上 下
28 / 32

先走るライフセーバーの眩しい夏

しおりを挟む
 俺はさすらいのライフセーバーだ。トライアスロンの選手から転向し(大会には今もたまに出るが)、ちゃんと資格も持っている。
 俺は普段は某県で教員をしている。県が資格を持つ人間のボランティアを奨励しており、特別休暇をくれるので、そこに有給休暇をちょいと足して、7月末からお盆の半ばまで、プールや海水浴場で肌を焼いて過ごす。
 新型感染症のせいで夏の楽しみを奪われる数年が続いたが、昨年からこのボランティアを復活させた。今年は何と! 関西南部の知られざる海岸で働くことになり、俺ははり切っていた。
 知られざる、とは失礼な言い方かもしれない。しかし大阪のライフセーバー仲間は、やや穴場だと話した。その海水浴場は、大阪府と和歌山県の境に位置し、海岸線も砂浜も海の色も美しかった。あまり広くないので、目配りがしっかりできるのも良い。
 海の家は3軒しかなく、いつも忙しそうである。俺たちは毎朝、砂浜のゴミ拾いをしながら海の家のスタッフに挨拶するが、8月に入り、一番小さな店で、すらりとした青年が働き始めたことに気づいた。

「おはようございまーす」

 笑顔で関西らしい間延びした挨拶をしながら、レンタルのパラソルや浮き輪をてきぱきと表に出す様子が好ましい。俺は彼が大学生で、京都から帰省中であり、海の家は彼の親戚が経営していて、お盆まで手伝う……という情報を本人から得た。
 彼、岡本おかもと文哉ふみやは高校までバスケットボールをしていて、今は管弦楽団でチェロを弾いていると言った。元バスケ選手らしい、程よく筋肉のついた長い手足に、俺は密かに惚れ惚れしていた。Tシャツと短パンから覗いたその腕や脚は、まだ日焼けしていないが、3日もすれば海の子らしくなるだろう。

松永まつながさんお疲れさまでーす、アクエリ飲みます?」

 岡本くんは俺が見張り台から交代で下りて、海の家周辺を巡回すると、声をかけてくれる。海の家の人たちは、ライフセーバーが昼の弁当だけ出してもらっているボランティアだと知っているので、こうして飲み物を分けてくれるのだ。

「トライアスロンやってて体育大学卒って、松永さんもしかして、セーヌ川で泳いでたかもしれへんのですか?」

 岡本くんはもうすぐ始まるオリンピックを引き合いに出しながら、無邪気に訊いてくる。残念ながら俺は、日本代表になれるほどではなかった。

「バイクのタイムが上がらなかったんだよ、スイムは割と強かったんだけど」
「そうなんや……でもライフセーバーの競技会とかありますよね?」
「うん、ただなかなか日程合わないから、まず出るのが難しい」
「社会人って厳しいですねぇ」

 岡本くんは3回生なので、就職活動を目前に控えたその言葉と声には、しみじみとしたものがあった。



 ある日岡本くんが、同世代のひょろっとした男性客と、店先で親しげに語らうのを見かけた。2人は楽しそうで、俺は見張り台にいる時から気になって仕方なかった。
 岡本くんの「友達」らしき男性は、家族で泳ぎに来ている様子だった。海の家でパラソルと浮き輪を借りて、兄弟だろうか、やはり年齢の近い男性と海ではしゃいでいる。
 やがて兄弟が浜に上がり、男性は1人で浮き輪に掴まり泳いでいたが、その手が浮き輪から離れたのがわかった。彼は沖に流される浮き輪を追う。よくない動きだと感じて注視していると、彼の頭がどぷんと沈んだ。
 俺は見張り台から半分飛び降り、もう1台の見張り台の上にいる仲間に、救護に向かうと身振りで告げた。熱い砂浜を全力で駆けて海に飛び込む。海水の冷たさを確かめつつ、浮き輪目指して泳ぐと、男性の頭がぴょこんと浮き上がった。

