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音楽は錬金術になり得るか
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ピアニストたる俺がソリストたちの伴奏をするのは、無論、金のためである。子どもにちんたら教えるのは性に合わない。かといって、オケと共演するソリストとして弾く機会は滅多に無い。ソロでコンサートをしても、必死で捌いたチケット代はホールの借り賃に消えるのだから、あまりコスパは良くない。しかも何曲暗譜しなきゃならんのだ?
声楽のコンクールは絶好の稼ぎ場だ。歌い手は長くてもせいぜい10分弱の曲しか持ち込まないし、こちらは楽譜を置けるので、準備が比較的楽だからだ。
そんな訳で俺は、普段伴奏をしている大学院生、テノールの塚山天音に加えて、彼の同郷の友人であるバリトンの片山三喜雄に、自分を売り込んだ。片山は特定の伴奏者を持たず、コンクールの運営側が用意する公式ピアニストにいつも弾かせていると、塚山から聞いていた。
公式ピアニストに頼むということは、ろくに合わせもしないで本番に臨むことを意味する。それで入選を狙うというのだから、片山はなかなかの強者だ。予選の発表が終わってすぐに、俺は片山にアプローチした。彼は俺が塚山と、あと2人の伴奏をしていることや、歌手からそこそこの伴奏代を取っていると知っているからか、最初あっさり断った。
断られると腹が立った。何としても伴奏してやると決めた俺は、1回だけ公式ピアニストと同じ金額で弾こうと片山に提案した。すると彼は少し考えて、じゃあ2次だけお願いしますと言った。
片山は、ヘンデルのオペラ「エジプト王妃ベレニーチェ」の、デメトリオのアリアを用意していた。初めての合わせの日、地味な曲だと思いつつ16分音符の並ぶ楽譜を弾く俺は、片山のアジリタ……細かい音符の歌唱が、テンポも音程も極めて正確であることに気づく。塚山も天才的に正確な音程の持ち主だが、アジリタは稀に滑るので、彼に比べると片山には安定感があった。
それに、いい声だ。響きは柔らかいのにブレない太い芯がある。今日は片山は俺のほうを向いて歌っており、弾きながら彼をチラ見すると、その腰から大腿部辺りに声の源があると認識できた。それにしても、真剣に歌う顔も可愛い。容姿と声が、バリトンによくあるロマン派のオペラの悪役には合わず、もったいないと思う。
バロック時代の曲の構成は大概A-B-A、つまり展開部の後に最初のメロディが戻ってくるので、2回目は装飾音を入れたり細かい楽譜に変えたりして変化をつける。技巧のひけらかしどころでもあるのだが、片山の装飾はやはり堅実だが地味だった。
俺は伴奏の手を止めて、片山に言う。
「もっといろいろやったら? 歌えんだろ?」
片山は意外なことを言われたという顔になる。
「この歌であまりやったら嫌味じゃないですか?」
まあ正論なのだが、みんなどの時代のどんな曲でも派手に仕上げるのが、コンクールというものだ。
「これじゃ審査員にアピール足りないんじゃね?」
「初瀬さんまで塚山みたいなこと言わないでください」
片山の軽い怒りを孕んだ声に、俺は吹き出した。そして、大学院生には見えない彼の顔をじっと見る。
「片山くんって、自分の声で稼ぐことに無頓着なんだって?」
片山は軽く口をへの字にした。
「お金になると思ってません」
「そうかなぁ?」
「音楽は錬金術じゃないですし」
それは違う。この若い音楽家の考えを正す必要がありそうだ。
「錬金術だよ、タイミングとやり方さえ間違えなければ金を産む」
きっと嫌な顔をするだろうと思ったが、片山は意外としれっとしていた。
「だとしても日本じゃ、クラシックは砂金くらいにしかならないでしょうね」
砂金を掻き集める身としては、反論できなかった。片山の物言いがやや腹立たしく、苦し紛れに俺は言葉を絞り出す。
「……やり方次第じゃ日本でも、金塊が錬成できるかもしれねぇぞ?」
すると、片山はにっこり笑った。
「初瀬さんなら錬成しそうですよね、その時になったら俺、伴奏してもらったこと自慢します」
可愛いのか憎たらしいのかわからない。俺はそのうち、こいつも塚山も味見したいのだが、こいつのほうが手強そうだ。そんな俺の下心を見透かしたのか、片山はすっと真顔になった。
「ところで初瀬さん、さっきダカーポした時ちょっと速かったんで、テンポプリモでお願いできますか?」
童顔のバリトンには、有無を言わせない雰囲気があった。この俺に要求できるほどには彼が気が強いと知った俺は、口許が綻びそうになるのを堪えた。
心配するな、反応が見たくてわざとやっただけだ。2次は必ず通してやるからな。思いながら殊勝に答えた。
「……承知しました」
☆da capo 最初に戻る tempo primo 最初の速さで
*初出 2024.7.11 #文披31題 Day11「錬金術」
三喜雄は大学院2年目に天音と一緒にコンクールに出ます。声楽家は伴奏者を探さなくてはならない場合が多く、ピアニストへの謝礼も結構かかるので大変なのです。
