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おじちゃんとおにいちゃん、がんばる。
3-②
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あら? と言いながら岡が扉を開けると、4人掛けのテーブルと大きな窓だけがある無機質な部屋には、誰もいなかった。
「すみません……部屋にいると思うので連れてきますね、お待ちください」
岡は申し訳なさそうに言い、早足で廊下を引き返していった。冷房の効いた部屋に、奏人と一緒に入る。
「何か拗ねてるみたいになってるのかなぁ」
奏人も苦笑しながら、トートバッグから色鉛筆とスケッチブックを出した。暁斗はちょっと難しい様子になっているらしい杏菜対策に、情報収集をこの数日してみたのだが、自分の子どもを育てている人よりも、他人の子どもによく接している人の話のほうが、役立ちそうな気がしていた。
「片山さんとLINEしてたら教えてくれたんだけど」
暁斗が言いかけると、高校の先輩の名を出された奏人が、えっ! と目を丸くした。
「片山先輩? 何を教えてくれたの?」
「いや、あの人の勤務先はたぶんいいとこの子が多いんだろうけど、中にはやっぱり複雑な事情のある子もいるらしくて」
片山は音楽だけを教えに行く立場なので、様子が気になる子に関しては担任の教諭に任せるらしいが、児童が懐いてくると、いろいろな反応を見せてくれるという。
小学校の教職免許を持つ片山は、児童心理学なども勉強しているし、杏菜と年齢が近い子どもに接しているため、参考になる話が多そうだった。
「周りの大人を困らせる態度を取るのは、その大人の自分に対する愛情を試す行動かもしれないってことと、家に帰った時のことを誰にも話したがらないのは、強い自責か、家族を悪く思われたくないという気持ちがあるのかもしれないって」
暁斗の話に、奏人はぽかんとした。
「……いや、片山先輩はたぶん暁斗さんのこと結構好きなんだけど、そんな話をするようになってるのもびっくりだし、片山先輩が小学生と交流してるんだなとしみじみしてる」
「子どもに懐かれそうなタイプじゃないか、あの人」
奏人は薄く微笑んだ。
「後輩にも慕われてたもんね」
そこに自分を入れているのかどうか、奏人の言い方はちょっと曖昧である。2年の夏に去らなくてはならなくなった高校の先輩なので、奏人は片山に対して、多少わだかまりのようなものを持っている。片山には全くそんなものが無さそうなのだが。
ドアが勢いよく開いた。暁斗が奏人と同時にそちらを見ると、岡に送り出されるような姿勢で、マスクをした杏菜が立っていた。伸びた髪を三つ編みにして両肩に垂らし、膝丈のワンピースを着ている辺り、ちょっとお洒落をしている様子である。
しかし杏菜は、マスクをしていてもわかるくらい、ぶすっと膨れていた。これはこれは。暁斗はとりあえず、挨拶から始める。
「杏菜ちゃんこんにちは、なかなか来れなくてごめん」
岡がほら、と少女を促した。彼女は岡をちらっと見上げる。
「……杏菜ずっと待ってたのに、暁斗おじちゃんも奏人おにいちゃんも来ないし」
杏菜は低い声で言った。それが気に入らなかったのか。
「もう会ってあげないと思ってたんだから」
「何言ってるの、桂山さんと高崎さんはお勤めしてるから忙しいのよ」
少女の発言を、岡がたしなめる。これは片山が言っていた、試し行動の一種なのだろうか?
