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5章
奏でるもの
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午前0時。
隣りで眠っている朝川を残して、優衣は仕事へ向かった。
朝川が自分を触った感覚を思い出すたびに、体を切り刻んでほしいとさえ思ったりする。
「青田さん、本当に大丈夫なの?」
「はい。ぐっすり寝ましたから。」
「救命士が彼氏なんて、頼もしいわね。」
優衣は愛想笑いをした。
ナースコールがなった。
「私が行きます。」
朝、看護師長が出勤してくる。
「あら、青田さん。お休みにしたはずなのに、なんでいるの?」
「師長、話したい事があります。申し送りが終ったら、少し時間をください。」
優衣の実家に泊まっていた朝川は、まだ開けきらない目で、優衣の手を握ろうと探したが、隣りに優衣はいなかった。
先に起きたのか?そう思い、下へ降りていくと、
「おはよう。優衣はまだ寝てるの?」
優衣の母がそう言った。
「先に起きてると思ったんですけど。」
「えっ?」
窓を見ると、優衣の車がなくなっていた。
「あの子、どこへ行ったのかしら。」
「話しってなんですか?」
夜勤を終えた優衣は、師長とミーティングルームに入っていた。
優衣は退職届を出した。
「何を急に。こんなのルール違反よ。」
「わかっています。でも、もうこちらにはいられません。」
「大学病院から来たっていうから、期待してたのに、恩を仇で返されたわね。」
「申し訳ありません。」
怒りが収まらない師長は、看護部長に電話をしていた。
ミーティングルームから出てきた優衣に
「青田さん。」
看護助手の松川が声を掛ける。
「本当に辞めちゃうの。」
「ごめんなさい。松川さんにはたくさん助けてもらったのに。」
「これからどうするの?」
「ここから離れて暮らします。」
「そう。看護師長、どんな顔してた?」
「呆れてました。」
「あの人、うんと困ればいいのよ。青田さん、今までありがとう。これから頑張ってね。」
「こちらこそ、いろいろありがとうございました。」
病院を後にした優衣は、ナオの元へ向かった。
体は眠いはずなのに、頭の中はナオでいっぱいになっている。
楽譜の事は、なんて言おう。
破ったのは、朝川だけれど、大切にしなかったのは自分なんだ。
正直に話そう。
同じものなんてないけれど、この前と同じ気持ちで弾いたら、きっと同じ曲になるはず。
15時を過ぎたあたりにロビーに着くと、フロントは団体客でごった返していた。
仲居さん達も忙しく動き回っている。
「あっ、あなた。」
この前の仲居さんが優衣に気が付いた。
「忙しそうですね。」
「今日は花火があるのでね。」
優衣はロビーの端の方に座ると、携帯がなった。
朝川や母から、何度も電話がきていた。
優衣は携帯の電源を切る。
昨夜の朝川の顔が浮かんできて、優衣は固く目を閉じた。
誰かが優衣の肩を叩く。
「花火、中止だよ。」
ナオはそう言って、優衣の隣りに座った。
「ずっとここにいたの?」
「いつの間にか眠ってしまったんだ。」
優衣は目を擦った。
「本当に不用心な子だね。」
ナオはそう言って笑った。
「明日は仕事?」
「辞めてきたの。」
「本当に?」
「本当だよ。」
「どうして、急に。」
「ナオがせっかくくれた楽譜、失くなったの。それで、もう、何もかも嫌になった。」
「それだけ?」
「それだけ。私にはすごく大切なものだったから。」
「楽譜ならいつでも書いてあげるのに。」
「同じものって、二度とできないよ。だってナオの曲、毎回少しずつ違うもの。」
「よく知ってるね。」
「私、耳だけはいいの。」
「ピアノ、弾く?」
「うん。」
ナオが左手を弾くと、優衣は右手に弾いた。
雨が少し強くなった頃、
「優衣。やっぱりここか。」
朝川に右手を掴まれた。
「帰ろう、みんな心配してる。」
「帰らないよ。」
朝川はナオを見ると、
「もう、優衣にかまうのはやめてください。」
そう言った。
「朝川くん、この人は関係ないの。それに、朝川くんの事は、好きじゃない。」
「優衣をこんな所に連れてくるんじゃなかったよ。」
ナオは何も言わず、立ち上がった。
「帰ろう。今日の事は、怒ったりしないから。」
優衣は朝川の手を解いた。
「さようなら、朝川さん。」
「優衣。」
「この前、朝川さんと付き合ってるって子が、私の所に来たよ。結婚はできないけど、関係は続けていこうって言われて悩んでた。」
優衣は朝川に背中を向けると、窓を流れる雨を見つめた。
朝川が帰ったあと、ナオが優衣の肩に手をおいた。
「ずいぶん、強いんだね。」
優衣の頬につたう雫は、雨なのか涙なのかわからない。
「こんなふうにしたのは、ナオだよ。」
「俺が?」
「ムラマサの事で頭がいっぱいだった時から、ずいぶんと言いたい事が言えるようになった。」
「そういう事か。」
ナオは優衣の髪を撫でた。
「ムラマサの妖刀は実際しないって言っただろう。あのバンドもみんなが作り上げた虚像なんだよ。もし、君がムラマサを知って、変わったって言うなら、それは元々の本当の自分が出てきただけ。」
「……。」
「あんなふうにはっきり言葉を投げるんだね。だけど俺もずるいから、もう人とモメるのはたくさん。」
ナオは優衣の隣りで雨を見つめていた。
「ごめんなさい。ここに来る前に、ちゃんも話してくればよかった。」
本格的に降ってきた雨は、小さな川を作り、窓を流れていく。
