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第二部 『呪いの序曲。イーガの魔王』 (少年編から青年編の間のエピソード。)
47 ホーデンエーネン軍、進撃。
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2日後。イズヴァルトは出発の前にエルフの里の郊外にある墓地に向かった。自分を気遣ってくれたイーガの兵士達の墓に参る為にだ。
イズヴァルトとともにエルフの里に向かった兵士達は、もうこの世にいなかった。女エルフ達との地獄の修練の様な情交の毎日に力尽き、息絶えたのだ。
彼等の石墓に花束を捧げ、蒸留酒をかけてやった後に出発する。今回はイナンナとオクタヴィアとミノタウロスのシャウジャー。それにマルカスとクリスタも加わる。
話を聞いたマルカスは「それなら船に乗らなきゃならねえな」と快く返してくれた。彼は義侠に厚い。そしてクリスタもである。彼女はカイロネイア=エルフの中で最強と謡われる女だ。心強い。
一旦ヒラッカの港町まで入り、それからイーズィを経由して同志達を加え、一気にホーデンエーネンへ北上。おおよそ20日近くの航海だ。
「……行って来るでござる」
イズヴァルトは側にいたイナンナに付き添われて墓場の入り口へ向かった。それから船に乗り一路ヒラッカの港町へ旅に出た。
目指すはホーデンエーネンとイーガの戦争の阻止。それにもまして大事なのは、マイヤときっと元気に育っているであろう、我が子の顔を見る事であった。
□ □ □ □ □
ホーデンエーネン王国暦で言えば、348年3月の1日。コーヅケーニッヒにある王国宮の王の執務室にて。
イーガの老王は間諜からの知らせを聞き、ため息をついた。このスパイは特別に王が選定した頼れる人物だ。
「その話は本当か?」
長いひげを蓄えた、物語の魔道士然とした老王が尋ねた。然り、と片膝をついてた男はうなずく。
「残念な事でございますが……」
調べていたのは他でもない。アノーヅで療養中の王太子アドルフについてだ。特別な諜報網を用いて調べさせた。イズヴァルトの失踪とマイヤと思しき人物が、孫のマルティンの妾になった事は、常々気にかけていたのだ。
「そうか。余は甘やかしすぎてしまったな。アドルフを」
遅くに生まれた嫡子だから大事に育てた。わがままいっぱいなところがあったが、病弱ゆえに仕方が無いことだと諦めてもいた。
王位継承権をマルティンに譲ると申し出た来た時には、きびしく責めた。アドルフは我が息子に対して大きな期待を寄せている。健康がよろしくないのはわかるが、お前自身も何かができるのではないのか。そう言ってやったこともあった。
けれど、アドルフはついには我を通した。それでもいい。マルティンに帝王学を学ばせる為に、月の半分はコーヅケーニッヒに寄越している。
そのマルティンから最初の妾をめとった事と、自分の子供が出来たことを告げられて嬉しかった。12の歳で子を為せればイーガは安泰だ。マルティンには子供を作る力がある。
そのマルティンの2歳年上の妾。両腕と両脚を失い、天涯孤独の目にあっていたローザにも会った。過酷な運命に翻弄された愛らしい美少女だ。
しかしである。誰かに似ていた。そう、隣国で『おしゃぶり姫』として名が知れ渡っていた、マイヤ=カモセンブルグにだ。けれども彼女は違うと言い張った。
「あのローザの遺伝子検査の結果はどう扱うか。それが思案のしどころじゃな?」
「はい。既に調べて終えております。ほぼ確実に……」
マイヤ=カモセンブルグ本人だ。医療機関に保管されていた彼女の血や皮膚が教えてくれた。その頃にマイヤは妊娠していたから、様々な検査の為に置かれていたのだ。
「如何なされます?」
