純愛

小谷野 天

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15章

約束

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 やっと解けた引きつった縫い目。自由なった布同士が、穏やかに向かい合う。
 ごまかそうとすればするほど、次にどうやって繋げたらいいのか、あんなに悩んで迷っていたのに。
 糸をほどいてしまう事は簡単だったね。
 その勇気がなかなか出なかっただけ。

 秋田に戻ってきた次の日。

 悠は熱を出した。
 年末からずっと体調が悪かったけれど、なんとなく、そのうち治るだろうとやり過ごしていた。
 昨日、自分の部屋へ戻ってきた安堵からか、悠はとうとう高い熱を出した。
 そばにはずっと尚がいる。
「伝染るから、自分の家に戻って。」
 悠はそう言ったが、尚は離れなかった。
 悠が何度も寝返りを打つ横で、尚は大学の課題をやっていた。
「明日、病院へ行こうか。」
「大丈夫。もうすぐ下がるから。」
 尚が悠の額に手を当てる。
「まだ、下がらないみたいだね。」
 悠は目を閉じた。
 
 少しすると、
「ねえ、私の手袋が片方ないの。」
「どうした、悠?」
「これじゃあ、打席に立てないよ。」
 悠は何かを探している。
「悠、野球はもうしなくていいんだ。」
「せっかく買ってもらったばかりなのに。」
 尚は虚ろな悠を落ち着かせる。
「ほら、薬飲みなよ。明日は病院へ行こう。」
 そう言って、市販の解熱剤を悠に渡した。
「ありがとう。」
「水、少し多めに飲まなきゃダメだよ。」
「うん。」
「悠。ちゃんと食べてたのか。」
「だって監督が食べろって、いつも言うじゃない。私、ちゃんと食べてるよ。」
「もう、わかったから。」
 尚は悠をベッドに寝かせた。
 ぬるくなった悠のアイスノンを取り替えた。
 悠はさっきから腰をさすっている。
 やっぱり、キャッチャーは辛かったのか?
 尚は悠のさすっている腰に手を置いた。
 悠は安心したようにまた眠りに落ちる。
 さっきから、夢の中と現実を行ったり来たりしている悠は、なんだかこのまま消えてしまいそうだった。
 
 午前2時。 
 課題をやっていた途中で、眠ってしまった尚を、悠は起こした。
「そんな所で寝てたら風邪引くよ。」
 悠の熱い手が尚を手を掴む。
「悠こそ、大丈夫なのか?」
「ここにもう一つ布団があるの。尚、使って。」
「そうだったな。」
 ペットボトルの蓋が、なかなか開かないでいる悠に気がつくと、尚はそれを開けて悠に渡した。
「ありがとう。尚に何度も助けられたね。」
「もう、寝なよ。また、熱が上がってきたんだろう。」
「大丈夫だよ。」
 悠はそのまま、床に倒れ込んだ。

 どれくらい眠ったのか、眠り過ぎて体のあちこちが痛む。
「悠、気がついた?」
 母が悠の顔を覗いた。
「お母さん、どうしたの?」
 悠は上を見上げると、真っ白な天井がひろがる。腕を動かそうとすると、その手には点滴が繋がっていた。
「病院なの?」
 父の後ろに、尚が見える。
「尚。」
 悠が呼ぶと尚が悠の近くに来た。
「悠、聞いて。」
 母が話し始める。
「悠、子供の頃からよく熱を出してたでしょう。ほら、溶連菌ってよく言われてた風邪。本当は熱が下がっても、ちゃんと菌がいなくなったか検査が必要だったんだけど、元気になったからって、病院なんて行かなったよね。少しずつ体の中に残ってた菌が、腎臓に溜まって、時々、悪さをしてたみたいなの。今はね、点滴で溜まった菌をなんとか追い出そうとしてるんだけど、なかなかすぐにはキレイにならないみたい。片方の腎臓はもうあんまり働けないかもって、先生が言ってた。」
 悠は母の顔をじっと見ていた。
「ごめんね。お母さんがちゃんと病院に連れて行っていたら。」
 悠は首を振った。
「お母さんのせいじゃないよ。」
 悠は尚を見つめると、また目を閉じた。

