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11月
4-⑥
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朔の言葉に晃嗣のほうがショックを受けてしまう。従姉の子どもが軽い卵アレルギーを持っており、彼女が卵を使わないお菓子を探したり、時には自作したりしているのを晃嗣は知っていた。少しずつ食べさせることで、アレルギー症状を克服できる可能性もあると従姉は話してくれたが、発症が遅いと治療の方策がほぼ無いことは知らなかった。
朔は晃嗣を軽く覗き込んできた。
「柴田さん、家族が難病の告知を受けたみたいな顔しないでよ……珍しいことじゃないだろ」
「……そうなんだろうけど」
晃嗣は目を逸らす。明るい色の瞳にじっと見つめられて、やや居心地が悪かった。
「柴田さん優しい」
「普通だろ」
午後に似たような会話を耳にした気がしつつ、晃嗣は朔に答えた。
病人を疲れさせてしまう、あまり長居してはいけない。晃嗣はコーヒーを飲み干して、立ち上がろうとした。すると朔も椅子から腰を上げる。晃嗣は彼を制そうとした。
「見送らなくていい、お粥食べて……」
その時、ふいと朔のきれいな顔が近づいた。えっ、という呟きは、睫毛長いなとちらっと思った瞬間に、出所を失う。温かくて柔らかいものが、優しく唇に押しつけられた。
「……っ‼︎」
晃嗣は思わずのけぞって、右手の甲を唇に当てた。えっ何だ、こいつ今何をした? 人形のように美しい形をした目が自分を見つめていることに、晃嗣の顔が一気に熱くなる。中腰になって固まったまま、心臓がどくどく鳴るのを耳の中で聴いた。
朔はゆっくりと2回瞬いて、唇を尖らせた。やや不満気である。
「……食糧調達してくれたお礼だよ」
「へ? おっ、お礼にキスとかっ、外国人かよ」
晃嗣はプチパニックになり、訳のわからないことを口走る。朔は僅かに眉間に皺を寄せた。
「そんな迷惑そうな顔をされると思わなかった、傷つく」
迷惑だなんて! 晃嗣はますます頭の中を混乱させる。
「嫌だったんじゃない、びっくりしたんだ、だってこれは過剰なサービスじゃないのか」
「俺今どちらかと言うと、ディレット・マルティールのさくじゃないんだけど」
ではどういうつもりなんだ。晃嗣は朔が小首を傾げるのを視界に入れて、額や首まで赤くなるのを自覚した。
「とっ、とにかくもう帰るから、お粥食べて歯を磨いて良く寝てくれ、かっ、桂山課長も心配してたから、明日は出勤できるように……」
晃嗣がぎくしゃくと話すので、朔はくすっと笑った。
「ありがとう、買って来てくれたオレンジのゼリー好きなんだ、お粥のあとで食べるよ」
晃嗣は朔の笑顔を見て、胸の中がきゅっと絞られるのを感じた。ああ、こんなことで喜んでくれるのか。そんな顔をしてくれることが、たまらなく嬉しい。
「柴田さんも風邪ひかないようにしてよ」
朔は玄関で晃嗣を見送ってくれた。彼は晃嗣より少しだけ背が高く、上半身もがっちりしているので、玄関先が狭いせいかやけに距離が近いように感じる。
それだけではない……気を許されている。確信があった。そう意識すると、朔に触れたい欲望が頭をもたげて、晃嗣はそれを抑えるのに少々苦労した。
おやすみなさい、と言って朔は手を振る。晃嗣は名残惜しい気持ちに襲われながら、重いドアをそっと閉めた。その場を5歩離れた時、小さく鍵を閉める音がした。直ぐに鍵をがちゃんとかけないのは、気遣いだろうか? もしそうなら、朔らしいと晃嗣は思った。
赤くなった顔を誰にも見られずに、マンションから出ることができた。晃嗣はマスクをつけ忘れていることにようやく気づいて、そそくさとコートのポケットからそれを引っぱり出した。
朔は晃嗣を軽く覗き込んできた。
「柴田さん、家族が難病の告知を受けたみたいな顔しないでよ……珍しいことじゃないだろ」
「……そうなんだろうけど」
晃嗣は目を逸らす。明るい色の瞳にじっと見つめられて、やや居心地が悪かった。
「柴田さん優しい」
「普通だろ」
午後に似たような会話を耳にした気がしつつ、晃嗣は朔に答えた。
病人を疲れさせてしまう、あまり長居してはいけない。晃嗣はコーヒーを飲み干して、立ち上がろうとした。すると朔も椅子から腰を上げる。晃嗣は彼を制そうとした。
「見送らなくていい、お粥食べて……」
その時、ふいと朔のきれいな顔が近づいた。えっ、という呟きは、睫毛長いなとちらっと思った瞬間に、出所を失う。温かくて柔らかいものが、優しく唇に押しつけられた。
「……っ‼︎」
晃嗣は思わずのけぞって、右手の甲を唇に当てた。えっ何だ、こいつ今何をした? 人形のように美しい形をした目が自分を見つめていることに、晃嗣の顔が一気に熱くなる。中腰になって固まったまま、心臓がどくどく鳴るのを耳の中で聴いた。
朔はゆっくりと2回瞬いて、唇を尖らせた。やや不満気である。
「……食糧調達してくれたお礼だよ」
「へ? おっ、お礼にキスとかっ、外国人かよ」
晃嗣はプチパニックになり、訳のわからないことを口走る。朔は僅かに眉間に皺を寄せた。
「そんな迷惑そうな顔をされると思わなかった、傷つく」
迷惑だなんて! 晃嗣はますます頭の中を混乱させる。
「嫌だったんじゃない、びっくりしたんだ、だってこれは過剰なサービスじゃないのか」
「俺今どちらかと言うと、ディレット・マルティールのさくじゃないんだけど」
ではどういうつもりなんだ。晃嗣は朔が小首を傾げるのを視界に入れて、額や首まで赤くなるのを自覚した。
「とっ、とにかくもう帰るから、お粥食べて歯を磨いて良く寝てくれ、かっ、桂山課長も心配してたから、明日は出勤できるように……」
晃嗣がぎくしゃくと話すので、朔はくすっと笑った。
「ありがとう、買って来てくれたオレンジのゼリー好きなんだ、お粥のあとで食べるよ」
晃嗣は朔の笑顔を見て、胸の中がきゅっと絞られるのを感じた。ああ、こんなことで喜んでくれるのか。そんな顔をしてくれることが、たまらなく嬉しい。
「柴田さんも風邪ひかないようにしてよ」
朔は玄関で晃嗣を見送ってくれた。彼は晃嗣より少しだけ背が高く、上半身もがっちりしているので、玄関先が狭いせいかやけに距離が近いように感じる。
それだけではない……気を許されている。確信があった。そう意識すると、朔に触れたい欲望が頭をもたげて、晃嗣はそれを抑えるのに少々苦労した。
おやすみなさい、と言って朔は手を振る。晃嗣は名残惜しい気持ちに襲われながら、重いドアをそっと閉めた。その場を5歩離れた時、小さく鍵を閉める音がした。直ぐに鍵をがちゃんとかけないのは、気遣いだろうか? もしそうなら、朔らしいと晃嗣は思った。
赤くなった顔を誰にも見られずに、マンションから出ることができた。晃嗣はマスクをつけ忘れていることにようやく気づいて、そそくさとコートのポケットからそれを引っぱり出した。
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