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「アイリーシェ」
名前を呼ばれたアイリーシェこと、アイリーシェ・フランシスカは盛大に顔をしかめた。もう、それはそれは嫌そうに。
名前を呼んだ青年はファレノプシス・デュール。デュール王国第一王子である。
アイリーシェはこの男に気に入れられて、現在、婚約者となっている。しかし、アイリーシェは盛大に顔をしかめるほどにこの婚約に反対していた。好きでないし、デュール王国のファレノプシスは鬼畜で冷酷だと近隣諸国で有名で、大陸随一の権力と財力をもってしても、嫁ぎたくない先ナンバーワンと密やかに囁かれている。
実際に流れてくる噂は酷い。権力者ゆえに命を狙われるのは、権力ゆえ。仕方ない。しかし、その撃退方法があまりにも残酷すぎた。普通に殺すのではなく、じわじわとゆっくり、拷問しながら殺すらしい。
幼なじみの王妃筆頭の令嬢は、その時のことを想像して卒倒したと聞いた。それが理由で婚約破棄になったとも。
あくまで噂。しかし、それを裏付けるような発言や行動が多い為、噂は広まる。
婚約破棄となり、ファレノプシス王子は他国に花嫁を募り、デュール王国にて花嫁選抜というなの舞踏会が開かれた。
アイリーシェも招かれた国の一つで、フランシスカ帝国、第三皇女。
姉二人は除外された。一人は跡継ぎであるからだ。しかし、もう一人は、拒否したのだ。皇女あるまじき行為であるが、病弱で転移魔法に耐えうる体力がないとみなされ、候補から外され、アイリーシェにまでその話は回ってきた。
アイリーシェが花嫁になることは限りなくゼロ、というかほとんどありえないが、誰も出席しないというのは体裁がわるい。しかし、幼い妹たちに行かせるのはもっと危険だ。
だから、アイリーシェは大人しく舞踏会に出席し、つづがなく終わらせ、さっさと帰る心積もりでいた。回りの重臣たちも、アイリーシェを他国へ嫁がせたくない為、顔を出すだけでよかった。
しかし、一瞬のミスで、アイリーシェは嫁ぐつもりのない王子に気に入れられてしまった。
その出来事は、舞踏会一日目に訪れた。
夜の帳が降りて、空が橙色から夕闇に変わる頃、舞踏会は幕を開けた。
城で一番大きな広間、鏡の間と呼ばれる所で行われた。
部屋を照らすのは数え切れないくらいの最高級クリスタルのシャンデリアと、施された光魔法。その光は照らすだけではなく、鏡が張られる部屋を輝かせる役割がある。
幻想的な空間の下、舞踏会は滞りなく進んでいた。
冷酷で残酷な王子であるが、容姿は最上級。光を浴びて輝く銀髪に、冷ややかに細められる紫の瞳は宝石のように煌めいていた。すっきりとした顔立ちに、 整った各パーツが配置されている。
(女性が好みそうな容姿ね)
と、遠く離れた場所から眺めながら、アイリーシェはファレノプシスをそう評した。
その評価した通り、彼の周りは花に群がる蝶で溢れている。
色とりどりの衣装を身に纏い、蜜を得ようともがいている。
噂など、まるでなかったように。
競い、蹴落とそうとしている。
大陸随一の権力と財力に加算された容姿で、どうやら噂は霞んだらしい。
(まあ、早く決めてもらった方が有り難いし、頑張ってほしいわ)
あの中からさっさと選べばいい。
お気に入りを、王妃として。
選ばれた王妃には同情する。暗殺者とあの王子の相手をしなければならないのだ。そんな人生、アイリーシェは真っ平ごめんだ。
国で平穏に過ごしたい。
結婚も、必要なら条件のあう男性とならしてもいいと思っている。
国もアイリーシェの力を認めて、趣味も容認しているのだから。
(早く帰って、愛でたい!)
