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逝く人を見送る日②

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 礼拝堂を覗くと、祭壇はほぼ体裁が整っているようだ。私は自分が対応することにして、その男性を出迎えた。
 男性は整った顔立ちで、黒いコートとグレーのマフラーに身を包み、いわゆるロマンスグレーという雰囲気を漂わせていた。60に手が届いているだろうか。報告通り、大きなスーツケースとパソコンが入っていそうなビジネスバッグを持っていた。左手に持った筒状の包みは花らしく、ちらっと赤い色が覗いたので、軽い違和感を覚えた。
 父は顔が広かったので、知己にいろんな人種がいたが、男性が私に差し出した名刺には、都内の大学の文学部教授と書かれていた。彼はまず、受付開始前に訪れたことを詫びた。明日の朝から台湾で学会があるため、このまま成田に向かうという。
 そういう事情なら仕方がない。私も故人の娘だと男性に自己紹介し、彼……御崎みさき教授を教会に招き入れた。準備に余念が無い人々は御崎教授に軽く会釈し、彼が多忙な中、故人にお別れを言いに来たのだと、無言のうちに了解する。

「もう30年くらい前になります、戦時中の日本のキリスト教がどのような行動を取り教会を守ってきたのかを調べていたのですが、大坪おおつぼ先生には沢山資料を見せていただきまして」

 父は生前、教会全体の古い資料を整理して保管する委員のようなことをしていた。研究者に資料を貸したという話もしていたけれど、そんな昔からのつき合いの人がいるとは思わず、驚いた。

「そうでしたか、お役に立ったのでしょうか」
「もちろんです、その時書いた論文のおかげで、今の職にありつけましたので」

 御崎教授は、生前と変わらない父の顔を切なげに見つめる。

「今の私があるのは、大坪先生のおかげです」

 弔問者の眼鏡の奥の目にうっすらと光るものを見て、父がそれ以降もこの人とたまに会っていたのだろうと私は察した。彼が手にしていた包みを解くと、現れたのは、きれいに棘を落とした、ビロードのような深紅の薔薇だった。
 キリスト式の葬送では、基本的に花のタブーは無いが、大輪の赤い薔薇にはやはりどきりとさせられた。御崎教授は4本の美しい花を、父の組まれた手の傍らに置く。

「ありがとうございました、非常識な訪い、ご容赦ください」

 御崎教授は深々と頭を下げた。私は少し戸惑いつつ自分も礼を言う。ちょうど手が空いた母が、当日返しの入った小さな紙袋を手にこちらにやってきた。

「荷物になってしまいますけど、主人が好きだったコーヒーと紅茶のセットです、道中お気をつけて」

 御崎教授は母にも頭を下げて、涙を堪える表情のまま紙袋を手にした。
 私と母で、教授を見送った。彼は曲がり角でこちらを振り返って一礼し、駅に向かう通りに消えた。

「御崎さん、立派になったわね」

 母は彼を知っていた。割に親しく、父と話す間柄だったことも。礼拝堂の中に戻ると、母は父の棺の中の薔薇を見て目を丸くしたが、すぐに寂し気に微笑した。

「あの人、若い頃からお父さんのことが好きだったんだと思うの……そういう意味で」

 驚いて言葉が出ない私の目の前で、母は棺の中にそっと手を入れ、深紅の花を一輪摘まみ上げた。そしてそれを、父の手の中にすっと挿しこむ。
 私は今、母の気持ちを聞こうとは思わなかった。父の御崎教授に対する気持ちを知る術も、もう無い。
 赤い薔薇は意外にも、優しくチャーミングだと皆に慕われた父によく似合っていた。


2024.11.28 書き下ろし(T先生とY先生の逝去の報に際して)
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