「花火、明日に延期になったたよ。今日は俺の部屋に泊まっていきな。どうせ、行き当たりばったりで、動いてるんだろうしさ。」
隣りで眠っている朝川を残して、優衣は仕事へ向かった。
朝川が自分を触った感覚を思い出すたびに、体を切り刻んでほしいとさえ思ったりする。
「青田さん、本当に大丈夫なの?」
「はい。ぐっすり寝ましたから。」
「救命士が彼氏なんて、頼もしいわね。」
優衣は愛想笑いをした。
ナースコールがなった。
「私が行きます。」
朝、看護師長が出勤してくる。
「あら、青田さん。お休みにしたはずなのに、なんでいるの?」
「師長、話したい事があります。申し送りが終ったら、少し時間をください。」
優衣の実家に泊まっていた朝川は、まだ開けきらない目で、優衣の手を握ろうと探したが、隣りに優衣はいなかった。
先に起きたのか?そう思い、下へ降りていくと、
「おはよう。優衣はまだ寝てるの?」
優衣の母がそう言った。
「先に起きてると思ったんですけど。」
「えっ?」
窓を見ると、優衣の車がなくなっていた。
「あの子、どこへ行ったのかしら。」
「話しってなんですか?」
夜勤を終えた優衣は、師長とミーティングルームに入っていた。
優衣は退職届を出した。
「何を急に。こんなのルール違反よ。」
「わかっています。でも、もうこちらにはいられません。」
「大学病院から来たっていうから、期待してたのに、恩を仇で返されたわね。」
「申し訳ありません。」
怒りが収まらない師長は、看護部長に電話をしていた。
ミーティングルームから出てきた優衣に
「青田さん。」
看護助手の松川が声を掛ける。
「本当に辞めちゃうの。」
「ごめんなさい。松川さんにはたくさん助けてもらったのに。」
「これからどうするの?」
「ここから離れて暮らします。」
「そう。看護師長、どんな顔してた?」
「呆れてました。」
「あの人、うんと困ればいいのよ。青田さん、今までありがとう。これから頑張ってね。」
「こちらこそ、いろいろありがとうございました。」
病院を後にした優衣は、ナオの元へ向かった。
体は眠いはずなのに、頭の中はナオでいっぱいになっている。
楽譜の事は、なんて言おう。
破ったのは、朝川だけれど、大切にしなかったのは自分なんだ。
正直に話そう。
同じものなんてないけれど、この前と同じ気持ちで弾いたら、きっと同じ曲になるはず。
15時を過ぎたあたりにロビーに着くと、フロントは団体客でごった返していた。
仲居さん達も忙しく動き回っている。
「あっ、あなた。」
この前の仲居さんが優衣に気が付いた。
「忙しそうですね。」
「今日は花火があるのでね。」
優衣はロビーの端の方に座ると、携帯がなった。
朝川や母から、何度も電話がきていた。
優衣は携帯の電源を切る。
昨夜の朝川の顔が浮かんできて、優衣は固く目を閉じた。
誰かが優衣の肩を叩く。
「花火、中止だよ。」
ナオはそう言って、優衣の隣りに座った。
「ずっとここにいたの?」
「いつの間にか眠ってしまったんだ。」
優衣は目を擦った。
「本当に不用心な子だね。」
ナオはそう言って笑った。
「明日は仕事?」
「辞めてきたの。」
「本当に?」
「本当だよ。」
「どうして、急に。」
「ナオがせっかくくれた楽譜、失くなったの。それで、もう、何もかも嫌になった。」
「それだけ?」
「それだけ。私にはすごく大切なものだったから。」
「楽譜ならいつでも書いてあげるのに。」
「同じものって、二度とできないよ。だってナオの曲、毎回少しずつ違うもの。」
「よく知ってるね。」
「私、耳だけはいいの。」
「ピアノ、弾く?」
「うん。」
ナオが左手を弾くと、優衣は右手に弾いた。
雨が少し強くなった頃、
「優衣。やっぱりここか。」
朝川に右手を掴まれた。
「帰ろう、みんな心配してる。」
「帰らないよ。」
朝川はナオを見ると、
「もう、優衣にかまうのはやめてください。」
そう言った。
「朝川くん、この人は関係ないの。それに、朝川くんの事は、好きじゃない。」
「優衣をこんな所に連れてくるんじゃなかったよ。」
ナオは何も言わず、立ち上がった。
「帰ろう。今日の事は、怒ったりしないから。」
優衣は朝川の手を解いた。
「さようなら、朝川さん。」
「優衣。」
「この前、朝川さんと付き合ってるって子が、私の所に来たよ。結婚はできないけど、関係は続けていこうって言われて悩んでた。」
優衣は朝川に背中を向けると、窓を流れる雨を見つめた。
朝川が帰ったあと、ナオが優衣の肩に手をおいた。
「ずいぶん、強いんだね。」
優衣の頬につたう雫は、雨なのか涙なのかわからない。
「こんなふうにしたのは、ナオだよ。」
「俺が?」
「ムラマサの事で頭がいっぱいだった時から、ずいぶんと言いたい事が言えるようになった。」
「そういう事か。」
ナオは優衣の髪を撫でた。
「ムラマサの妖刀は実際しないって言っただろう。あのバンドもみんなが作り上げた虚像なんだよ。もし、君がムラマサを知って、変わったって言うなら、それは元々の本当の自分が出てきただけ。」
「……。」
「あんなふうにはっきり言葉を投げるんだね。だけど俺もずるいから、もう人とモメるのはたくさん。」
ナオは優衣の隣りで雨を見つめていた。
「ごめんなさい。ここに来る前に、ちゃんも話してくればよかった。」
本格的に降ってきた雨は、小さな川を作り、窓を流れていく。
「花火、明日に延期になったたよ。今日は俺の部屋に泊まっていきな。どうせ、行き当たりばったりで、動いてるんだろうしさ。」
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