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葛藤

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「お前さ、なんで黙ってたんだよ」
「なにが…」
「彼女と別れたこと」
「…別に…そんなの、わざわざ言う事じゃないだろ」
 酔が回ったのかテーブルに頬杖をついて空いた手でグラスを弄びながら不満げに呟いている啓は、この店に来た時からその話をしたかったらしく何度も話題を振ってきた。その度に巧みにかわして違う話になるように上手くはぐらかしていたがそろそろそれも通用しなくなってしまった。
(俺も…酔ってるのか…)
 ただでさえイタリアンレストランでスパークリングワインのボトルを2人で空けた上に料理に合わせて白、赤とワインのボトルを空けた。その上拓也が勧める酒がどれも陽介の好みに合うものばかりな事もあって、かなりの量を飲んだような気もする。
「お前さ、龍一さんとなんかあったの?」
 琥珀色のグラスを傾けながら不思議そうに尋ねてくる啓に視線を向けると、陽介は不機嫌そうに小さく呟いた。
「別に…、何かあったというほどのものでもないが…」
 そう言いながら2ヶ月ほど前にフラリとここへ立ち寄った日の事を思い出していた。
 彼女の浮気現場を目撃した衝撃と、そのまま別れ話を告げられて出て行かれた事が陽介のプライドをいたく傷つけた。いくら同棲したのが半年ほどとは言え、2年も付き合っていて浮気相手の存在に全く気が付かなかったのは彼女の嘘が上手かったのか、それとも最近の事なのか。いったい自分の何がいけなかったのか、彼女の望むことは全て叶えていたはずなのに、と考えれば考えるほど分からなくなる。
 それに加えて仕事でも追い込まれるような状況が重なり、ろくに眠れない日が続いていた頃だった。

 グラスを傾けながら考え込んでしまった陽介を見て小さくため息をつきながらチラリとカウンターへ視線を送ると、目が合った拓也が眉間に皺を寄せて首を振る。そのまま立ち上がった啓はカウンターへと近づいて拓也に声を掛けた。
「なぁ。高柳(アイツ)と龍一さん、何があったの?」
「別に、何があったって訳じゃないけど…」
 言いづらそうにチラリと隣に拓也が目を向けると、カウンター越しに常連客と和やかに話している龍一がその視線に気が付いた。
「龍一さん」
 声を掛けた啓に視線を送った龍一は常連客に断って話を止めると近づいて来た。
「なんだ。…だいぶ酔ってんな?啓。どうした?」
 グラスに氷を入れてミネラルウォーターを注ぐと、カウンター越しに啓の前に置きながら飲めと顎を上げる。
「ねぇ。龍一さんと高柳(アイツ)、何があったの?」
 スツールに腰を下ろすと先ほどと同じ言葉を呟いて、水のグラスに口をつけた啓はそのまま龍一から視線を外さない。
「アイツさ、昔からあんまり人に対して感情出さないんだよね。なのに、龍一さんに対してはヤケにあからさまな態度取ってるから…」
 その言葉を聞きながら龍一は奥の席に座って1人で飲んでいる陽介に目を向けた。
(アイツ、またあんな顔してんのか…)
 ぼんやりとしながらグラスを傾けてはため息をついている陽介を見つめていると、その視線に気付いたのか龍一の方に顔を向けた陽介が一瞬驚いたように見えた。その瞬間キッと睨むように表情を変えた様子を見て思わず瞠目する。
(へぇ…、面白れぇ…)
 人に対してあまり感情を露わにしないと啓がいう割には、自分に対して分かりやすいほど感情を剥き出しにする陽介に興味が湧いた。
「ねぇ。龍一さん、教えてよ。アイツと何があったの?」
 僅かに座り始めた目をした啓が頬杖をついて龍一を見上げている。
「別に大した事はねぇよ。アイツがフラリと来たから飲ませただけだ」