「大丈夫ですか!」

 俺の声に、彼はびくりとなって言った。

「ひえっ! 大丈夫です、ちょっと足を取られただけです!」

 どうも危なっかしいので、俺は浮き輪に彼を掴まらせて、浜のほうに連れて行った。彼の兄弟と岡本くんが、異変を察して波打ち際に走ってくる。

泰生たいき、何溺れかけてんねん!」
長谷川はせがわ、大丈夫なんか!」

 長谷川と呼ばれた彼は、肩をすくめて小さくなる。これは俺がちょっと、大げさに動き過ぎたかもしれなかったが、一応説諭する。

「この海は遠浅だけど、たまに深いところがあるから、あまり沖に出ないほうがいいですよ」
「はい、海が久しぶりでちょっと方向見失いました、すみません」

 長谷川くんは素直だった。ぺこりと頭を下げる彼を見て、岡本くんとお似合いだなと、俺はちょっぴり切なくなった。



 長谷川くん一家は夕方まで海水浴を楽しみ、車でホテルに帰った。海の家を片づける岡本くんが、砂浜の点検に回る俺に話しかけてきた。

「ありがとうございます、長谷川助けてもろて」

 そんな風に言われると、少し胸が痛い。

「大切な人なんだね」
「へ? あ、まあ、管弦楽団の友達なんですよ、俺が誘ってまだ入部したばっかしで」

 そうか、と俺は応じて、夕日の沈み始めた海に目をやる。この海岸は日没が美しいことでも有名だ。

「あの子と一緒に夕日を見たらよかったのに」
「は?」

 岡本くんはきょとんとしていた。俺は彼の顔を見て、もしかしたら……と思った。いやしかし、岡本くんだって俺みたいな冴えないおじさんより、同い年の長谷川くんと居たほうが楽しいに違いない。大人の男として、俺は浅はかな期待をしてはいけないのだ。
 俺の気も知らず、岡本くんは海を見ながら言う。

「明日も晴れそうですねぇ」

 そうだね。俺は呟いた。岡本くんの横顔が眩しかった。


*初出 2024.8.17 #創作BL版深夜の60分一本勝負 お題「海」「日焼け」
 『夏の扉が開かない』が完結した後にいただいたお題です。コントラバシニストの泰生が、チェリストの岡本の夏のバイト先である加太の海水浴場に、家族で遊びに行くという設定を本編で固めていたので、すっと書けました。番外編として足しても良かったのですが、松永さんが腐男子発想のゲイで突っ走っているので、青春ジャンルにあてがうのはちょっと控えておきました(笑)。泰生と岡本くんは、友達ですよ!
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人

こじらせた処女
BL
 幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。 しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。 「風邪をひくことは悪いこと」 社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。 とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。 それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

新しい道を歩み始めた貴方へ

mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。 そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。 その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。 あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。 あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?

【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集

あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。 こちらの短編集は 絶対支配な攻めが、 快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす 1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。 不定期更新ですが、 1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 書きかけの長編が止まってますが、 短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。 よろしくお願いします!

嫌われ者の長男

りんか
BL
学校ではいじめられ、家でも誰からも愛してもらえない少年 岬。彼の家族は弟達だけ母親は幼い時に他界。一つずつ離れた五人の弟がいる。だけど弟達は岬には無関心で岬もそれはわかってるけど弟達の役に立つために頑張ってるそんな時とある事件が起きて.....

お兄ちゃん大好きな弟の日常

ミクリ21
BL
僕の朝は早い。 お兄ちゃんを愛するために、早起きは絶対だ。 睡眠時間?ナニソレ美味しいの?

風邪ひいた社会人がおねしょする話

こじらせた処女
BL
恋人の咲耶(さくや)が出張に行っている間、日翔(にちか)は風邪をひいてしまう。 一年前に風邪をひいたときには、咲耶にお粥を食べさせてもらったり、寝かしつけてもらったりと甘やかされたことを思い出して、寂しくなってしまう。一緒の気分を味わいたくて咲耶の部屋のベッドで寝るけれど…?

処理中です...