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楽しくて楽しくない。
しおりを挟む「あ~、もう超感動……」
吐息とともにつぶやいた。
体育館横の外階段に座っている。
隣には栗原が座っていた。
二人ともペットボトルの水を片手に持っている。
球技大会の前半が終了し、今は昼休憩中。
教室で弁当を食べてから、外に出てきた。
なんとなく、じっとしていられない気分になっていたからだ。
トーナメント制での試合。
二人の参加しているサッカーチームは一年生グループ中、トップで通過した。
後半には上級生たちのチームと当たる。
いつもなら憂鬱なスポーツに、一太郎はわくわくしていた。
「お前がうまくやってくれてっからだって、わかってっけど嬉しいもんだなぁ」
しみじみとした口調でつぶやくと、隣で栗原が笑う。
「なーに言っちゃってんの、謙遜? 立ち位置も間違わねーで、トラップしてたじゃん」
「そらそうだけど……」
「練習の成果が本番で出せるっていうのは、ノロの実力だろ」
褒められると悪い気はしなかった。
試合が始まる前までばくばくしていた心臓も、始まってしまえば、ばくばくを止めた。
ひたすら栗原の姿を目で追い、合図を確認するので精一杯だったからだ。
あれから続けた練習で一太郎もトラップとショートパスができるようになっていた。
自分もちょっぴり勝利に貢献できたような気さえする。
「この調子で午後からも頑張ろうぜ」
「おう」
一太郎は運動音痴だからと諦めて、今まで運動するのを避けてきた。
そのせいであまり体力はない。
一試合ごとに疲れが蓄積されている。
けれど栗原と一緒なら頑張れそうだった。
暑い外気の中、ひゅっとわずかな風が吹き抜けていく。
心地良さに目を細めた時だ。
足音がして、二人の前にさっき対戦した一年生チームの生徒が三人立っていた。
面白くなさそうな顔で栗原を見ている。
当の本人はきょとんとした顔をしながら、水を口にしていた。
「お前、ずりぃんだよ」
三人の中の一人がそう言う。
すぐに隣にいた奴も口を開いた。
「部活に入ってねぇから、なんにでも出れるってのはいいよな」
どくんと心臓が嫌な音を立てる。
あからさまにぶつけてくる嫌味は、悪意でいっぱいだ。
自分もそうした悪意を振り回していたのですぐにわかった。
この三人は、栗原を傷つけたがっている。
ちらっと横を見ると、怒るでもなく栗原は困ったように頭をかいていた。
「あっちこっちの部から誘いあったのに断ったのは目立ちてぇからかよ」
投げつけられた言葉にイラッとする。
栗原がどの部にも入部していない理由を、知っていたからだ。
もっと繊細でせつない理由。
けして目立ちたいからなどではない。
それ以上、なにも言わせたくなかった。
一太郎は水のペットボトルを階段に置いて立ち上がり、三人の前に立つ。
両手を腰にして見下ろした。
「ハンデあっても負けたくせに逆ギレしてんじゃねぇよ」
最初に口を開いた奴が一太郎に視線を向けてくる。
「ハンデってなんだ? そんなもん……」
「オレだよ」
相手の言葉を遮って言った。
「自慢じゃねぇけど、オレは生まれてこのかた体育で、がんばろうと1しか取ったことねぇんだぞ。そんな奴がいて、お前らなら勝てんのか?」
「うそつけ、そんな奴いるわけ……」
「いーるーんーでーす、ここに!」
自分で自分の胸を指さした瞬間、ぶはっと吹き出す声が聞こえた。
振り返ると、栗原が体を折り曲げ、腹をかかえて笑っている。
「ノ、ノロ、 お、お前……自分で言うことねーのに!」
「んだよっ! 誰のためにオレが恥をしのんで言ってると思ってんだ、こら!」
「だ、だって……が、がんばろうと……い、イチしかって……っ」
言葉を詰まらせ、栗原はあははわははと笑い続けた。
急に恥ずかしくなってくる。
「と、とにかくそういうことだから、変な逆恨みすんな!」
恥ずかしさも手伝って、よけいに大きな声になった。
三人が腹立たしそうな顔をしつつも、立ち去る。
「いいかげん笑うのやめろ」
むすっとして言いつつ、隣に腰を落とした。
栗原が笑い過ぎで目に浮かんだ涙を指でぬぐっている。
「やー、わりーわりー。あんまおかしくって、めちゃ笑った! 腹筋鍛えられた!」
あんな困ったような顔をしている栗原より笑っているほうがいいけれど。
「お前、マジ笑い過ぎだし」
どうしてあんなことを自分から言い出したのか、自分でもわからない。
今まで、運動音痴は一太郎にとってふれられたくない部分だった。
人から指摘されるのも嫌だったし、ましてや自分から口にしようだなんて思ったことはない。
三人から突っかかられて、謂れのない非難を受けている栗原を見ていられなかったからかもしれない。
転校してきて半月。
コンプレックスを口に出せるようになるとは、ずいぶん成長したものだと思う。
「なあなあなあ、ノロ!」
「なんだよ」
「さっきのお前、超カッコ良かったぞ!」
ふいっと一太郎はそっぽを向いた。
顔がなんだかほかほかしている。
「うそつけ。バカ笑いしてたくせに」
「いやいや、マジでマジで!」
言いながら、栗原はまた笑っていた。
そっぽを向いて膝の上で頬杖をつく。
言い返そうとした口が、開きかけたところで止まった。
視線の先に同じクラスの女子生徒が立っている。
肩までもない黒いショートヘアと陽に焼けて健康的な肌。
目鼻立ちがはっきりしているのに派手な感じはなく、むしろどことなくかわいらしい。
ちょっぴり丸い顔の輪郭がそう思わせるのかもしれなかった。
