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第二部 『呪いの序曲。イーガの魔王』 (少年編から青年編の間のエピソード。)
38 碩学姫の受難⑩
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「えい!」
アドルフの目の前でピルリアが掛け声を放つ。彼女が拳士用のグローブをつけた右拳を向けた先は、台に乗せられた鉄板だ。
貴族の胸甲向けに作られた鋼の板。厚さは5ミリに及ぶ。それが安々と突き破られていた。
「お見事!」
アドルフは思わず立ち上がり拍手した。ピルリアは尚も鍛錬の成果を見せてくれる。今度は分厚い氷の塊を、手刀で叩き割るという。
真四角に作った氷が目の前に出された。ピルリアがパルパティアに頼み、思い切り冷やして固くしてもらったものだ。
「ふう……」
ピルリアの手刀は電光石火。振り下ろされると同時にアドルフは彼女に自分の首ではなく、胴体を切り裂かれるのを想像する。
彼女の手刀の威力は尋常ではなかった。砕けたのではない。真っ二つになっていたのだ。
ピルリアの武道の師は、シマナミスタンの南部・ナハリジャーヤ島出身の男のエルフ。コーヅケーニッヒで道場を開いている。
(さすがだな。ナハリジャーヤ=エルフの拳法は。)
1年で彼女にここまで仕込むのは相当なものだが、それでも島の女達にはかなわないらしい。
「ははは。素晴らしい! 私は胸の高まりが収まらないよ!」
アドルフはピルリアをべた褒めした。お世辞ではない。常人には届かない破壊の力が、健康な肢体とはちきれんばかりで動くと常にぷるぷると揺れるおっぱいにあるのに感激していたのだ。
強くもあれば美貌も申し分なし。アナキンは良い女房を持った。諤々と震えているオットーの左横で、見慣れていると言わんばかりに平然とした態度のアナキンに目を向ける。
今夜、彼に見せてやらなくてはならない。イーガの永住。スカルファッカー家に劣らぬ富を約束する条件を彼に課す。その為の条件を伝えるのだ。
□ □ □ □ □
サキュバスのノンの仲間がコーヅケーニッヒに潜伏しているのは先日、配下の魔道士達より知らされていた。
今度は4人該当するという。3ヶ月程前にホーデンエーネンからやって来て、コーヅケーニッヒの色街で活動していたそうだ。
策は立てている。その4人を北の屋敷に誘い出す。マイヤとノンの魔力について解析もし、館に囮魔法を仕込ませていた。
アドルフはアナキンのみを同行させた。彼にはこう教える。イーガには常日頃、各国のスパイが暗躍している。
「彼等はサキュバスを使役するのだ。あの女魔族たちは極上の精液を放つ男がいれば喜んで飛びつく」
「そうなのですか?」
「ああ。サキュバス達は密偵だけでなく、内乱の手引きや出奔、時には暗殺も手掛ける」
そしてこれから向かう館はさる商人の別宅。そこにはイーガの工房が開発している新製品の計画書の写しが保管されている。
「それを持ち出すつもりだ。イーガはいつもこうなのだ」
あの手この手と技術を盗み出そうとする輩に困り果てている。ただのニンゲンならばそこらの魔道士で対抗出来る。
しかし亜人やサキュバスぐらいになるとそうもいかない。結界に追い込む事は可能だが、打ち倒すのは至難の業だと嘆いてみせる。
「そこで、特殊な力を持つ者が必要となってくる」
「そのうちの1人が、殿下なのですね?」
「否定はしないよ。魔族殺しの技は習得できる者が限られているからな」
選ばれた者の剣。これは嘘だ。『すかうたー』で5万以上の魔力値を出した者が3年ぐらい修行すれば身につくだろう。
但しアドルフはそれを1年でやってのけた。研鑽に励んだのもあったが、彼が天才だからである。
このアナキンがどこまで習得できるかはわからない。けれどもこの王子はより早く、より確実にマスターできる道筋を編み出していた。それをこれから叩き込む。
馬車は館の中庭で止まった。アドルフはアナキンに魔族殺しの剣について語る。
「そもそもはカントニア大陸南部のエルフ達を制した、スーワシューロが編み出した対エルフ用の魔法剣が源流なのだ」
『エルフ狩りの王の剣』。