ホーデンエーネンが国境、シガラーキ付近に軍隊を展開していた。それを刺激せぬように国王はその方面の防備を務める、魔道騎士団の第一軍団を後ろに下がらせた。
何かが起こればいつでもシガラーキから住民を避難させるようにも手筈を整えていた。しかしシガラーキでは既に、住民同士の衝突が日常的に起きている。死傷者もかなり出ていた。
「もしもの為に、シガラーキに一軍団を派遣してみては?」
間諜が尋ねた。老王は目を伏せて背中を見せた。窓に映るコーヅケーニッヒの街を見つめながらこう言った。
「もう少しだけ、待って欲しい」
せめて1か月は。ホーデンエーネン軍に放ったスパイによると、王国軍はまた内部でもめ始めたらしい。国王セインはすぐにでも攻めかかりたいが、それを大領主達が必死に止めているというのだ。
もし戦争になった場合の時はちゃんと考えている。まずはホーデンエーネンに攻めさせる。シガラーキは捨てる。火の海に包まれるだろうが、その先で待ち構えるのだ。最初の肉壁は、魔道騎士団の第一軍だ。
魔道騎士団の第一軍が食い止めている間、第二軍と第三軍、王国防衛兵団が戦いに加わる。既に指令は下してある。ホーデンエーネンが2万ほどでこちらは4万。
とはいえ第一軍は1万弱だ。ホーデンエーネンは緒戦で勝つだろう。しかしコーヅケーニッヒまではだいぶ遠い。それまでに集結させて打ち破る。イーガはこの戦い方で何度もホーデンエーネンを打ち破って来た。
けれども、多くの国民たちが命を失うだろう。恐ろしい事だ。けれども大勝利の為に多少の犠牲を払う事は、どこの国も戦争でやっている事である。
「例えば、余とアドルフの首でこの戦争が止まるなら、余は甘んじてそう致そう。しかしだ」
自分の命が可愛い。ましてや子のはもっと可愛いものだ。この王は名君であっても果断な王者には成りえなかった。長い平和が王者達を腰抜けにさせた。ホーデンエーネンのセイン王なら、きっと自分の首を差し出すに違いないだろう。
「では、しばらく殿下を?」
「そうではある。しかし落とし前はきっちりとつける。儂の手でな」
国王は嘆き涙を流した。そしてあの不肖の息子を狂わせたのは、一子を儲けただけで去って行ってしまった、あの娘であるかもしれないとも思った。
(エレクトラが、ガモーコヴィッツのじゃじゃ馬さえ、大人しくイーガにいてくれたら……。)
こんな事にはならなかっただろう。嘆いていても仕方が無いことだが。
□ □ □ □ □
イーガ王にとって痛恨だったのは、若きホーデンエーネン王・セインが果断に過ぎたなのかもしれない。
ホーデンエーネン暦348年の3月2日の未明。セイン王は3000の手勢と聖騎士団の一部を引き連れてイーガ領に侵攻した。しかし彼はシガラーキを攻めず、その北にある間道を用いた。
国王は自ら陣頭に立っていくつもの砦を襲撃した。その知らせを受けた本隊は負けじと、シガラーキを攻め始めた。
突然の戦闘にイーガ側は大混乱。ある程度の住民達を避難させたが逃げ遅れた人々もいた。
手勢を率いていたホーデンエーネンの田舎貴族らは、シガラーキのイーガ人の区画の繁栄ぶりに己を失ってしまった。ナントブルグに匹敵する繁栄ぶりだ。金品を強奪し女達を犯した。阿鼻叫喚が各所で起こった。
イーガ人の兵士や住民の多くが首を刎ねられ、若い娘達は皆、獣欲の犠牲となった。子供にも容赦しない。赤子は兵士達に組み伏せられる母親の前で串刺しにされ、子供らは女児は輪姦、男児は肛門に凌辱の痕を残して息絶えるか、置き去りにされた。
生き残った者達は皆、ホーデンエーネン人達の怨嗟の罵声を浴びせられながらリンチを受けた。
「イズヴァルトの仇だ!」
「『おしゃぶり姫』を返しやがれ、この魔道士野郎!」
『えくすぷれす』の駅にも被害が及んだ。惨殺された駅員達の死体が転がる構内の各所に、暴徒と化したホーデンエーネン兵が火をつけてまわった。
