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夏のインタビュー
7月下旬 非常勤講師控室にて①
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大和女子大学の非常勤講師共同控室で、奏人は独りテーブルに座り、学生の出席カードを1枚ずつ確認していた。前期の授業は今日が最終日で、来週からは試験だ。
現在奏人はこの大学で、金曜日に3コマを担当している。受講生が1回生中心の、いわゆる一般教養科目には試験を課すが、文学部の2回生以上のためのやや専門的な科目と、複数の教員で受け持つ特別科目は、レポートで成績をつけることになっている。
自分のような未熟者が大学生に教え、彼女らの学力を評価することになるとは思わなかったが、悪くない仕事だと奏人は感じている。若い人たちの考えていることを知るのは刺激になり、哲学を専攻する学者の端くれとして、考えさせられることが日々沢山ある。
カードのチェックと連絡事項の確認を終え、奏人が片づけのために鞄を開けようとした時、扉がノックされて背の高い学生が顔を覗かせた。彼女は奏人を見つけると、ぱっと明るい顔になった。
「高崎先生、お忙しいとこすみません」
学生は柔らかい関西弁で話しかけてきた。確か特別科目を履修している3回生だと、思い出すことができた。
「いえ、どうしましたか」
「ちょっと先生にお願いしたいことがありまして」
文学部の小西と自己紹介した彼女は、学生自治会の一員だと言った。奏人は彼女にテーブルに着くよう促す。
小西は何を入れているのか、やけに膨らんだリュックを開けて、『まなびのまほろば』という名の薄い本を出し、奏人に差し出した。
「私たち、現役の学生と後援会、保護者ですね、それに卒業生に、年4回こういう冊子を作って渡してまして」
「まほろば」とは「素晴らしい場所」の意味で、倭建命が「大和は国のまほろば」と詠ったと古事記にあることから、奈良県民はよくこの言葉をキャッチフレーズなどに使う。若人が学ぶための佳き場所という本のネーミングには、センスがあると奏人は感じた。
表紙には春号と書かれ、淡いピンク色の花をつけた桜の樹が描かれている。奏人はその桜を見て、自分が何故か副顧問のような立場になっている美術部の、4回生の絵だと気づいた。彼女が学生自治会の刊行物の表紙絵を頼まれたと、昨年末嬉しそうに話していたからだ。
「はい、たまに美術部の子の絵を使ってくださるんですよね、部員から聞いています」
奏人が言うと、小西はああ、と目をぱちぱちさせた。
「高崎先生、美術部の面倒見てはるんですよね……あっもしかしたら、今から行かはります?」
「いや、あまり早く行ったらまだみんな集まってないこともあるから、大丈夫ですよ」
奏人は小西に事実を伝えただけだったが、彼女ははあぁ、と感嘆の混じったような溜め息をつく。
「さすが気遣いと人当たりの神……」
「はい?」
「あ、いえ、独り言です……本題ですけど、この機関紙の人気企画にこういうのがありまして……失礼しますね」
小西は『まなびのまほろば』に手を伸ばした。淡いピンクのマニキュアが塗られた爪が光る。
小西の開いたページは、「あの先生に訊け!」というタイトルがついた記事の冒頭部分だった。奏人は、文学部の教員たちからこの記事に関する噂を聞いていた。割と私生活などにも突っ込んでくるインタビューで、これを目にした学生が、良くも悪くも教員を見る目を変えてくるという。
奏人は我知らず微苦笑してしまったらしく、小西はそれを前向きに解釈した。
「あっ、ご存知でいらっしゃいますね? はい、編集会議で、9月に出す夏号に高崎先生へのインタビューを載せたいとなりまして」
それは別に構わないのだが、週に1日しか出てこない、勤務年数も浅い自分でいいのかと奏人は思った。
「私はいいですけど、インタビューしてほしい古株の先生が、他にいらっしゃるんじゃないですか?」
