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新学期
4月②
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グリークラブは、現在部員数30名の中規模文化部である。課外活動よりも塾での勉強が大切だという生徒も多く、部員集めに苦労する部も多い中、例えば3部合唱の曲を選んでも何とか形になるだけの部員がいるこのクラブは、恵まれているほうだ。
顧問の小山が音楽室にやってくると、ぴかぴかのブレザーを身に着けた1年生10人が、1人ずつ順番に、ピアノの前に呼ばれ始めた。パート分けの儀式である。2年生と3年生は、イベントの選曲の絞り込み作業をする。夏の学生合唱祭と、秋のコンクール用の曲を決めなくてはいけない。
三喜雄たち3年生がいつまで舞台に上がれるかは、個々の受験勉強の進捗具合による。グリークラブではコンクールの全国大会を見越して、11月まで3年生が頑張る場合が多い。余裕が無ければ、学生合唱祭が終わった後に引退してももちろん構わないが、自分だけ秋の晴れ舞台に上がらないようなことになるのは嫌なので、進路指導部からストップがかからない限りは、意地でも皆11月まで粘る。
「1年生、高い声の奴多くないか?」
あああああー、とピアノに合わせて慣れないアルペジオを歌う男子たちは、はたから見ると滑稽でもあり、いじらしくもあった。自分もあんな風だったなと、上級生がしみじみとする瞬間である。
「いいじゃん、テノール強化できて」
「うんうん、ナカーマフエール」
合唱なんかやりたいという人間は概して地味キャラなので、クラス内カーストの立ち位置が中の中である三喜雄にとって、このコミュニティは素のままでいることができて気楽だ。また、声楽やピアノの個人レッスンは、厳しい目標を課されて最近ピリピリしているために、純粋に音楽を楽しむことができるのは部活の時間だけである。
「合唱祭は流行りものとか入れたほうがいいかな」
「1年生のためにもそうしましょうよ、客受けも大事ですし」
「俺女子校の女声とジョイントしたいですけど無理ですか?」
場に忍び笑いが洩れる。こんな緩い会話も、三喜雄の癒しだった。
小山が1年生のパート分けを終え、こちらに声をかけてきた。
「大体決まったぞ、パートリーダーよろしく頼む」
自分の出番なので、三喜雄は立ち上がり、テノールのパートリーダーとともに1年生が群れるピアノのほうに向かった。皆どことなく不安げである。
小山は自分たちを1年生に紹介してくれた。
「テノールのリーダーの堂内とバスバリトンのリーダーの片山だ、技術のことは彼らとトレーナーの深井先生に聞くといいよ」
小山は1年生たちを2つのグループに分けて、三喜雄に託した6人のうち2人はバスだろうと言った。3部合唱の曲では、バスとバリトンにパートが分かれるので、少人数でアンサンブルをするメンタルの訓練も必要である。
三喜雄はバスバリトンの1年生たちを座らせて、小山から渡された楽譜のコピーを配った。
「この中でちょっとでも楽譜読めるって人いますか? ピアノやってたとか」
三喜雄の問いかけに、バリトンの子がそっと手を挙げた。1人だけとはなかなか厳しいと胸の内で苦笑しつつ、三喜雄は皆に楽譜を見るよう促す。
「まずみんなには、左のト音記号だけでなく、右のヘ音記号の楽譜の読み方にも慣れてもらわないといけません、バリトンとバスの楽譜はヘ音記号で書かれていることが多いです」
また、練習を始めてからパートの変更があり得ることも伝えた。三喜雄自身も、1年生の夏休みにテノールからバリトンに変わったことを、経験として話す。
「主旋律があまり歌えなくなって最初嫌だったけど、楽に良い声が出るようになったので……もし歌ううちに、低過ぎて辛いとか出てきたら、迷わず言ってください」
1年生は不安げな表情を少しずつ和らげ始め、3年生でパートリーダーである自分に憧れ混じりの視線を送ってくる。かつて自分もそうだったので、彼らの気持ちはよくわかった。入学したばかりの1年生にとっては、3年生は大先輩で、大人なのだ。
1年生の尊敬や憧憬の視線を浴びるのは圧倒的に快感だったが、三喜雄はそれがこの場でしか得られない、極めて限定的な泡沫であることを知っていた。今日の部活は新入部員のためのオリエンテーションみたいなものなので、早く終わるだろう。この後ほとんどの2、3年生はパンを齧りながら塾へ直行し、三喜雄は先生に心をへし折られるべく、声楽のレッスンに行く予定である。