豊かな文化を持つイーガの玄関口は、半日で無残な姿を晒す事になった。止めたのはナガオカッツェ領からやっと到着した聖騎士団の副団長、ライナー=イナトミッテンフェルトだった。
「……ひどい有様だ」
ライナーはくやしくてならなかった。自分がもう少し早くに参陣していれば、この様な乱暴狼藉を許さなかっただろうに。付き添っていたルートヴィッヒ=ベートーベンと彼に護衛されていたルッソも同じ思いだった。
「ひでえことをしやがる……」
「なんだってイズヴァルトさんとマイヤの無事を確かめるだけの進軍に、こんなことを?」
自分にも責任があるかもしれない。そうと思いつつルッソはライナーに尋ねた。
「我が国が貧しいからだ。人々も心も……」
衣食住足らねば礼節を知らず。礼節とは相手を思いやる心である。この戦場に駆り出された田舎貴族や兵士達の多くは、あばら家同然の家で生活を余儀なくされている。
ここまで貧しいのは、魔竜戦役の後の内乱が長引いたせいでもある。あるいは技術の進歩を軍事ばかりに振り向け過ぎて、地に足立った事には使わなかったのもあるだろう。
「ライナーさん。イズヴァルトの親父さんも参加していると聞いてますが、どこにいるんですかね?」
「シギサンシュタウフェン卿はきっと、陛下の近衛だろう。あの人は息子に負けぬ猛者だからな」
ライナーは推測で言ったが当たっていた。イズヴァルトの父は国王が率いた部隊の中で一番多く活躍した。この時から妻から魔法を教わっていたから、魔法戦士としても戦えたのだ。
蹂躙を楽しみ尽くした武将達が、ライナーの呼びかけの元に集まった。全ての金品を返せ、とライナーしかり飛ばし、持論を展開したが彼等は従わなかった。
むしろ、ナガオカッツェ公の目に留まり、公の若くてかわいい2人の娘を得たライナーをやっかんだ。
ライナーは姻族衆だが、ホーデンエーネン王家に連なっていた。その権力は絶大なはずなのだが、貴族達は皆、彼に従わなかった。
「これからの戦い、陛下が戻って来るまで各々の判断で勧めていくつもりだ!」
「討議をしよう! 陛下に良いところを見せたいものだ。進撃をするか否かだ!」
「進撃に決まっているではないか! 前進あるのみ!」
「そうだ! 前進だ! イズヴァルトの仇をとれ! マイヤちゃんを取り戻せ!」
「おうよ!」
ライナーは興奮する彼等を止められなかった。そもそもこの戦争に参加した大領主達が国王の後に続けと声高に叫んだからである。
大領主達は皆、捕らえたイーガ女でも上等なのを、己の天幕で弄んでいる最中だった。酒をあおり、配下らに取り押さえさせた女を引っぱたきながら犯す。
白い裸身が悲鳴をあげ、赦しを乞うがホーデンエーネンの大領主らはやめない。征した土地の一番の美女を存分に嬲り、子を孕ませ産まれたものに乳房を与えさせ、心の底まで屈服させてやるつもりだ。
勝利の喜びは美酒と美女の腹の上で確かめる。それがホーデンエーネンの流儀。数百年の長きにわたる騎士や戦士達の勝ち鬨の儀式でもある。
「……好きにしたらよろしかろう!」
ライナーは匙を投げた。行きたい奴は行け。しかしイーガは毒蛇のごとく一網打尽にする罠を張っている事だろう。武勇ばかりで単細胞なホーデンエーネン軍が、イーガ軍に勝った戦争など、これまで1度だけしか無かった。
彼はもう、撤退に関しての計画を立てていた。略奪に加わらなかった馴染みの聖騎士団や近衛騎士団のまともな連中に呼びかけ、兵站と撤退路の討議にとりかかった。
その会議から出されたルッソとベートーベンは、シガラーキの近くにある丘の上から市内の様子をうかがう事にした。
夜になっても燃え続けるイーガ人区画。これが戦争なのだとルッソは思った。いつかは牧童の村も、あの様な業火に包まれる日が来るのだろうか?
「ベートーベンさん。俺は初めて、この世の地獄というのを見たよ」
街中で泣き叫ぶ女の子の声と、転がっている死体が頭に焼き付いて離れてくれない。今夜はあまり深くは眠れなさそうだ。
「俺もだ。ここまでひどいいくさは初めてだぜ。こんな戦いは見たくもなかった。尚武の国、騎士の国が聞いてあきれるぜ……」
何度も参加した内乱の鎮圧はここまで酷くはなかった。必ずあの親友が穏便に納めようと、敵の注目を浴びて一騎打ちを仕掛けた。たいていは野戦だけで終わった。
(イズヴァルト。お前がいるのといないのとじゃ、こんなにも違うんだな。戦争ってのは……。)
悔しいが、それだけは認めるしかない。イズヴァルトというスーパースターがいなければ、戦争はこうもおぞましいものに変わり果てるとは、思ってもみなかった。
イズヴァルトとともにエルフの里に向かった兵士達は、もうこの世にいなかった。女エルフ達との地獄の修練の様な情交の毎日に力尽き、息絶えたのだ。
彼等の石墓に花束を捧げ、蒸留酒をかけてやった後に出発する。今回はイナンナとオクタヴィアとミノタウロスのシャウジャー。それにマルカスとクリスタも加わる。
話を聞いたマルカスは「それなら船に乗らなきゃならねえな」と快く返してくれた。彼は義侠に厚い。そしてクリスタもである。彼女はカイロネイア=エルフの中で最強と謡われる女だ。心強い。
一旦ヒラッカの港町まで入り、それからイーズィを経由して同志達を加え、一気にホーデンエーネンへ北上。おおよそ20日近くの航海だ。
「……行って来るでござる」
イズヴァルトは側にいたイナンナに付き添われて墓場の入り口へ向かった。それから船に乗り一路ヒラッカの港町へ旅に出た。
目指すはホーデンエーネンとイーガの戦争の阻止。それにもまして大事なのは、マイヤときっと元気に育っているであろう、我が子の顔を見る事であった。
□ □ □ □ □
ホーデンエーネン王国暦で言えば、348年3月の1日。コーヅケーニッヒにある王国宮の王の執務室にて。
イーガの老王は間諜からの知らせを聞き、ため息をついた。このスパイは特別に王が選定した頼れる人物だ。
「その話は本当か?」
長いひげを蓄えた、物語の魔道士然とした老王が尋ねた。然り、と片膝をついてた男はうなずく。
「残念な事でございますが……」
調べていたのは他でもない。アノーヅで療養中の王太子アドルフについてだ。特別な諜報網を用いて調べさせた。イズヴァルトの失踪とマイヤと思しき人物が、孫のマルティンの妾になった事は、常々気にかけていたのだ。
「そうか。余は甘やかしすぎてしまったな。アドルフを」
遅くに生まれた嫡子だから大事に育てた。わがままいっぱいなところがあったが、病弱ゆえに仕方が無いことだと諦めてもいた。
王位継承権をマルティンに譲ると申し出た来た時には、きびしく責めた。アドルフは我が息子に対して大きな期待を寄せている。健康がよろしくないのはわかるが、お前自身も何かができるのではないのか。そう言ってやったこともあった。
けれど、アドルフはついには我を通した。それでもいい。マルティンに帝王学を学ばせる為に、月の半分はコーヅケーニッヒに寄越している。
そのマルティンから最初の妾をめとった事と、自分の子供が出来たことを告げられて嬉しかった。12の歳で子を為せればイーガは安泰だ。マルティンには子供を作る力がある。
そのマルティンの2歳年上の妾。両腕と両脚を失い、天涯孤独の目にあっていたローザにも会った。過酷な運命に翻弄された愛らしい美少女だ。
しかしである。誰かに似ていた。そう、隣国で『おしゃぶり姫』として名が知れ渡っていた、マイヤ=カモセンブルグにだ。けれども彼女は違うと言い張った。
「あのローザの遺伝子検査の結果はどう扱うか。それが思案のしどころじゃな?」
「はい。既に調べて終えております。ほぼ確実に……」
マイヤ=カモセンブルグ本人だ。医療機関に保管されていた彼女の血や皮膚が教えてくれた。その頃にマイヤは妊娠していたから、様々な検査の為に置かれていたのだ。
「如何なされます?」
ホーデンエーネンが国境、シガラーキ付近に軍隊を展開していた。それを刺激せぬように国王はその方面の防備を務める、魔道騎士団の第一軍団を後ろに下がらせた。