小西は笑顔を皮肉めいたものに変え、軽く鼻から息を抜く。
「私たちには人選の自由がありますので、誰も欲さないインタビュー記事は載せません」
現在奏人はこの大学で、金曜日に3コマを担当している。受講生が1回生中心の、いわゆる一般教養科目には試験を課すが、文学部の2回生以上のためのやや専門的な科目と、複数の教員で受け持つ特別科目は、レポートで成績をつけることになっている。
自分のような未熟者が大学生に教え、彼女らの学力を評価することになるとは思わなかったが、悪くない仕事だと奏人は感じている。若い人たちの考えていることを知るのは刺激になり、哲学を専攻する学者の端くれとして、考えさせられることが日々沢山ある。
カードのチェックと連絡事項の確認を終え、奏人が片づけのために鞄を開けようとした時、扉がノックされて背の高い学生が顔を覗かせた。彼女は奏人を見つけると、ぱっと明るい顔になった。
「高崎先生、お忙しいとこすみません」
学生は柔らかい関西弁で話しかけてきた。確か特別科目を履修している3回生だと、思い出すことができた。
「いえ、どうしましたか」
「ちょっと先生にお願いしたいことがありまして」
文学部の小西と自己紹介した彼女は、学生自治会の一員だと言った。奏人は彼女にテーブルに着くよう促す。
小西は何を入れているのか、やけに膨らんだリュックを開けて、『まなびのまほろば』という名の薄い本を出し、奏人に差し出した。
「私たち、現役の学生と後援会、保護者ですね、それに卒業生に、年4回こういう冊子を作って渡してまして」
「まほろば」とは「素晴らしい場所」の意味で、倭建命が「大和は国のまほろば」と詠ったと古事記にあることから、奈良県民はよくこの言葉をキャッチフレーズなどに使う。若人が学ぶための佳き場所という本のネーミングには、センスがあると奏人は感じた。
表紙には春号と書かれ、淡いピンク色の花をつけた桜の樹が描かれている。奏人はその桜を見て、自分が何故か副顧問のような立場になっている美術部の、4回生の絵だと気づいた。彼女が学生自治会の刊行物の表紙絵を頼まれたと、昨年末嬉しそうに話していたからだ。
「はい、たまに美術部の子の絵を使ってくださるんですよね、部員から聞いています」
奏人が言うと、小西はああ、と目をぱちぱちさせた。
「高崎先生、美術部の面倒見てはるんですよね……あっもしかしたら、今から行かはります?」
「いや、あまり早く行ったらまだみんな集まってないこともあるから、大丈夫ですよ」
奏人は小西に事実を伝えただけだったが、彼女ははあぁ、と感嘆の混じったような溜め息をつく。
「さすが気遣いと人当たりの神……」
「はい?」
「あ、いえ、独り言です……本題ですけど、この機関紙の人気企画にこういうのがありまして……失礼しますね」
小西は『まなびのまほろば』に手を伸ばした。淡いピンクのマニキュアが塗られた爪が光る。
小西の開いたページは、「あの先生に訊け!」というタイトルがついた記事の冒頭部分だった。奏人は、文学部の教員たちからこの記事に関する噂を聞いていた。割と私生活などにも突っ込んでくるインタビューで、これを目にした学生が、良くも悪くも教員を見る目を変えてくるという。
奏人は我知らず微苦笑してしまったらしく、小西はそれを前向きに解釈した。
「あっ、ご存知でいらっしゃいますね? はい、編集会議で、9月に出す夏号に高崎先生へのインタビューを載せたいとなりまして」
それは別に構わないのだが、週に1日しか出てこない、勤務年数も浅い自分でいいのかと奏人は思った。
「私はいいですけど、インタビューしてほしい古株の先生が、他にいらっしゃるんじゃないですか?」
小西は笑顔を皮肉めいたものに変え、軽く鼻から息を抜く。
「私たちには人選の自由がありますので、誰も欲さないインタビュー記事は載せません」
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