先生には、パートリーダーとして新入生の前でドヤ顔で語ったなどとは話せない。三喜雄は発声の訓練を始めたばかりの初心者で、コールユーブンゲンの前半しかまともに初見視唱できないという、まだまだ歌い手とは呼べない代物なのだった。
顧問の小山が音楽室にやってくると、ぴかぴかのブレザーを身に着けた1年生10人が、1人ずつ順番に、ピアノの前に呼ばれ始めた。パート分けの儀式である。2年生と3年生は、イベントの選曲の絞り込み作業をする。夏の学生合唱祭と、秋のコンクール用の曲を決めなくてはいけない。
三喜雄たち3年生がいつまで舞台に上がれるかは、個々の受験勉強の進捗具合による。グリークラブではコンクールの全国大会を見越して、11月まで3年生が頑張る場合が多い。余裕が無ければ、学生合唱祭が終わった後に引退してももちろん構わないが、自分だけ秋の晴れ舞台に上がらないようなことになるのは嫌なので、進路指導部からストップがかからない限りは、意地でも皆11月まで粘る。
「1年生、高い声の奴多くないか?」
あああああー、とピアノに合わせて慣れないアルペジオを歌う男子たちは、はたから見ると滑稽でもあり、いじらしくもあった。自分もあんな風だったなと、上級生がしみじみとする瞬間である。
「いいじゃん、テノール強化できて」
「うんうん、ナカーマフエール」
合唱なんかやりたいという人間は概して地味キャラなので、クラス内カーストの立ち位置が中の中である三喜雄にとって、このコミュニティは素のままでいることができて気楽だ。また、声楽やピアノの個人レッスンは、厳しい目標を課されて最近ピリピリしているために、純粋に音楽を楽しむことができるのは部活の時間だけである。
「合唱祭は流行りものとか入れたほうがいいかな」
「1年生のためにもそうしましょうよ、客受けも大事ですし」
「俺女子校の女声とジョイントしたいですけど無理ですか?」
場に忍び笑いが洩れる。こんな緩い会話も、三喜雄の癒しだった。
小山が1年生のパート分けを終え、こちらに声をかけてきた。
「大体決まったぞ、パートリーダーよろしく頼む」
自分の出番なので、三喜雄は立ち上がり、テノールのパートリーダーとともに1年生が群れるピアノのほうに向かった。皆どことなく不安げである。
小山は自分たちを1年生に紹介してくれた。
「テノールのリーダーの堂内とバスバリトンのリーダーの片山だ、技術のことは彼らとトレーナーの深井先生に聞くといいよ」
小山は1年生たちを2つのグループに分けて、三喜雄に託した6人のうち2人はバスだろうと言った。3部合唱の曲では、バスとバリトンにパートが分かれるので、少人数でアンサンブルをするメンタルの訓練も必要である。
三喜雄はバスバリトンの1年生たちを座らせて、小山から渡された楽譜のコピーを配った。
「この中でちょっとでも楽譜読めるって人いますか? ピアノやってたとか」
三喜雄の問いかけに、バリトンの子がそっと手を挙げた。1人だけとはなかなか厳しいと胸の内で苦笑しつつ、三喜雄は皆に楽譜を見るよう促す。
「まずみんなには、左のト音記号だけでなく、右のヘ音記号の楽譜の読み方にも慣れてもらわないといけません、バリトンとバスの楽譜はヘ音記号で書かれていることが多いです」
また、練習を始めてからパートの変更があり得ることも伝えた。三喜雄自身も、1年生の夏休みにテノールからバリトンに変わったことを、経験として話す。
「主旋律があまり歌えなくなって最初嫌だったけど、楽に良い声が出るようになったので……もし歌ううちに、低過ぎて辛いとか出てきたら、迷わず言ってください」
1年生は不安げな表情を少しずつ和らげ始め、3年生でパートリーダーである自分に憧れ混じりの視線を送ってくる。かつて自分もそうだったので、彼らの気持ちはよくわかった。入学したばかりの1年生にとっては、3年生は大先輩で、大人なのだ。
1年生の尊敬や憧憬の視線を浴びるのは圧倒的に快感だったが、三喜雄はそれがこの場でしか得られない、極めて限定的な泡沫であることを知っていた。今日の部活は新入部員のためのオリエンテーションみたいなものなので、早く終わるだろう。この後ほとんどの2、3年生はパンを齧りながら塾へ直行し、三喜雄は先生に心をへし折られるべく、声楽のレッスンに行く予定である。
先生には、パートリーダーとして新入生の前でドヤ顔で語ったなどとは話せない。三喜雄は発声の訓練を始めたばかりの初心者で、コールユーブンゲンの前半しかまともに初見視唱できないという、まだまだ歌い手とは呼べない代物なのだった。
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