデンエーネン軍に負ける事はまずないはずだ。
(敵が丘から退こうとする時にだ。トンネルの伏兵や背後からの奇襲部隊が囲い込めばやれるはずだ。)
この作戦でホーデンエーネン軍を大敗させる。マルティンが和平に応じるのはその後で良い。大敗北を喫した敵軍が、和平の使者を捕らえて殺すおそれもあったが、そうなればイーガ魔法王国は総力を挙げてホーデンエーネンに攻撃を仕掛けるだろう。
この魔法王国がどれだけの潜在能力を持っているか、アドルフは知っていた。本気を出したら、ホーデンエーネンは大敗を重ね、3年で領土の過半を喪失するに違いない。迷いを捨てた魔道騎士団が、どれほど残虐になれるかに寄るのだが。
□ □ □ □ □
「……いささか、敵側は手薄だと見受けられますが?」
3月25日。軍議の席でライナー=イナトミッテンフェルトは異議を唱えた。物見の報告を聞いてだ。軍議ではとある人物による決戦案の討議が行われていた。
発案者は、急ぎ3000の手勢を引き連れて救援にやって来たナガオカッツェ公当人だ。彼の義理の父であり先代の国王の弟でもあるこの男が、麗しい具足をまとってやって来たのは昨日のことだった。
ナガオカッツェの手勢は、各村で略奪と強姦を繰り返して意気軒昂だった。この大公も村娘に美しいのを探して毎晩寝床に呼んだ。
荒淫でたるんだ顔を輝かせて、大公は「出すぎだ、婿殿」とあざ笑う。セイン王が叔父をしかり飛ばしたが彼はせせら笑った。陛下は年上に対する配慮が乏しいですな。それではいつの日か、王冠を外す羽目に陥りますぞ?
「……言わせておけば! この場で手打ちにしてやる!」
セインは剣を抜いた。彼もこの叔父を酷く嫌っていた。父親が常々悪く言っていたのもあったが、どこをどう見ても『有能な親族衆』とは思えなかったのだ。それに傲岸不遜な人格が気に入らない。
猛る国王は近習や聖騎士らに取り押さえられた。ここで大封の領主を殺してしまえば、他の大貴族達の離反を招くかもしれないからだ。彼が即位してからまだ日が浅い。大領主らの支持を得ての地固めの時だ。
その様な気遣いにセインは無力感を感じた。そうなると頭の回転が鈍くなってしまう。どうすりゃいいのだ俺は。そう思った後に彼は大声を発した。
「俺はライナーの意見がもっともだと思っているぞ! 罠だ罠だ! 一歩引いて返事を待つぞ! こいつは侵略戦争じゃねえんだからな! あくまでイーガへ『詰める』為の進軍だ!」
彼は大領主達に呼びかける。国王の言う事を聞け。しかし彼等は耳を貸さなかった。経験が浅いセインよりも、無能でも長く『領主筆頭』として崇拝された、ナガオカッツェ公の意見に傾いていた。
「ここは、手勢を率いてやって来られたナガオカッツェ様の提案に従うほうが……」
「そうだ。このいくさは確かにイーガへの懲罰だが、相手が命乞いをして来ない限りは続けるべきだ」
「その為にもモモチの丘を取る必要がある。あそこを取られたらコーヅケーニッヒは丸裸同然だからな」
大領主達は連勝に酔っていた。それと、略奪したイーガの町や村の豊かさに戸惑い、略奪した女の肌に溺れていた。イーガはまるで金持ちサキュバスみたいじゃないかね。突けば突くほど分け与えてくれる。
大領主や老いた騎士らがナガオカッツェ公の意見に賛同し始めた。それを若手の武将達が抗議する。軍議は紛糾し始めた。
その発端となったナガオカッツェ公はしたり顔でうなずいていた。軍議よ乱れろ。ライナーをちらと見て自慢気に笑って見せた。この男は王国の歴史始まって以来の名将を、飼い殺しだけでなくその軍才をも封じ込めようと画策していたのだ。
(……なんと愚かな。)
ライナーにはその目論見が手に取る様にわかっていた。いくさではこの傲慢な男の首をあげることができるだろう。戦術は猪突猛進の一点張りのナガオカッツェ公に、駆け引きというものは望めない。
だが政治力ではかなわなかった。為政者としては無能でも権力者だ。腐りかけている貴族社会のトップである。先代の王の弟というネームバリューは絶大だった。
「ご注進!」
軍議の席に斥候からの連絡。丘の近くに陣取っていた先手組が、イーガ側からの嫌がらせ射撃に堪忍袋の緒が切れ、攻撃を開始したという報告があがった。
「ならねえ! 引けと命じろ!」
セイン王が激怒したが先王の弟がさえぎった。今こそ総がかりだ。モモチの丘を取ってコーヅケーニッヒに進撃せよ。
「コーヅケーニッヒにはあまたの財宝や美女が多くいるそうだ! 都を蹂躙して未だ回答を出さぬイーガ王を絶望させてやれ! 皆の衆!」
ナガオカッツェ公のシンパになった者達が鬨の声をあげた。セイン王が顔を真っ赤にして狂った様に吠えるが、彼等はこの若い王に聞く耳をもたなかった。
