上 下
2 / 47
新学期

4月②

しおりを挟む
 グリークラブは、現在部員数30名の中規模文化部である。課外活動よりも塾での勉強が大切だという生徒も多く、部員集めに苦労する部も多い中、例えば3部合唱の曲を選んでも何とか形になるだけの部員がいるこのクラブは、恵まれているほうだ。
 顧問の小山が音楽室にやってくると、ぴかぴかのブレザーを身に着けた1年生10人が、1人ずつ順番に、ピアノの前に呼ばれ始めた。パート分けの儀式である。2年生と3年生は、イベントの選曲の絞り込み作業をする。夏の学生合唱祭と、秋のコンクール用の曲を決めなくてはいけない。
 三喜雄たち3年生がいつまで舞台に上がれるかは、個々の受験勉強の進捗具合による。グリークラブではコンクールの全国大会を見越して、11月まで3年生が頑張る場合が多い。余裕が無ければ、学生合唱祭が終わった後に引退してももちろん構わないが、自分だけ秋の晴れ舞台に上がらないようなことになるのは嫌なので、進路指導部からストップがかからない限りは、意地でも皆11月まで粘る。

「1年生、高い声の奴多くないか?」

 あああああー、とピアノに合わせて慣れないアルペジオを歌う男子たちは、はたから見ると滑稽でもあり、いじらしくもあった。自分もあんな風だったなと、上級生がしみじみとする瞬間である。

「いいじゃん、テノール強化できて」
「うんうん、ナカーマフエール」

 合唱なんかやりたいという人間は概して地味キャラなので、クラス内カーストの立ち位置が中の中である三喜雄にとって、このコミュニティは素のままでいることができて気楽だ。また、声楽やピアノの個人レッスンは、厳しい目標を課されて最近ピリピリしているために、純粋に音楽を楽しむことができるのは部活の時間だけである。

「合唱祭は流行りものとか入れたほうがいいかな」
「1年生のためにもそうしましょうよ、客受けも大事ですし」
「俺女子校の女声とジョイントしたいですけど無理ですか?」

 場に忍び笑いが洩れる。こんな緩い会話も、三喜雄の癒しだった。
 小山が1年生のパート分けを終え、こちらに声をかけてきた。

「大体決まったぞ、パートリーダーよろしく頼む」

 自分の出番なので、三喜雄は立ち上がり、テノールのパートリーダーとともに1年生が群れるピアノのほうに向かった。皆どことなく不安げである。
 小山は自分たちを1年生に紹介してくれた。

「テノールのリーダーの堂内どうないとバスバリトンのリーダーの片山かたやまだ、技術のことは彼らとトレーナーの深井先生に聞くといいよ」

 小山は1年生たちを2つのグループに分けて、三喜雄に託した6人のうち2人はバスだろうと言った。3部合唱の曲では、バスとバリトンにパートが分かれるので、少人数でアンサンブルをするメンタルの訓練も必要である。
 三喜雄はバスバリトンの1年生たちを座らせて、小山から渡された楽譜のコピーを配った。

「この中でちょっとでも楽譜読めるって人いますか? ピアノやってたとか」

 三喜雄の問いかけに、バリトンの子がそっと手を挙げた。1人だけとはなかなか厳しいと胸の内で苦笑しつつ、三喜雄は皆に楽譜を見るよう促す。

「まずみんなには、左のト音記号だけでなく、右のヘ音記号の楽譜の読み方にも慣れてもらわないといけません、バリトンとバスの楽譜はヘ音記号で書かれていることが多いです」

 また、練習を始めてからパートの変更があり得ることも伝えた。三喜雄自身も、1年生の夏休みにテノールからバリトンに変わったことを、経験として話す。

「主旋律があまり歌えなくなって最初嫌だったけど、楽に良い声が出るようになったので……もし歌ううちに、低過ぎて辛いとか出てきたら、迷わず言ってください」

 1年生は不安げな表情を少しずつ和らげ始め、3年生でパートリーダーである自分に憧れ混じりの視線を送ってくる。かつて自分もそうだったので、彼らの気持ちはよくわかった。入学したばかりの1年生にとっては、3年生は大先輩で、大人なのだ。
 1年生の尊敬や憧憬の視線を浴びるのは圧倒的に快感だったが、三喜雄はそれがこの場でしか得られない、極めて限定的な泡沫うたかたであることを知っていた。今日の部活は新入部員のためのオリエンテーションみたいなものなので、早く終わるだろう。この後ほとんどの2、3年生はパンを齧りながら塾へ直行し、三喜雄は先生に心をへし折られるべく、声楽のレッスンに行く予定である。
 先生には、パートリーダーとして新入生の前でドヤ顔で語ったなどとは話せない。三喜雄は発声の訓練を始めたばかりの初心者で、コールユーブンゲンの前半しかまともに初見視唱できないという、まだまだ歌い手とは呼べない代物なのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

夏の扉が開かない

穂祥 舞
ライト文芸
コントラバスをたしなむ大学生の泰生(たいき)は、3回生になり通うキャンパスが変わったことを理由に、吹奏楽部を退部する。だが1回生の頃から親しくしていた旭陽(あさひ)との関係が拗れたことも、退部を決めた理由であることを周囲に隠していた。 京都・伏見区のキャンパスは泰生にとって心地良く、音楽を辞めて卒業までのんびり過ごそうと決めていた。しかし、学校帰りに立ち寄った喫茶店でアルバイトをしている、同じ学部の文哉(ふみや)と話すようになり、管弦楽団に入部しろとぐいぐい迫られる。生活を変えたくない気持ちと、心機一転したい気持ちの板挟みになる泰生だが……。 綺想編纂館朧様主催の物書き向け企画「文披31題」のお題に沿って、7/1から1ヶ月かけて、2000字程度の短編で物語を進めてみたいと思います。毎回引きを作る自信は無いので、平坦な話になると思いますし、毎日更新はおそらく無理ですが、実験的にやってみます。私が小さい頃から親しんできた、ちょっと泥臭い目の京都南部を感じていただければ。 この物語はフィクションです。実在する人物・団体とは、何ら関係ありません。

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

ヘルツを彼女に合わせたら

高津すぐり
青春
大好きなラジオ番組「R-MIX」を聴こうとした高校生のフクチは、パーソナリティが突然、若い少女に代わった事に衝撃を受ける。謎の新人パーソナリティ・ハルカ、彼女の正体は一体? ラジオが好きな省エネ男子高校生と、ラジオスターを目指す女子高校生の青春物語。

冬の水葬

束原ミヤコ
青春
夕霧七瀬(ユウギリナナセ)は、一つ年上の幼なじみ、凪蓮水(ナギハスミ)が好き。 凪が高校生になってから疎遠になってしまっていたけれど、ずっと好きだった。 高校一年生になった夕霧は、凪と同じ高校に通えることを楽しみにしていた。 美術部の凪を追いかけて美術部に入り、気安い幼なじみの間柄に戻ることができたと思っていた―― けれど、そのときにはすでに、凪の心には消えない傷ができてしまっていた。 ある女性に捕らわれた凪と、それを追いかける夕霧の、繰り返す冬の話。

私の隣は、心が見えない男の子

舟渡あさひ
青春
人の心を五感で感じ取れる少女、人見一透。 隣の席の男子は九十九くん。一透は彼の心が上手く読み取れない。 二人はこの春から、同じクラスの高校生。 一透は九十九くんの心の様子が気になって、彼の観察を始めることにしました。 きっと彼が、私の求める答えを持っている。そう信じて。

5分くらいで読めるハッピーエンド

皆川大輔
青春
現代をメインに、思いついた舞台で小説を書きます。 タイトルにもあるように、ハッピーエンドが大好きです。 そのため、どんな暗い物語でも、登場人物たちは幸せになりますので、その点だけご了承いただけたらと思います。 あくまで自分が幸せだな、と思うようなハッピーエンドです。 捉えようによってはもしかしたらハッピーエンドじゃないのもあるかもしれません。 更新は当面の間、月曜日と金曜日。 時間は前後しますが、朝7:30〜8:30の間にアップさせていただきます。 その他、不定期で書き上げ次第アップします。 出勤前や通学前に読むもヨシ、寝る前に読むのもヨシ。そんな作品を目指して頑張ります。 追記 感想等ありがとうございます! めちゃくちゃ励みになります。一言だけでもモチベーションがぐんぐん上がるので、もしお暇でしたら一言下さいm(_ _)m 11/9 クリエイターアプリ「skima」にて、NYAZU様https://skima.jp/profile?id=156412に表紙イラストを書いていただきました! 温かみのあるイラストに一目惚れしてしまい、すぐに依頼してしまいました。 また、このイラストを記念して、一作目である「桜色」のPVを自分で作ってしまいました! 1分くらい時間ありましたら是非見に来てください! →https://youtu.be/VQR6ZUt1ipY

処理中です...