その術式を知り、魔族殺しに発展させたのがアドルフの祖先。
その剣はどこかでサイゴークにも伝わったらしい。世界に名だたる姦雄、イーズモーの暗黒卿も独自に発展させていたとか。
「なるほど……その剣を覚えれば、魔竜と戦う事も出来るのですか?」
「無理だな。あくまで中程度の魔族相手と見ていい。君がもし、イズヴァルトの様な豪勇であれば為せたかもしれないが」
アナキンの顔が真っ青に。ホーデンエーネン最強の少年騎士は『規格外』の強さだと聞いていた。
魔竜討伐で名を挙げるのはやめとこう。そう思いながらため息をつくと、彼はアドルフに下がっていろと言われた。
「来たのですか?」
「声を潜めろ。物陰に隠れていてくれ」
アナキンは大急ぎで玄関の柱に隠れた。斥候魔道士からの合図がアドルフに届く。
(やれ。)
結界はこの屋敷の敷地全体に張っていた。魔道士たちが念じれば発動するもの。ぎりぎりまで近づけさせた甲斐があった。
耳をつんざく様な高い悲鳴があがった。若い女のものだ。しかも複数。
声質はどこか甘ったるい、下半身を刺激するものだった。籠絡を得意とするが戦いには向いていない連中だ。アドルフはそう思った。
前方に、雄羊の様なツノと背中にコウモリの様な翼を生やし、腰にベルトだけをつけた裸形の女達が倒れていた。
水色の髪と紫色の髪。赤にピンク。全部で4人。ニンゲンの髪の色ではない。アドルフは左腰に差していたレイピアを抜いた。
「お出ましだな、このイーガを食い物にしようとする悪の手先が!」
サキュバス達は起き上がった。その内の1人、紫色の髪をした女が何かを叫んだ。しかし声は届かなかった。
そのサキュバスを含め他の3人も戸惑った。何の理由でそうなったのだ。彼女達は仕方なく腰のベルトにかけた鞘から剣を引き抜いた。
長さは70センチほど。ショートソードだが片刃で反りが入っていた。脇差みたいだなとアナキンは見て思った。
結界で魔法を封じているゆえ、彼女達は白兵戦のみでの戦いが強いられる。
赤い髪とピンク色の髪のサキュバスが両腕の剣を逆手にして、襲いかかった。思っている以上に素早い。
(しかしだ。目で追える程度だ!)
もっとマシな戦士を寄越せ。魔族殺しの魔法剣を伝えたいアナキンの前なのだ。格好良い所を見せてやりたいと思っていたのに。
対するサキュバス達は勝てる、と見ていた。レイピアを構えるアドルフは、男のくせに華奢だ。
しかも鎧をまとっていない。すぐに殺せるはず。この先面倒な魔法戦士が潜んでいるかもしれないが、まずはこの男を討ち取ってからだと彼女達は考えていた。
2人同時の斬り込み。左右から刃が襲いかかる。アドルフは抜け目なく彼女達の隙を見つけていた。
左は若干上向きに。右は下だ。サキュバスは並のニンゲンよりは優れた己の膂力を頼み、アドルフが避けるだろうと見ていた。
赤い髪をした左側の女が身を捩る素振りを感じ取ったアドルフは、自分の脚を狙おうとする右の女に蹴りを入れた。
「ぐあっ!」
ピンク色の髪をしたサキュバスが蹴り飛ばされた。すかさずアドルフは左の女の胴を切り払う。
「……そんなッ!」
赤い髪のサキュバスは腕と乳房ごと、胴体を深々と切り裂かれていた。身体が力を失って地面に倒れると、彼は美しい顔の下を横一文字に切り倒した。
「コニー!」
倒れた女が叫ぶが、直後に彼女は仲間の後を追った。起き上がる直前、アドルフに脳天をかち割られたのだ。
(す、すごい……)
柱の陰で見ていたアナキンは、アドルフの鮮やかな剣技に驚愕していた。誰だ、あの人を虚弱な優男だと言ったのは。
イーガ最強の剣士とはアドルフ殿下の事かもしれない。しかしイーガ人の名誉の為に記すが、アドルフは優れた剣士の中の1人に過ぎなかった。
軽いレイピアやショートソード、刺突専門のエストックであれば免許皆伝の域にはなるが、重い武器になるとまるで扱え無いのだ。
残り2人のサキュバスらは、仲間が容易くやられた事を信じられなかった。
目の前の出来事は夢ではないのか。けれどもアドルフが見ているのは現実だ。獲物は残り2人。
「逃しはしない。次は誰だ?」
水色髪のサキュバスが何かを叫ぶ。しかし声は出ない。紫髪の淫魔がベルトにぶら下げていた袋から何かを取り出した。
