ある患者

火消茶腕

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ある患者

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「今晩の見回りなんだけど午前2時25分ちょうどに来て。お願い!」
 ベッドに横たわったままでイズミさんが言った。真剣な顔つきだ。
 
 私は答えた。
「もちろん、深夜の見回りには必ず伺います。けれど、ご指定の時間通りにこの病室に来られるかどうかは、済みませんが約束できません。ほかの患者様との兼ね合いもありますので」
 そう型通りに返事をすると、イズミさんはひどくがっかりした様子だった。

「駄目?お願い、そこを何とか!」
 必死な様子が気になり、わけを聞いた。
「どうして、その時間でなければいけないのですか?」
 すると、イズミさんは意外なことを言った。
「ちょうどその時間に私は死んじゃうの。多分、何かの発作で」

「はあ?」
 私はイズミさんの顔をしげしげと見た。年は確か72歳。メインの疾患は腎臓病で、認知症は患ってはいないはずなんだけど。

「分かるわ。信じられないわよね。でも本当なの。私は今晩、発作みたいなのを起こすのよ。それで、それに気付いてもらえなかったようで、死んでしまうの。だから、私が発作を起こす午後2時25分に、あなたたちに来てほしいのよ」
 
 私は相手の顔をうかがった。私を担いでる様子はない。では、妄想か?入院すると普段の生活と大きく異なるため、それをきっかけとして妄想を抱く患者は時々いる。けれど、自分の死の予感を時間まで明確にして訴えるのは珍しい。
 
「どうして、そんな風に思うんですか?」
 私はイズミさんに尋ねた。すると、イズミさんは悪びれもせず答えた。
「それは実際に今晩何度も死んでいるから」
 
「はあ?」
 私は彼女の言っている意味が分からず、ただ相手の顔を見た。狂ってる?
 私の表情から自分の正気を疑われたのに気付いたのだろう。彼女はあわてて言った。

「昔ね、子供のころのことだけど、私は体が弱くてね。両親はそんな私のことを心配して、あるところにすがったらしいの。そのあるところっていうのは、謝礼さえ弾めば長生きできる力を授けてもらえる、と言われていたらしくて。私はその時は小さくて何も覚えてないのだけどね。とにかく、両親はそこに頼って、私は八十までは絶対に死なない、そんな体にしてもらったそうなのよ」
 
 何を言っている?
 私はさらに怪訝な目でイズミさんを見たのだと思う。彼女は訴えるように私に言った。
「もちろん、私も信じなかったわよ。大丈夫、ちゃんとあるところに頼んだから、八十までは絶対生きられるから、ってよく両親に言われたんだけど、私は自分の体が弱いことを苦にしていたから、そんな作り話で私を元気づけていると思っていたの」
 イズミさんは少し遠い目をした。
「あの頃、父や母のこと、全然信じてなかったけど、悪いことをしたわね」

「あの、それで何を言いたいんでしょう?」
 私は恐る恐る尋ねた。イズミさんはひょっとして、完全に狂ったんだろうか?

 私の言葉には答えず、彼女はさらに続けた。
「両親のそんな言葉、こうなるまではすっかり忘れてたのね。だけど、こんなことになってみると、原因はそれしか考えられないのよ」

「え~と、イズミさん?」
 私の言葉を無視して、彼女は言った。

「夜中、突然胸が苦しくなって、目が覚めたの。それはそれは苦しくて、呻いてもがいて、やがて気が遠くなって、気付いたら朝だった。それで、目が覚めてみるともう全然苦しいところはなくてね。ああ、寝てる間に治ったんだ、と思ったんだけど、でも、変だったの。テレビで日付を確認したら、目覚めたその日は今日、十月二十日だったんだけど、でも、私が発作を起こしたのも今日、十月二十日の夜で眠りについた後だったはずなのよ」

「え~と、つまり?」
 私は頭を巡らせた。

「どうやら、私は今日をやり直してるみたいなの。繰り返す一日っていうのかしら。夜中苦しくなって、目覚めたらまた二十日の朝に戻っていて、っていうのを何回か繰り返しててね。で、考えられることは、どうも私は夜発作を起こして死んでしまってるんじゃないかってことなのよ。すると、それでは八十まで生きたことにならないじゃない。だから、今晩死なないで済むように、もう一回今日をやり直すことができる、そんな力を私は子供のころ授かったんだと考えられるの。それでね。前回、やっと発作を起こす時間が確認できたの。それが午後2時25分」

 真剣そのものの表情だ。
 イズミさんが狂っているにせよ、本当に今日を何回も繰り返してるにせよ、面倒ごとは避けたかった私はここは穏便に済ませるようにした。

「わかりました。2時25分ですね。その時間にここに見回りに来ます」
 私はそう約束した。
「ただし、発作を起こしていないようだったら、特に何も処置は致しませんけれど、それで構いませんね」
 私の言葉にイズミさんはたいそう喜んだ。
「ああ、やってくれるの。ありがとう」
 身を起こし、私の手を握った。
「大丈夫、あなたがちゃんと2時25分に来てくれるなら、きっと発作を起こしているから」

 その晩、2時25分過ぎ、私はイズミさんの病室を見回った。
 イズミさんは何事もなくすやすやと眠っている。異変はなにもおきていないようだ。

 そのかわり、隣の病室では突然変調をきたし、生死の境をさまよった人がいて、さっきやっと落ち着いたところだった。
 イズミさんにも目をつけていたけれど、今朝、あんなことを言われたので隣の病室の人を選んだのだ。

 薬物でわざと変調を起こさせ、それを華麗に元に戻す。それを知らない同僚たちは、今回も私を驚異の目で見ていた。この仕事は本当に楽しい。やめられない。

終わり


 
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