だから、この退屈な時間が早く過ぎるのを祈った。
その声が聞き届けられたのか、退屈な空間は一瞬で終わりを告げた。
暗殺者の来訪という形で。
辺りが真っ暗になった。周りで令嬢や各国の姫君たちが悲鳴を上げ、騒ぐ。
その中でもアイリーシェは冷静だった。
夜目が利くアイリーシェは目を凝らしながら、辺りを見回す。
そして、黒に溶け込む服装の人間が三人いることに気が付く。それが、王子を目掛けて走っていくことにも。
しかし、この国の王子が、気付かないはずがなく。
部屋の光を戻すと同時に、暗殺者たちを圧倒的な魔法で拘束した。
ガシャンと武器を落としながら、三人で一纏めにされ、身動きできずに、顔をしかめている様が見えた。
さすが、と言うべきだろう。それほど、手際がよかった。
暗殺され慣れているだけはある。
顔色一つ変えない王子と、顔色が悪い取り巻き。
顔色が悪い者たちは改めて実感したことだろう。彼に選ばれるという、その立場と危うさに。
(噂の真偽が分かるかもしれない......いや、ここでそんなことするはずないか......)
と思っていたら、彼は場所や、集まっている人間など関係ないらしい。
真っ赤な炎を片手に生み出すと、暗殺者に与えようとする。
「依頼主は誰だ?」
冷めた顔で、冷めた顔で問いかけた。
三人とも口をつぐみ、誰一人喋ろうとはしなかった。
会場中が息を潜めて行く末を見守る中、王子はため息をついた。
「話さないなら、用は無い」
それが、合図なのだろう。
周りで息を呑む者たちがいた。
アイリーシェはこんな場所で危険な魔法を使うこと、暗殺者たちを始末しようとすることに怒りを感じていた。
(殺させない!)
咄嗟に移動魔法を使い、間に割り込む。
「っ!?」
王子と周りが息を呑む。
アイリーシェは簡素ながらも強度の強い結界を張った。
そのお陰で惨劇は起こらなかった。
しかし、アイリーシェの隠していた魔法力を明かすことになってしまった。
アイリーシェは青ざめる。
反対に、王子や側近たちは歓喜していた。
しかも、殺されそうになっていた暗殺者たちまでもが。
その様子を見て、嵌められた、と思った。
でも、既に遅かった。
(誰か時間を戻してください!)
周りの状況を眺め、アイリーシェは嵌められたのだと瞬時に悟った。そして、自分が花嫁という、ありがたくもなんとも無い肩書きを手に入れてしまったと理解する。
大陸中に蔓延る噂話より確実なのは、この国の者達は意地悪で、演技が上手だということだ!
あんな大人数が集まる場で始末しようとするなど、有り得ない。あれが本当に送られてきた刺客ならばどうしていたのか想像したくはない。あの調子なら軽く屠った気もするし、きちんと別室に連行し、しかるべき対処を施してから身柄をどうするのか考えたかもしれない。
考え込んでいるアイリーシェの目の前にファレノプシスがやって来た。
「我が国の花嫁は貴女が相応しい。フランシスカ帝国第三皇女、アイリーシェ」
紫水晶のような瞳を眇め、ファレノプシスはアイリーシェを見下ろす。その声には僅かに興味という名の熱が込められているような気がした。
アイリーシェは一瞬だけ顔を顰め、次いで微笑みを浮かべる。その間の時間は一秒にも満たないからファレノプシスからもアイリーシェの表情の機微はわからなかっただろう。
「まぁ、わたくしが貴方様の花嫁?貴方様の花嫁は先程まで戯れておられた花たちではなくて?」
アイリーシェは皮肉を込めて返事をすると周りは騒然とする。
アイリーシェの返答が些か慇懃である為だろうが、周りにとやかく言われる筋合いはない。
ファレノプシスに咎められるならまだしも、周りの国の者にその資格はない。
フランシス帝国は大陸二位に君臨し、デュール王国が同等と認める唯一の国だからだ。といってもアイリーシェはフランシスカ帝国の跡継ぎではない為頻繁に国外へ赴くことはなく、姉の第一皇女リュテシューラほどファレノプシスと面識があるわけではない。彼が激昂する可能性もあった。
しかしファレノプシスはアイリーシェの物言いに対して表情を変えることなく、淡く微笑みを浮かべたままだった。
「余興に驚いて離れていくような花はいらないよ。僕が欲しいのは強い花だもの」
「.....左様でございますか。ですが、わたくしも強い花ではないですよ」
アイリーシェはさりげなく自分も除外してくれと仄めかす。
「余興に驚くことなく対処した貴女が?リュテシューラ姫も君のような妹がいるなら教えてくれればいいのにね」
「.....身に余る光栄でございますが、わたくしは婚約を承認する権利を持ちえません故、この場でお返事することはできません。また後日、使者を送るということで宜しいでしょうか?」
ファレノプシスと言い合っていても埒が明かないと悟ったアイリーシェは国の重臣たちに任せようと、この場は逃げることにした。
もちろん了承してもらえると思った。
しかし、アイリーシェの考えは甘かったのだ。
ファレノプシスはアイリーシェと更に距離を縮め、身体を抱き上げる。ふわりと浮き上がる身体に呆然とし、アイリーシェは反応に遅れた。
「殿下!?」
アイリーシェはすぐさまファレノプシスから逃れようともがくが、びくともしない。
「うん、人目のある所で話していても仕方ないし、ちょっと二人きりになれるところへ行こうか?」
耳元で小声で囁かれ、アイリーシェは頬を赤く染める。
(耳元で囁かないで!しかも二人きりになれるところへですって!?冗談じゃないわ!)
そんなところへ連れ込まれたら既成事実を作られる可能性もあるし、婚約成立の噂が流れる。
そう思っていても口に出すのは憚られる。
口に出すことで更に現実味を帯び、真実になってしまうから。
アイリーシェは周りにいるはずの付き添いと使者を探す。助けを求め視線を巡らせるが彼等は真っ青になって絶望しているらしく、役に立ちそうにない。我に返るまで助けがあることを期待するだけ無駄のような気がした。
ファレノプシスはアイリーシェの動揺と落胆も気にも留めず扉へ向かう。
ゆっくりと豪奢な扉が開き、廊下へ出る。
廊下へ出た瞬間、会場内から色んな声が聞こえた気がするがアイリーシェもそれどころではなかった。
会場から出たファレノプシスは転移魔法を展開し、私室へと赴いた。
「殿下っ、離してください!」
「離したら貴女は逃げるだろう?」
アイリーシェは言葉に詰まった。ファレノプシスが述べた通り、離してもらえたらすぐ逃げるつもりだ。
相手がファレノプシスでなければアイリーシェも魔法で逃げられただろう。だが、相手がファレノプシスでは無理だ。彼は魔法にも特化している。離してもらっても逃げ切れるとは思えないが、多少の距離は保てる。
「まったく今まで僕から隠れていたなんて、酷い人だね?」
「わたくしは貴方様の花嫁にはなりません!」
「はっきりと断るね、アイリーシェ。でも、僕から逃れられると思うの?」
ファレノプシスの執着ともとれる言動にアイリーシェは顔を強ばらせる。
アイリーシェには理解出来なかった。何故ファレノプシスがここまでアイリーシェに執着を見せるのか。
アイリーシェは確かに結界を張ったし、魔法の前に出ていく度胸も持ち合わせている。しかし、それだけだ。目の前で大惨事を見たくなかったから故に行動を起こしただけであって、まさか、ファレノプシスに見初められるなどとは夢にも思っていなかった。
あれが狂言であったと見抜いていたならば。いや、助けられるからと手を出さなければこんなことにはならなかったと、後悔しても遅いが、後悔してしまう。
「僕は強い人が好きなんだ。だからもっと貴女を知りたい」
ファレノプシスはアイリーシェを抱き上げたまま告げる。
顔をのぞき込まれながら告げられ、ファレノプシスの目が露わになりアイリーシェを射抜くように見つめていた。紫色の瞳には強い欲望が滲み、アイリーシェは冷や汗をかく。
ファレノプシスは扉を片手で開け、中へ入る。
中に入った瞬間シャンデリアに灯がともり、室内が明るくなる。
初めて入るファレノプシスの私室は落ち着いた雰囲気だった。柔らかな色合いの壁紙に調度品。その内のソファに降ろされる。
アイリーシェを降ろすとファレノプシスは隣に腰掛けた。
目の前でなく、隣にだ。
(.....距離が近い!)
