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痛みも悲しみも分かち合えるなら
6月18日 14:40②
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「この人は音楽室で練習してて、美術室って音楽室と同じ階にあったから、駆けつけて助けてくれたんだよね」
奏人からはこれまで、その場にいたのは顧問の美術教諭だったとしか聞かされたことがなかった。そのため暁斗は、余計に驚く。この歌手も1年上ということは、奏人を襲った美術部の先輩と同級生だ。互いを見知っていてもおかしくない。
「そうか……伯母さんにその話はした?」
「ううん、でも片山先輩が伯母さんと知り合った時に話してる可能性は高いかも、先輩は僕の伯母が伴奏の得意なピアニストだって知ってたから」
バリトン歌手の名は片山三喜雄といった。北海道の教育大学を卒業後、東京の芸術大学の大学院に入り、ケルンの音楽大学に留学したと書いてある。ドイツの声楽コンクールで1位無しの3位と聴衆賞という経歴は、今日一緒に出るテノール歌手が、国内外の複数のコンクールで1位を獲り、イタリアの歌劇場でオペラに出演しているのに比べると、地味だった。
暁斗がバリトン歌手の紹介を再読しているのを見て、奏人は言った。
「この人のお師匠が知る人ぞ知るシューベルト歌いのバリトンでね、片山さんオペラも歌えるんだけど、お師匠と同じ路線で行くつもりなんだろうなって」
「何だ奏人さん、この人のことずっと追ってるんじゃないか」
暁斗の突っ込みに、奏人は唇を尖らせた。
「ずっとじゃないよ……でも僕この人に不義理をしたとはずっと思ってる」
「不義理?」
「……この人の自主練につき合ってたのに、急に僕が転学することになって、ショックだったみたいで」
奏人は片山三喜雄の個人練習のために、彼から楽譜を受け取り伴奏をしてやっていたと話した。ピアノは高校生になった時に辞めたと奏人から聞かされていた暁斗だが、厳密に言うと、高校2年の夏までは弾いていたことになる。
2人の娘を音楽家に育てた札幌の祖父母の家には、アップライトピアノが残されていた。音楽や美術を好む自分に渋い顔をする父親から離れた奏人は、祖父母がわざわざ調律してくれたピアノに、少しだけ触っていたのだという。
暁斗は次々と明かされる事実に、驚きを禁じ得ない。奏人はこれまで、札幌に居た1年半の話をほとんど口にしたことがなかった。本人が黒歴史と言うように、思い出したくないからなのだが、暁斗は何やら、その期間のことを奏人の口から聞かせてもらわないと、一生彼の何処かが理解できないような気がしてきた。
「後でこの人の話はゆっくり聞くよ、最後まで聴ける?」
暁斗は奏人が心配になり言ったが、彼は大丈夫、と答えた。
「片山さんの歌を生で聴くのは14年か15年ぶりなんだ、しかも伯母さんの伴奏なんて、凄く楽しみだよ」
ならよかった。暁斗が頷くと、開演のチャイムが鳴り、空いていた席に慌てて客が座りに来る。
「プログラムには1つしか書いてないけど、片山さんって聴衆賞ハンターなんだよ、めちゃいい声だから」
コンクールの聴衆賞とは、最終選考時に会場にいる審査員以外の一般客が、その日一番印象に残る演奏をしたプレイヤーに投票して決まるものらしい。そう聞かされると、クラシックはあまりわからない暁斗だが、楽しみになった。
奏人からはこれまで、その場にいたのは顧問の美術教諭だったとしか聞かされたことがなかった。そのため暁斗は、余計に驚く。この歌手も1年上ということは、奏人を襲った美術部の先輩と同級生だ。互いを見知っていてもおかしくない。
「そうか……伯母さんにその話はした?」
「ううん、でも片山先輩が伯母さんと知り合った時に話してる可能性は高いかも、先輩は僕の伯母が伴奏の得意なピアニストだって知ってたから」
バリトン歌手の名は片山三喜雄といった。北海道の教育大学を卒業後、東京の芸術大学の大学院に入り、ケルンの音楽大学に留学したと書いてある。ドイツの声楽コンクールで1位無しの3位と聴衆賞という経歴は、今日一緒に出るテノール歌手が、国内外の複数のコンクールで1位を獲り、イタリアの歌劇場でオペラに出演しているのに比べると、地味だった。
暁斗がバリトン歌手の紹介を再読しているのを見て、奏人は言った。
「この人のお師匠が知る人ぞ知るシューベルト歌いのバリトンでね、片山さんオペラも歌えるんだけど、お師匠と同じ路線で行くつもりなんだろうなって」
「何だ奏人さん、この人のことずっと追ってるんじゃないか」
暁斗の突っ込みに、奏人は唇を尖らせた。
「ずっとじゃないよ……でも僕この人に不義理をしたとはずっと思ってる」
「不義理?」
「……この人の自主練につき合ってたのに、急に僕が転学することになって、ショックだったみたいで」
奏人は片山三喜雄の個人練習のために、彼から楽譜を受け取り伴奏をしてやっていたと話した。ピアノは高校生になった時に辞めたと奏人から聞かされていた暁斗だが、厳密に言うと、高校2年の夏までは弾いていたことになる。
2人の娘を音楽家に育てた札幌の祖父母の家には、アップライトピアノが残されていた。音楽や美術を好む自分に渋い顔をする父親から離れた奏人は、祖父母がわざわざ調律してくれたピアノに、少しだけ触っていたのだという。
暁斗は次々と明かされる事実に、驚きを禁じ得ない。奏人はこれまで、札幌に居た1年半の話をほとんど口にしたことがなかった。本人が黒歴史と言うように、思い出したくないからなのだが、暁斗は何やら、その期間のことを奏人の口から聞かせてもらわないと、一生彼の何処かが理解できないような気がしてきた。
「後でこの人の話はゆっくり聞くよ、最後まで聴ける?」
暁斗は奏人が心配になり言ったが、彼は大丈夫、と答えた。
「片山さんの歌を生で聴くのは14年か15年ぶりなんだ、しかも伯母さんの伴奏なんて、凄く楽しみだよ」
ならよかった。暁斗が頷くと、開演のチャイムが鳴り、空いていた席に慌てて客が座りに来る。
「プログラムには1つしか書いてないけど、片山さんって聴衆賞ハンターなんだよ、めちゃいい声だから」
コンクールの聴衆賞とは、最終選考時に会場にいる審査員以外の一般客が、その日一番印象に残る演奏をしたプレイヤーに投票して決まるものらしい。そう聞かされると、クラシックはあまりわからない暁斗だが、楽しみになった。
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