何かが起こればいつでもシガラーキから住民を避難させるようにも手筈を整えていた。しかしシガラーキでは既に、住民同士の衝突が日常的に起きている。死傷者もかなり出ていた。
「もしもの為に、シガラーキに一軍団を派遣してみては?」
間諜が尋ねた。老王は目を伏せて背中を見せた。窓に映るコーヅケーニッヒの街を見つめながらこう言った。
「もう少しだけ、待って欲しい」
せめて1か月は。ホーデンエーネン軍に放ったスパイによると、王国軍はまた内部でもめ始めたらしい。国王セインはすぐにでも攻めかかりたいが、それを大領主達が必死に止めているというのだ。
もし戦争になった場合の時はちゃんと考えている。まずはホーデンエーネンに攻めさせる。シガラーキは捨てる。火の海に包まれるだろうが、その先で待ち構えるのだ。最初の肉壁は、魔道騎士団の第一軍だ。
魔道騎士団の第一軍が食い止めている間、第二軍と第三軍、王国防衛兵団が戦いに加わる。既に指令は下してある。ホーデンエーネンが2万ほどでこちらは4万。
とはいえ第一軍は1万弱だ。ホーデンエーネンは緒戦で勝つだろう。しかしコーヅケーニッヒまではだいぶ遠い。それまでに集結させて打ち破る。イーガはこの戦い方で何度もホーデンエーネンを打ち破って来た。
けれども、多くの国民たちが命を失うだろう。恐ろしい事だ。けれども大勝利の為に多少の犠牲を払う事は、どこの国も戦争でやっている事である。
「例えば、余とアドルフの首でこの戦争が止まるなら、余は甘んじてそう致そう。しかしだ」
自分の命が可愛い。ましてや子のはもっと可愛いものだ。この王は名君であっても果断な王者には成りえなかった。長い平和が王者達を腰抜けにさせた。ホーデンエーネンのセイン王なら、きっと自分の首を差し出すに違いないだろう。
「では、しばらく殿下を?」
「そうではある。しかし落とし前はきっちりとつける。儂の手でな」
国王は嘆き涙を流した。そしてあの不肖の息子を狂わせたのは、一子を儲けただけで去って行ってしまった、あの娘であるかもしれないとも思った。
(エレクトラが、ガモーコヴィッツのじゃじゃ馬さえ、大人しくイーガにいてくれたら……。)
こんな事にはならなかっただろう。嘆いていても仕方が無いことだが。
□ □ □ □ □
イーガ王にとって痛恨だったのは、若きホーデンエーネン王・セインが果断に過ぎたなのかもしれない。
ホーデンエーネン暦348年の3月2日の未明。セイン王は3000の手勢と聖騎士団の一部を引き連れてイーガ領に侵攻した。しかし彼はシガラーキを攻めず、その北にある間道を用いた。
国王は自ら陣頭に立っていくつもの砦を襲撃した。その知らせを受けた本隊は負けじと、シガラーキを攻め始めた。
突然の戦闘にイーガ側は大混乱。ある程度の住民達を避難させたが逃げ遅れた人々もいた。
手勢を率いていたホーデンエーネンの田舎貴族らは、シガラーキのイーガ人の区画の繁栄ぶりに己を失ってしまった。ナントブルグに匹敵する繁栄ぶりだ。金品を強奪し女達を犯した。阿鼻叫喚が各所で起こった。
イーガ人の兵士や住民の多くが首を刎ねられ、若い娘達は皆、獣欲の犠牲となった。子供にも容赦しない。赤子は兵士達に組み伏せられる母親の前で串刺しにされ、子供らは女児は輪姦、男児は肛門に凌辱の痕を残して息絶えるか、置き去りにされた。
生き残った者達は皆、ホーデンエーネン人達の怨嗟の罵声を浴びせられながらリンチを受けた。
「イズヴァルトの仇だ!」
「『おしゃぶり姫』を返しやがれ、この魔道士野郎!」
『えくすぷれす』の駅にも被害が及んだ。惨殺された駅員達の死体が転がる構内の各所に、暴徒と化したホーデンエーネン兵が火をつけてまわった。
豊かな文化を持つイーガの玄関口は、半日で無残な姿を晒す事になった。止めたのはナガオカッツェ領からやっと到着した聖騎士団の副団長、ライナー=イナトミッテンフェルトだった。
「……ひどい有様だ」
ライナーはくやしくてならなかった。自分がもう少し早くに参陣していれば、この様な乱暴狼藉を許さなかっただろうに。付き添っていたルートヴィッヒ=ベートーベンと彼に護衛されていたルッソも同じ思いだった。
「ひでえことをしやがる……」