声を大にして言いたいが、口を噤む。
「貴女をもっと知りたいから、傍にいたい。ねぇ、教えて?」
ファレノプシスに懇願ともとれる囁きをされ、アイリーシェは答えに困る。
アイリーシェはファレノプシスと結婚するつもりはない。興味もない。
はっきりそう言えればいいのだが、言ったらどうなるのかわからなくて怖い。
フランシスカ帝国は無事だろう。しかし、他国は確実に余波を受けるだろう。
それがどんな風に齎されるのかは予想すらできないが、禍のように世界を浸食するのではないだろうか?
そう思えば、アイリーシェは言葉を紡ぐことすらできない。
「何故そんな難しそうな顔をしているの?」
「なんと、お答えすればよいのかと、考えております」
「堅苦しい喋り方はしなくていいよ。それより、貴女の話をしてよ」
「話すことなど、ありませんわ。早くわたくしを会場へ戻してください」
「戻って、どうするの?」
「花嫁を選び直してくださいませ」
アイリーシェは思い切ってそう告げる。
アイリーシェは国に帰りたい。帰って、愛でたいのだ。可愛いあの子達を。
そして、平穏に暮らしたい。
この国の王妃になるつもりは無いのだ。
ファレノプシスの反応を見るのが怖い。
しかし、見なければ。
そっと窺うと、彼は激しい怒りを見せた。
「どうして否定の言葉ばかりこの唇は紡ぐんだろう?優しくではなく、恐怖で支配しなければいけないのかな?初めては初夜でなく、今ここで奪った方がいい?そうすれば、観念してくれる?」
ファレノプシスは怒りとは裏腹に、優しく唇を撫で、アイリーシェを組み敷いた。
名前を呼ばれたアイリーシェこと、アイリーシェ・フランシスカは盛大に顔をしかめた。もう、それはそれは嫌そうに。
名前を呼んだ青年はファレノプシス・デュール。デュール王国第一王子である。
アイリーシェはこの男に気に入れられて、現在、婚約者となっている。しかし、アイリーシェは盛大に顔をしかめるほどにこの婚約に反対していた。好きでないし、デュール王国のファレノプシスは鬼畜で冷酷だと近隣諸国で有名で、大陸随一の権力と財力をもってしても、嫁ぎたくない先ナンバーワンと密やかに囁かれている。
実際に流れてくる噂は酷い。権力者ゆえに命を狙われるのは、権力ゆえ。仕方ない。しかし、その撃退方法があまりにも残酷すぎた。普通に殺すのではなく、じわじわとゆっくり、拷問しながら殺すらしい。
幼なじみの王妃筆頭の令嬢は、その時のことを想像して卒倒したと聞いた。それが理由で婚約破棄になったとも。
あくまで噂。しかし、それを裏付けるような発言や行動が多い為、噂は広まる。
婚約破棄となり、ファレノプシス王子は他国に花嫁を募り、デュール王国にて花嫁選抜というなの舞踏会が開かれた。
アイリーシェも招かれた国の一つで、フランシスカ帝国、第三皇女。
姉二人は除外された。一人は跡継ぎであるからだ。しかし、もう一人は、拒否したのだ。皇女あるまじき行為であるが、病弱で転移魔法に耐えうる体力がないとみなされ、候補から外され、アイリーシェにまでその話は回ってきた。
アイリーシェが花嫁になることは限りなくゼロ、というかほとんどありえないが、誰も出席しないというのは体裁がわるい。しかし、幼い妹たちに行かせるのはもっと危険だ。
だから、アイリーシェは大人しく舞踏会に出席し、つづがなく終わらせ、さっさと帰る心積もりでいた。回りの重臣たちも、アイリーシェを他国へ嫁がせたくない為、顔を出すだけでよかった。
しかし、一瞬のミスで、アイリーシェは嫁ぐつもりのない王子に気に入れられてしまった。
その出来事は、舞踏会一日目に訪れた。
夜の帳が降りて、空が橙色から夕闇に変わる頃、舞踏会は幕を開けた。