それは紅く輝く玉石だった。それをアドルフに向けて投げる。彼は素早く身を反らして避けた。
彼の背後に突然、黒い煙が勢いよく立った。何の玉石なのか、背後の気配を感じてようやく知った。
2つの頭を持ち、しっぽが蛇となっているライオン。魔獣だ。マンティコアという魔物だったかな、とアドルフは思い出す。
魔物は吠えながらアドルフに突進した。間一髪で彼は避けるがそこを2人に攻め込まれた。
「くっ!」
身のこなしと剣の技術はアドルフが上だ。しかし3対1は劣勢だった。アドルフに加勢しようと潜んでいた武者達が加わる。
しかし彼等はさほどの猛者では無かった。優れていたのは皆、アノーヅにいる。
マンティコアの牙と爪で、次々と武者たちが命を落とした。隠れて見ていろと言われたアナキンは歯噛みした。
(助けに出るべきか……)
しかし彼の心の動きを念話魔法で知り得ていたアドルフは、手を出すなと命じる。
(アナキン。お前は見届けてくれればいい。俺の凄さを、魔法王国イーガの素晴らしさを見て学ぶのだ。)
それは自分の死後、マルティンを守る騎士としての願いからくるものだった。
愛息を、平和で尊きイーガを乱すのはホーデンエーネンの王家とナントブルグの亡霊ども。アナキンは悪霊たちに対する剣となる。
戦いは苛烈になった。相手の刃を避け続けていたアドルフも腹部に一撃をやられた。
彼がうめいてよろめき、衣に血がにじむとアナキンは走り出していた。剣を抜き、マンティコアの尻に深い一撃を加えた。
魔獣は悲痛な叫び声をあげた。暴れ出した蛇に殴られ、アナキンは遠くまで弾き飛ばされた。
しかしそれが反撃の緒となった。魔獣が怪我を負い、動きが鈍くなるとサキュバス達は怯んだ。
(やってくれたな!)
アドルフは魔族殺しの剣でもって残りの2人を八つ裂きにして塵に返した。
剣にはまだ力が残っていた。暴れるだけの魔獣に近づき、ゆっくりと喉元を突き刺した。
その夜の戦いは終わった。翌日の昼。屋敷の自室で治療を受けていたアドルフは、やって来たアナキンから申し出を受けた。
「そうか。君はこのイーガに残り、私の剣を引き継いでくれるのか」
怪我をしてまで戦った甲斐があった。この後すぐにアドルフは部下を呼んだ。アナキン一家をアノーヅへ移住させる。その準備を今すぐ支度せよ。
それからアノーヅに入ったアナキンは、王太子より魔族殺しの剣を学ぶことになった。彼は驚くほど優秀な弟子であった。
アドルフの目の前でピルリアが掛け声を放つ。彼女が拳士用のグローブをつけた右拳を向けた先は、台に乗せられた鉄板だ。
貴族の胸甲向けに作られた鋼の板。厚さは5ミリに及ぶ。それが安々と突き破られていた。
「お見事!」
アドルフは思わず立ち上がり拍手した。ピルリアは尚も鍛錬の成果を見せてくれる。今度は分厚い氷の塊を、手刀で叩き割るという。
真四角に作った氷が目の前に出された。ピルリアがパルパティアに頼み、思い切り冷やして固くしてもらったものだ。
「ふう……」
ピルリアの手刀は電光石火。振り下ろされると同時にアドルフは彼女に自分の首ではなく、胴体を切り裂かれるのを想像する。
彼女の手刀の威力は尋常ではなかった。砕けたのではない。真っ二つになっていたのだ。
ピルリアの武道の師は、シマナミスタンの南部・ナハリジャーヤ島出身の男のエルフ。コーヅケーニッヒで道場を開いている。
(さすがだな。ナハリジャーヤ=エルフの拳法は。)
1年で彼女にここまで仕込むのは相当なものだが、それでも島の女達にはかなわないらしい。
「ははは。素晴らしい! 私は胸の高まりが収まらないよ!」
アドルフはピルリアをべた褒めした。お世辞ではない。常人には届かない破壊の力が、健康な肢体とはちきれんばかりで動くと常にぷるぷると揺れるおっぱいにあるのに感激していたのだ。
強くもあれば美貌も申し分なし。アナキンは良い女房を持った。諤々と震えているオットーの左横で、見慣れていると言わんばかりに平然とした態度のアナキンに目を向ける。
今夜、彼に見せてやらなくてはならない。イーガの永住。スカルファッカー家に劣らぬ富を約束する条件を彼に課す。その為の条件を伝えるのだ。
□ □ □ □ □