「なんだってイズヴァルトさんとマイヤの無事を確かめるだけの進軍に、こんなことを?」
自分にも責任があるかもしれない。そうと思いつつルッソはライナーに尋ねた。
「我が国が貧しいからだ。人々も心も……」
衣食住足らねば礼節を知らず。礼節とは相手を思いやる心である。この戦場に駆り出された田舎貴族や兵士達の多くは、あばら家同然の家で生活を余儀なくされている。
ここまで貧しいのは、魔竜戦役の後の内乱が長引いたせいでもある。あるいは技術の進歩を軍事ばかりに振り向け過ぎて、地に足立った事には使わなかったのもあるだろう。
「ライナーさん。イズヴァルトの親父さんも参加していると聞いてますが、どこにいるんですかね?」
「シギサンシュタウフェン卿はきっと、陛下の近衛だろう。あの人は息子に負けぬ猛者だからな」
ライナーは推測で言ったが当たっていた。イズヴァルトの父は国王が率いた部隊の中で一番多く活躍した。この時から妻から魔法を教わっていたから、魔法戦士としても戦えたのだ。
蹂躙を楽しみ尽くした武将達が、ライナーの呼びかけの元に集まった。全ての金品を返せ、とライナーしかり飛ばし、持論を展開したが彼等は従わなかった。
むしろ、ナガオカッツェ公の目に留まり、公の若くてかわいい2人の娘を得たライナーをやっかんだ。
ライナーは姻族衆だが、ホーデンエーネン王家に連なっていた。その権力は絶大なはずなのだが、貴族達は皆、彼に従わなかった。
「これからの戦い、陛下が戻って来るまで各々の判断で勧めていくつもりだ!」
「討議をしよう! 陛下に良いところを見せたいものだ。進撃をするか否かだ!」
「進撃に決まっているではないか! 前進あるのみ!」
「そうだ! 前進だ! イズヴァルトの仇をとれ! マイヤちゃんを取り戻せ!」
「おうよ!」
ライナーは興奮する彼等を止められなかった。そもそもこの戦争に参加した大領主達が国王の後に続けと声高に叫んだからである。
大領主達は皆、捕らえたイーガ女でも上等なのを、己の天幕で弄んでいる最中だった。酒をあおり、配下らに取り押さえさせた女を引っぱたきながら犯す。
白い裸身が悲鳴をあげ、赦しを乞うがホーデンエーネンの大領主らはやめない。征した土地の一番の美女を存分に嬲り、子を孕ませ産まれたものに乳房を与えさせ、心の底まで屈服させてやるつもりだ。
勝利の喜びは美酒と美女の腹の上で確かめる。それがホーデンエーネンの流儀。数百年の長きにわたる騎士や戦士達の勝ち鬨の儀式でもある。
「……好きにしたらよろしかろう!」
ライナーは匙を投げた。行きたい奴は行け。しかしイーガは毒蛇のごとく一網打尽にする罠を張っている事だろう。武勇ばかりで単細胞なホーデンエーネン軍が、イーガ軍に勝った戦争など、これまで1度だけしか無かった。
彼はもう、撤退に関しての計画を立てていた。略奪に加わらなかった馴染みの聖騎士団や近衛騎士団のまともな連中に呼びかけ、兵站と撤退路の討議にとりかかった。
その会議から出されたルッソとベートーベンは、シガラーキの近くにある丘の上から市内の様子をうかがう事にした。
夜になっても燃え続けるイーガ人区画。これが戦争なのだとルッソは思った。いつかは牧童の村も、あの様な業火に包まれる日が来るのだろうか?
「ベートーベンさん。俺は初めて、この世の地獄というのを見たよ」
街中で泣き叫ぶ女の子の声と、転がっている死体が頭に焼き付いて離れてくれない。今夜はあまり深くは眠れなさそうだ。
「俺もだ。ここまでひどいいくさは初めてだぜ。こんな戦いは見たくもなかった。尚武の国、騎士の国が聞いてあきれるぜ……」
何度も参加した内乱の鎮圧はここまで酷くはなかった。必ずあの親友が穏便に納めようと、敵の注目を浴びて一騎打ちを仕掛けた。たいていは野戦だけで終わった。
(イズヴァルト。お前がいるのといないのとじゃ、こんなにも違うんだな。戦争ってのは……。)
悔しいが、それだけは認めるしかない。イズヴァルトというスーパースターがいなければ、戦争はこうもおぞましいものに変わり果てるとは、思ってもみなかった。
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