城で一番大きな広間、鏡の間と呼ばれる所で行われた。
部屋を照らすのは数え切れないくらいの最高級クリスタルのシャンデリアと、施された光魔法。その光は照らすだけではなく、鏡が張られる部屋を輝かせる役割がある。
幻想的な空間の下、舞踏会は滞りなく進んでいた。
冷酷で残酷な王子であるが、容姿は最上級。光を浴びて輝く銀髪に、冷ややかに細められる紫の瞳は宝石のように煌めいていた。すっきりとした顔立ちに、 整った各パーツが配置されている。
(女性が好みそうな容姿ね)
と、遠く離れた場所から眺めながら、アイリーシェはファレノプシスをそう評した。
その評価した通り、彼の周りは花に群がる蝶で溢れている。
色とりどりの衣装を身に纏い、蜜を得ようともがいている。
噂など、まるでなかったように。
競い、蹴落とそうとしている。
大陸随一の権力と財力に加算された容姿で、どうやら噂は霞んだらしい。
(まあ、早く決めてもらった方が有り難いし、頑張ってほしいわ)
あの中からさっさと選べばいい。
お気に入りを、王妃として。
選ばれた王妃には同情する。暗殺者とあの王子の相手をしなければならないのだ。そんな人生、アイリーシェは真っ平ごめんだ。
国で平穏に過ごしたい。
結婚も、必要なら条件のあう男性とならしてもいいと思っている。
国もアイリーシェの力を認めて、趣味も容認しているのだから。
(早く帰って、愛でたい!)
だから、この退屈な時間が早く過ぎるのを祈った。
その声が聞き届けられたのか、退屈な空間は一瞬で終わりを告げた。
暗殺者の来訪という形で。
辺りが真っ暗になった。周りで令嬢や各国の姫君たちが悲鳴を上げ、騒ぐ。
その中でもアイリーシェは冷静だった。
夜目が利くアイリーシェは目を凝らしながら、辺りを見回す。
そして、黒に溶け込む服装の人間が三人いることに気が付く。それが、王子を目掛けて走っていくことにも。
しかし、この国の王子が、気付かないはずがなく。
部屋の光を戻すと同時に、暗殺者たちを圧倒的な魔法で拘束した。
ガシャンと武器を落としながら、三人で一纏めにされ、身動きできずに、顔をしかめている様が見えた。
さすが、と言うべきだろう。それほど、手際がよかった。
暗殺され慣れているだけはある。
顔色一つ変えない王子と、顔色が悪い取り巻き。
顔色が悪い者たちは改めて実感したことだろう。彼に選ばれるという、その立場と危うさに。
(噂の真偽が分かるかもしれない......いや、ここでそんなことするはずないか......)
と思っていたら、彼は場所や、集まっている人間など関係ないらしい。
真っ赤な炎を片手に生み出すと、暗殺者に与えようとする。
「依頼主は誰だ?」
冷めた顔で、冷めた顔で問いかけた。
三人とも口をつぐみ、誰一人喋ろうとはしなかった。
会場中が息を潜めて行く末を見守る中、王子はため息をついた。
「話さないなら、用は無い」
それが、合図なのだろう。
周りで息を呑む者たちがいた。
アイリーシェはこんな場所で危険な魔法を使うこと、暗殺者たちを始末しようとすることに怒りを感じていた。
(殺させない!)
咄嗟に移動魔法を使い、間に割り込む。
「っ!?」
王子と周りが息を呑む。
アイリーシェは簡素ながらも強度の強い結界を張った。
そのお陰で惨劇は起こらなかった。
しかし、アイリーシェの隠していた魔法力を明かすことになってしまった。
アイリーシェは青ざめる。
反対に、王子や側近たちは歓喜していた。
しかも、殺されそうになっていた暗殺者たちまでもが。
その様子を見て、嵌められた、と思った。
でも、既に遅かった。
(誰か時間を戻してください!)