 1週間後。
 
 退院した悠は尚の部屋にきていた。

「ごめんね。いろいろ迷惑掛けて。」
「良かったな、腎臓も良くなったみたいだし。」
「熱を出してから、入院してた時の事、あんまり覚えてないの。みんな切り取られたみたい。」
 尚は悠の肩に手を回した。
「熱でうなされた時、探し物したり、俺の事を監督と間違えてたり、そうとう辛かったみたいだよ。」
「そうだったの?ぜんぜん、覚えてない。」
「辛い時って、辛い時の思い出しか出てこないのだろうな。昔、自分がそれから乗り越えた方法を、なんとか思い出そうとするのかも。」
「そうなのかな。ねえ、尚。私、他になんて言ってた?」
「それはね……、教えないよ。」
「なんで?」
「こう言うこともあったんだなって、思ったから。」
「ねえ、教えて。」
「教えない。」
 尚は悠を抱きしめた。
「これから、なるべく熱を出さないようにしないとね。」

 浴室から出た尚は、窓を見ていた悠の背中を抱きしめた。
「こんなに小さくなったら、ホームランなんか打てないな。」
「打たなくていいよ。バントするから。」
 悠はそう言って笑った。
「本当に勝ち気だね。」
「尚だって、意地っ張り。クリスマスも1人だったんでしょう。」
「そうだよ。悠は?」
「私はあの秋田犬ゴロウの家に呼ばれた。」 
「ずるいな。俺も誘えよ。」
「あの仔犬、藤本さんの家から逃げたしたみたいだよ。」 
「そうだったんだ。」
「今はね、藤本さんの所にいる。」
「あのフサフサは雑種なのか?」
「秋田犬だって。たまに、そういうのか生まれるらしいよ。」
「冬はあったかいだろうな、」
「本当だね。」 
「そろそろ、寝ようか。疲れただろう。」
「そうだね。」
 尚の腕枕で、悠は目を閉じる。
「帰ってきて、いろんな事があったね。」  
 尚はそう言った。
「本当に。」
 目を閉じている悠は、尚の胸に顔を近づけた。
「悠。」
「何?」
 目を開けて悠は、尚を見上げた。
 尚は悠の頬に手をやると、何度もキスをして悠の体を包んだ。
 
 朝。

 まだ眠る尚の手を悠は握った。
「おはよう。」
「おはよう。悠、まだ早いから、もう少し寝よう。」
 尚は悠を胸に抱いた。 
「悠。」
「ん?」
「あと4ヶ月で、やっと二十歳か。」
「そうだね。尚は?」
「俺は25になるのか。19の彼女なんか、少し前まで、信じられなかったわ。」
 尚は悠の髪を撫でた。
「尚……。」
 悠は尚の胸に顔をうずめた。
「どうした?」 
 尚は悠の背中を優しく包む。
 言いたい話しはたくさんあるのに、どんな風に伝えたらいいか言葉が見つからない。
 2人の間に静かな空気が溶けあって流れていく。

 悠はそのまま眠っていた。
 起こしておいて、先に眠るのかよ。
 尚は眠っている悠に静かにキスをした。

 もう一度人生が選べたとしても、
 また同じように君を探すよ。
 たまたま隣りに座っただけじゃない。
 こうして隣りに座る日を、俺はずっと待っていたんだ。
 
 君が見た歪んだ夕日も、
 降り続い雪も、
 キレイに線の入ったレントゲンも、
 左で構えた真剣な目も、
 引き出しにあったボタンも、
 机に置いてた部屋の鍵も、
 君に繋がった点滴も、
 窓に置かれた汗をかいたお茶も、

 ひとつずつ停まって、
 やっとここまできたんだね。
 この先の景色は、2人で見ようか。
 
 疲れたら寄り掛かっても眠ればいい。
 君に見せたい景色が広がったら、また起こしてあげるから。

 終。
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