「それだけで、アイツはあんな態度取らないって。…何があったんだよ…」
 しつこく食い下がる啓に拓也はハラハラとしながらそれを見つめている。その様子に思わずクスリと笑った龍一が話し始めた。
「嫌いなモノを無理して飲むなってビールを取り上げたら怒ってな。ちょっと構ってやっただけだ」
「…え?」
 頬杖から顔を上げた啓が驚いた様子で龍一を見つめている。
「嫌いなモノって…ビールが?…でも、アイツ接待の時はいつもビールしか飲まないのに…」
「なんだ。お前は気付いてなかったのか。…アイツ、多分ビール苦手だぜ?」
「うそ…」
「その証拠に、さっきから出してるカクテルを飲んでる時は顔が違う」
「…え?…」
 その言葉に思わず振り返った啓は、龍一を睨みつけている陽介を見て驚いている。
「マジかよ…」
 自分を見つめて驚いている啓に気付いた陽介が立ち上がってカウンターに近づいてきた。
「七瀬。お前、さっきからカウンターでナニ絡んでんだよ…。ほら、こっち来い」
 腕を掴んでスツールから立たせようとする陽介につられて立ち上がった啓はそのまま陽介に掴みかかると顔を覗き込むようにして尋ねた。
「お前、ビール苦手ってホント?」
「…っ!」
 いきなり尋ねられた問いに動揺した陽介は「なんで、それを…」と呟いた直後に龍一を睨みつけた。
「アンタか。余計なこと言ったのは…」
「悪りぃな。そいつがあまりにも俺とお前に何があったって聞くからよ」
「…ったく…、本当にこの店はひどいな…」
 龍一に対しての苛立ちが治らない陽介は思わず悪態をついた。
「おい。…聞き捨てならないぞ。お前…」
 いやに不機嫌な声がする…と思って視線を向けると、目の座った啓が陽介の二の腕を掴んだまますごい顔をして睨んでいた。
「…七瀬…?」
「お前な。俺が気に入ってる店をそんな風に言うのか?」
「おい、ちょ、っと…、落ち着けって…」
 ジリジリと距離を詰めてくる啓から逃げるようにのけぞる陽介をガッチリと押さえつけて怒鳴り出した。
「ここはな、お前みたいなヤツこそ来るべき店なんだよ!だから連れてきてやったのに…なんだよ、その言い草!」
「お、い…七瀬、どうした…お前…」
 予想のつかない展開に動揺した陽介が宥めようとしても啓の怒りは収まる様子がない。
「ちょっと!啓!!なにやってんの?!」
 慌ててカウンターから飛び出してきた拓也が2人の間に割って入った。
「離せ、拓也。龍一さんと、この店を貶(けなさ)れたんだぞ。黙ってられるかよ…」
 酔いが回った啓は怒りを湧き上がらせたまま陽介を掴んだ腕に力を入れる。
「啓!!」
 横から手を伸ばした拓也が両手で啓の頬を押さえるとグイッと自分の方に向けた。グキッと音がしそうなほどに勢いよく向きを変えられた啓は目の前の拓也の顔をマジマジと見ている。
「飲み過ぎ!高柳さんに絡まないの!」
「だって…高柳(コイツ)が…」
「落ち着いて。啓が怒ってくれるのは嬉しいけど、高柳さんに噛み付いてどーすんの?」
 そういうと両頬を押さえていた手をスライドさせて後頭部を掴むとそのまま背の高い啓の頭を自分の肩へと引き寄せた。
「…拓也…」
「啓がこの店を気に入ってくれてるのは嬉しいよ。だけど高柳さんにそこまでいう必要ないでしょ?」
「……」
 陽介の腕を掴んでいた手を離し、そのまま拓也の方に手を伸ばすとやんわりと抱きしめた。
「…わかった…」
 その様子を見ていた陽介は2人のただならぬ雰囲気に圧倒されて言葉を失ったまま見つめ続けている。
「おい。お前ら、店ん中で抱き合ってんじゃねぇよ」
 呆れたように笑いながら呟いた龍一の言葉で拓也が慌てて啓を引き剥がす。
「あ、すいません…。ほら、席戻って高柳さんと飲みなよ。ね?」
「…ん…」
 大人しくなった啓の体の向きを変え、瞠目している陽介に微笑むと拓也が声をかける。
