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さっくんのねがいごと
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家電大手とコラボして開発・販売される予定のオフィス用品の営業が、あまり調子が上がっていない。その話はもはや噂ではなく、会社全体の懸案として、人事部の晃嗣の耳にも届いていた。
感染症禍の危機的な売り上げ記録を経験しているせいか、社内では「ああそうなんだ」と言った受け止めかたをされているが、営業部にはプレッシャーがかかっている。晃嗣は会社の業績より、営業課にいる恋人の朔の負担ほうが心配だった。
退勤後、自宅とは反対向きの電車に乗った。そういえば七夕かと思い当たり、晃嗣の足は駅前のスーパーの乾物売り場に向いた。2人で食べ切ることのできる束数が入った素麺を選び、惣菜売り場でかぼちゃの煮つけを手に取る。素麺つゆとビールもカゴに入れて精算すると、サッカー台の横に大きな笹の枝が設置してあることに気づいた。
エコバッグに買ったものを入れながら、枝からぶら下がる沢山の色とりどりの短冊に書かれている願いごとを、晃嗣は微笑ましく眺めた。
「お父さんのきゅうりょうが上がって毎しゅうステーキが食べられますように」
「やせてオーディションに受かりたい! 絶対!」
「恭ちゃんとずっと♡ラブ♡でいられますように」
「だんなの親と別居できますように」
枝の下には数本のペンと短冊が置いてあり、そこで願いごとを書いているサラリーマンもいた。彼は晃嗣とあまり変わらない年齢のように見えた。
サラリーマンが枝の隅に緑色の短冊を下げて店から出ていくと、晃嗣は更に笹の枝に近寄り、白紙のクリーム色の短冊を手に取る。ちょっと周りの目が気になったが、サインペンのキャップを開けた。
「新商品が売れて、さくさんの仕事もうまくいきますように こうじ」
そう書きこんだ晃嗣は、勝手に気恥ずかしくなりながら、笹の枝にこよりで自分の祈りを結びつける。老夫婦がそんな晃嗣と笹の枝を見て、いいね、何か書いて行きますか、と相談を始めた。
その時、少し高い場所にぶら下がっている水色の短冊が、晃嗣の目に留まった。そこには、スマートな字でこう書かれていた。
「こうちゃんとずっと一緒に働けますように。抱かせてくれたらもっと嬉しい。さく」
おい、と声が出そうになるのを我慢した。同名の他人ではなさそうである。
かつて朔は、晃嗣を追って新卒で入社した会社を、晃嗣がもういなかったという理由で1年で辞めている。だからきっと、文面以上に朔の願いは強いと思う。……それはいい。むしろじんときたが、後半は何なんだ?
「おーっ! 涼しげでいいね」
テーブルに素麺とかぼちゃを並べ、冷凍庫に入っていた枝豆を解凍して出すと、朔は嬉しげな顔になった。握らされた合鍵で、たまに金曜の夜に朔の部屋に上がり、先に晃嗣が簡単な食事を用意すると、彼はいつも喜んでくれる。
「独りだとちょっと素麺って面倒だから、嬉しい」
「面倒って、茹でるだけじゃないか」
「いやいや、涼しげに盛りつけたり、薬味刻んだりするの面倒だし」
朔は箸を手に、早速素麺を摘み上げ、すりおろした生姜の入った麺つゆに浸した。形の良い唇に、白い麺がちゅるっと吸い込まれるのが見ていて飽きない。
晃嗣はかまをかけてやろうと考える。
「スーパーに笹が置いてあって、みんな沢山願いごと書いてた」
朔はふうん、と答えただけだった。晃嗣はもう少し突っ込んでみる。
「朔さんなら何をお願いする?」
「俺の生まれた辺の七夕は8月だから、ちょっと実感が湧きにくいな」
あくまでもしらばっくれるつもりか。晃嗣が口にしかけると、朔があっ、と顔を上げた。
「こうちゃんがやらせてくれますようにって書くぞ、ああでも年1回しか逢えない恋人たちに願うのは良くないなぁ……」
晃嗣は麺を噴きそうになった。臆面もなく言うか、こいつは。
「年1回でも嫌だ、俺はタチだ」
「まだ言う? こうちゃんはネコだって、俺たち互いの思いを確かめ合って半年だよ、俺はこの間に確信を深めた」
朔の根拠の無い自信に苦笑しながら、晃嗣は箸を進める。別にやらなくても、半年間スキンシップは十分楽しんでいると思うのだが。
朔が口で言うほど、することにこだわっているとも思えない。しかし、自分を抱きたいとは、ずっと聞かされている。
ならば晃嗣はこう祈らなくてはならない。
「痛くありませんように」
いや、それ何なんだ……。かなり笑えた。
かぼちゃを箸で摘んだままにやにやしてしまった晃嗣を、朔が首を傾げて見ていた。
*初出 2023.7.8 #創作BL版深夜の60分一本勝負 お題「願いごと」「祈り」
こうちゃんとさっくんの七夕を確か書いたはずだと原稿を探したら、スマホのメモの中にありました! 昨年7月時点でのお話なので、この後朔が営業に携わっているプロジェクトは、上向きになっています。でもまだ2人は、ちゃんと「して」いない関係のようです。お互いの実家にも公認されていて、一緒に暮らす計画を立てているようなのですが……。
