十人目の乙女、彼女は生きることを選んだ、樺太真岡郵便局「九人の乙女」に隠された秘話

上郷 葵

文字の大きさ
上 下
5 / 11

第4話

しおりを挟む
 九人の乙女おとめ
 みなさん、これが最後です、さようなら、さようなら

時雨しぐれ、これは、けっこう面白い特集を組めるぞ。8月の彼女たちの命日に、札幌の寺で法要が営まれるっていう話だ。」

 札幌に本社を置く道都どうと新聞社ビルでは次々と電話のベルが鳴る中、大勢の記者や編集者の話し声、いや、怒鳴り声が響いていた。
 大東亜だいとうあ戦争が終わって20年近くが経ち、札幌も近代的な都市へと生まれ変わる中、市内のいたるところでビルの建設が行われている。

「東京オリンピックを間近に控え、もはや戦後ではない。日本全体が浮かれまくって、若い連中は戦争のことなんか大昔のことみたいに思ってる。だがな、そんな時だからこそ、戦争の記事が受けるんだよ。日本人は美談びだんが好きだからな。」

 そう話す編集長の視線の先では、記者の時雨が机に向かっていた。
 彼の手は何かの記事を書いており、口には火の付いたタバコがくわえられていた。
 時雨は変わり者であり、彼を煙たがる者も多い中、編集長は彼を高く買っていた。

「そんなもんですかね、お涙頂戴ちょうだいの特集ですか。何だかちからが入りませんね。」

 ほかの仕事で忙しいのか、時雨は興味なさげの様子だ。

「まあ、そう言うなよ、死んだ電話交換手の妹が札幌にいるらしいから、話を聞いて来いよ。純潔じゅんけつを守るため、全ての乙女たちは従容しょうようとして毒をあおった、これぞ美しき日本人。こんな記事を頼むよ。」

 時雨はタバコの灰を灰皿へ落としながら、回転椅子いすを回して編集長の方へ向いた。

「誰もくわしいことは知らんでしょう。その場にいた連中はみんな毒を飲んでおっんだんだから。」

「絶望とか悲劇なんかはな、後世の人間が勝手に想像して作り出すんだよ。それらしく、しかも大げさな記事が出来上できあがれば、それでいいんだ。お前、何年この仕事やってんだよ。」

「分かりましたよ、編集長は戦争世代だから。」

「お前だって戦前の生まれだろうがよ。」

「はいはい、でも終戦の時は小学生でしたから、よく分からんです。」

 編集長にせかされた時雨はハンチングをかぶると、少々面倒くさげにビルをあとにした。
 捨て台詞せりふを残す時雨を見送る編集長であったが、彼とは馬が合ったのか、腹立たしいという思いを抱いたことがなかった。


 札幌のオフィス街の一角にその建物はあった。

「ここだな、妹がいるという電報電話局は。」

 さっさと取材を終わらせて喫茶店で時間をつぶすか。
 やっつけ仕事だ、給料のためだと割り切るか。

 そう思いながら建物の中へと入っていった。
 受付窓口にはひまを持て余しているのか、雑誌を読んでいる中年の男性職員がいた。

磯風いそかぜハナエさん、いらっしゃいます。」

 いきなり要件を告げられた職員は不機嫌ふきげんそうに時雨へ返した。

「あんた、誰さ。」

「申し遅れました、道都新聞で記者をしている時雨といいます。」

 職員はいかにもお前が気に入らないという態度を示しながら、電話で磯風ハナエを呼び出した。
 ほどなくして一人の女性が現れた。
 30歳を少し超えたくらいであろうか、いかにも仕事ができるという感じのする女性だった。

「道都新聞の時雨と言います。樺太からふと真岡まおか郵便局のことを聞かせてもらいたくて、お姉さんのいた。」

「何ですか、いきなり。」

 ああ面倒くせえな、そう思いながらも時雨は話を続けた。

「まあまあ、九人の乙女のことでね。」

 すると、意外な言葉が彼女から返ってきた。
 しかも、その言葉からは何となくではあるが嫌悪けんおの感情が読み取れた。

「九人ですって…」

「九人ですよね、そう聞いてますけど。」

 みるみるうちに不機嫌な、というよりも怒りの表情が彼女の顔を包んだ。

「いるんですよ、10人目が。」

「みんな死んだのでは。青酸カリを飲んで。」

「逃げた10人目がいるんですよ。」

「え、どういうこと。」

「一緒に死のうと言っておきながら、逃げ出した人がいるんですよ。」

「…!」

「仲間が毒を飲むのを見ていながらね、めもしないで。」

「まさか…」

「そのまさかです。10人目の裏切り者がいるんですよ!」


 最初はただの面倒な仕事だと思っていた時雨であった。
 しかし、10人目の存在、このことがどうしても彼の中で引っかかった。

 何となく前にも似たような人物に会ったような気もするが…


 時雨は、喫茶店での時間つぶしも忘れ、急ぎ新聞社ビルへ戻った。

「編集長、10人目がいるらしいですよ。名前も聞いてきました。どうやら北海道にいるようです。」

「何だって、妹が言ってたのか。」

 時雨の話を聞いて、編集長の目は色めきだった。

「聞いた話では、一人だけ青酸カリを飲まずに逃げて助かったらしいです。」

 時雨の話を聞いて、編集長は ”しめた!” というような顔をした。

「美談の裏に卑怯者ひきょうものの影か。いさぎよく死んだ9人と、仲間を裏切って逃げ出した10人目の存在。みんなが毒を飲んで死ぬのを待ってから逃げ出したということか。」

 興奮のあまり立ちあがった編集長の机の上では湯呑がひっくり返り、茶が書類を水びたしにしていた。
 あわてた女子社員が雑巾ぞうきんを持って駆けつけ、編集長の机をき始めた。

 そして、時雨は、まるで獲物を見つけたきつねのような目を編集長へ向けた。

「どうしますか、編集長。」

 編集長も獲物を見つけた狐の目をしていた。
 しかも、妙ににやついている。

「決まってんだろ。時雨、10人目を探せ! これはなかなか面白い記事になるぞ!」


 樺太からふと連盟、北海道庁、稚内わっかない市役所など、時雨はおよそ樺太からの引揚者ひきあげしゃの情報を持っていそうな団体や役所をかたぱしから回った。
 戦前は地縁血縁の強い時代である、何か小さな情報でもあれば、それを手がかりにしてたどり着くはずだ。

 そしてとうとう、樺太の真岡病院に勤務していた高波という医師が小樽おたる出身であることを突き止めた。

「医者はその地域の名士めいしか、そこそこの家柄だ。これは楽勝かもしれない。」

 確かに小樽に高波医院という病院は存在した。
 どこにでもあるような地方の病院という感じの建物であり、そこには気のよさそうな初老の男の医者がいた。

「高波京子さんはこちらにいらっしゃいますか。」

「高波京子って、京子のことか。あいつは私の従妹いとこだが、あんたは誰だ?」

樺太からふとで近所に住んでいた者です。小さいころから仲良くさせていただいて。引きげる時に、落ち着いたら訪ねて来るようにと言われていたものだったので。ああ、それとこれを。」

 新聞記者だと正直に言えば警戒されることは経験から分かっている。
 時雨はうそをついた。
 しかも、わざわざ菓子折りまで用意して。

「そういうことかい。あいつは結婚して今は夕張ゆうばりにいるよ。」

 時雨の言葉を信じたのか、菓子折りにだまされたのか、医者は何の警戒感も示さず京子のことを話した。

 夕張は札幌から列車で2時間か3時間くらいの炭鉱町だ。
 朝鮮戦争から始まる日本の経済成長の中で、国はエネルギー源である石炭の増産を叫んでいた。
 多くの炭鉱が存在する夕張も、時代の波に乗って10万人の人口をほこる都市となっていた。
 そんな街の一角にある炭鉱住宅に京子が住んでいるらしかった。
 結婚して青葉あおばという姓を名乗って。

