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4 晃嗣、チョコレートを用意する③
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◇2月12日◇
チョコレートをいつ渡そうかと晃嗣が迷っていると、朔のほうから、火曜の夜に食事をしないかと誘ってきてくれた。甲殻類アレルギーを持つ朔にしては珍しく、美味しい寿司を出してくれる居酒屋に予約を入れたという。
「俺ん家の最寄り駅そばです。泊まる用意して来てくれたら嬉しいです♡」
朔からのLINEを見て、晃嗣は軽く困惑する。翌日、阿佐ヶ谷から一緒に出勤するということか。まあ俺は座り仕事だし、今特に忙しくはないからいいけれど、朔さんは大丈夫なんだろうか?
こんなことがこれから増えるなら、彼の家に着替えや日用品を少し置かせてもらったほうがいいのかもしれない。そんなことを考えて、どきどきしている自分は滑稽だと思う。晃嗣は朔のことを考えるたびに、自分の感情を持て余すのだが、それもちょっと楽しいというのが、本当に困りものだった。
◇2月14日◇
「何か勝手にいろいろ決めてごめん、気が急いちゃって」
バレンタインデー当日、2人とも少し残業をしてから、一緒に会社を出た。朔は混雑した中央線の中で、どさくさに紛れて晃嗣に身体を寄せながら言った。
「何で気が急くんだ、別に俺は何の予定も無いのに」
晃嗣が小さく答えると、朔は目に笑いを浮かべた。
「それでも晃嗣さんの予定を押さえておきたいと思ってしまった訳です、お店も人気のとこだしね」
「寿司で良かったのか?」
「晃嗣さん魚好きだろ? 俺は海老さえ食べなかったら大丈夫だから」
朔の顔が近い。扉の際でほとんど抱き寄せられる格好になった晃嗣は人目が気になり、朔から距離を取ろうとするが、満員電車はそれを許してくれない。
「……誰も気にしてないよ」
耳の傍で言われて、勝手に肩がぴくりとなった。抗えない。早く阿佐ヶ谷に着いてくれたらいいのに。晃嗣は何処か甘さを帯びた拷問に、ただただ身体を硬くしていた。
ほぼ満席の店に着いて、半個室に通されると、晃嗣は凝った肩を上げ下げした。ビールとアテを頼んだ朔は、マスクを外しながら楽しげに笑う。
「俺が痴漢してるみたいな背徳感あったなぁ……こうちゃんの反応めっちゃ好き」
「やめろ、変態か」
晃嗣は顔を背けた。遊ばれていたことへの腹立たしさと、久しぶりに近い場所で朔の顔を見ている嬉しさがない交ぜになる。生ビールとスライスしたトマトがやって来ると、本日お勧めの寿司盛りを頼む。朔は上機嫌でジョッキをぶつけてきた。
「はい、かんぱーい」
ビールは美味だった。ちびちびと味わっていると、朔が覗き込むようにして言う。
「ほんとにごめん、あと1か月半待ってくれたら、毎晩でも晃嗣さんと会えるようになる」
大げさな話だった。朔はデリヘルの副業のことを言っていると思われたが、彼が働いているのは水曜と土曜だけである。4月からそこが空いたとしても、さして今と変わりは無いし、お互い真面目な労働者なのだから、毎晩会うことなど無理だ。
「朔さんに謝られることなんか何も無いよ」
晃嗣は自分を見つめる澄んだ茶色い瞳に答えたが、意図したことがきちんと伝わらなかったらしく、朔の笑顔がだらしなくなった。
「こうちゃんは優しい……」
「そういう意味じゃなくて、4月から毎晩会うってのもあり得ないから、気にするなって言ってる」
え、と呟いた朔は、かくっと項垂れた。
「何だよそれ、俺はそれだけを心の支えにして生きてるのに……」
「そんなの無理だろ、一緒に暮らすとかならまだしも」
朔はぱっと顔を上げた。
「一緒に暮らす! そうなの? こうちゃんの希望はそうなんだ? いいんじゃないかな、こうちゃんは昇進確定だし、俺も新プロジェクトに参加するし、お互い忙しくなるから通勤しやすいところに新居を探そう」
朔の勢いに、晃嗣はぽかんとなった。何故こんな話になってるんだ?
店員が寿司の盛り合わせを持ってくると、話が中断した。寿司は、つやつやしたネタがいかにも美味しそうだった。同じように感じたのだろう、朔が冷酒を注文する。
「今日はバレンタインデーだから、俺がご馳走するよ」
朔はにっこり笑いながら言う。ご馳走してもらう理由がないので、晃嗣は困惑した。
「朔さん、そんな……」
「いいんだ、そうさせて……俺がお客さんに対応してることで、晃嗣さんに寂しい思いとか、やきもきさせたりとかしてるから」
朔の言葉は、微妙に当てはまっていなかった。晃嗣は彼がディレット・マルティールで性的な接客をしていることに関して、彼が選んで従事しているのだからと、割り切り尊重しているつもりである。焼きもちを焼いたり、寂しいと訴えたりしようとも思わない。
でも。甘海老の寿司を避けながら箸をのばす朔を見て、朔は考える。ここは素直に、ありがとうと言う場面なのかもしれない。少なくとも今、晃嗣は久々に朔と向かい合って食事をすることを楽しんでいる。彼と一緒の時間を過ごせて嬉しいし、泊めてもらえると思って昨夜からどきどきしっ放しだ。それはやはり、会いたいときにすぐに会える訳ではないからだと思う。
チョコレートをいつ渡そうかと晃嗣が迷っていると、朔のほうから、火曜の夜に食事をしないかと誘ってきてくれた。甲殻類アレルギーを持つ朔にしては珍しく、美味しい寿司を出してくれる居酒屋に予約を入れたという。
「俺ん家の最寄り駅そばです。泊まる用意して来てくれたら嬉しいです♡」
朔からのLINEを見て、晃嗣は軽く困惑する。翌日、阿佐ヶ谷から一緒に出勤するということか。まあ俺は座り仕事だし、今特に忙しくはないからいいけれど、朔さんは大丈夫なんだろうか?
こんなことがこれから増えるなら、彼の家に着替えや日用品を少し置かせてもらったほうがいいのかもしれない。そんなことを考えて、どきどきしている自分は滑稽だと思う。晃嗣は朔のことを考えるたびに、自分の感情を持て余すのだが、それもちょっと楽しいというのが、本当に困りものだった。
◇2月14日◇
「何か勝手にいろいろ決めてごめん、気が急いちゃって」
バレンタインデー当日、2人とも少し残業をしてから、一緒に会社を出た。朔は混雑した中央線の中で、どさくさに紛れて晃嗣に身体を寄せながら言った。
「何で気が急くんだ、別に俺は何の予定も無いのに」
晃嗣が小さく答えると、朔は目に笑いを浮かべた。
「それでも晃嗣さんの予定を押さえておきたいと思ってしまった訳です、お店も人気のとこだしね」
「寿司で良かったのか?」
「晃嗣さん魚好きだろ? 俺は海老さえ食べなかったら大丈夫だから」
朔の顔が近い。扉の際でほとんど抱き寄せられる格好になった晃嗣は人目が気になり、朔から距離を取ろうとするが、満員電車はそれを許してくれない。
「……誰も気にしてないよ」
耳の傍で言われて、勝手に肩がぴくりとなった。抗えない。早く阿佐ヶ谷に着いてくれたらいいのに。晃嗣は何処か甘さを帯びた拷問に、ただただ身体を硬くしていた。
ほぼ満席の店に着いて、半個室に通されると、晃嗣は凝った肩を上げ下げした。ビールとアテを頼んだ朔は、マスクを外しながら楽しげに笑う。
「俺が痴漢してるみたいな背徳感あったなぁ……こうちゃんの反応めっちゃ好き」
「やめろ、変態か」
晃嗣は顔を背けた。遊ばれていたことへの腹立たしさと、久しぶりに近い場所で朔の顔を見ている嬉しさがない交ぜになる。生ビールとスライスしたトマトがやって来ると、本日お勧めの寿司盛りを頼む。朔は上機嫌でジョッキをぶつけてきた。
「はい、かんぱーい」
ビールは美味だった。ちびちびと味わっていると、朔が覗き込むようにして言う。
「ほんとにごめん、あと1か月半待ってくれたら、毎晩でも晃嗣さんと会えるようになる」
大げさな話だった。朔はデリヘルの副業のことを言っていると思われたが、彼が働いているのは水曜と土曜だけである。4月からそこが空いたとしても、さして今と変わりは無いし、お互い真面目な労働者なのだから、毎晩会うことなど無理だ。
「朔さんに謝られることなんか何も無いよ」
晃嗣は自分を見つめる澄んだ茶色い瞳に答えたが、意図したことがきちんと伝わらなかったらしく、朔の笑顔がだらしなくなった。
「こうちゃんは優しい……」
「そういう意味じゃなくて、4月から毎晩会うってのもあり得ないから、気にするなって言ってる」
え、と呟いた朔は、かくっと項垂れた。
「何だよそれ、俺はそれだけを心の支えにして生きてるのに……」
「そんなの無理だろ、一緒に暮らすとかならまだしも」
朔はぱっと顔を上げた。
「一緒に暮らす! そうなの? こうちゃんの希望はそうなんだ? いいんじゃないかな、こうちゃんは昇進確定だし、俺も新プロジェクトに参加するし、お互い忙しくなるから通勤しやすいところに新居を探そう」
朔の勢いに、晃嗣はぽかんとなった。何故こんな話になってるんだ?
店員が寿司の盛り合わせを持ってくると、話が中断した。寿司は、つやつやしたネタがいかにも美味しそうだった。同じように感じたのだろう、朔が冷酒を注文する。
「今日はバレンタインデーだから、俺がご馳走するよ」
朔はにっこり笑いながら言う。ご馳走してもらう理由がないので、晃嗣は困惑した。
「朔さん、そんな……」
「いいんだ、そうさせて……俺がお客さんに対応してることで、晃嗣さんに寂しい思いとか、やきもきさせたりとかしてるから」
朔の言葉は、微妙に当てはまっていなかった。晃嗣は彼がディレット・マルティールで性的な接客をしていることに関して、彼が選んで従事しているのだからと、割り切り尊重しているつもりである。焼きもちを焼いたり、寂しいと訴えたりしようとも思わない。
でも。甘海老の寿司を避けながら箸をのばす朔を見て、朔は考える。ここは素直に、ありがとうと言う場面なのかもしれない。少なくとも今、晃嗣は久々に朔と向かい合って食事をすることを楽しんでいる。彼と一緒の時間を過ごせて嬉しいし、泊めてもらえると思って昨夜からどきどきしっ放しだ。それはやはり、会いたいときにすぐに会える訳ではないからだと思う。
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