「ごめんね、高柳さん。ちょっと飲み過ぎだね、啓は…」
「いや…、別にそれは…」
「ほら、啓も謝んなよ」
「…悪い…」
 促されるまま素直に謝る姿を見て信じられないというような表情をした陽介は、複雑な感情のまま啓の腕を掴んで歩き出すと席へと戻った。

 ソファに啓を座らせて自分も腰を下ろすと、陽介は飲みかけのグラスを手に取って中身を煽る。
(なんだ…?さっきの…。やけに七瀬と親しいな、あの子…。いくら大学の後輩だからって…、呼び捨てにするか?七瀬(コイツ)を…)
「お前…、あの子とずいぶん親しいんだな…」
 思わず疑問がこぼれ落ちた。
「あぁ…、まぁな…。…それより高柳、悪いな…。ちょっと、飲み過ぎた…」
「いいって。気にすんな。…それにしてもあの子、お前の扱い方を心得てるな…」
 啓の意外な一面を垣間見たようで面食らった陽介は素直に感想を述べた。
「…うるせぇ…」
 どこか照れたように視線を外してボソッと呟いた後、テーブルのグラスを手に取って一気に酒を飲み干した。
「トイレ、行ってくる…」
 バツが悪そうにしながら立ち上がった啓はフラフラと店の奥の方へと消えて行った。それを見ながらソファに背中を預けてため息をつくと目の前に水のグラスを置かれてそちらへ視線を送る。
「すいません。高柳さん、また…嫌な気分にさせちゃいました…よね?」
 2つのグラスをテーブルに置きながら拓也が話しかけて来た。
「いや、アイツのからみ酒は今に始まった事じゃないから…」
 クスリと笑って答えるとどこかホッとしたような顔で拓也が笑った。
「なら、いいんですけど…。啓がここに誰かを連れてくるなんて初めてだから、高柳さんはよっぽど特別なんだなと思って」
「まぁ、同期なんでね。…最近はあまり無いけど、昔は2人でよく一緒に接待してたしな」
「そうなんですか?今度その話、色々と聞かせてください」
「…君こそ…、七瀬(アイツ)と…随分親しいよね?…最初はさん付けで呼んでたけど、今は呼び捨てだし…。大学の後輩って、聞いたけど…?」
 陽介の疑問にどこか焦り出した様子で色々と口走る。
「いや、あの…、啓…さんとは結構付き合いも長くて…色々とお世話になってて…、その…ルームメイトっていうか…」
「ルームメイト?」
「あ、そ、そうなんです。ちょっと前に色々あって、俺が住むとこ無くなっちゃったって話をしたら、ウチ来れば?って言ってくれて…、今、一緒に住んでて…」 
「へぇ…、そうなんだ…。アイツ意外と面倒見いいから…な…」
 微笑みながら拓也の話を聞いていたが、その言葉の意味を理解すると息を呑んだ。
(ん?ちょっと、待て…。さっき、アイツ同棲したって言ってなかったか?!)
 最初の店で嬉しそうに話していた啓を思い出して陽介は混乱し始めた。
『大学の頃からの知り合いなんだけどさ。なかなか振り向いてもらえなくて…。ちょっと前にやっと付き合える事になったんだけど…』
『…心境の変化ってヤツかな…。アイツだけは手放したくないんだ…』
(…え?!…まさか、この子が七瀬の同棲相手?!…男、だよな?どう見ても…。…どういう事だ…?!)
「高柳さん?」
 自分を見つめたまま瞠目している陽介を見て思わず声をかけると拓也は不思議そうに尋ねた。
「どうかしたんですか?」
「あ、いや…」
 さすがにこんな所で聞くわけにもいかないと思い直した陽介は、誤魔化すように奥へと視線を向けた。
「七瀬のヤツ、遅いな…。潰れてんのか?」
「あ、じゃあ…俺、見てきますよ」
 そういうと拓也は奥のトイレへと歩いて行った。
(え…、七瀬(アイツ)って…、そっちだったか?…いや、昔から女には事欠かないヤツだった筈だ。…それが、なんで?!…いや、あの子はルームメイトって言ったけど…、でも七瀬は同棲って言ってたし…、やっぱりそういう事なのか?!)