「青葉…、ここだな。」

 表札を確認した時雨の目の前でいきなり引き戸が開き、買い物かごを持った中年の女が出てきた。

「京子さんですよね。」

「はい…、そうですけど。」

 時雨は、やっとたどり着いたという安堵あんどの表情を浮かべながらさらに問いかけた。

「やっぱりそうでしたか。あの、樺太の真岡郵便局でのことを聞きたいのですが、九人の乙女の。そうだ、私、道都新聞の時雨と言います。」

 その言葉を聞いて、女の顔がみるみるうちにけわしいものとなっていった。

「知りません、樺太なんて。人違いです。」

「そんなはずはないですよ。小樽の高波医院のお医者さんから聞いてここに来たんですよ。」

「ですから人違いです、警察を呼びますよ!」

 怒りを含んだ激しい言葉を投げつけながら、女はその場から足早あしばやに立ち去ろうとした。

「京子さん、待ってください!」

 女を引き止めようと時雨は必死に彼女の背中へ言葉を投げかけた。

「来月、亡くなった電話交換手の法要ほうようが札幌であるんですよ!」

「磯風ハナエさん、知ってますよね!」

 女は決して振り返ることはなかった。

 しかし、その背中からは何かを訴えたいような、何かを叫びたいような、そんな雰囲気を時雨は感じ取っていた。


しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

血と誇り 差別と闘い続けた北海道のアイヌの若者たち。彼らは何を思い、何ものと闘ったのか。

上郷 葵
歴史・時代
物語の舞台は、昭和のはじめ、北海道の田舎町である幌川町。 この町に住む3人のアイヌの青年たちは、家族のため、差別のない新しい時代のためにそれぞれの道を歩み始める。 力をもって差別と闘う者、家族を養うために危険な仕事に就く者、軍隊に志願する者。 しかし、彼らが何をしようと、決して対等の存在と認められることはなかった。 それは、これまでに培われてきた日本の歴史のためなのか、人間の愚かさのためなのか。 戦争という嵐の中、命をかけて差別と闘う道を選んだ青年たちは、いったい何ものと闘ったのか。 そして、闘うことで残されたものとは何だったのか。 日本に呑み込まれたアイヌの苦闘、果たしてどれだけの人が知っているだろうか。

ワルシャワ蜂起に身を投じた唯一の日本人。わずかな記録しか残らず、彼の存在はほとんど知られてはいない。

上郷 葵
歴史・時代
ワルシャワ蜂起に参加した日本人がいたことをご存知だろうか。 これは、歴史に埋もれ、わずかな記録しか残っていない一人の日本人の話である。 1944年、ドイツ占領下のフランス、パリ。 平凡な一人の日本人青年が、戦争という大きな時代の波に呑み込まれていく。 彼はただ、この曇り空の時代が静かに終わることだけを待ち望むような男だった。 しかし、愛国心あふれる者たちとの交流を深めるうちに、自身の隠れていた部分に気づき始める。 斜に構えた皮肉屋でしかなかったはずの男が、スウェーデン、ポーランド、ソ連、シベリアでの流転や苦難の中でも祖国日本を目指し、長い旅を生き抜こうとする。

晩夏の蝉

紫乃森統子
歴史・時代
当たり前の日々が崩れた、その日があった──。 まだほんの14歳の少年たちの日常を変えたのは、戊辰の戦火であった。 後に二本松少年隊と呼ばれた二本松藩の幼年兵、堀良輔と成田才次郎、木村丈太郎の三人の終着点。 ※本作品は昭和16年発行の「二本松少年隊秘話」を主な参考にした史実ベースの創作作品です。  

