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5章

向日葵の向いている方向

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 小学校の中庭で育っている向日葵の花は、美咲の背よりも遥かに大きい。
 青く高い空に向かって伸びていく黄色い花は、美咲は少し苦手だった。

 日曜日。
 美咲は安達の運転する車で、隣町まで買い物に来ていた。
「安達くん、田舎の向日葵って大きいね。」
「そう?みんな同じじゃない?」
「やっぱり土がいいのかな。」 
「そういえば、明日は病院の日だったよな。」
「そうだった。」
「一緒に行こうか?」
「ううん。1人で大丈夫。」
 
 澤山が美咲の前から消えた後、安達が連れて行ってくれた病院で、2週間程入院した。
 その後、1ヵ月の休職という診断書が出て、美咲は長く職場から離れた。
 休んでいる間、安達はずっと美咲のそばにいてくれた。出張もやめ、仕事が終ると、すぐに家に帰ってきた。
 
 明日の診察で、仕事に復帰してもいいか決める事になる。本当はこのまま、職場から離れているのが、一番心が落ち着いているのはわかっている。だけど、安達の家で、何もしないままの生活を続けていると、自分が見えない状態から抜けられない様な、とてつもなく虚しい気持ちになる。
 
「美咲、眠たかったら、シート倒しなよ。」
 車の中でウトウトしている美咲に、安達は言った。
「大丈夫。安達くん、帰りに本屋に寄ってほしいな。」
「わかったよ。」
 
 澤山が消えた後、読んでいた本も消えた。あの本は本当にあるのだろうか。

「安達くん。」
「どうした?」
「ごめんね。」
「何が?」
「鬱の彼女なんて、やっぱり嫌だよね。」
「誰だって、辛くなる時があるよ。美咲は真面目だからさ、病気になりやすかったんだよ。」
「それは違うよ。人間がまだ未熟だから、こんな事になったんだよ。」
「美咲が完璧な人間なら、俺は好きならなかった。」
「澤山さんは、なんで私を選んだのかな。」
「美咲に恨みを晴らしてほしかったんじゃない?」
「それなら、直接相手の前に行けばいいじゃない。私の前に現れたのはね、きっと、」
「えっ?」
「ううん、やっぱりいい。」
「美咲、少しずつ忘れていけよ。」
「そうだね。」

 診察の日。
「早瀬さん、眠れる様になった?」
「はい。」
「食事はちゃんと食べてる?」
「食べています。」
「声が聞こえたり、誰かが見えたりはもうしない?」
「大丈夫です。」
「そっか。軽い仕事から、スタートしてみるかい。しばらくは大きな会議とか、心労がかかる仕事はダメだからね。それと、残業は絶対ダメ。職場はそれをわかってくれそうかい?」
「話してみます。」
「早瀬さんが職場と直接交渉するのは良くないよ。苦手な上司と直接お願いする事は、ストレスの種になるからね。いつも一緒についてくる人から、職場の上司に頼んでもらったら?」
「先生、これ以上、あの人には頼れません。たくさん、迷惑をかけたから。」
「早瀬さんは物事の順番決めるとか、何かを自分で選択するのが、少し苦手だね。全部抱える込む前に、誰かに協力してもらわないと、また仕事で溢れてくるよ。いつもついてくるあの人なら、きっと力になってくれるだろうから、きちんと職場に話しを通してもらうんだよ。」
「先生。」
「何?」
「私が見えていた人は、ここへ来た事がありますか?」
「どんな人が見えていたの?」
「数年前に自殺した人。昔、同じ職場にいたって聞きました。」
「同じ職場って、その人も市役所にいたの?」
「そうです。」
「僕の所にはきてないよ。早瀬さん、その人の思いまで背負う事はないからね。いろんな事を考えると、また辛くなるから。今は流れるように、なんとなく暮らせばいいから。」
「わかりました。長くなってすみません。」
「薬は何日分にする?」
「いりません。もう、眠れるし。」
「そっか。じゃあ、次は2週間後に、また話しをきかせて。」
 
 病院からの帰り道。
 美咲は澤山の家に向かった。 
 小さな一軒家があったはずの場所は、ただ草が生い茂っていた。
 そこに咲く、小さなアザミの花の前でしゃがみ込むと、美咲は澤山の笑顔を思い出し、涙が出てきた。
 澤山との1ヵ月は、やっぱり長い夢だったのだろうか。それとも、自分が作り出した虚像だったのだろうか。
 
 夕方。
 美咲が本を読んでいると、安達が帰ってきた。 
「ただいま。」
「おかえり。」
「晩ごはん、作ってたんだ。」
「うん。」
「病院はどうだった。」
「来週から仕事に出る。これ、診断書。」
「じゃあ、明日、総務へ持っていくよ。うちの課長から、中山課長に話してもらう。」
「…。」
「どうした?」
「会いづらいなぁと思って。」
「もう少し休もうか?」
「ううん。これ以上休んだら、本当に仕事に行けなくなっちゃうから。」
「美咲がいない間、隣りの橋口さんが助っ人で入っててんだけど、先週、中山課長と大喧嘩してたんだよ。」
「へぇ~。」
「橋口さんって、ああ見えて血の気が多いんだね。」
「どんな人だろう。」
「美咲。辛くなったら逃げたっていいんだから。俺は美咲を養っていけるし、仕事辞めて、ずっと家にいたっていいからね。」
「私、ずっと家にいるなんて、嫌だし。」
「こんな事言ったら偏見かもしれないけど、女の人って、褒められるのを、いつも待ってる。美咲の事は、俺がたくさん褒めてあげるから、それでいいだろう。」
「安達くん、私は褒めてもらいたいなんて思ってないよ。それに、認められたいのは男の人だって同じでしょう?」
「男はね、自分が納得すればそれでいいんだ。人がなんと言おうと、自己評価が満点なら、それ以上は求めない。」
「そうなのかな。」
「美咲、今日は何?」
「グラタン。」
「楽しみだね。早く食べよう。」
 
 安達の言葉は嬉しかったけれど、なんだかだんだん自分が見えなくなってくるようで、美咲は孤独を感じた。
 上手く生きているはずだと思った世の中は、やっぱり自分には少し生きにくい。
 澤山が最後に「もう少しだったのに、」そう言ったのは、一緒に連れていこうとしていたのだろうか。
 安達がもう少し遅くに私の所に来たら、このまま消えてしまっていたのかな。

 それならそれで、私はよかったのに。

「あれ、眠る前の薬は?」
 電気を消そうとした安達が美咲に聞いた。
「もう、ないの。」
「先生はいいって言ったのか?」
「うん。もう眠れるし。」
「そっか。」
 安達は美咲を抱きしめた。
「ねぇ、安達くん。家に戻ろうかな。もう1人で大丈夫だから。」
「ダメだよ。1人になったら、またいろんな事を考えて辛くなるだろう。」
「大袈裟だね。」
「美咲。」
「何?」
「薬がないなら、もう少し起きていられる?」
「そうだね。」
 安達は美咲にキスをすると、美咲の服を脱がせ、自分も服を脱いだ。
「安達くん。雨、降ってきたね。」
「そう?」
 安達は美咲の上になった。
「雨の音が聞こえるよ。」
 美咲は窓の方を見た。
「寒いのか?」
「少し。」
 トントンと窓を打つ雨の音は、美咲を呼んでいるようだった。
 安達は美咲の体に自分の体を重ねた。安達の体は、とても温かかったけれど、美咲の心は、なぜか冷たい雨の匂いを感じていた。
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