「では、セイン王陛下。この本陣に留まり、我らの勝利の知らせをお待ちなされよ!」
ナガオカッツェ公が多数の武将達と共に天幕から出ようとする。その出口に1人の男が塞がった。イズヴァルトの父のシギサンシュタウフェン卿であった。
「ナガオカッツェ公ヨーシハルトス様! 今上の国王陛下の制止も聞かず、出撃されるとは何事か!」
シギサンシュタウフェン卿は剣を抜いていた。この男は息子に負けずの猛者である。これはどうしたことだろうか。ヨーシハルトスは余裕の笑みを浮かべながら問いかけた。
「ほう。貴公はなにゆえ、我らの邪魔だてをなさるのかね?」
「セイン王陛下とライナー殿がおっしゃられたことが道理に思えたであるがゆえに! 殿下、これはきっとイーガの罠! 丘を落としてもその先で待ち伏せているはずでございます!」
「ほう? 例えば?」
シギサンシュタウフェン伯は考えを述べた。遠距離から攻撃する魔法や兵器で丘の上に猛攻を加えるつもりだろう。そうなれば多数の死傷者が出る。
「そこへ更に背後から回ってきた奇襲部隊がいたら一大事! しかも敵は魔法王国。もっと狡猾な策を仕掛けるに違いございませぬ!」
「ほう。だからこそ、そうなる前に蹴散らすのだ。魔道騎士団がこの近辺に来ているという話は聞いておらぬ。第一軍を壊滅させられたゆえ、イーガは怯えておる。今を逃さずしてどうすれば良いのか?」
ヨーシアキレウスの前に腕の立つ騎士が剣を抜いて立った。シギサンシュタウフェン伯は身構える。この領主はべらぼうに強い。先祖がホーデンエーネンの覇業に関わったオーガ族で、恐ろしい程腕の立つ剣豪でもあったと有名だ。
シギサンシュタウフェンは動いた。しかし一歩踏み出したところで背中に激痛を覚えた。身体がしびれてそのまま昏倒してしまう。彼の背後には黒装束の小さな男達がいた。
身長は140に満たぬ細身。鼻が大きく目立っていた。耳の先も尖っている。
「ははは。持つものは亜人の護衛だな! ムカリ! ジェベ! チラウン!」
黒装束の男のうち、先頭にいた3人が舌打ちした。俺達の名前を呼ぶんじゃねえよ。3人と引きつれた数名はムーツから来たゴブリン達。ヨーシアキレウスの秘密の護衛だった。
「お前達にも武功をあげさせてやる! 俺についてこい!」
「せいぜい、あんたのお守りに徹しますよ、俺達は」
「ふん。随分と無欲だな! 女の股を舐める事にかけては欲深いくせして、戦いになると臆病者になるのかね!」
ヨーシハルトスと騎士達が大笑いした。彼等はしびれて動けなくなったシギサンシュタウフェンを踏みつけて前線へと向かった。
ゴブリン達もヨーシハルトスに付き従う。ムカリとジェベはライナーの意見に近かった。きっと罠を張っているに違いない。チラウンは「本当に助太刀するのか?」と2人に尋ねた。ジェベが不愉快そうに答えた。
「契約だ。俺達はあくまでヨーシハルトスのだんなを守るだけだ」
「日に10枚の銀貨と気に入った美女の股ぐらをもらえるからか?」
チラウンは去年、ムカリの紹介でヨーシハルトスの護衛となった男だ。暗器の使い手だからとムカリが目に着けた。故郷では香草の栽培などをして暮らしていた。
「このキンキ大陸じゃ高いぐらいの報酬だ。ただの警護であればな」
ジェベもため息をついた。楽して稼げる商売だと聞いてムカリに誘われたが、この戦争は予想外の事だった。
「賊はニンゲンばかりで楽な仕事だと聞いちゃいたが、まさか戦争が起こるとは思ってもみなかったよ」
「ジェベ、この大陸のニンゲンとムーツのオーガ、どっちが強い?」
「断然オーガだ。しかしイズヴァルトとかいう騎士は、クノーへのオーガの戦士と同格らしい。魔竜さまが一目置いているという噂もある」
「でもオーガもニンゲンも、俺らの毒剣であっさりじゃないか?」
それもある。ジェべはうなずいた。ゴブリン族が身体能力で勝るオーガ族に一度も負け知らずだ。オーガもニンゲンも、大抵は彼等が仕込んだ毒武器で命を落とす。
しかしエルフとドワーフには絶対に勝てない。彼等は毒がまるで効かないからだ。強い放射能を放つ鉱石での矢じりで肉をうがっても、大抵は3日程びぢぐそになるだけであとは何もない。ちなみにゴブリンもまた、あらゆる毒が効かない種族である。
ヨーシハルトスが先手衆の陣に入った。かかれ、の号令とともにモモチ高地の攻略が始まる。
その激戦の中で、彼の護衛のゴブリン衆の働きぶりはすさまじかった。数時間後の高地の制圧は、彼等の手で成った様なものだ。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説


サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる