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おじちゃんとおにいちゃん、がんばる。

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 大河靖子と、杏菜の暮らしている施設「マーガレットこども園」にメールをすると、どちらからも訪問を歓迎する旨の返信が来た。拒まれるよりはもちろんいいのだが、こども園の担当者からのメールに、少し気になることが書いてあり、暁斗は杏菜が心配になる。

「杏菜ちゃんはお母さんのお仕事のお盆休みの終わりに合わせて園に帰って来たのですが、どうも家で何かあったらしく、ずっと元気がありません。
 元々我慢強い子です。私たちにも塞いでいる理由を話してくれないので、もしかしたら、桂山さんや高崎さんになら話すかもしれないと、こちらで言っていたところでした。」

 カレーの煮え具合を見ていた奏人は、リビングの暁斗の傍に来てそのメールを読み、美しい形の眉の間に皺を寄せた。

「もう半月以上、誰にも話さずに我慢してるってこと?」

 暁斗もうーん、と唸らざるを得ない。

「可哀想に、すぐに会う段取りしようか」

 施設の職員たちが、父親と結果的に断絶してしまった杏菜に、ゲイカップルが面会に来ることをどう捉えているのかよくわからなかったのだが、大河の口添えのおかげなのか、それなりに信頼を得てはいるようだ。
 とは言え、普段世話をしている人たちにも話さないことを、自分たちに打ち明けてくれるだろうか。
 暁斗がそう言うと、奏人はいや、と今度は眉を上げる。エプロン姿の彼は、昔のアメリカのドラマに出てきた、こっそり魔法を使い難題を解決するヒロインを、何となく思い起こさせる。

「普段接さない他人のほうが、話しやすいってパターンもあると思う」
「なるほど」

 おそらく今、奏人の世代が杏菜くらいの年齢の子を育てていることが多いだろう。経験豊かな会社の同僚や、現役で子育てをしている部下に訊いてみようと暁斗は考える。

「子育ての経験が無いと、やっぱり難しいなぁ」

 つい言った暁斗に、奏人は答える。

「子育てしてる人だって、最初の子の時は手探りなんだよ……条件は一緒だ」
「奏人さんは前向きだな」
「そう? そろそろサラダ作るよ」

 奏人が言うので、暁斗はソファから腰を上げた。暑い日に食べるカレーは贅沢だ。
 暁斗がトマトを洗い始めると、奏人は一旦コンロの火を止め、フレーク状のカレールーを鍋に入れた。おたまでゆっくり鍋の中身が攪拌されると同時に、子どもの頃から馴染みの匂いが広がる。
 杏菜はカレーは好きだろうか。いつかこの家に招待して、食べさせてやれたらいいんだけれど。キッチンを包み込むスパイスの香りに、トマトを切る暁斗の腹がきゅるっと鳴った。



 明日は朝から仕事が忙しく、昼休みの時間が読めないので、暁斗は夕飯を済ませた後、こども園と大河にメールしておいた。早ければ今週末、日曜なら何時でも構わない。
 流しの前で片づけを始めている奏人の傍に行った暁斗は、彼がタッパーに残ったカレーを詰めているのを見て、尋ねた。

「どうするの、それ?」

 奏人は大きな目を上げる。

「明日お弁当に持ってく」
「え、マジ? 俺のは無いのか?」

 給食の残りを貰いそびれた小学生みたいな口調になってしまう。奏人は笑った。

「暁斗さん明日は朝から外回りで、お弁当要らないって言ってたじゃん、僕は1日内勤だから」
「あ、そうだった」

 奏人はタッパーの蓋を閉めずに、テーブルに置いた。ルーがまだ冷めていないのだ。

「こんな雑なお弁当でいいなら、今度から多めに作るようにするよ……暁斗さんはおうちカレーほんと好きだよね」

 奏人がおうちカレーと呼ぶにはちゃんと理由がある。暁斗はカレーの美味しい店舗や、ご当地カレーのレトルトにはほぼ興味が無く、家で作るカレーが好きだからだ。
 奏人の実家ではあまりカレーを作らなかったというので、今は桂山家の具が大きめのものが、この家のカレーの主流である。ルーから作るほどこだわってはいないが、奏人がいろいろな既製品のルーを試している。

「以前暁斗さんに、味噌汁はその家の歴史だって言った覚えがあるんだけど」

 奏人は空っぽになったカレー鍋を流しに置いた。

「カレーもその家の歴史だよね」
「かもな、おうちカレーは家によって微妙に味が違うからな」

 あ、と暁斗は思いついて言う。

「杏菜ちゃんにカレーを持って行くのはどうだろうか、子どもは大体カレーが好きだ」

 奏人はいやぁ、と眉の裾を下げた。

「お菓子の差し入れも控えてくれって言われてるのに、カレーはまずいんじゃない?」
「……そっか、そりゃそうだ」

 どうやって食べるのだという話である。暁斗が水栓に触れた時、ぷっ、と小さな音がした。奏人が笑ったのだ。

「杏菜ちゃんに喜んでもらえることを考えてるんだよね、ちょっと孫に会う前のおじいちゃんっぽい」
「はあっ? おじいちゃん?」

 暁斗はスポンジに水を含ませて、洗剤をつけた。奏人はごめん、と笑い混じりに謝る。

「大丈夫、特別なプレゼントなんか無くても、そんな暁斗さんがあの子は大好きなはずだから」

 そうなのかな。暁斗の手が泡まみれになる。奏人みたいに、あの子を喜ばせることができるような特技が、自分には無い。暁斗はこういう時、自分は本当に平凡だと感じ、どうして奏人が自分と一緒にいるのか、よくわからなくなるのだった。

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