仕舞屋蘭方医 根古屋冲有 お江戸事件帖 人魚とおはぎ

藍上イオタ
歴史・時代
【11/22刊行】「第9回歴史・時代小説大賞」特別賞受賞作 ときは文化文政。 正義感が強く真っ直ぐな青年「犬飼誠吾」は、与力見習いとして日々励んでいた。 悩みを抱えるたび誠吾は、親友である蘭方医「根古屋冲有」のもとを甘味を持って訪れる。 奇人変人と恐れられているひねくれ者の根古屋だが、推理と医術の腕はたしかだからだ。 ふたりは力を合わせて、江戸の罪を暴いていく。 身分を超えた友情と、下町の義理人情。 江戸の風俗を織り交ぜた、医療ミステリーの短編連作。  2023.7.22「小説家になろう」ジャンル別日間ランキング 推理にて1位  2023.7.25「小説家になろう」ジャンル別週間ランキング 推理にて2位  2023.8.13「小説家になろう」ジャンル月週間ランキング 推理にて3位  2023.8.07「アルファポリス」歴史・時代ジャンルにて1位 になりました。  ありがとうございます!  書籍化にあたり、タイトルを変更しました。  旧『蘭方医の診療録 』  新『仕舞屋蘭方医 根古屋冲有 お江戸事件帖 人魚とおはぎ』

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

残影の艦隊~蝦夷共和国の理想と銀の道

谷鋭二
歴史・時代
この物語の舞台は主に幕末・維新の頃の日本です。物語の主人公榎本武揚は、幕末動乱のさなかにはるばるオランダに渡り、最高の技術、最高のスキル、最高の知識を手にいれ日本に戻ってきます。 しかし榎本がオランダにいる間に幕府の権威は完全に失墜し、やがて大政奉還、鳥羽・伏見の戦いをへて幕府は瓦解します。自然幕臣榎本武揚は行き場を失い、未来は絶望的となります。 榎本は新たな己の居場所を蝦夷(北海道)に見出し、同じく行き場を失った多くの幕臣とともに、蝦夷を開拓し新たなフロンティアを築くという壮大な夢を描きます。しかしやがてはその蝦夷にも薩長の魔の手がのびてくるわけです。 この物語では榎本武揚なる人物が最北に地にいかなる夢を見たか追いかけると同時に、世に言う箱館戦争の後、罪を許された榎本のその後の人生にも光を当ててみたいと思っている次第であります。

久遠の海へ 再び陽が昇るとき

koto
歴史・時代
 第2次世界大戦を敗戦という形で終えた日本。満州、朝鮮半島、樺太、千島列島、そして北部北海道を失った日本は、GHQによる民主化の下、急速に左派化していく。 朝鮮半島に火花が散る中、民主主義の下、大規模な労働運動が展開される日本。 GHQは日本の治安維持のため、日本政府と共に民主主義者への弾圧を始めたのだ。 俗に言う第1次極東危機。物語は平和主義・民主化を進めたGHQが、みずからそれを崩壊させる激動の時代、それに振り回された日本人の苦悩から始まる。 本書は前作「久遠の海へ 最期の戦線」の続編となっております。 前作をご覧いただけると、より一層理解度が進むと思われますので、ぜひご覧ください。

鬼を討つ〜徳川十六将・渡辺守綱記〜

八ケ代大輔
歴史・時代
徳川家康を天下に導いた十六人の家臣「徳川十六将」。そのうちの1人「槍の半蔵」と称され、服部半蔵と共に「両半蔵」と呼ばれた渡辺半蔵守綱の一代記。彼の祖先は酒天童子を倒した源頼光四天王の筆頭で鬼を斬ったとされる渡辺綱。徳川家康と同い歳の彼の人生は徳川家康と共に歩んだものでした。渡辺半蔵守綱の生涯を通して徳川家康が天下を取るまでの道のりを描く。表紙画像・すずき孔先生。

処理中です...