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女神の箱庭の夕暮れ

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 キアランが神殿の裏に出ると、愛しい少年はイチイの大木の下にしゃがみこみ、地面を見つめていた。神通力の高い少年のことだから、虫や草花から精霊の声を聞いているのかもしれない。
 邪魔をすべきではない気もしたが、祈りと食事の時間が近いので、キアランは彼を呼んだ。

「フラン」

 その名の通り、美しい赤い髪をもつ少年は、振り返り機敏な動きで立ち上がった。

「キアラン先生」
「何を見ていた? 精霊が話しかけてきたのかな?」

 師の問いかけに、フランは少しもじもじとした。

「いえ、小さな花を見つけて……春が来るんだなと思ってました」

 キアランはそうか、と応じる。先日の神事で、月の女神の神託が降らず、この子の「相手」は決まらなかった。それにほっとしている自分を、不埒だと思う。
 神官の一人であり、次期大神官の候補に挙がっている身なのに、「捧げ物」の少年に肩入れしているなんて。このままではおそらく、女神の罰に打ち倒されるだろうという恐れがあるのに、キアランのフランに対する執着じみた気持ちは、大きくなるばかりである。
 フランは利発で素直な可愛い子だ。気味の悪いことばかり口走ると言われて、家族から忌避され育ったとは思えない。精霊の姿を感じとる能力は、「捧げ物」の他の少年たちと比べてずば抜けており、最近はたまに女神の声まで聴いている節がある。
 大神官は、フランを「捧げ物」とせず、神官として育てたほうが良いかもしれないとちらりと口にした。その時キアランは大神官の前で、嬉しさを抑え込むのに苦労した。もしそうなればフランは、まだしばらく自分を師として慕ってくれるだろう。
 神殿への道すがら、フランは夕暮れの空を見上げて、雲が流れるのを目で追う。

「先生、ローマの軍隊が近づいてるって本当なんですか?」

 弟子の直接的な問いかけに、キアランはやや戸惑う。この賢い子には、ごまかしは通じないだろう。

「私たちの部族を叩きに来るのではない……しかし我々を纏める大長がローマに対抗すると決めたならば、覚悟は必要だろう」

 キアランの説明に、フランは綺麗な形の目をこちらに向ける。その緑色の瞳は、夕暮れの光が混じり、晩秋の枯葉の色のようになった。

「覚悟、とは?」
「私たちは剣を取って戦うことはできない、しかし私たちが滅ぼされると、女神や精霊の祝福と戒めを皆に伝える者がいなくなる」

 フランはキアランの言葉に、唇を引き結んだ。その表情には、子どもっぽさは見られなかった。

「そうなれば、それが部族の本当の滅亡となる……この神殿を捨てることになったとしても、我々は生き延びねばならない」

 冷たい風が吹いた。フランは細い肩をすくめる。

「僕はこの神殿から離れたくないです」

 ああ、そうだろうとも。キアランだってそうだからだ。全てが美しく設えられた、大いなる女神の奇跡の箱庭。しかし時に気紛れな月の女神は、彼女にとっては箱庭でしかないこの神殿と豊かな森を、自分たちから無慈悲に取り上げるかもしれない。

「そうならないように祈ろう、私たちにできることはそれしか無い」

 キアランは上着を脱ぎ、フランの肩にかけてやった。彼はありがとうございます、と微笑した。寒く感じたのは冷えてきた風のせいだけではなく、見えない未来への畏れもあるのだろう。自分の温もりが少年を包み、慰めることができるなら、こんな嬉しいことはない。
 無駄に死ぬな。いや、死なせはしない。

「フラン、ラテン語の勉強は進めたいか? 宮殿に頼めばもっと教えてくれる人がいる」

 キアランが言うと、知的好奇心の旺盛なフランは、ぱっと笑顔になった。

「はい、お願いします」

 ローマ人の言葉を学ぶことに否定的な者は、王族にも神官にもいる。しかし言葉は武器になる筈だと、キアランは考えていた。
 その時フランのやや冷えた指先が、キアランの左の手の甲に触れた。キアランはその細い指を、掌に包み込んでやる。

「怖くなったのか? フランはいつまでも子どもだな」
「……怖いんじゃないです」

 フランの拗ねたような声さえ愛おしい。春が近づく日暮れの光は、師弟に優しかった。このひとときこそがキアランにとって、女神と精霊の大きな祝福だった。


フラン、キアラン まだタイトルがついていない、古代ローマもののキャラクターです。主人公アウルス(攻め)はローマの軍人、フラン(受け)はケルトの月の女神アリアンロッド(厳密にはウェールズの女神ですが)の神殿に仕える身で、部族の王族と交わることで神の力を分け与える「捧げもの」候補です。アウルスは皇帝の命に従い、フランの部族を攻撃し……えっ? 誰や、こんな無駄に壮大なプロット考えたんは(汗)……。
BLワンライに参加した作家様が、皆難しいと苦戦したお題です。今読み返しても、ちょっと我ながら苦しいですが、ファンタジックな雰囲気のせいか、沢山の人にいいねしてもらった一作です。
*初出 2023.3.4 #創作BL版深夜の60分一本勝負 お題「執着」「箱庭」
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