感染症禍の危機的な売り上げ記録を経験しているせいか、社内では「ああそうなんだ」と言った受け止めかたをされているが、営業部にはプレッシャーがかかっている。晃嗣は会社の業績より、営業課にいる恋人の朔の負担ほうが心配だった。
退勤後、自宅とは反対向きの電車に乗った。そういえば七夕かと思い当たり、晃嗣の足は駅前のスーパーの乾物売り場に向いた。2人で食べ切ることのできる束数が入った素麺を選び、惣菜売り場でかぼちゃの煮つけを手に取る。素麺つゆとビールもカゴに入れて精算すると、サッカー台の横に大きな笹の枝が設置してあることに気づいた。
エコバッグに買ったものを入れながら、枝からぶら下がる沢山の色とりどりの短冊に書かれている願いごとを、晃嗣は微笑ましく眺めた。
「お父さんのきゅうりょうが上がって毎しゅうステーキが食べられますように」
「やせてオーディションに受かりたい! 絶対!」
「恭ちゃんとずっと♡ラブ♡でいられますように」
「だんなの親と別居できますように」
枝の下には数本のペンと短冊が置いてあり、そこで願いごとを書いているサラリーマンもいた。彼は晃嗣とあまり変わらない年齢のように見えた。
サラリーマンが枝の隅に緑色の短冊を下げて店から出ていくと、晃嗣は更に笹の枝に近寄り、白紙のクリーム色の短冊を手に取る。ちょっと周りの目が気になったが、サインペンのキャップを開けた。
「新商品が売れて、さくさんの仕事もうまくいきますように こうじ」
そう書きこんだ晃嗣は、勝手に気恥ずかしくなりながら、笹の枝にこよりで自分の祈りを結びつける。老夫婦がそんな晃嗣と笹の枝を見て、いいね、何か書いて行きますか、と相談を始めた。
その時、少し高い場所にぶら下がっている水色の短冊が、晃嗣の目に留まった。そこには、スマートな字でこう書かれていた。
「こうちゃんとずっと一緒に働けますように。抱かせてくれたらもっと嬉しい。さく」
おい、と声が出そうになるのを我慢した。同名の他人ではなさそうである。
かつて朔は、晃嗣を追って新卒で入社した会社を、晃嗣がもういなかったという理由で1年で辞めている。だからきっと、文面以上に朔の願いは強いと思う。……それはいい。むしろじんときたが、後半は何なんだ?
「おーっ! 涼しげでいいね」
テーブルに素麺とかぼちゃを並べ、冷凍庫に入っていた枝豆を解凍して出すと、朔は嬉しげな顔になった。握らされた合鍵で、たまに金曜の夜に朔の部屋に上がり、先に晃嗣が簡単な食事を用意すると、彼はいつも喜んでくれる。
「独りだとちょっと素麺って面倒だから、嬉しい」
「面倒って、茹でるだけじゃないか」
「いやいや、涼しげに盛りつけたり、薬味刻んだりするの面倒だし」
朔は箸を手に、早速素麺を摘み上げ、すりおろした生姜の入った麺つゆに浸した。形の良い唇に、白い麺がちゅるっと吸い込まれるのが見ていて飽きない。
晃嗣はかまをかけてやろうと考える。
「スーパーに笹が置いてあって、みんな沢山願いごと書いてた」
朔はふうん、と答えただけだった。晃嗣はもう少し突っ込んでみる。
「朔さんなら何をお願いする?」
「俺の生まれた辺の七夕は8月だから、ちょっと実感が湧きにくいな」
あくまでもしらばっくれるつもりか。晃嗣が口にしかけると、朔があっ、と顔を上げた。
「こうちゃんがやらせてくれますようにって書くぞ、ああでも年1回しか逢えない恋人たちに願うのは良くないなぁ……」
晃嗣は麺を噴きそうになった。臆面もなく言うか、こいつは。
「年1回でも嫌だ、俺はタチだ」
「まだ言う? こうちゃんはネコだって、俺たち互いの思いを確かめ合って半年だよ、俺はこの間に確信を深めた」
朔の根拠の無い自信に苦笑しながら、晃嗣は箸を進める。別にやらなくても、半年間スキンシップは十分楽しんでいると思うのだが。
朔が口で言うほど、することにこだわっているとも思えない。しかし、自分を抱きたいとは、ずっと聞かされている。
ならば晃嗣はこう祈らなくてはならない。
「痛くありませんように」
いや、それ何なんだ……。かなり笑えた。
かぼちゃを箸で摘んだままにやにやしてしまった晃嗣を、朔が首を傾げて見ていた。
*初出 2023.7.8 #創作BL版深夜の60分一本勝負 お題「願いごと」「祈り」
こうちゃんとさっくんの七夕を確か書いたはずだと原稿を探したら、スマホのメモの中にありました! 昨年7月時点でのお話なので、この後朔が営業に携わっているプロジェクトは、上向きになっています。でもまだ2人は、ちゃんと「して」いない関係のようです。お互いの実家にも公認されていて、一緒に暮らす計画を立てているようなのですが……。
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