サキュバスのノンの仲間がコーヅケーニッヒに潜伏しているのは先日、配下の魔道士達より知らされていた。
今度は4人該当するという。3ヶ月程前にホーデンエーネンからやって来て、コーヅケーニッヒの色街で活動していたそうだ。
策は立てている。その4人を北の屋敷に誘い出す。マイヤとノンの魔力について解析もし、館に囮魔法を仕込ませていた。
アドルフはアナキンのみを同行させた。彼にはこう教える。イーガには常日頃、各国のスパイが暗躍している。
「彼等はサキュバスを使役するのだ。あの女魔族たちは極上の精液を放つ男がいれば喜んで飛びつく」
「そうなのですか?」
「ああ。サキュバス達は密偵だけでなく、内乱の手引きや出奔、時には暗殺も手掛ける」
そしてこれから向かう館はさる商人の別宅。そこにはイーガの工房が開発している新製品の計画書の写しが保管されている。
「それを持ち出すつもりだ。イーガはいつもこうなのだ」
あの手この手と技術を盗み出そうとする輩に困り果てている。ただのニンゲンならばそこらの魔道士で対抗出来る。
しかし亜人やサキュバスぐらいになるとそうもいかない。結界に追い込む事は可能だが、打ち倒すのは至難の業だと嘆いてみせる。
「そこで、特殊な力を持つ者が必要となってくる」
「そのうちの1人が、殿下なのですね?」
「否定はしないよ。魔族殺しの技は習得できる者が限られているからな」
選ばれた者の剣。これは嘘だ。『すかうたー』で5万以上の魔力値を出した者が3年ぐらい修行すれば身につくだろう。
但しアドルフはそれを1年でやってのけた。研鑽に励んだのもあったが、彼が天才だからである。
このアナキンがどこまで習得できるかはわからない。けれどもこの王子はより早く、より確実にマスターできる道筋を編み出していた。それをこれから叩き込む。
馬車は館の中庭で止まった。アドルフはアナキンに魔族殺しの剣について語る。
「そもそもはカントニア大陸南部のエルフ達を制した、スーワシューロが編み出した対エルフ用の魔法剣が源流なのだ」
『エルフ狩りの王の剣』。
その術式を知り、魔族殺しに発展させたのがアドルフの祖先。
その剣はどこかでサイゴークにも伝わったらしい。世界に名だたる姦雄、イーズモーの暗黒卿も独自に発展させていたとか。
「なるほど……その剣を覚えれば、魔竜と戦う事も出来るのですか?」
「無理だな。あくまで中程度の魔族相手と見ていい。君がもし、イズヴァルトの様な豪勇であれば為せたかもしれないが」
アナキンの顔が真っ青に。ホーデンエーネン最強の少年騎士は『規格外』の強さだと聞いていた。
魔竜討伐で名を挙げるのはやめとこう。そう思いながらため息をつくと、彼はアドルフに下がっていろと言われた。
「来たのですか?」
「声を潜めろ。物陰に隠れていてくれ」
アナキンは大急ぎで玄関の柱に隠れた。斥候魔道士からの合図がアドルフに届く。
(やれ。)
結界はこの屋敷の敷地全体に張っていた。魔道士たちが念じれば発動するもの。ぎりぎりまで近づけさせた甲斐があった。
耳をつんざく様な高い悲鳴があがった。若い女のものだ。しかも複数。
声質はどこか甘ったるい、下半身を刺激するものだった。籠絡を得意とするが戦いには向いていない連中だ。アドルフはそう思った。
前方に、雄羊の様なツノと背中にコウモリの様な翼を生やし、腰にベルトだけをつけた裸形の女達が倒れていた。
水色の髪と紫色の髪。赤にピンク。全部で4人。ニンゲンの髪の色ではない。アドルフは左腰に差していたレイピアを抜いた。
「お出ましだな、このイーガを食い物にしようとする悪の手先が!」
サキュバス達は起き上がった。その内の1人、紫色の髪をした女が何かを叫んだ。しかし声は届かなかった。
そのサキュバスを含め他の3人も戸惑った。何の理由でそうなったのだ。彼女達は仕方なく腰のベルトにかけた鞘から剣を引き抜いた。
長さは70センチほど。ショートソードだが片刃で反りが入っていた。脇差みたいだなとアナキンは見て思った。
結界で魔法を封じているゆえ、彼女達は白兵戦のみでの戦いが強いられる。
赤い髪とピンク色の髪のサキュバスが両腕の剣を逆手にして、襲いかかった。思っている以上に素早い。
(しかしだ。目で追える程度だ!)