周りの状況を眺め、アイリーシェは嵌められたのだと瞬時に悟った。そして、自分が花嫁という、ありがたくもなんとも無い肩書きを手に入れてしまったと理解する。
大陸中に蔓延る噂話より確実なのは、この国の者達は意地悪で、演技が上手だということだ!
あんな大人数が集まる場で始末しようとするなど、有り得ない。あれが本当に送られてきた刺客ならばどうしていたのか想像したくはない。あの調子なら軽く屠った気もするし、きちんと別室に連行し、しかるべき対処を施してから身柄をどうするのか考えたかもしれない。
考え込んでいるアイリーシェの目の前にファレノプシスがやって来た。
「我が国の花嫁は貴女が相応しい。フランシスカ帝国第三皇女、アイリーシェ」
紫水晶のような瞳を眇め、ファレノプシスはアイリーシェを見下ろす。その声には僅かに興味という名の熱が込められているような気がした。
アイリーシェは一瞬だけ顔を顰め、次いで微笑みを浮かべる。その間の時間は一秒にも満たないからファレノプシスからもアイリーシェの表情の機微はわからなかっただろう。
「まぁ、わたくしが貴方様の花嫁?貴方様の花嫁は先程まで戯れておられた花たちではなくて?」
アイリーシェは皮肉を込めて返事をすると周りは騒然とする。
アイリーシェの返答が些か慇懃である為だろうが、周りにとやかく言われる筋合いはない。
ファレノプシスに咎められるならまだしも、周りの国の者にその資格はない。
フランシス帝国は大陸二位に君臨し、デュール王国が同等と認める唯一の国だからだ。といってもアイリーシェはフランシスカ帝国の跡継ぎではない為頻繁に国外へ赴くことはなく、姉の第一皇女リュテシューラほどファレノプシスと面識があるわけではない。彼が激昂する可能性もあった。
しかしファレノプシスはアイリーシェの物言いに対して表情を変えることなく、淡く微笑みを浮かべたままだった。
「余興に驚いて離れていくような花はいらないよ。僕が欲しいのは強い花だもの」
「.....左様でございますか。ですが、わたくしも強い花ではないですよ」
アイリーシェはさりげなく自分も除外してくれと仄めかす。
「余興に驚くことなく対処した貴女が?リュテシューラ姫も君のような妹がいるなら教えてくれればいいのにね」
「.....身に余る光栄でございますが、わたくしは婚約を承認する権利を持ちえません故、この場でお返事することはできません。また後日、使者を送るということで宜しいでしょうか?」
ファレノプシスと言い合っていても埒が明かないと悟ったアイリーシェは国の重臣たちに任せようと、この場は逃げることにした。
もちろん了承してもらえると思った。
しかし、アイリーシェの考えは甘かったのだ。
ファレノプシスはアイリーシェと更に距離を縮め、身体を抱き上げる。ふわりと浮き上がる身体に呆然とし、アイリーシェは反応に遅れた。
「殿下!?」
アイリーシェはすぐさまファレノプシスから逃れようともがくが、びくともしない。
「うん、人目のある所で話していても仕方ないし、ちょっと二人きりになれるところへ行こうか?」
耳元で小声で囁かれ、アイリーシェは頬を赤く染める。
(耳元で囁かないで!しかも二人きりになれるところへですって!?冗談じゃないわ!)
