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12月

11-③

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「……朔さんがエリカワに就職する前に1年だけ勤めてたのって、あの会社なのか?」
「そうだよ……営業部に配属して貰った、でも柴田さんはもういなかった」

 晃嗣は頭の中が真っ白になるのを感じた。では朔は、俺があの会社を何故辞める羽目になったのか、先輩連中から聞いたに違いない。
 それは晃嗣にとっては、朔に一番知られたくない、自分史上最悪の汚点だった。上司に陥れられ、同僚や部下を守ることも出来ず、尻尾を巻いて逃げ出すしか無かった、あの時の弱い自分。
 全てに対して甘かったのだ。あの陰険な上司の自分に対する悪意に気づいていたのに、信じようとした。取引先の連中なんて所詮赤の他人なのに、信じてほしいなどと考えた。
 晃嗣はふらりと立ち上がった。今度こそ本当に、いたたまれなくて消えてしまいたかった。晃嗣の様子がおかしくなったことに気づいた朔が、椅子から腰を浮かせる。

「どうしたの柴田さん、顔色悪いよ……トイレ行ったほうがいい?」
「ごめん朔さん、やっぱり帰る」
「えっ! どうして!」

 朔は立ち上がり、テーブルを離れようとする晃嗣の行く手を遮る位置取りをした。

「待って、ほんとにどうしたんだよ、俺何か悪いこと言った?」

 もうめちゃくちゃだ。酔った勢いで朔が抱きついてきて、営業課の連中にゲイバレして、朔の家までついてきてしまって、黒歴史を知られた。いや……朔が晃嗣の恥ずべき過去を知った上で、ずっと接してくれていたなんて。
 晃嗣は耐え切れず、両手で顔を覆ってその場に座りこんだ。両目から熱い水が噴き出し、勝手に嗚咽が洩れた。

「柴田さん! どうしたんだ、気分が悪いのか」

 朔もかがみこんできて、晃嗣の肩を両手でしっかり掴む。それは6年前、おろおろしながら近づいてきた大学生の手ではなかった。営業マンとしてはもうとっくに、自分を超えた男の手。

「どうして……」

 晃嗣はてのひらで涙をぬぐいながら言う。

「あの会社で営業やってたことを黙ってたんだ、俺がどうして辞めたのか聞いたんだろう?」

 頭の上から朔の戸惑った声が降ってくる。

「隠すつもりは無かったけど、何かストーカーみたいだから言い出せなかったのはある、あっ、でもエリカワに柴田さんがいることはほんとに知らなかったんだ」
「俺は前の会社のことは知られたくなかったのに……あんなこと……」

 また涙が溢れてきて、晃嗣は我慢できなくなり、声を上げて泣いた。裸になった時はみっともなくても、普段は少しくらい、朔の前で良い格好をしていたかった。だって自分は、彼より5つも年上なのだから。

「柴田さん、泣かないで……俺何があったのか確かに聞いた、みんななかなか教えてくれなかった……」

 朔は晃嗣の肩を掴んだまま、言い聞かせるように話した。

「柴田さんには落ち度が無いと知ってたのに、自己保身のために見て見ぬ振りをして、ずっと後悔してるって話してくれた人もいたし、柴田さんを見捨てて営業にいるくらいなら、他所に飛ばされても構わなかったって言う人もいた」

 朔と話した社員が誰だったのか、晃嗣には想像がついた。それでまた、泣けた。晃嗣に彼らを恨んだり、申し訳なく思ったりする気持ちが今は無いと言えば嘘になる。しかし、あの時みんな動けなかったし、手の打ちようが無かったのだ。少なくとも、そう思わされていた。

「俺もあいつはヤバいと思った……だから柴田さんは何も悪くないんだ」

 朔は肩に置いていた手を、やや遠慮がちに背中に回してきた。さっき晃嗣が会議室でしてやったように、彼はそこを軽くとんとんと叩く。

「あいつが今どうしてるか知らないけど、あんな奴にはきっと天罰が下るし、あんな奴をのさばらせておく会社なんか、そのうち駄目になるに決まってる」

 自分を慰めようとする朔の気持ちが痛いほど伝わってきて、悲しいのか嬉しいのかわからなくなる。晃嗣は彼の肩に額をつけて、自分の膝の上にぼとぼと涙を落とし続けた。
 朔はわかっていない。朔が好きだから、好きな人の前で恥ずかしい過去を晒すのが辛いから、涙が止まらないのに。自分が認識している以上に、前の会社での躓きにこだわっていることに晃嗣は気づかされたが、やり直しの効かない過去の話でしかないとは思っているつもりだ。

「あの時の柴田さんと今の柴田さんとはたぶん別物だけど、やっぱり何処かで繋がってると思ってる、俺が好きなのはそこだから……」

 朔が背中を撫でながら言ってくれるのを聞いて、晃嗣は尚更わからなくなるのだった。こいつは、俺の何をそんなに気に入っているのだろう?
 少し泣き疲れてきた。ひとつ喉をひっく、と言わせて、晃嗣は身体の力を緩めた。歯を食いしばっていたせいで、顎が疲れていた。
 朔が腕で優しく上半身を囲ってくれた。そして耳に近いところで、柔らかく言う。

「お風呂溜めるよ、あったまってゆっくり寝よう」

 晃嗣は小さく頷いた。まるで小さな子どもだと、疲れ混じりに自分を恥じた。
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