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11月

3-②

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「柴田さんって僕と同期入社なんですよね?」

 スープのスプーン片手にさくが訊いてきた。海老のビスクは野菜の風味もして、美味だ。

「うん、タイミングよく中途採用してもらえた」
「前の会社ではずっと営業だったんですか?」
「うん、営業成績はそんなに良くなかったけどね」

 さくはスープにゆっくりと口をつける。転職した理由を尋ねられると晃嗣は思ったが、彼は意外な方向に話を運んだ。

「柴田さん僕のこと新卒と思ってらっしゃるでしょ?」
「……え?」
「僕転職歴あるんです、授業の合間に東京に出てきて必死で就活して、やっと内定貰った会社、1年で辞めました」

 晃嗣は軽く驚き、5歳下の彼の年齢が、新卒で自分と同期入社として計算したら、微妙に合わないことに気づく。

「エリカワも現役の頃に面接まで行ってたんです、でも仙台支社に配属されそうだなって思って辞退しました……それで次の年に結局東京で入社してるという」
「東京で働きたかったってこと?」

 店員がパスタの皿を持って来た。さくはスープを完食していなかったが、下げてくださいとさらりと言った。全て食べるとメインまでに腹が膨れると思ったのかもしれず、メニューも伝えておけばよかったと晃嗣は軽く悔やむ。

「はい、僕の実家は郡山で大学は仙台でしたけど、言っても働く場所はそんなに多くないですから」

 大学生の頃から、晃嗣の周囲には東北の人が多い。春日部市に実家がある晃嗣にとっては、大学や就職先が東京になるであろうことはごく当然だったのだが、東北地方出身者にとってもそうだということらしい。
 きのことベーコンの秋らしいパスタは、ワインに良く合った。食べる手を止めてしまわない程度に会話が進む。さくは転職した理由を、思っていたより職場の雰囲気が良くなく、仕事も楽しくなかったからだと、あくまでもあっさりと話した。
 晃嗣は彼のグラスにワインを注いでやりながら、言った。

「俺も上が代わって課の空気が悪くなったのが引き金になったな、やっぱ雰囲気って大切だ」

 晃嗣も微笑しながら話したが、実情は笑い事ではなかった。新しくチームリーダーになった男は、訴訟沙汰になりかねなかった自分の大きなミスを、サブリーダーだった晃嗣のやったことだと報告したのだ。晃嗣が主担当を務めていた取引先とのトラブルだったために、上層部はその報告を鵜呑みにした。
 チームのメンバーの3分の2は、リーダーの嘘を見て見ぬ振りをした。そうしなかった3分の1のうち、リーダーに物申した数名は、あからさまに重要な案件から外されたり、産休の取得を決めているのに支社への転勤を命じられたりした。晃嗣の目の届かない場所でパワハラを受け、心身に不調をきたした若い社員もいた。
 自分にほぼ責任の無いことで針のむしろに座るのもさることながら、自分と自分の仕事を信じてくれている同僚が嫌がらせを受けるのを見ることに耐えられなくなり、晃嗣は退職願を書いた。
 それに、晃嗣のミスだと信じて疑わず、罵声を浴びせてきた取引先の担当者たちの態度にも失望した。主担当としてお叱りを受けるのは当然だとしても、3年も緊密に接してきたのに、例えば「柴田さんのやったことじゃないんですよね?」といった言葉も無かったのが悲しかった……それは甘えでしかないと理解しているつもりだったが、晃嗣の営業への情熱は一気に冷めた。それで転職活動を始めた時、人と接する仕事を徹底的に避けたのだった。

「柴田さん、酔いましたか? 大丈夫ですか?」

 さくの声に我に返る。晃嗣はつい、自虐の笑いを浮かべてしまう。

「申し訳ない、前の職場のことなんかつい思い出してた」

 パスタをフォークに巻きつけていたさくは、晃嗣への視線に同情のようなものを混じらせてくる。

「いえ、いろいろあったんですよね……何か察してしまいました」
「別に命に関わるようなことじゃない、今は思い出のひとつだよ」

 晃嗣の言葉に、さくはきれいな形の唇をほころばせた。

「柴田さんってきっと溜め込むタイプですよね、昼間は同僚の僕相手じゃ話しにくいですか?」

 話せば気持ちが軽くなると、さくは言ってくれているのだった。このデートコースを使う客が精神的な癒しを求める時、スタッフたちは一時的なカウンセラーになってくれるのだ。
 晃嗣はいや、とかぶりを振った。

「前の会社の話だから聞かれるのは全然構わないよ、でも食事が不味くなりそうな話題は避けたいんだ」
「溜め込む人ってだいたいそう言うんですよね……楽しくない話だからきみの気分を悪くしてしまう、とか」

 さくはふふっと笑う。人の気持ちを手玉に取るような言い草がやや腹立たしいのに、話してしまいたいような気になってしまう。
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