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私の愛しき人
しおりを挟む「そろそろぼくは死ぬみたいだ」
さり気なく彼が言う。
私は驚き、聞き返す。
「えっ?今何て言ったの?」
「そろそろ死ぬようだって言ったんだ」
彼は私を見、ほほ笑みを浮かべている。
初めはとても信じられず、私はすぐには言葉が出なかった。けれども、特殊な事情の彼だから、そんなこともあるのだろうか、と思い直した。
「分かるもんなの?」
私が尋ねる。
「分からないもんなの?」
彼が聞き返した。その言葉に私は声をつまらせた。
数ヶ月前、アパートの私の部屋の前に若い男が座っていた。会った覚えがない。見知らぬ男だったが、相手は私を知っているふうだった。
彼の話は私にはよく理解できないことばかりだったけど、彼は私のことを心配してくれているらしい。邪気のない表情に私は心を許し、自然と部屋に入れ、そして、一夜を共にしてしまった。
その途中で私は彼の正体に気付いた。彼は私が長らく飼っていた金魚のコタロウだった。
その頃の私は長く付き合っていた恋人と別れ、さみしい日々を過ごしていた。それがコタロウには分かったのだろう。彼は自身の体から抜け出し、ちょうど近所で気を失っていた若者の中に乗り移り、私に会いに来てくれたのだった。
一夜明けると、若者は正気に戻り、何故自分がここにいるのか合点のゆかないままに私の部屋を出て行った。
昨夜は水槽の底でぐったりとしていたコタロウは元に戻り、ゆったりと泳いでいる。
私はコタロウの気持ちが嬉しくて、どうにかして再び彼に逢えるよう考えた。
以前より私を慕っていた後輩の男を誘って部屋に引き入れ、友人の看護師から融通してもらった睡眠薬を盛った。気を失ったように眠る後輩を確認し、水槽のコタロウに呼びかけた。
「コタロウ、この体に入ってきて」
すると後輩はたちまち目を覚ました。
「コタロウ?」
聞くと彼は頷いた。姿形は後輩でも邪気のない様子はこの前のコタロウだった。私の計画は成功。私は再び彼との逢瀬を楽しんだ。
それからは事あるごとに後輩を誘い、コタロウを乗り移らせた。さすがに、頻繁に薬を盛るわけにはいかず、後輩が普通の睡眠をとっている間にコタロウが乗り移った。
そのため、私と後輩は恋人として付き合う形になった。
後輩は優しくていい子だったけど、コタロウのような魅力には欠けている。平凡な男だ。
私は後輩に悪いとは思いながらも、この世のものではありえない恋愛に夢中になっていた。そんな中、コタロウが自分の死が近いことを告げたのだ。
金魚の寿命は幾らぐらいだったろうか。コタロウは私に飼われて十年近く経つ。金魚としての天命は終わりが近づいているのだろう。では、この後輩の体に居続けたら?人の寿命を授かるのだろうか?
私はコタロウに言ってみた。
「金魚の体の寿命が近づいているのなら、今のこの体に入り続けていたら?それならずっと生きてられない?」
コタロウはしばし考えて答えた。
「それなら多分。この体ならまだまだ大丈夫そうだね」
それなら、と言おうとして踏みとどまった。コタロウが後輩に簡単になり変われるとは思えない。やるなら相当時間を掛けなければ。後輩を行方不明ということにさせて、この部屋で成り変わるための訓練ができるだろうか?どこかに引っ越すべきか?
私はあれこれと考えた。その様子をコタロウは心配そうに見ている。
「コタロウ。これからは毎晩、必ずこの体に移って。そして、人間になる練習をするの。人間のことを勉強して。この人のふりができるようになるまで」
コタロウは快く承知した。私はコタロウに教えこむあれこれを必死に考え、後輩の周辺を調査した。しかし、その努力も虚しいものだった。コタロウの死期は思ったよりも早かったのだ。
「もう、いかなくちゃいけないようだ」
数日後の夜にコタロウが言った。
「えっ!」
私は驚いた。
「今度金魚に戻ったらそこでおわりだ。いままでありがとう」
「いや!」
私は泣き叫んだ。
「逝かないで。そばにいて」
「ぼくもそうしたい。でもそれでいいの?」
そう聞かれて私は答えられなかった。このままこの体にとどまったコタロウと暮らす。そんな日常が本当に可能なんだろうか?
私が黙っていると彼はニッコリと笑った。答えを見つけたように。
「ここで別れよう。でも、また会える、きっと」
そう言い残しコタロウは消えた。あとには何も知らず眠る後輩がいるだけだった。
水槽を覗くとコタロウの体は横になって浮かんでいた。やはり死んだのだ。コタロウはいなくなってしまった。
私は深い喪失感でただ茫然とするだけだった。
それから、長い間立ち直れずにいた私を後輩は根気よく懸命になぐさめてくれた。私はその優しさにすがり、今こうしている。
「君のブログ読ませてもらったんだけど」
男が妻に言った。
「えっ、読んだの。興味が無いって言ってたのに」
妻は関心がなさそうに答えた。
「コタロウの話なんだけど」
「ああ、あれ。あれはまあ、ファンタジー?」
「ぼくが君の部屋に初めて行った時、訳もなく睡魔が襲って眠ってしまったよね」
「そうだった?」
「そうだよ」
「なに?あれ、私が薬を盛ったとでも思ってるの?」
「ぼくは君の後輩だし、交際してる間、君の飼っていた金魚が死んだよね。何より、君の部屋に泊まった時、よく変な夢を見ていたんだ。君が知らない別の誰かと会って話してるんだ。それもいつも同じ男なんだよ」
「なに、馬鹿なこと言ってんの。あれは全部私の作り話、金魚が人間に乗り移るなんてことあるわけ無いでしょう。ほんと、変なおとーさんですよね~、コタロウ」
妻は抱いていた赤ん坊にそう話しかけた。二人はデキ婚で、赤ん坊を授かったと分かったのは、金魚が死んでから三月後の事だった。赤ん坊は母親の言うことが分かるのか、おかしそうに笑うと、金魚のように口をパクパクと開けた。
終わり
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