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第一章
第17話 前世魔王だった僕は前世勇者だった男に求婚されたので逃げ出しました
しおりを挟む魔力をある程度取り戻すまで……などという悠長なことは言ってはいられない。
一刻も早くここから離れないといけない。
ゼムベルトは前世の記憶がないから、僕を妻に……とか言えるんだ。思い出したらその気持ちは冷めるどころか、凍り付くに違いない。
僕は今、ジュノーム=ティムハルトという一人の人間だけど、前世は魔王だったのだから。
あれから僕は気を失っていたらしく、客室のベッドの上に寝かされていた。
上体を起こした僕は大きな溜息をつく。
このパターンも三度目か……ゼムベルトのスキンシップの濃厚さが増すたびに気絶しそうで嫌だ。
僕は周囲を見回す。誰も居ないな。
いつの間にか寝間着を着せられている……ゼムベルトが着せたんだろうか? それともイプティーか? 後者はちょっと恥ずかしいな。少なくとも下半身は何も着ていなかったわけだから。
だからといってゼムベルトが甲斐甲斐しく寝ている僕に寝間着を着せたのかと思うと、それはそれで恥ずかしいけど。
夜中だからか、イプティーも此処に来る気配はない。
ゆっくりとベッドから降りて、衣装ケースの扉を開く。
僕用に作られたチュニックと深緑色のフード付きのローブがある。かなり防御性が高そうな素材で出来ている。
僕は寝間着からそれに着替えることにした。
ここまで良くしてもらって勝手に出て行く、というのは申し訳なく思う。子供たちに挨拶もなく立ち去るのも忍びない。
前世の僕だったら、難しいことなど考えずに、とっとと勇者を殺していただろうけど。
本当に情があるというのは不便なものだ。
だからこそ、ここにいるわけにはいかない。
ゼムベルトの顔を思い出すと胸が締め付けられる思いに駆られる。
「転移魔法」
ここから離れた場所に移動する時に使う呪文。
呪文を唱えると床全面に魔法陣が浮かび上がる。そして白煙が渦を巻き僕の身体を取り囲む。
上級魔法士でも限られた人間しか使えない高度魔法の上、魔力をかなり消費する。魔王の時だったら何てことはなかったが、今のジュノーム=ティムハルトの魔力では八割の魔力を消費してしまうだろう。
まぁ、二割の魔力が残っていれば、己の身を守ることぐらいは出来る。
呪文を唱えた直後、扉が開かれイプティーが入ってきた。
「ジュノーム様!?」
イプティーが驚きの声を上げて駆け寄って来る……ああ、気づかれてしまったか。だけどもう遅い。
ごめん……イプティー、君には世話になったのに。だけど、僕はここにいるわけにはいかないから。
イプティーがこちらに手を伸ばしてきた瞬間、視界は真っ白になった。
「――――」
先ほどまで豪華な部屋だった光景は一瞬にして、真っ暗闇に変わった。
ふかふかの絨毯が敷かれていた床も土の地面に。
豪奢な家具が置かれていた周辺も、木々が生い茂り密集している。
転移はあっけない程に成功した。
ここはどこだろう?
灯り一つ無い真っ暗な森の中、突き刺さるような視線を感じ、僕は周囲をぐるりと見回した。
いくつもの赤く光る目がこっちを見ている。
ぐるるる、とうなり声が八方から聞こえてきた。ああ、魔界にもよくいたなぁ、この手の魔物たちは。奴らは群れで行動する。
唸り声からして、恐らくダークウルフの群れだろう。
人間の肉の匂いを嗅ぎつけ、ぞろぞろと集まってきたみたいだ。
……やれやれ、面倒な場所に転移してしまったようだな。
そんなことを考えていると、ダークウルフたちが咆哮を上げて一斉に飛びかかってきた。
僕はぱちんと指を鳴らし、呪文を唱える。
「風刃乱舞」
その瞬間、刃と化したつむじ風がいくつも生じ、ダークウルフたちを切り裂いた。
暗闇の中、魔物たちの悲鳴が響き渡る。
飛びかかろうとした狼たちは、僕の肉を引きちぎる前に自分たちの腹や胸を裂かれ、そのまま地に落ちた。
僕は側にある木の幹に凭れずるずると座り込む。
あー、疲れた。
電流防御魔法を張ったら、ここで仮眠しよう。こいつは攻撃魔法の防御だけじゃなく、敵が防御のドームに触れると、電流が流れる仕掛けつきの防御魔法だ。
そして防御力の高いこのフードマントは温感魔法がかかった優れ物だ。幸いここは樹のエネルギーに満ちているから、魔力の回復も早いはず。
魔力を回復する薬も持ってきているけれど、あまり無駄に使いたくはないからね。出来れば寝て回復したい。
僕は木の幹に背を預け、しばらくの間眠ることにした。
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