もっとマシな戦士を寄越せ。魔族殺しの魔法剣を伝えたいアナキンの前なのだ。格好良い所を見せてやりたいと思っていたのに。
対するサキュバス達は勝てる、と見ていた。レイピアを構えるアドルフは、男のくせに華奢だ。
しかも鎧をまとっていない。すぐに殺せるはず。この先面倒な魔法戦士が潜んでいるかもしれないが、まずはこの男を討ち取ってからだと彼女達は考えていた。
2人同時の斬り込み。左右から刃が襲いかかる。アドルフは抜け目なく彼女達の隙を見つけていた。
左は若干上向きに。右は下だ。サキュバスは並のニンゲンよりは優れた己の膂力を頼み、アドルフが避けるだろうと見ていた。
赤い髪をした左側の女が身を捩る素振りを感じ取ったアドルフは、自分の脚を狙おうとする右の女に蹴りを入れた。
「ぐあっ!」
ピンク色の髪をしたサキュバスが蹴り飛ばされた。すかさずアドルフは左の女の胴を切り払う。
「……そんなッ!」
赤い髪のサキュバスは腕と乳房ごと、胴体を深々と切り裂かれていた。身体が力を失って地面に倒れると、彼は美しい顔の下を横一文字に切り倒した。
「コニー!」
倒れた女が叫ぶが、直後に彼女は仲間の後を追った。起き上がる直前、アドルフに脳天をかち割られたのだ。
(す、すごい……)
柱の陰で見ていたアナキンは、アドルフの鮮やかな剣技に驚愕していた。誰だ、あの人を虚弱な優男だと言ったのは。
イーガ最強の剣士とはアドルフ殿下の事かもしれない。しかしイーガ人の名誉の為に記すが、アドルフは優れた剣士の中の1人に過ぎなかった。
軽いレイピアやショートソード、刺突専門のエストックであれば免許皆伝の域にはなるが、重い武器になるとまるで扱え無いのだ。
残り2人のサキュバスらは、仲間が容易くやられた事を信じられなかった。
目の前の出来事は夢ではないのか。けれどもアドルフが見ているのは現実だ。獲物は残り2人。
「逃しはしない。次は誰だ?」
水色髪のサキュバスが何かを叫ぶ。しかし声は出ない。紫髪の淫魔がベルトにぶら下げていた袋から何かを取り出した。
それは紅く輝く玉石だった。それをアドルフに向けて投げる。彼は素早く身を反らして避けた。
彼の背後に突然、黒い煙が勢いよく立った。何の玉石なのか、背後の気配を感じてようやく知った。
2つの頭を持ち、しっぽが蛇となっているライオン。魔獣だ。マンティコアという魔物だったかな、とアドルフは思い出す。
魔物は吠えながらアドルフに突進した。間一髪で彼は避けるがそこを2人に攻め込まれた。
「くっ!」
身のこなしと剣の技術はアドルフが上だ。しかし3対1は劣勢だった。アドルフに加勢しようと潜んでいた武者達が加わる。
しかし彼等はさほどの猛者では無かった。優れていたのは皆、アノーヅにいる。
マンティコアの牙と爪で、次々と武者たちが命を落とした。隠れて見ていろと言われたアナキンは歯噛みした。
(助けに出るべきか……)
しかし彼の心の動きを念話魔法で知り得ていたアドルフは、手を出すなと命じる。
(アナキン。お前は見届けてくれればいい。俺の凄さを、魔法王国イーガの素晴らしさを見て学ぶのだ。)
それは自分の死後、マルティンを守る騎士としての願いからくるものだった。
愛息を、平和で尊きイーガを乱すのはホーデンエーネンの王家とナントブルグの亡霊ども。アナキンは悪霊たちに対する剣となる。
戦いは苛烈になった。相手の刃を避け続けていたアドルフも腹部に一撃をやられた。
彼がうめいてよろめき、衣に血がにじむとアナキンは走り出していた。剣を抜き、マンティコアの尻に深い一撃を加えた。
魔獣は悲痛な叫び声をあげた。暴れ出した蛇に殴られ、アナキンは遠くまで弾き飛ばされた。
しかしそれが反撃の緒となった。魔獣が怪我を負い、動きが鈍くなるとサキュバス達は怯んだ。
(やってくれたな!)
アドルフは魔族殺しの剣でもって残りの2人を八つ裂きにして塵に返した。
剣にはまだ力が残っていた。暴れるだけの魔獣に近づき、ゆっくりと喉元を突き刺した。
その夜の戦いは終わった。翌日の昼。屋敷の自室で治療を受けていたアドルフは、やって来たアナキンから申し出を受けた。
「そうか。君はこのイーガに残り、私の剣を引き継いでくれるのか」
怪我をしてまで戦った甲斐があった。この後すぐにアドルフは部下を呼んだ。アナキン一家をアノーヅへ移住させる。その準備を今すぐ支度せよ。
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