そんなところへ連れ込まれたら既成事実を作られる可能性もあるし、婚約成立の噂が流れる。
そう思っていても口に出すのは憚られる。
口に出すことで更に現実味を帯び、真実になってしまうから。
アイリーシェは周りにいるはずの付き添いと使者を探す。助けを求め視線を巡らせるが彼等は真っ青になって絶望しているらしく、役に立ちそうにない。我に返るまで助けがあることを期待するだけ無駄のような気がした。
ファレノプシスはアイリーシェの動揺と落胆も気にも留めず扉へ向かう。
ゆっくりと豪奢な扉が開き、廊下へ出る。
廊下へ出た瞬間、会場内から色んな声が聞こえた気がするがアイリーシェもそれどころではなかった。
会場から出たファレノプシスは転移魔法を展開し、私室へと赴いた。
「殿下っ、離してください!」
「離したら貴女は逃げるだろう?」
アイリーシェは言葉に詰まった。ファレノプシスが述べた通り、離してもらえたらすぐ逃げるつもりだ。
相手がファレノプシスでなければアイリーシェも魔法で逃げられただろう。だが、相手がファレノプシスでは無理だ。彼は魔法にも特化している。離してもらっても逃げ切れるとは思えないが、多少の距離は保てる。
「まったく今まで僕から隠れていたなんて、酷い人だね?」
「わたくしは貴方様の花嫁にはなりません!」
「はっきりと断るね、アイリーシェ。でも、僕から逃れられると思うの?」
ファレノプシスの執着ともとれる言動にアイリーシェは顔を強ばらせる。
アイリーシェには理解出来なかった。何故ファレノプシスがここまでアイリーシェに執着を見せるのか。
アイリーシェは確かに結界を張ったし、魔法の前に出ていく度胸も持ち合わせている。しかし、それだけだ。目の前で大惨事を見たくなかったから故に行動を起こしただけであって、まさか、ファレノプシスに見初められるなどとは夢にも思っていなかった。
あれが狂言であったと見抜いていたならば。いや、助けられるからと手を出さなければこんなことにはならなかったと、後悔しても遅いが、後悔してしまう。
「僕は強い人が好きなんだ。だからもっと貴女を知りたい」
ファレノプシスはアイリーシェを抱き上げたまま告げる。
顔をのぞき込まれながら告げられ、ファレノプシスの目が露わになりアイリーシェを射抜くように見つめていた。紫色の瞳には強い欲望が滲み、アイリーシェは冷や汗をかく。
ファレノプシスは扉を片手で開け、中へ入る。
中に入った瞬間シャンデリアに灯がともり、室内が明るくなる。
初めて入るファレノプシスの私室は落ち着いた雰囲気だった。柔らかな色合いの壁紙に調度品。その内のソファに降ろされる。
アイリーシェを降ろすとファレノプシスは隣に腰掛けた。
目の前でなく、隣にだ。
(.....距離が近い!)
声を大にして言いたいが、口を噤む。
「貴女をもっと知りたいから、傍にいたい。ねぇ、教えて?」
ファレノプシスに懇願ともとれる囁きをされ、アイリーシェは答えに困る。
アイリーシェはファレノプシスと結婚するつもりはない。興味もない。
はっきりそう言えればいいのだが、言ったらどうなるのかわからなくて怖い。
フランシスカ帝国は無事だろう。しかし、他国は確実に余波を受けるだろう。
それがどんな風に齎されるのかは予想すらできないが、禍のように世界を浸食するのではないだろうか?
そう思えば、アイリーシェは言葉を紡ぐことすらできない。
「何故そんな難しそうな顔をしているの?」
「なんと、お答えすればよいのかと、考えております」
「堅苦しい喋り方はしなくていいよ。それより、貴女の話をしてよ」
「話すことなど、ありませんわ。早くわたくしを会場へ戻してください」
「戻って、どうするの?」
「花嫁を選び直してくださいませ」
アイリーシェは思い切ってそう告げる。
アイリーシェは国に帰りたい。帰って、愛でたいのだ。可愛いあの子達を。
そして、平穏に暮らしたい。
この国の王妃になるつもりは無いのだ。
ファレノプシスの反応を見るのが怖い。
しかし、見なければ。
そっと窺うと、彼は激しい怒りを見せた。
「どうして否定の言葉ばかりこの唇は紡ぐんだろう?優しくではなく、恐怖で支配しなければいけないのかな?初めては初夜でなく、今ここで奪った方がいい?そうすれば、観念してくれる?」
ファレノプシスは怒りとは裏腹に、優しく唇を撫で、アイリーシェを組み敷いた。
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