ピアニストの初瀬は、今年の春に偶然生まれたキャラで、「めちゃ弾けて頼りになるけど共演者に手を出すという噂がある」という設定です。男が好きなので、天音も三喜雄もフツーに狙われています(笑)。
声楽のコンクールは絶好の稼ぎ場だ。歌い手は長くてもせいぜい10分弱の曲しか持ち込まないし、こちらは楽譜を置けるので、準備が比較的楽だからだ。
そんな訳で俺は、普段伴奏をしている大学院生、テノールの塚山天音に加えて、彼の同郷の友人であるバリトンの片山三喜雄に、自分を売り込んだ。片山は特定の伴奏者を持たず、コンクールの運営側が用意する公式ピアニストにいつも弾かせていると、塚山から聞いていた。
公式ピアニストに頼むということは、ろくに合わせもしないで本番に臨むことを意味する。それで入選を狙うというのだから、片山はなかなかの強者だ。予選の発表が終わってすぐに、俺は片山にアプローチした。彼は俺が塚山と、あと2人の伴奏をしていることや、歌手からそこそこの伴奏代を取っていると知っているからか、最初あっさり断った。
断られると腹が立った。何としても伴奏してやると決めた俺は、1回だけ公式ピアニストと同じ金額で弾こうと片山に提案した。すると彼は少し考えて、じゃあ2次だけお願いしますと言った。
片山は、ヘンデルのオペラ「エジプト王妃ベレニーチェ」の、デメトリオのアリアを用意していた。初めての合わせの日、地味な曲だと思いつつ16分音符の並ぶ楽譜を弾く俺は、片山のアジリタ……細かい音符の歌唱が、テンポも音程も極めて正確であることに気づく。塚山も天才的に正確な音程の持ち主だが、アジリタは稀に滑るので、彼に比べると片山には安定感があった。
それに、いい声だ。響きは柔らかいのにブレない太い芯がある。今日は片山は俺のほうを向いて歌っており、弾きながら彼をチラ見すると、その腰から大腿部辺りに声の源があると認識できた。それにしても、真剣に歌う顔も可愛い。容姿と声が、バリトンによくあるロマン派のオペラの悪役には合わず、もったいないと思う。
バロック時代の曲の構成は大概A-B-A、つまり展開部の後に最初のメロディが戻ってくるので、2回目は装飾音を入れたり細かい楽譜に変えたりして変化をつける。技巧のひけらかしどころでもあるのだが、片山の装飾はやはり堅実だが地味だった。
俺は伴奏の手を止めて、片山に言う。
「もっといろいろやったら? 歌えんだろ?」
片山は意外なことを言われたという顔になる。
「この歌であまりやったら嫌味じゃないですか?」
まあ正論なのだが、みんなどの時代のどんな曲でも派手に仕上げるのが、コンクールというものだ。
「これじゃ審査員にアピール足りないんじゃね?」
「初瀬さんまで塚山みたいなこと言わないでください」
片山の軽い怒りを孕んだ声に、俺は吹き出した。そして、大学院生には見えない彼の顔をじっと見る。
「片山くんって、自分の声で稼ぐことに無頓着なんだって?」
片山は軽く口をへの字にした。
「お金になると思ってません」
「そうかなぁ?」
「音楽は錬金術じゃないですし」
それは違う。この若い音楽家の考えを正す必要がありそうだ。
「錬金術だよ、タイミングとやり方さえ間違えなければ金を産む」
きっと嫌な顔をするだろうと思ったが、片山は意外としれっとしていた。
「だとしても日本じゃ、クラシックは砂金くらいにしかならないでしょうね」
砂金を掻き集める身としては、反論できなかった。片山の物言いがやや腹立たしく、苦し紛れに俺は言葉を絞り出す。
「……やり方次第じゃ日本でも、金塊が錬成できるかもしれねぇぞ?」
すると、片山はにっこり笑った。
「初瀬さんなら錬成しそうですよね、その時になったら俺、伴奏してもらったこと自慢します」
可愛いのか憎たらしいのかわからない。俺はそのうち、こいつも塚山も味見したいのだが、こいつのほうが手強そうだ。そんな俺の下心を見透かしたのか、片山はすっと真顔になった。
「ところで初瀬さん、さっきダカーポした時ちょっと速かったんで、テンポプリモでお願いできますか?」
童顔のバリトンには、有無を言わせない雰囲気があった。この俺に要求できるほどには彼が気が強いと知った俺は、口許が綻びそうになるのを堪えた。
心配するな、反応が見たくてわざとやっただけだ。2次は必ず通してやるからな。思いながら殊勝に答えた。
「……承知しました」
☆da capo 最初に戻る tempo primo 最初の速さで
*初出 2024.7.11 #文披31題 Day11「錬金術」
三喜雄は大学院2年目に天音と一緒にコンクールに出ます。声楽家は伴奏者を探さなくてはならない場合が多く、ピアニストへの謝礼も結構かかるので大変なのです。
ピアニストの初瀬は、今年の春に偶然生まれたキャラで、「めちゃ弾けて頼りになるけど共演者に手を出すという噂がある」という設定です。男が好きなので、天音も三喜雄もフツーに狙われています(笑)。
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