159 / 345
きみががんばってるから
1
しおりを挟む
春は名のみの寒さは、布団の中でぐずぐずべたべたする格好の理由づけになる。暁斗が枕元の時計をちらっと見ると、身体が勝手に起きようと反応したが、今日が休日だと思い直す。
「どしたの?」
腕の中で奏人がぽやんとした目をこちらに向けていた。こんな風に、彼に抱きつかれたまま朝を迎えることにも慣れた。前妻の蓉子を朝まで腕に抱いていたことは、新婚時代のほんの短い期間しかなかった。だから寝ている時、至近距離に人がいる状態そのものに、暁斗は不慣れだった。奏人と暮らし始めた頃は、彼がぴったり自分にくっついているのを見出すと、どきりとして朝からそわそわしたものである。
「ん、何でもない、目が覚めた」
暁斗は静かに答えて、奏人をゆっくり抱き直す。それだけで奏人は嬉しいらしく、頬を暁斗の鎖骨の辺りにすり寄せてくる。彼はたまに暁斗を犬呼ばわりするが、暁斗に言わせてみれば、彼もこういう時十分動物っぽい。猫は飼ったことがないが、たぶん猫だろう。
奏人の柔らかい髪を撫でながら、彼が週に1日教えに行っている大学が年度末を迎え、残りはテストを採点して成績を出すだけだと話していたことを思い出す。学生の1年間の頑張りに点数をつけるというのも、大変な作業だろう。
暁斗が学生の頃、単位や思うような成績を貰えなかったことで、教授に直談判しに行く人というのをたまに見たが、授業にろくに出ていないのにそんなことをする図々しさに呆れたものである(少なくとも暁斗は、出席日数が少ない授業の単位は期待しなかった)。まあ奏人が教えているのは女子学生、しかも皆真面目らしいので、そのような子はいないのだろうが。
「暁斗さん、今日何する?」
奏人は言ってから、すん、と軽く鼻を鳴らした。寒いのかと思い、毛布と布団を整える。布団ごと奏人を包み込むと、それだけで幸せである。
「特に予定無いよ」
今日と明日、世間は週明けのバレンタインデーのために浮かれていそうだ。暁斗の部下には1泊旅行に行く者もいる。それを聞いて、特に予定も無いのだから、自分たちも近場の温泉を探せばよかったとちょっと後悔した。
奏人は暁斗の胸に顔を埋めたまま言った。
「じゃあ僕、神田の古本屋さんに行きたい」
「研究の本探すの?」
「うん、キリスト教関係の本を取り扱ってる本屋さんが、今月末閉店するんだよね……」
暁斗は古書店の世話になるほど研究熱心でも読書家でもないが、昨年奏人に初めて連れて行かれて、古書店街の規模に驚き、結構楽しんだ。しかし奏人によると、古書をネットで探せるようになったこともあり、神田周辺も影響を受けているという。
「わかった、昼前に出ようか」
暁斗が奏人の背中を撫でると、奏人は腕の力を強めて、暁斗の身体をきゅっと抱いた。そしてトレーナーの裾から手を入れて、暁斗の背筋をさわさわと撫で始めた。最近奏人の性欲(?)は落ち着き気味で、むやみやたらに暁斗の服を脱がせようとしないが、これはどういう気持ちの発露なのだろうか。
「……暁斗さんの肌に触ってると癒される」
奏人の声に、思わず笑ってしまう。おっさんの背中に触ってそれはないだろう。
「こんなものに癒されるの?」
「だって気持ちいいんだもん」
奏人は長い指を揃えて、指の腹で愛おし気に背中を撫でる。少しくすぐったい。
「じゃあ俺も触ろうかな」
暁斗は奏人の服の中に手を入れた。温かくてすべすべした背中に掌をぴったりつけて、感触を楽しむ。気持ちいいのだが、そのうち可笑しくなってきた。
「……何やってんだろうな」
奏人もくすっと笑った。
「うん、サルがお互いの背中から蚤を取るようなものかな?」
「もっとましな喩え無いかなぁ」
「だって暁斗さんっていつもお返ししてくれるから、それっぽいなって」
よく考えると、奏人のこの発言は初めてではなかった。まだ奏人の客でしかなかった頃、いつも自分ばかり気持ち良くなって申し訳ないと思った暁斗は、奏人に手でやり返したことがある。その時とても喜んでくれた彼の口から出たのは、サルの蚤取りの喩えだった。
「きもちい……」
奏人は呟いてから、ゆっくりと深呼吸した。暁斗が手を置いているところの温度が少し上がった気がした。昨夜は遅くまで自室で机に向かっていたようだから、まだ眠いのだろう。
お互いの背中に直に触れたまま、うつらうつらする。無上の幸せのひとときだった。
「どしたの?」
腕の中で奏人がぽやんとした目をこちらに向けていた。こんな風に、彼に抱きつかれたまま朝を迎えることにも慣れた。前妻の蓉子を朝まで腕に抱いていたことは、新婚時代のほんの短い期間しかなかった。だから寝ている時、至近距離に人がいる状態そのものに、暁斗は不慣れだった。奏人と暮らし始めた頃は、彼がぴったり自分にくっついているのを見出すと、どきりとして朝からそわそわしたものである。
「ん、何でもない、目が覚めた」
暁斗は静かに答えて、奏人をゆっくり抱き直す。それだけで奏人は嬉しいらしく、頬を暁斗の鎖骨の辺りにすり寄せてくる。彼はたまに暁斗を犬呼ばわりするが、暁斗に言わせてみれば、彼もこういう時十分動物っぽい。猫は飼ったことがないが、たぶん猫だろう。
奏人の柔らかい髪を撫でながら、彼が週に1日教えに行っている大学が年度末を迎え、残りはテストを採点して成績を出すだけだと話していたことを思い出す。学生の1年間の頑張りに点数をつけるというのも、大変な作業だろう。
暁斗が学生の頃、単位や思うような成績を貰えなかったことで、教授に直談判しに行く人というのをたまに見たが、授業にろくに出ていないのにそんなことをする図々しさに呆れたものである(少なくとも暁斗は、出席日数が少ない授業の単位は期待しなかった)。まあ奏人が教えているのは女子学生、しかも皆真面目らしいので、そのような子はいないのだろうが。
「暁斗さん、今日何する?」
奏人は言ってから、すん、と軽く鼻を鳴らした。寒いのかと思い、毛布と布団を整える。布団ごと奏人を包み込むと、それだけで幸せである。
「特に予定無いよ」
今日と明日、世間は週明けのバレンタインデーのために浮かれていそうだ。暁斗の部下には1泊旅行に行く者もいる。それを聞いて、特に予定も無いのだから、自分たちも近場の温泉を探せばよかったとちょっと後悔した。
奏人は暁斗の胸に顔を埋めたまま言った。
「じゃあ僕、神田の古本屋さんに行きたい」
「研究の本探すの?」
「うん、キリスト教関係の本を取り扱ってる本屋さんが、今月末閉店するんだよね……」
暁斗は古書店の世話になるほど研究熱心でも読書家でもないが、昨年奏人に初めて連れて行かれて、古書店街の規模に驚き、結構楽しんだ。しかし奏人によると、古書をネットで探せるようになったこともあり、神田周辺も影響を受けているという。
「わかった、昼前に出ようか」
暁斗が奏人の背中を撫でると、奏人は腕の力を強めて、暁斗の身体をきゅっと抱いた。そしてトレーナーの裾から手を入れて、暁斗の背筋をさわさわと撫で始めた。最近奏人の性欲(?)は落ち着き気味で、むやみやたらに暁斗の服を脱がせようとしないが、これはどういう気持ちの発露なのだろうか。
「……暁斗さんの肌に触ってると癒される」
奏人の声に、思わず笑ってしまう。おっさんの背中に触ってそれはないだろう。
「こんなものに癒されるの?」
「だって気持ちいいんだもん」
奏人は長い指を揃えて、指の腹で愛おし気に背中を撫でる。少しくすぐったい。
「じゃあ俺も触ろうかな」
暁斗は奏人の服の中に手を入れた。温かくてすべすべした背中に掌をぴったりつけて、感触を楽しむ。気持ちいいのだが、そのうち可笑しくなってきた。
「……何やってんだろうな」
奏人もくすっと笑った。
「うん、サルがお互いの背中から蚤を取るようなものかな?」
「もっとましな喩え無いかなぁ」
「だって暁斗さんっていつもお返ししてくれるから、それっぽいなって」
よく考えると、奏人のこの発言は初めてではなかった。まだ奏人の客でしかなかった頃、いつも自分ばかり気持ち良くなって申し訳ないと思った暁斗は、奏人に手でやり返したことがある。その時とても喜んでくれた彼の口から出たのは、サルの蚤取りの喩えだった。
「きもちい……」
奏人は呟いてから、ゆっくりと深呼吸した。暁斗が手を置いているところの温度が少し上がった気がした。昨夜は遅くまで自室で机に向かっていたようだから、まだ眠いのだろう。
お互いの背中に直に触れたまま、うつらうつらする。無上の幸せのひとときだった。
応援ありがとうございます!
10
お気に入りに追加
57
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる