十人目の乙女、彼女は生きることを選んだ、樺太真岡郵便局「九人の乙女」に隠された秘話

上郷 葵

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第5話

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 タバコの煙が充満して、まるで霧がかかったような編集室。
 そこへ、時雨が戻ってきた。

「編集長、いるにはいたんですけどね。」

 夕張から帰ってきた時雨は編集長にことの顛末てんまつを報告していた。

「まどろっこしいな。当たりだったのか、はずれだったのか、どっちなんだよ。」

「人違いだと言ってましたけど、あれは本人に間違いないですよ。法要のことを書いたメモを置いてきたので、それに食いついてくれれば。」

「頼むよ、時雨。九人の最期を知っているたった一人の生き証人。そして、裏切り者。これは、読者の興味をそそるよ、間違いなく。」

 ただの興味本位か野次馬やじうま根性こんじょうか、社会正義のための新聞といいながら、結局はかねもうけのための記事を書いて販売部数が伸びさえすればよいのかもしれない。
 昔は理想や理念を追いかけていた編集長と時雨であったが、日本という国が戦後復興をする中で、いや、国家も国民も ”ぜに” を追い求める社会となってしまった中で、彼ら自身も国家や国民の生き写しになってしまっていた。


 札幌の郊外にある寺。
 そこでは、亡くなった電話交換手の法要がいとなまれており、様々な思いを抱いた者たちがつどっていた。
 もちろん、時雨も、そして、磯風ハナエも。

 本堂から読経どっきょうの声が響き渡る中、境内けいだいの片隅に人目を避けるようにたたずむ女がいた。
 じっと立っていたかと思うと、帰ろうとうするのか門の方へ向かい、しかし、再び境内へ戻るということを繰り返していた。 
 彼女はどうしても本堂の扉を開いて中に入ることができなかった。
 どれだけの時間が経ったであろうか、勇気を振り絞って扉を開こうとしたその時であった。

「ばかやろー!」

「お前のせいで娘は死んだんだ!」

 本堂から激しい怒声が響いてきた。
 扉の隙間すきまから中の様子をのぞくと、土下座どげざをする老人を大勢の者が責め立てている光景が目に飛び込んできた。

「加賀局長!」

 間違いない、あれは加賀局長だ。
 土下座をする彼の姿を見て、女はガタガタと震え出した。
 さらに追い打ちをかけるように、女の耳に言葉が飛び込んできた。

「お前が逃げさえしなければ、誰も死なずにすんだんだ!」

「郵便局に行こうとしたんです、でも、ソ連兵に脚を撃たれて…」

 加賀局長はたたみひたいりつけながら許しをうていた。
 しかし、最愛の娘や姉妹を失った遺族たちが局長の言葉を信じるはずもなかった。

「嘘をつくな、こわくなって逃げたんだろ!」

「ここで死んでびろ!」

 絶対にこの男を許さない、そういう気迫きはくが見て取れた。
 そうであろう、何をどう言ったところで、どういった状況であれ、若い女性達を見捨てたことに変わりはない。

 ”仕方がなかった” ”知らなかった”

 人の上に立つ者にはそういう言葉は絶対に許されない。
 加賀局長は死ぬまで十字架を背負うしかない。
 そして、彼を責め続けることでしか、自分たちの気持ちを晴らすことのできない遺族たち。
 もちろん、そんなことをしたところで何もならないことを遺族たちだって分かっている…

 そのような光景を見て、女は一刻も早くその場を立ち去ろうとした。
 その時、背後から聞き覚えのある声がした。
 
「京子ちゃん、京子ちゃんなのね。」

 間違いない、なつかしい磯風ハナエの声だった。
 その声を聞いて女は立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
 蒼白そうはくの表情をもって。

「ハナエちゃん…」


 ハナエは京子の親友であったトミ子の妹であり、もちろん、ハナエとも姉妹のように親しくしていた間柄あいだがらであった。
 ハナエとは10数年前に樺太からの引揚船ひきあげせんが着いた函館で別れて以来だ。

 京子は精一杯せいいっぱいの作り笑顔でハナエに話しかけた。
 しかし、笑顔を浮かべながらも、両の脚が小刻こきざみに震えていた。

「久しぶり、元気だった。」

「まあ、元気は元気だったけど。」

 笑顔の京子とは対照的にハナエの顔に笑みなど全くなかった。
 それでも、この凍りきった二人のいる空間をなんとかしようと、京子は懸命けんめいに会話を続けた。

「今、どこで何してるの。」

「札幌の電報電話局で交換手をしてる。お姉ちゃんと同じ。」

 ハナエがわざと ”お姉ちゃん” という言葉を使っていることは、京子にも察しがついた。

「お父さんとお母さんは。」

「父さんは露助ろすけつかまってシベリアに送られたっきり。生きているのかも分からない。母さんは元気。」

「そうなんだ…。私は結婚して夕張にいるんだ。高波から青葉に苗字みょうじが変わっちゃった。ハナエちゃんは。」

「結婚したけど苗字は変わっていない。せめて磯風の家を残すために、お婿むこさんをもらったの。お姉ちゃんが死んだから。」

 京子に突き刺さる ”お姉ちゃん” という言葉。
 そして、ハナエの容赦ようしゃのない言葉が京子をおそった。

「そんなことはどうでもいいの。どうしてお姉ちゃんは死んで、京子ちゃんは生きているの。ずっと、そのことを聞きたかった。」

「…」

「ずっと一緒だって言っておいて、親友を死なせておいて、殺しておいて、何も思わないの。」

 自分の言葉に驚いたのか、ハナエの表情が一瞬だが変わった。
 怒りの表情から後悔こうかいと悲しみの表情に。

 ”殺しておいて”

 もちろん、ハナエはそんなことを思ってはいない。
 どうしてそんな言葉が口をついてしまったのか、彼女にも分からなかった。

「殺しておいてって、そんな…」

 たまらず京子の目に涙が浮かび始めた。
 責め立てるハナエの目にも涙が浮かんでいる。
 京子へのにくしみの涙なのか、京子を責め続ける自分自身に対する涙なのか。

「だってそうでしょ!」

「私だって…」

「なに?」

「私だって、私だって死のうと思った、でも…」

「だからなに、死のうと思ったから許されるって言うの。思っただけで、死んでないでしょう、生きているでしょう!」

「ごめん、ハナエちゃん…」

 京子はハナエに背を向けて走り出した。

「待ちなさいよ、また逃げるの!」

 ハナエは、走り去る京子を追うことはしなかった。
 こんな形で会いたくなかった、こんなことを言いたくもなかった。
 昔の思い出話をしたり、お互いの近況を語り合ったり、お互いの苦労をなぐさめあったり、そういう話をしたかった。
 幼馴染おさななじみとして、そして家族のように。


「ハナエ、鬼になってはいけないよ。人をにくむということは、自分自身を憎むことなんだよ。」

 声をかけてきたのは、ハナエの母だった。

 京子を責めることの無意味さはハナエも理解している。
 決して京子がにくいわけではない、決して…


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