「ごめん、杏菜ちゃんがお盆はお母さんとこに行ってるって聞いたから、会いに行くのはその後にしようって言ってたんだ」
「……まあいいけど」
1年で成長したと言うべきなのか、杏菜はこましゃくれた返事を寄越し、暁斗のほうにすたすたと歩いてくる。椅子に座るかと思いきや、彼女は昨年、スーパー銭湯で母に置き去りにされた後に暁斗を見つけた時と同じく、暁斗の脚にぎゅっとしがみついた。
愛おしさを覚えつつ、暁斗は杏菜の小さな頭を数度撫でる。
「悪かったね、もう少し早く来たらよかった」
暁斗は少女に言ってから、岡に向かって頷いた。ほっとした顔になった彼女は、扉を開けたまま静かに立ち去る。
初めてここを訪れた時、大人の男2人が小さな女の子を訪ねたために、職員たちからやや警戒されたのを察したので、奏人が勤務先の女子大の研究室でそうしているように、面会室の扉をずっと開けておいた。それを彼女は覚えていた。
「すみません……部屋にいると思うので連れてきますね、お待ちください」
岡は申し訳なさそうに言い、早足で廊下を引き返していった。冷房の効いた部屋に、奏人と一緒に入る。
「何か拗ねてるみたいになってるのかなぁ」
奏人も苦笑しながら、トートバッグから色鉛筆とスケッチブックを出した。暁斗はちょっと難しい様子になっているらしい杏菜対策に、情報収集をこの数日してみたのだが、自分の子どもを育てている人よりも、他人の子どもによく接している人の話のほうが、役立ちそうな気がしていた。
「片山さんとLINEしてたら教えてくれたんだけど」
暁斗が言いかけると、高校の先輩の名を出された奏人が、えっ! と目を丸くした。
「片山先輩? 何を教えてくれたの?」
「いや、あの人の勤務先はたぶんいいとこの子が多いんだろうけど、中にはやっぱり複雑な事情のある子もいるらしくて」
片山は音楽だけを教えに行く立場なので、様子が気になる子に関しては担任の教諭に任せるらしいが、児童が懐いてくると、いろいろな反応を見せてくれるという。
小学校の教職免許を持つ片山は、児童心理学なども勉強しているし、杏菜と年齢が近い子どもに接しているため、参考になる話が多そうだった。
「周りの大人を困らせる態度を取るのは、その大人の自分に対する愛情を試す行動かもしれないってことと、家に帰った時のことを誰にも話したがらないのは、強い自責か、家族を悪く思われたくないという気持ちがあるのかもしれないって」
暁斗の話に、奏人はぽかんとした。
「……いや、片山先輩はたぶん暁斗さんのこと結構好きなんだけど、そんな話をするようになってるのもびっくりだし、片山先輩が小学生と交流してるんだなとしみじみしてる」
「子どもに懐かれそうなタイプじゃないか、あの人」
奏人は薄く微笑んだ。
「後輩にも慕われてたもんね」
そこに自分を入れているのかどうか、奏人の言い方はちょっと曖昧である。2年の夏に去らなくてはならなくなった高校の先輩なので、奏人は片山に対して、多少わだかまりのようなものを持っている。片山には全くそんなものが無さそうなのだが。
ドアが勢いよく開いた。暁斗が奏人と同時にそちらを見ると、岡に送り出されるような姿勢で、マスクをした杏菜が立っていた。伸びた髪を三つ編みにして両肩に垂らし、膝丈のワンピースを着ている辺り、ちょっとお洒落をしている様子である。
しかし杏菜は、マスクをしていてもわかるくらい、ぶすっと膨れていた。これはこれは。暁斗はとりあえず、挨拶から始める。
「杏菜ちゃんこんにちは、なかなか来れなくてごめん」
岡がほら、と少女を促した。彼女は岡をちらっと見上げる。
「……杏菜ずっと待ってたのに、暁斗おじちゃんも奏人おにいちゃんも来ないし」
杏菜は低い声で言った。それが気に入らなかったのか。
「もう会ってあげないと思ってたんだから」
「何言ってるの、桂山さんと高崎さんはお勤めしてるから忙しいのよ」
少女の発言を、岡がたしなめる。これは片山が言っていた、試し行動の一種なのだろうか?
「ごめん、杏菜ちゃんがお盆はお母さんとこに行ってるって聞いたから、会いに行くのはその後にしようって言ってたんだ」
「……まあいいけど」
1年で成長したと言うべきなのか、杏菜はこましゃくれた返事を寄越し、暁斗のほうにすたすたと歩いてくる。椅子に座るかと思いきや、彼女は昨年、スーパー銭湯で母に置き去りにされた後に暁斗を見つけた時と同じく、暁斗の脚にぎゅっとしがみついた。
愛おしさを覚えつつ、暁斗は杏菜の小さな頭を数度撫でる。
「悪かったね、もう少し早く来たらよかった」
暁斗は少女に言ってから、岡に向かって頷いた。ほっとした顔になった彼女は、扉を開けたまま静かに立ち去る。
初めてここを訪れた時、大人の男2人が小さな女の子を訪ねたために、職員たちからやや警戒されたのを察したので、奏人が勤務先の女子大の研究室でそうしているように、面会室の扉をずっと開けておいた。それを彼女は覚えていた。
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