小柄で華奢な体つきの割りに出るところは出ている。
きっと男子から人気があるには違いない。
手招きをされたので、自分と栗原を交互に見やった。
栗原も一太郎のほうを見て、首を傾けている。
指で示してみると、その子が一太郎のほうでうなずいた。
「お、なんだろうな、告白か?」
「ちげぇだろ。オレ、転校してきて、まだ半月だっつーの」
その子とは話したこともない。
「一目惚れかもしんねーじゃん」
「ねぇよ」
短く言って立ち上がる。
ともあれ呼ばれているのだから、行かないわけにはいかなかった。
気は進まないけれど、栗原から離れ、そっちに向かう。
「えーと、なに?」
さらに手招きされ、栗原から見えない場所まで連れて行かれた。
人目が気になるのかなと思ったけれど、そうではなかったとすぐにわかる。
「最近、栗原くん、練習に来てくれないんだよね」
「練習って……何部の……?」
「サッカー部。私、マネージャーなんだ」
ざわっと胸が波風を立てた。
自分の練習につきあっていたから、栗原はここのところどの部にも顔を出していない。
「前は一週間に三日はウチだったのに……だから、みんなもひょっとしたら入部してくれるんじゃないかって思ってたんだよ」
どう答えればいいのかわからなかった。
相手がなにを言いたいのか気づいていたからだ。
(オレが邪魔っつーことか……そんならはっきりそう言やいいのに)
遠まわしな言い方が癇に障る。
「あいつが部に顔を出さないのとオレとなんの関係があるわけ? 直接、あいつに来てくれって言えばいいだけなんじゃない?」
わざとそっけなく言った。
相手が目つきを険しくする。
気をつかって遠回しに言っているのにとでも思っているのかもしれない。
思うと、なおさら腹立たしくなった。
「それで? オレを呼んだのはなんで? はっきり言われないとわかんないんだけど?」
「邪魔しないでってこと!」
相手が言葉をかぶせるように強い口調で言い、にらんできた。
「栗原くんだって居心地いいから、よその部よりウチによく来てくれてたんだと思う。途中から割り込んで来て、雰囲気壊すのやめてほしいんだよね!」
一太郎は唇を少し噛む。
もしかするとこの子の言う通りなのかもしれないと思ったからだ。
栗原がサッカー部に希望を抱いていた可能性はある。
自分を受け入れてくれる場所としての期待を寄せていたのかもしれなかった。
それがどの程度の期待かはわからない。
とはいえ、週に三日も参加していたというのだから、少なくとも、気に入っていたのは確かだろう。
「野添くんがいなきゃ、うまくいってたよ、絶対!」
絶対という言葉に笑いたくなる。
栗原は自分とは違うのだ。
こうして「絶対」なんて言い、受け入れようとしてくれる人たちがいる。
ものすごくさみしくなった。
胸がきゅうきゅうと痛んでいる。
「オレにどうしろって言いたいんだよ?」
「栗原くんから離れてほしい。それだけ」
明確に指定された行動。
「知らねぇよ……そんなん、あいつに言えば」
わかったとは返事ができず、一太郎はくるりと体を返した。
たった半月だ。
半月しか過ごしていないのに、栗原の存在は一太郎の中で大きくなっている。
自分がなにを言っても挫けないところや、大口を開けて笑うところ。
スポーツをしている姿はひどくカッコいいのに、ものすごくバカなところ。
そして、同じようなさみしさを抱えているところ。
勝手に誰よりも近くにいるような気になっていた。
わかってやれるのは自分だけだという気持ちすら持っていた気がする。
(けど……ちがかった……同じようなっつーのはおんなじってことじゃねぇもんな)
暗い気持ちでとぼとぼと戻っていくと、外階段にまだ栗原は座っていた。
「なあなあ、告られたっ?」
「バーカ、ちげぇっつっただろ」
「じゃあ、なんだったんだよ?」
口をとがらせ不満顔になった栗原の頭をほさほさとなでてみた。
栗原はきょとんとした顔をしている。
さっきまでの楽しい気分は台無しになり、最悪な気分だった。
それでも、心配させたくなくて、一太郎は栗原に笑ってみせる。
「内緒」
「ダメじゃん! よけい気になるじゃん!」
栗原がムキになって体を寄せてきた。
軽く笑いながら、顔をそむける。
「気にすんなって」
「ムリっ! なあなあ、ノロ! マジで!」
なんだか栗原の口調に真剣さが混じっている気がした。
不思議に思って、視線を栗原に戻す。
とたん、自分の顔から笑みがすうっと消えるのを感じた。
口調だけでなく、表情にもなにやら必死さのようなものが漂っていたからだ。
なにか言おうと、口を開きかける。
ぽつ。
膝に冷たいものが落ちてきた。
反射的に空を見上げる。
いつの間にかさっきまでの晴れた空はなくなり、暗く濁りはじめていた。
「やべっ……すぐにザッてくるぞ!」
言って一太郎は立ち上がる。
栗原になにも言わせないために、スタスタと歩き出した。
「ちょ……っ……待てよ!」
呼びかけられても待つわけにはいかない。
話を蒸し返されたくなかったからだ。
すぐに大量の雨が空から落ちてくる。
それが幸いした。
「うっわ!ホントに降ってきたあ! ノロ、転ぶなよ!」
バタバタと栗原が一太郎の横を追い越していく。
心の中でホッとしながら、その背中を転ばないように注意しつつ、追いかけた。
結局、その雨のせいで球技大会は中止になり、中途半端に終わる。
おかげで楽しい気分は復活せず、気持ちは空と同じく濁ったままだった。
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