 飲み過ぎて頭が混乱してるのか?と陽介は必死に考え込んだが、さっきの2人のやりとりを見るとあながち間違いでは無いような気もするし、どうしても答えは一つしかないようにも思える。

「どうした?」
 艶のあるバリトンが頭上から聞こえて思わず顔を上げた。
「あ…」
「…酔ったか?」
 他の客が帰った後のテーブルを片付けていた龍一が様子のおかしい陽介に気付いて声をかけた。
「いや…、あの…」
「…ん?」
 龍一は2人の事を知っているのだろうか。でも2人が付き合っている事を隠しているとしたら下手に聞くのはマズイ。男女以上に同性の交際はデリケートな問題だと思いながら陽介は視線を外せずに見つめ続けた。その様子を不思議に思って龍一が再び声をかけようとした時。

 奥のトイレから足早に飛び出してきた拓也がカウンターに飛び込むと、グラスに氷を入れてミネラルウォーターを注ぎ、おしぼりを数本掴んで再び奥へと向かった。
「拓也。どうした?」
「あ、の…。すいません、啓がちょっと…」
 慌てて戻ろうとする拓也を追いかけて龍一も奥へと消えて行ったのを見て、陽介も後を付いていく。
「啓、ねぇ、起きて。啓ってば!」
 拓也が焦った様子で声をかけている奥には、トイレの個室に座り込んだ啓が目を閉じて壁に頭をもたれ掛けさせている。
「潰れたか…」
 呆れたように微笑む龍一の声に振り返った拓也が困ったような顔をして見上げている。
「すいません…。全然起きなくて…」
「しょうがねぇなぁ…。おい、啓!起きろ!」
 拓也ごと覆い被さるようにして個室に上半身を突っ込んで龍一の大きな手が啓の頬をぺちぺちと叩いても起きる様子は全くない。
「…拓也。水飲ませてやれ。」
「そうなんですけど…、起きなくて…」
「お前なら出来んだろ。口移しでも何でもいいから水飲ませろ」
(は?!何を言ってるんだコイツは?!)
 後ろから2人のやりとりを聞いていた陽介は龍一の言葉を聞いて動揺する。
「え、でも…」
 拓也も龍一の言葉に面食らったようで視線を泳がせた。
「お前がやらねぇなら、俺がやるぞ?」
 そう言って洗面台に置いてある水のグラスを手に取ると口に含み、再び啓に覆い被さろうとする。
「ダメ!…いくら龍一さんでも、それはダメ!!」
 焦った拓也が龍一の胸に手をついて動きを止めようとすると、ニヤリと唇の端を上げて笑った龍一がコクンと水を飲み込んだ。
「じゃあ、お前がやるんだな」
「…っ、…もう…」
「ほら」
 水のグラスを龍一に渡されて、真っ赤になりながら拓也がそれを口に含むと寝ている啓に近づいて唇を重ねた。少しずつ水を送り込んでいるのか、目の前で繰り広げられる長いキスに陽介は動揺を隠せない。
(なにが…起きてる…?俺の目の前で…)
 思わず後ずさるとガタンと何かを踏んづけた。その音で振り返った龍一が、ニヤリと笑って陽介に言い放つ。
「見せモンじゃねぇぞ。お前は席に戻ってろ」
「…っ…」
 その言葉でカッと頬が熱くなる。恋愛経験のない学生じゃあるまいし、今更キスごとき大した事じゃないと思いながらも同性同士のキスは初めて見た。しかも昔からの知り合いの。
 動揺しながら確かにこのままここにいても仕方がない…と席に戻った陽介はソファに体を沈める。
(やっぱり、そうなのか?!あの2人…。龍一(アイツ)もそれを知ってるのか?!)
 先ほどの光景が頭から離れずにグルグルと同じ言葉が脳裏を巡る。

 しばらくして龍一が啓を抱えて戻ってきて、ソファに座らせるとぼんやりとした啓の頬を軽く叩く。
「寝るなよ、啓」
「…ん…。ゴメン、龍一さん…」
「ほら、水飲め」
 テーブルの上に置かれたグラスを取って啓の口元に運ぶ龍一のされるがままに啓が氷の溶けた水を飲んだ。
「…七瀬…」
 何と言葉をかけていいか迷いながら陽介が戸惑っていると、バタバタと慌てた拓也が私服に着替えて戻ってきた。
「ごめんね、龍一さん…」
「いいって。とりあえずコイツ連れて帰れ。あとは俺がやるから…」
「ホントすいません…。高柳さんも…ゴメンね…」
「…え、なにが…」
 状況が飲み込めずポカンと見つめていると、拓也がポケットからスマホを取り出して何かを確認している。
「あ、着いたみたい。…龍一さん、外までお願いしていい?」
「あぁ…。ほら、行くぞ。啓」
「う…ん…」
 龍一が啓の腕を肩に回して抱き抱えて立たせると入り口の方へと歩き出す。その隙に拓也はカウンター横のクローゼットから啓の上着を取り出して啓の荷物と一緒に持つと龍一を追いかけた。
「高柳さん、ゴメンね…」
「いや…」
 慌ただしく出て行く後ろ姿を見送りながら頭の中は先ほどからの疑問でいっぱいになっていた。
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